2 乱れ乱れて
ふんふんふーん、ふんふふーん。
よく分からない鼻唄が先程から止まらない。よく分からないから、その音程が正しいのかすら分からない。
「ねえ、五月蝿いんだけど」
男装の麗人は呆れたように向いに座る男に言った。しかし、男は窓の外に向けていた視線をちらりと彼女に返すのみで、にやにやした表情に加えて指先で指揮のような振りまで始める始末だった。
「上機嫌のあんたって、すっごい不気味ね」
ま、いいけど。そう呟いて彼女も移りゆく景色を眺めた。
手配された馬車に乗り、王都に向かう。規制を敷いているのだろう、進みに滞りはない。書簡が届いたのは直前の筈だ。手際が良く、統率が取れている証拠である。
「ここの王様は侮れないわ、油断すんじゃないわよ」
「誰に言ってんの」
ハッと笑いながら、男は男装の麗人を見た。暫し視線を絡ませた後、面白く無さそうに麗人は言葉を吐いた。
「ま、そうよね」
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「ウォルダ国のリラ=ゾルトレイと申します。此度は行き違いがあり、突然の訪問という形になってしまいましたことお詫び申し上げます」
右手を胸に当て、男装の麗人、リラは頭を下げた。
「構いません、どうかお顔をお上げください」
どうぞ、とバクザはリラに椅子を示した。
ここは国王バクザの応接室。到着したルロワナ=タルセイルの祖国、ウォルダ国第9王女のリラ=ゾルトレイと2名の護衛が謁見している。
同席しているヨルシカは薄い微笑みの裏で内心苦虫を噛み潰す思いだった。
確かに国力の差は歴然だ。だが、公式の場であることには変わりない。だのにこの王女は騎士紛いの格好で、作法も令嬢のそれを使わない。
舐められている?いや、試されているのだ。
そしてその駆け引きはバクザも理解しているのだろう、全く動じることなくにこやかに対応している。
「さて、どうやらお急ぎのこととお察しします。こちらは引き渡しの準備は整っておりますが、如何なさいますかな」
我が父の心臓は鋼だろうか。大国であろうが王女だろうが、目には目を、を突き通すバクザをヨルシカは素直に賞賛してしまった。柔らかな物腰で包んではいるが、さっさと帰れと言っているのだ。
「これはこれは、感謝申し上げます。心苦しいばかりなのですが、慣れない長旅でしたもので少しばかり休息をいただくことは可能でしょうか?」
「いやはや、礼を欠いてしまいましたな。申し訳ない。ではご案内いたしましょう」
バクザはヨルシカに目配せをし、ヨルシカは頷き立ち上がる。
「どうぞこちらへ」
退室を促すと、護衛の一人がリラを守るかのように近付き、先導した。ヨルシカはバクザに一礼をし、目を合わせる。その一瞬の間、先に出た護衛がリラにそっと耳打ちをした。
「ね、ちょっと痛い目に遭わせてもいい?」
「好きにしなさいよ」
ぱたりとヨルシカが扉を閉めた時には、もう護衛と王女の距離に戻っていた。
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「案内ありがとうございます。ですが船内にいた時間が長く、まだ外の風に当たっていてもよろしいですか?」
リラがヨルシカに問う。
「勿論ですよ。よろしければ部屋の風通しを良くいたしますので、そちらでお休みになられますか?」
「いえ、結構です。少し散策をしても?」
にこり、とヨルシカは笑う。よくもまあいけしゃあしゃあと。休みたいと言ったり動きたいと言ったり、不審に思われることを承知の上で堂々たるものだ。
「では折角ですのでご案内いたします」
勝手に歩かれては堪らない。特に、ウォルダ国の王女にスゥハの存在を知られることは避けたかった。第二王子という肩書だけでなく、未知の力に加えあの珍しい容姿がどのような欲望を掻き立ててしまうか分からない。これ以上、余計な混乱は引き起こせない。ヨルシカは違和感を生まぬよう、第三研究所を避けて案内することにした。勿論シャイネという予測不可能な存在が他国の王族に何をしでかしてしまうか分からないという懸念も理由のひとつではあったのだけれど。
特段具合が悪そうな振りをするでもなく、リラは平然と歩いていた。流石に剣を携えてはいないが、体捌きから剣術を嗜んでいることが感じられる。やはり、変わり者の王女というだけなのか?
設備の説明をしながら器用にも観察を続けていたヨルシカの視界の端に、ルクスとミハクが映った。機転が利く2人はヨルシカが王女を案内していることに気付き、礼という形で顔を伏せる。スゥハに繋がる糸は、可能な限り切っておくべきだ。ルクス達とは違う方向に視線を振ったヨルシカの後ろで、突然異常なまでの強い風が吹いた。
一瞬の出来事だった。生まれる筈がない程のその風が閃光のように一本の樹を的確に乱す。そして、その樹の下を通っていたリラに向け、折れた枝が落下した。
リラに背を向ける形だったヨルシカは反応が遅れてしまった。振り返ったその先に、突然のことで驚く護衛と、静かに佇む王女、そして少しだけ口角を上げたもうひとりの護衛を見た。
滑り込む音がした。と同時に、残念そうな溜息が微かに聞こえた気がする。
間一髪で枝を切り払い、王女を腕の中で守ったルクスは「あぶな…」と声を零した。
直ぐに手を離し、距離を取り頭を下げる。
「無礼をお許しください」
ヨルシカもほぅ、と息をもらす。何を企んでいるのか分からない王女がこの国で怪我を負ってしまったら、どんなことを要求されるのか分かったものではない。危ないところだった。
「お怪我はございませんか?」
声をかけたヨルシカだったが、直ぐに取り返しがつかないことになってしまったことを察知した。
口に手を当て、驚いた表情をしているリラ。下げていた頭をあげたルクスを、まじまじと見つめている。
「…やだすっごいかっこいい」
ルクスは心の底から骨の髄から、助けたことを後悔した。




