7 交わらない
スゥハとヨルシカは隣り合って座っていたが、言葉を交わすことはなかった。
ここは王専用の応接室である。よく物語で見かける、謁見の間のような空間はこの国には存在しない。身分の差を強調するかのように高台に王族が腰掛け、配下は床に跪く。そういった関係性を誇張することは必要とされていなかった。
平等な国。それがこの国の一番の魅力だと思っていた。だが、そもそも玉座が身のない空のものだとしたら?位の差を見せつけることを避けたのではなく、事実誰がどの位置に座ろうがさして問題ではなかっただけなのか…?
そっと隣を見る。兄であり、王太子であるヨルシカ。同じ父と母を持ちながら、自分のような異様な容姿ではない人間。父と過ごした時間は、スゥハとは比べることすら無意味なほど膨大だろう。親子という感覚が薄いスゥハですらこの状況に混乱している。ヨルシカの心境を推し測ることは出来なかった。
扉が開いた。
「すまんすまん。待たせたな」
小脇に幾つかの書類を抱えながら、待ち人は現れた。
この国の現王。ヨルシカとスゥハの父、バクザ。
どっこいしょ、と声を出しながら座る。
「最近な、腰が痛くて。薬出してもらうかな」
まるで休日に交わされる家族の会話のように、自然だった。バクザは眼鏡を出し、かけた。
「それで?話とは?」
両手を机の上で組み、ひょいとこちらを見る。知的で、精悍な顔立ち。事実、バクザは政治的な能力だけでなく武術方面にも明るい。加えて飾らない人柄故、臣下からの信頼は篤い。
スゥハはそっとバクザの顔から、彼の結ばれた手に目線を移した。
ずっと、繋がらないのだ。
この、国民から愛される王の姿と、自分を閉じ込めていたという父の姿が、繋がらない。
結ばれた右手と左手のように、一連となって流れるものが見つからない。結びつかないまま、スゥハはずっとこの王たる父のことを対岸にいる存在のように感じていた。
「報告はご覧いただいてますよね」
ヨルシカが口を開く。
「ああ、見たよ」
バクザはゆっくり首を傾けた。
「陛下はこの国の成り立ちをご存じなのでは?」
「成り立ち、とは何を指している?」
「この国には擬態しているものが存在しているのではないですか?そして、この国は最初からそれらを隠しているのではないですか?」
「ああ、なるほど」
「なるほど、ではないです」
ヨルシカの言葉が強くなる。彼の目は揺らいでいた。いずれ父から王座を引き継ぐ。臣下から尊敬され、国民から慕われる現王の姿は、ずっと彼にとって正解の形だったのだろう。覗き込んだ先、常に強く映し出される父の姿。それが不意に投げ込まれた小石によって、波紋が広がっている。正しく映し出されていたものは所詮虚像だったということを、受け止めたくないのかもしれない。スゥハは兄を少し羨ましく感じた。自分が覗き込んだ先は、何も映らない。そう、自分の姿すら。
「陛下。お答えください」
ヨルシカとは対照的に、バクザの様子は何も変わらなかった。ふむ、と反対に首を傾げながら、答えた。
「そうだな。当たっているし、少し違う、といったところかな」
「何故!」
ヨルシカは拳を握りしめた。
「何故、そのように無責任でいられるのですか。何故、今まで…!」
ヨルシカは乱れた息を押さえつけた。大きく息を吸い、父を見つめる。
「全て、ご説明ください」
「ならんな」
あっさりとバクザは答えた。
「答えなどないのだよ。全て、なるようにしかならん」
「そのような問答をしたいわけではありません」
「無理なんだよ、私には」
は、とヨルシカは止まる。
「私は答えを持っていない。そして、私の位置から説明することも赦されない」
スゥハはじっとバクザの目を見た。操られているわけでも、狂っているわけでもない。バクザはバクザとして、王として、何かを選んでいるのかもしれない。
「陛下」
スゥハがぽつりと呼びかけた。言葉を交わすのは、いつぶりであろう。
「檻の子とは何でしょうか。私の役目とは、一体何なのでしょうか」
バクザはゆっくりと背もたれに体重を預けた。飄々とも淡々ともとれた自然な表情が、その時初めて、今ここではない何処かを思い描いているような無防備なものとなった。
「あれの願いだったんだろうな」
「あれ、とは…?」
「サリュウだよ」
サリュウ。
久しぶりにその音を耳にする。
それはスゥハの、そしてヨルシカの母であり、バクザの妻の名だった。
「母上の願いとは、どういう意味でしょうか?」
ふ、とバクザは目元だけで微笑んだ。
「先程の繰り返しとなるな。これ以上は答えられない」
だが、とバクザは続けた。
「私はこの国の王。それを疎かにするつもりは微塵もない」
懐から懐中時計を出し、時間を確認したバクザはどっこいしょ、という掛け声と共に立ち上がった。
「闇を敵と思うな。光が味方と思うな。全ては、曖昧だよ」
あいたたた、と腰を撫でながら片手を軽く挙げ、バクザは部屋を出ていった。




