10 代替品
「こちらでお話してよろしいのですか?」
ルクスの寝台の横、スゥハの隣に用意された椅子に座りながらミハクが確認をする。
「俺は大丈夫。悪いね、ここで」
寝台の上、上半身を起こした状態でルクスは答えた。実際、体力的には回復してきている。明日には動けるだろう。本当はもう立ちたいのだが、スゥハが許してくれなかった。
「私も問題ない」
ルクスが考えていたことが分かったのか、念を押すようにちらりと目線を投げてからスゥハも答えた。小さくミハクが頷き、了承の意を返す。
「では先ず、ルクスと会話した警備兵について。記憶がないので『踊る』が使用されたことも視野に入れておりましたが、ルクスと会話を交わした、という点から可能性から除外しております。あれは対象者を操る事はできますが、動作を操るのみで会話をすることは不可能です」
スゥハ、ルクス共に同じ見解だった。踊る、はその名の通り対象者を操り人形のようにする。ただその操り糸は限定的だ。
「現在その警備兵の心身に問題は起きておりません。本人は自身の油断であると猛省しており、沙汰を待っている状態ですね。そちらに関してはまた改めて。そして術をかけたとされる人物なのですが、申し訳ございません。未だ捜索中です。ただ…」
ミハクが傍らに置いていた箱から、金の指輪を取り上げる。
「ルクスが受け取ったこちらが残されております。恐らくルクスが戻ってくることは想定しなかったのでしょうね」
スゥハは半眼を閉じた。分かっていたことだが、他者からの音として耳に入ると怒りで心が乱れそうになる。一方ルクスは冷静だった。あれを見せれば、間違いなく自分を釣ることができる。そして、あの魔獣の巣窟で自分が死ねば証拠は隠滅される。大胆な作戦だが、成功率は高かった筈だ。
「直接この者たちが接触を図ってきたのは数年ぶり、ということでよろしいですか?」
「ああ」
幽閉されていた頃は、よく理解していなかった。だが、解放された時期に起きた出来事は忘れることはないだろう。それまではどこか自分を被害者のように感じる部分があった気がする。だが、元凶は自分なのだと心の核に烙印を焼き付けることになったあの出来事と、この枝に刺された蛇の紋は切り離せない。
「路地裏であの男は『貴方には用はない』と言った。つまり、邪魔な俺をスゥハ様から引き離すことが目的だったんだろう。問題は、何故今突然、こんな強引なやり方で?という点だな」
「ええ。状況が変わった、ということなのでしょう。そして考えられるひとつが、オーマですね」
3人の目がオーマに集まる。ルクスが帰還してから、オーマはスゥハに触れなくなった。あんなに隙あらば擦り寄っていたことが嘘のように、寝台の足元側、端に大人しく座っていた。名を呼ばれ、顔を上げる。白いもふもふの姿に戻ったオーマは、その青白い瞳でしっかりと3人を見た。
「オーマはルクスの身に起こったことを分かっていたな?しかし、あいつらと仲間ではない、ということか?」
「オーマ、なかまちがう。ルクスいらない、それおなじ。でもいまオーマ、ルクスいる」
じっと3人はオーマの言葉を聞いていた。
「スゥハ、ルクスいないのだめ、だからルクスいる。いま、スゥハとルクスちょっとまざる。ルクスいない、だめ」
ああ、とスゥハが声を漏らす。何故か芝居がかった咳払いをし、補足だが、と心持ち早口で話し出す。
「あの魔獣の草原で、致命傷がないのにも関わらずルクスは死にかけていた。オーマがよごれた、と表現し、だが私なら治せる、と言い、その、私が触れることで何故か治癒が出来た」
成程、とミハクは頷く。
「まざる、とはそのことを指しているのでしょうね」
「あの場所はなんだ?」
ルクスがオーマに聞く。
「した。みずよりも、ずっとした」
「魔獣の世界ってことか?」
「まじゅう?」
「あそこにいた獣たち」
ん、ん、とオーマが返事をする。
「魔獣の発生源や発生条件は不明でした。だが、こうなると人工的に呼び込んでいた恐れもありますね」
「お前は何故それを知っている?お前は何のためにここに来た?」
スゥハが色の無い声でオーマに問いかけた。いや、詰問という色がついている、距離のある音だった。ちらり、とルクスはスゥハを見る。
「オーマ、さいしょから、したしってる。オーマ、スゥハまもるため、いる…」
らしくもなく、尻すぼみの言葉になるオーマ。小さい生き物を攻撃するようなスゥハは珍しい。しかし、スゥハの苛立ちの理由は手に取るように分かるため、ミハクは口を挟めないでいた。ルクスが場を動かそうと、口を開く。
「もしあいつらが動き出したきっかけがオーマで、オーマの目的がスゥハ様を護るためなら、あいつらが敵で、あいつらから護るってことか?今回は先ず邪魔な俺から排除しようとした、と?」
「ちがう、てきちがう」
「敵じゃない?…あいつらの目的は?」
「まもる」
「なにを?」
「せかい」
時が止まったように、部屋の中が不自然にしんとなった。せかいをまもる?世界を護る?それなら、世界を害する存在がいるということだ。
「私か?」
スゥハは真っ直ぐに聞いた。
「私から、まもるのか?」
オーマはゆっくりと首を傾けた。
「ちがう。みんな、おなじ」
「おなじ…?」
ん、ん、と返事をする。
「でもスゥハ、ちょっとかけてる。オーマ、わからない」
「かけてる…?」
「スゥハしってるはず、なのに、しらない。オーマ、りゆう、しらない」
スゥハは眉根を寄せた。掴めそうなのに掴めない。オーマは何かを知っているだろうに形ある答えにならず、そして自分は知っている筈のことを知らない。いい加減、辿り着いても良い筈だ!
「私はなにを知らない?」
「せかいのこと」
「それは何だ!」
びくり、とオーマが震えた。
「オーマじゃない…。スゥハじゃなきゃ、だめ…」
まるで叱られた子供のように、オーマは少し下を向いた。
「スゥハ様」
ルクスが声をかけると、スゥハは頭を振り、小さく「すまない」と答えた。
「俺実は疲れ果てました。続きは明日でもいいですか?」
ルクスがそう言い、ミハクも同意した。時間があるのか無いのかも分からないが、今この空気で答えが出るとも思えなかった。立ち上がり、場を辞するミハクを見送ったあと、ルクスはオーマに声をかけた。
「ちょっとこっち」
手招きして、自分の近くにオーマを呼び寄せる。
「ちゃんと言ってなかったからな。あの時スゥハ様を連れてきてくれて、ありがとう。助かった」
オーマは青白い目を見開いた。どうしたら良いか分からない様子で、スゥハの方を見る。そんなオーマをルクスは指先で優しく撫でた。
「オーマのおかげだ」
まるで見たこともない贈り物を目の前に差し出された子供のように、オーマはじいっとルクスを見つめた。それは少し前までの推し測るような視線とは、全く違ったものだった。次第にゆっくりと、オーマは頭をルクスの指先に押しつけた。
その様子を見て、スゥハはルクスという男に改めて呆れてしまう。全く、これだと私だけが大人気ないみたいじゃないか。
「私からも。連れて行ってくれたこと、礼を言う。それと…、さっきは責めてしまって、すまなかった」
ぱちり、とオーマと目が合う。その青白い瞳から、様々な感情が星のように瞬いた。満天の星空のようだ。そしてオーマはきゅ、と目を閉じ、くるくるくると頭を擦り付ける速度をあげた。指の腹に伝わる摩擦に、ルクスが微笑む。
スゥハは口を尖らせながら訴えた。
「また誑し込む」
「何よそれ」
****************
辺りが寝静まった夜。
鳥の姿になったオーマは、そっと空を飛ぶ。街を越え、森を抜け、そして世界樹に降り立つ。
軽く首を回すような動作をし、白い姿に戻ったオーマは樹の幹に額をあてた。
「まだ。まだ…まって」
ゆっくり目を閉じる。
さわさわさわ、と枯れかけの葉が風に揺れる。
今宵、空には雲が広がっている。曇っている夜空では、殆どの星はその姿を明らかにしてはくれなかった。
やがてオーマは目を開けた。
青白い瞳は、黒くその色を変えていた。




