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8 静かの血の海で

どのくらい時間が経ったのだろう。

まるで下に引っ張られているように、血を吸った衣服が、身体が、重い。跪け、と呪いをかけられているかのようだ。

数え切れないほどの魔獣を屠り続けているルクスは、小さく頭を振って降り注ぐ血を払った。初めてこの手で握った時から自分の身体の一部のように思うがままに扱えた剣が、別の存在であることを主張し始めたが如く、違和感がある。およそ人間の範疇を超えた力を放ち続けているルクスは、すでに意思のみで戦っていた。

死屍累々たる地で、新たに斬撃を繰り出したルクスは右足を踏み切り、すぐに左に身を飛ばす。瞬間先程までいた場所に魔獣が爪を立てる。次第に、魔獣達は連携をとるようになってきていた。

くそ。

乱れた呼吸を繰り返し、ルクスは周囲を睨んだ。とうに限界を超えていた。しかし、剣を下げる訳にはいかない。

あの人をひとりにはしない。

もっと一緒に笑って、歩いて、触れて。

温かさの中にいて欲しい。

自分にしか見せない表情が沢山あることを知っている。好きな物を食べている時、欠伸を噛み殺しきれなかった時、笑いすぎて涙が出た時、こっそり躓いた時、悪戯が成功した時。

あんなに優しくて、美しくて、真っ直ぐな人が。何故普通に幸せになれない!そんな世界なぞ、間違っている。神がいるのなら、殺してやる。

そう、例え自分が化物になったとて。

あの人を護る。

一閃を放ちながら、ルクスは願った。

身体の表面が焦げるほど、身体の内が燃えるほど、

あいたい。

あいたい。

そばにいたい。

その時。

彼の耳に、求めてやまない声が届いた。

「ルクス!」

息が止まる。

その声に振り向いたルクスは、こちらに向かって走り寄るスゥハの姿を見た。ふたりの眼が結び合う。

魔獣はその隙を見逃さなかった。一瞬反応が遅れたルクスの喉に噛みつかんと躍りかかる。

「ルクス!!」

「どけ!」

ギリギリのところで、ルクスは大きく一閃を放った。どす黒い叫びと共に、周囲の獣達が肉塊となる。

「ルクス!」

スゥハが駆け寄り、手を伸ばした。その手を引き寄せ、ルクスは抱き締めた。血で汚れた手で、しかし気遣う余裕もなく、きつく抱く。乱れた息のまま、スゥハの髪に顔を埋めた。

「ルクス…ルクス…」

普段の凛とした姿からは想像できない、倒れかかるような声でスゥハはルクスを求めた。彼の首筋に縋り付く。

「スゥハ様…」

耳の近くで、ルクスが名を呼ぶ。スゥハは安堵と、焦燥と、そして喉を締め付けるような激情に突き動かされた。両手でルクスの頬を包む。

「ルクス、ルクス…」

口の端を少しあげ、スゥハの声に反応を返したルクスは、ぎゅっとスゥハの手を握る。いつもは柔らかく、温かく触れる。強く触れる時はふざける時だけ。そんなルクスが、加減も無くスゥハの手を握った。まるでもう2度と離さない、と誓うように。再び目線が結び合う。ルクスが頭を少し傾げ、お互いを見つめたままふたりの額が無骨に触れ合う。スゥハは自らの身体の輪郭が熱を持ち、融けてしまいそうに感じた。

その時、突然ルクスの身体がかくりと崩れた。慌てて支えたスゥハは、彼の顔面がすでに蒼白であり、荒すぎる呼吸を何とか繋いでいることに気付き、一転して世界が焼き切れたような感覚に襲われた。彼の身体を探る。しかし、致命傷は見当たらない。

「ルクス!」

崩れ落ちそうな彼を支えながら、スゥハは悲鳴に近い声をあげた。事態の変化を、素早く魔獣達は理解した。唸り声と共にゆっくりとふたりを囲い始める。スゥハは膝をつき、冷たくなり始めたルクスを抱いた。どれだけ、ひとりで戦ったのだろう。この冷たさから、彼が瀬戸際で踏み止まろうとしていることが分かった。獣の習性から、ルクスが恐らく死の淵にいることを感じているのであろう。魔獣は最早飛びかかる時を選ぶだけのようだった。スゥハは顔をあげ、周囲を睨みつけた。肚の底から、怒りが広がる。嘗てないほどの激情で、全身が膨張していくようだった。その彼を嘲笑うかのように、魔獣は一斉に飛びかかった。

「消えろ!!」

スゥハの叫びと共に、一帯の魔獣が一瞬で千々に散った。辺りに、血の雨が降り注ぐ。初めて大きく放った自身の力の片鱗に酔う隙もなく、その雨の中でスゥハはルクスに縋り付いた。

「目を開けて、ルクス」

しかしルクスは唇を小さく震わせただけで、最早指先すら動かせなかった。

「お願いだ、ルクス」

頬に触れながら、スゥハは涙が溢れていることにも気が付かなかった。その時、すぐ頭上から声がした。

「ここ、だめ。ルクス、もうよごれた」

鳥の姿のオーマが言った。涙で濡れた目で、スゥハはその鳥を睨んだ。

「どうしたらいい!」

スゥハの膝の近くに降り立ったオーマは、彼を見上げて言った。

「スゥハ、なおせる」

スゥハは息をのんだ。不思議とどこか深い悲しみを湛えた眼で、しかし不釣り合いな幼い声の鳥は続けた。

「スゥハのちから、ルクスにわける。スゥハのちから、ルクスにふきこむ」

相変わらずオーマの言葉は抽象的だ。だが、何故かスゥハにはしなければならないことが正確に伝わった。

そっとルクスの頬を包み、優しく少し上向かせる。小さく息を吸い込んだスゥハは、そのちいさな息にすべてをこめて、ゆっくりと冷たくなった唇と重ね、捧げていくように息を吹き込んでいった。


その様子を見たオーマは、少し上を向いた後、魔獣の血の海に嘴で触れた。

血の海に複雑な模様が走り、そして、消えた。

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