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7 ひとつの宣言

さらり、とルクスは剣を抜いた。喉を鳴らすような音から、恐らく自分を取り囲んでいるのは獣だと判断する。さて、どう切り抜けよう。獣の力量、数は勿論問題だが、この空間からの脱出も並行して考えなければならない。水溜りを踏んだ時に頭の中で音がした。ということは、水溜りに術が仕掛けられていたのだろう。この空間には元の空間に繋がりそうな箇所は存在しない。薄暗い草原が広がっているだけだ。つまり現状、歯がゆいが突破の糸口は掴めない。そこまでで、ルクスは思考を切り替えた。

獣たちが姿を現した。

事態が想像よりも悪いことをルクスは認めざるを得なかった。それらは魔獣だった。魔獣とは、人知を超えた獣の総称である。自然災害のように突如発生し、そして消えていく。人間を餌と認識している訳ではないようだが、遭遇した場合は例外なく襲われる。一匹でも発生すると一個人では対応不可能であり、即座に隊が招集されるほどの事態となる。

それらがここには多数存在し、ルクスを標的と見做していた。大型の狼のような、牙と爪。毛並みは魔獣という名に相応しく、まるで立ち昇る炎のようにゆらりゆらりと揺らめいていた。味見をするかのように、一匹がするりと前に出たかと思うと溜めることなくルクスに襲いかかった。牙を剣で受けると爪が防げない。攻撃あるのみだな、と即座に判断し、ふっと息を吐いたルクスは剣を下に一振りした。途端、襲いかかった魔獣の身体は額の真ん中を通るように両断された。両断し、後ろの魔獣まで斬撃が飛ぶ。

ルクスは基本スゥハの隣にいる。その為、相当な手練れとは認識されているが彼の全力を知るものは騎士団の中にも居なかった。通常では魔獣一匹への対処も隊を組むものだが、彼は小隊を遥かに超える膂力を持っている。全て、主に捧ぐものとして。

「ほら、来いよ」

腰を低くした魔獣の群れに向かってルクスは呟く。その挑発に煽られたかのように、今度は複数が一斉に襲いかかった。ふ、ふ、と呼吸と共に斬撃を飛ばす。宙に踊りだした魔獣の身体が、その度に無惨に散っていく。咆哮が霧散する。あたりはあっという間に血の海になった。小さく息をついたルクスはしかし、草原の奥から新しい唸りが集まってくるのを感じ、そっと唇を噛んだ。剣を振り血を払い、柄を握り直す。

絶対に帰る。

あの人のもとへ。



*******************



窓の外はすっかり暗くなっていた。スゥハは書類を置き、目を閉じながら少し上を向く。そして、そっと掌で目を覆った。蘇るほんの数時間前の温もり。巡回は基本2時間交代を組んでいる。ルクスはもう交代している時間だ。あいつが帰ったら、今日は一緒に夕食を食べたい。ルクスの温かな軽口を聞きたい。ほんの一瞬先の、ちいさなちいさな願いを求めてしまう。我儘になってしまったな、と自嘲しながら目を開いた時、トントンと扉が叩かれた。てっきりルクスかと思い、一瞬間を空けてしまう。彼はノックをしてこちらの返事を待つことなく扉を開けることが多い。いつもちゃんと返事を待ちなさいと叱るのだが、スゥハが本気で怒っていないことはルクスにバレバレな為、平和にその行為は続いているのだ。だが、今回は入室許可を待っているということはルクスではないのだろう。少し遅いな、と思いつつもスゥハはすぐに「どうぞ」と返事をした。

入ってきたのはミハクだった。

「失礼します。ご報告がございます」

表情があまり変わらない彼から、緊迫した空気が漏れ出している。

「どうした?」

「警備兵から報告がこざいまして、ルクスの行方が分からないようです」

「…なに?」

「巡回に出ていたのは確かなのですが、その途中で姿が見えなくなったとのことです。複数回、他警備兵と報告しあっていたことは確認が取れております。ただ、街中での目撃証言を集めた際、一つだけ警備兵との報告に食い違いがございました」

「続けろ」

「幾人かの通行人は、一人の警備兵とルクスが話していた後、彼が走り出したのを目撃しております。しかし、その警備兵はルクスと話したことを覚えておりません」

スゥハは身体の中に、冷たい雨水が一筋、つうっと流れるような感覚に襲われた。身体が冷えていく。しかし、脳に心臓が生えたかのように、血はどくどくと音をたてて巡る。

「…つまりは、その警備兵は操られていたと?」

「一つの見解としては」

「目撃されたのは何処だ?」

「キクレシュです。一帯を捜索しておりますが、今のところなにも」

「分かった」

「捜索範囲を拡大しつつ、術式方面でも痕跡がないか調査を始めます」

分かった、とスゥハは繰り返した。一礼し、ミハクは退室していく。掌に滲んだ汗が、異様に冷たかった。ルクスは強い。それは知っている。だが、恐怖がスゥハを締め付けていた。どう動くのが最善だ?必死に思考を巡らす。浅くなりそうな息を、どうにか全身に受け流す。そんなスゥハをじっと見ていたオーマは言葉を出した。

「だいじょうぶ」

子供を怖がらせてしまった親のように、スゥハはしまった、と思った。大丈夫だよ、と返事をしようとして、止まる。オーマはこれまで色々な疑問を投げかけてきた。なんで?へいき?それらの音は、確認や質問の意があるとはっきり伝わるものだった。だが今の音は?スゥハへの、安否の確認ではない。「だいじょうぶ」という宣言だった。スゥハはオーマをゆっくりと見つめた。

「…オーマ?」

オーマは小首を傾げた。少しだけ細めた目は、まるで笑っているようだった。

「もう、だいじょうぶ。ルクス、いない。スゥハ、だいじょうぶ」

全身の毛穴に針を刺されたようだった。身体の表面は火傷をしたようで、内臓は凍てついたようで、スゥハは自身が崩落していく感覚に襲われた。

「お前か?」

ぴくん、とオーマが首を伸ばした。

「お前がやったのか?ルクスに何をした?」

「ルクス、いらない。ルクス、いない。スゥハ、あんしん」

「ふざけるな」

初めて聞く、スゥハの底から這い出るかのような怒りを浴びて、オーマは目を見開いた。

「私に何を求めているか知らない。だが、ルクスを傷付けるのは許さない。もう一度聞く」

スゥハは怒りにぬれた眼で、オーマを見つめた。

「ルクスに何をした?」

オーマは大きく見開いた目を、一度ぱちりと瞬きした。

「オーマ、してない…」

しおしお、と小さくなるオーマ。しかし、今のスゥハはそれで緩められる精神状態ではなかった。

「質問を変える。ルクスに何があった?」

「したに、おとされた」

「した?何処だ?」

そこでオーマは悲しそうにスゥハを見上げた。

「なんで、ルクス?スゥハにいらない」

「お前たちが決めるな」

スゥハは拳を握りしめた。怒りとも、悲しみとも名付けられない心たちが波立っている。

「ルクスがいるから私は生きている。あいつがいなかったら私は生きていられない」

ぴたり、とオーマは動きを止めた。じっとスゥハを見つめる。そして、蹲ったかと思うとオーマの背中からふわりと翼が生えた。くい、とオーマが首を上に伸ばした時にはその姿は鳥になっていた。

「な…」

スゥハは言葉が出なかった。そんなスゥハを見やり、変わらぬ声で鳥になったオーマが言った。

「きて」

羽搏き、バルコニーに続く窓をコツコツと嘴で叩く。スゥハは窓を開け、バルコニーに出た。オーマはそのまま外に出て、柵に止まる。

「こっち。おりて」

ふわ、と再び舞い上がるオーマ。スゥハは迷うことなくバルコニーから飛び降りた。先導するように羽搏きこちらを振り返るオーマ。スゥハは走りながら追いかけた。夜になった王宮敷地内を走る。街中まで行くつもりか?そう思ったスゥハだったが、オーマは思いの外すぐに止まった。

それは王宮敷地内にある装飾のひとつ、特にこれといって何の変哲もない噴水だった。スゥハも数え切れないほど、その道を通っている。意図が分からず、スゥハはオーマを見上げた。

オーマは答えるよりも先に嘴で噴水の水面にそっと触れた。すると水面に微かに複雑な模様が走り、すぐに消えた。

「ルクス、このなか」

時間が惜しい。スゥハはこくりと頷き、噴水の水面に足を踏み入れた。パキリ、と聞いたことがある音が頭の中で響く。

そして彼の姿は、水の中にぱしゃりと墜ちていった。

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