6 ぱしゃり
全ては迅速に遂行された。
結成された調査団により地質調査が行われ、予想はしていたが特に異常は見当たらない、との結果が出た。島内の治安に関しては問題発生件数が微増、という段階のようだ。警邏を増やし報告体制を整えることにより、抑えられるよう対策は打ってある。
あの樹との関係性は依然不明だ。だが、直接的ではないにしろ、なにか連動するものはあるのだろう。ただあの樹、暫定的に世界樹と呼称することにしたあれが衰弱するきっかけは外的なものよりも、オーマと考えるのが妥当な気がしている。オーマがスゥハと出会うことにより世界樹から離れ、翌日から急速に衰弱が開始された。オーマが栄養源だったとでもいうのだろうか。だとしても、島内の治安との関係性が分からない。世界樹が何かを保っていたとでも?オーマが離れることにより力が弱まり、治安が悪化?そんな馬鹿な。荒唐無稽過ぎる。
スゥハは溜息とともに、目を押さえた。執務机の上ではオーマが丸くなっている。何かを知っていそうではあるが、世界樹との関係性を問うてみても明確な答えは相変わらず得られない。一体、何がどうなっているのか。オーマがここまで自分を求めていることから、恐らく自らもその渦中にいるのだろう。自分のことなのに何も分からない焦りに、スゥハは疲れ果てていた。
トントンと柔らかく扉を叩く音と共に、ルクスが入ってきた。何かを言おうと開けた口を閉ざし、そのまま無言で椅子に座るスゥハの隣に来て、机に軽く腰掛けた。
「こら。隈」
そっとスゥハの目元を触る。
「寝てない訳じゃない」
少し困ったようにルクスが微笑んだ。よいしょ、と腰をあげてスゥハの後ろに回り込む。失礼しまーす、と呑気な声をあげながら、そっとスゥハの目を覆った。そしてゆっくりとスゥハの顔を押す。その優しい力に逆らうことなく、静かにスゥハは頭をルクスに預ける。2人は無言でいた。解きほぐされるような静寂の中、時折とん、とん、とリズムを刻むルクスの指先だけが動いていた。やがてスゥハは頭をぐりぐりと小さくルクスに擦り付け、身を起こした。
「用は何だった?」
「ん、これから見回りに行こうと思って、その報告だけ」
「そうか、気をつけて」
むぎゅ、とルクスはスゥハの頬を両側から潰した。
「おい」
「ふふ、行ってきます」
ひら、と軽やかにルクスは出ていった。頬を押さえながらその後ろ姿を見送ったスゥハは、小さく笑った。そして、丸くなっていたオーマはその様子を見つめていた。
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ルクスは街中を巡回していた。人々を見つめながら、思考は別のことに傾いていた。時折見せる、観察するようなオーマの視線。何かを探っている、判定を下そうとしている、そんな気がする。未だにスゥハに危害を加える可能性がある存在と見なされているのだろうか。だが、それであるならば他の人物に対しても同様の筈。何故かあの視線は自分のみに注がれている気がする。そもそもオーマとは一体何なのだろう。世界樹から誕生したように見えたが、樹から生まれる生物なぞ、聞いたことがない。若しくは「ずっとまってた」ということは誕生した訳ではなく、宿り木としていただけなのだろうか。分からない。だが、一刻も早く、スゥハの荷を軽くしたかった。
「ルクスさん」
巡回していた他の警備兵から声をかけられた。巡回中にも情報共有はある。今回もそれだと思い、ん、と返事をした。
「これを、ルクスさんに渡してくれと言われたのですが…」
警備兵は握っていた手を開き、中のものをルクスに示す。その掌の中には金色の指輪があった。小首を傾げ、ルクスは指輪を摘む。そして息を飲んだ。それは中央に紋のようなものが刻まれたデザインだった。その紋は、蛇のようなものが枝で串刺しにされているものだった。
「どいつだ?」
思わず強い声が出る。しかし、ルクスに指輪を渡した警備兵は不思議とその勢いに驚くこともなく、振り返ることで方向を示した。その先には、離れたところからこちらをじっと見つめる男がいた。ルクスと目が合うと、踵を返して走っていく。
「くそ」
ルクスは走り出した。人込みと、曲がり角が邪魔だがすぐに追いつけるはず。しかし予想に反し、男は路地に入ると、すぐに逃げるのをやめたようだった。その路地は日が差さないところのため朝方降った雨がまだ水溜りとなって残っていた。ぴたりと止まり、こちらを見つめている男。その男に近づきながら、ルクスは言った。
「俺に何の用だ?」
男は、何故だか悲しそうに見えた。
「貴方に用はないのです」
どういう意味だ?考えながら、しかし大きな手掛かりとなるであろうこの男を拘束するため、ルクスは近づいていった。ぱしゃり、と水溜りを踏んだ時。頭の中でパキリ、と音が鳴った。そして、彼の身体は水溜りの中にするりと墜ちていった。
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薄暗い空間の中。
ルクスは周囲を見渡した。先程までの街中でないことは明らかである。どうやら、自分は何かしらの術に嵌ってしまったようだ。くそ。手の中にあったあの男の指輪を懐に入れた時、この空間に存在するのは自分一人だけでないことを悟った。息がする。それも、多数の、人ではない呼吸が。
息を吐き、腰の剣に手を伸ばした。
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時を同じくして。
首をあげたオーマは宙を見つめ、そしてスゥハを見つめた。
変わらず書類と向き合っているスゥハを確認し、再びオーマはゆっくりと丸くなった。




