5 名前をつけてみよう
「先ずは、名前を決めようと思う」
コホン、という咳払いの後スゥハは言った。ええ、とルクスは顔を歪める。
「先ずはそれなのかなあ」
「だって呼び名がないと不便だろう」
「まあ、それはそうですけどね」
プスリ、と野菜をフォークで刺す。それを口に運びながらスゥハの表情を確認したルクスは、意見を言うことがもう不毛な段階であることを悟った。
朝食中の今、2人が囲む食卓の上に白い生き物がちょこんと乗っかっていた。
「なまえ?」
「そう。名前。もしあるのなら、それを教えてほしい」
「どうして?」
「呼べないじゃないか」
「よぶの?」
「ああ」
どうもピンときていない様子の生き物は、頭を小さく揺らしながらスゥハを見ていた。
「ないなら、私達がつけてもいいかい?」
ん、ん、という返事が返ってきた。よく分からないが了承の意と受け取ったスゥハはしかし、突如ハッとした。
「大変だ、ルクス」
「何です?」
「性別が分からない」
「あらそういえば」
「調べるのは違うしな。ただ聞くのも礼儀としてどうなのだろう」
へにゃ、とルクスは苦笑いをした。
「どっちでも俺は嬉しいよ、ママ」
「おま…!馬鹿、お前何を言ってるんだ」
「ママとの子ならどっちでも可愛い」
「お前…」
スゥハの白い肌は、赤味が差すと目立ってしまう。本人もその自覚はあるのだが、滅多に人前で顔色が変わることはない。ただルクスの前だけは残念ながらそうもいかず、此度は耳まで赤く染められていた。その様子を白い生き物は不思議そうに見つめていた。
「おまえ?」
「あ、いやそうだな。すまなかった。私はスゥハ。こいつはルクスという名だ」
ひらり、とルクスが手を振り、白い生き物は彼をじっと見た。
「おまえ」
「おい今ルクスて言ったでしょうが」
「おまえ、?」
何を思っているのか、尋ねるようにスゥハの顔を覗き込む白い生き物。
「いや、それは名前ではないんだが」
そこでふと黙ったスゥハはよし、と爽やかに言い放ち、ぽんと両手を合わせた。
「オーマにしようか」
はは、とルクスは軽やかに笑い、伸びをした。
「決断早」
「おーま?」
「そう、オーマ。どう?」
白い生き物をそっと撫でながらスゥハは聞いた。ん、ん、と体を震わせた後、くるくるとスゥハの手に巻き付いた。
「オーマ。オーマ。オーマ」
どうやら気に入ったようである。スゥハは何故だか勝ち誇った表情をルクスに向ける。ルクスはその様子を見て、吹き出してしまった。
「いいね」
頬杖を突き、紅茶に手を伸ばす。それはもうとっくに冷めてしまっていたが、不思議ととても温かく感じた。
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一行は再びユール大森林を通っていた。スゥハから離れる気配のないオーマをずっと頭の上に置いておくのは流石にお茶目が過ぎるため、今は上着のフード部分にちょこんと入ってもらっている。朝食の後、オーマに幾つか質問をしてみたが、相変わらず解けた謎は皆無だった。その為本来の目的であったあの樹の調査に再び向かっているのである。
やがて抜けた大森林の先に、昨日と同様の景色が広がっている。
そう思っていた。
しかしスゥハの視界に入ってきた光景は昨日とは別物だった。ぞわり、とまた足元を掬う仄暗いひと波に、彼の心が染められていく。大きな違いはない。だが、祝福するかのような光を纏っていた樹は、まるで不意に歴史からこぼれてしまったかの如く、不安定に佇んでいた。いくつかの葉が萎れ始めている。季節が移り変わることによる変化ではなく、それは衰弱というものだろう。スゥハの脳裏に手記の絵が浮かぶ。見事な樹の絵。葉の絵。果実の絵。一転して、次第に弱っていく描写。それとともに続く不可解な絵。世界が、少しずつ正しい位置からずれていくようだ。そのずれの連鎖は、最終的に何処に行き着くというのか。世界が何処かに突き進んでいるのか。世界が何かに吸い寄せられているのか。何も分からないのに、そちらに堕ちてはいけない、二度と這い上がれない奈落からの静かな風を感じる。
「ミハク」
はい、と即座に反応がある。
「ここ最近、傷害件数や出動件数が増加していないか調べてくれ。それに限らず、違和感があるものすべて。国内全域、小さい出来事も漏らさず」
「はい」
「地質検査も並行して行う、準備を」
「承知しました」
恐らく、土や環境の問題ではないだろう。だが、思いつくことは全てやってやる。
まるで挑むように樹を見上げるスゥハを、オーマはじっと見つめていた。




