2 そこに言葉はなく
今から1年半ほど前。
スゥハは毎日のように王宮の書庫に入り浸っていた。幽閉に近い生活から解放されて早数年。だが、いまだに自分という存在が何を意味しているのか、糸口を掴むことすら出来ていなかった。この、異様な容姿。自分を閉じ込めていた王たる父。誰が何を知っているのか、そもそも全貌を理解している者は存在するのか、それすらも分からない。明らかに意図されて残されていないこの島の歴史。小さくてもいい。自分と言う存在は何なのか、災いをもたらすのか祝福の花を咲かすのか。その欠片を探し続けている。しかし無情にもじわりじわりと大きくなる焦りという陰が、スゥハを染め始めていた。そんなある日。スゥハが書庫で書物を漁っていた時、一つの本が目にとまった。
それは書物というには貧弱な装丁だった。誰かの手記、と表現したほうが正しそうなそれが、王宮の書庫にある、というだけでスゥハは予感があった。手に取り、そっと表紙を開く。微かにパキリ、と音がした気がした。
それは日々の風景をスケッチしたもののようだった。食卓、雲、人の手、花、果物…。日々を慈しむように描かれた何気ない瞬間の描写から、描き手が穏やかな人物であることが伝わってくる。
何かある、と感じたのは気の所為だったのだろうか。そう思いながらも、スゥハがページをめくっていった先に、見開きで描かれた樹の絵があった。確かに見事な樹である。しばらく見つめ、またページをめくる。鳥、足跡、水滴…。その合間合間に、あの樹の絵が度々登場した。どうやらその存在が気に入ったと見えて、葉が詳細に描写されたり、実のようなものが描かれていたりと季節が流れていることを感じる。ゆっくりとめくった次の絵は街の風景だった。街角…。ふとスゥハは違和感を覚えた。よく見てみると、描かれた街角の壁部分に大きな染みのようなものが描かれていた。次のページには割れた瓶が、倒れた椅子が…。
何だ?
不穏な絵が続き、無意識のうちに背筋を伸ばしていた。そして数枚めくった先に、樹の絵があった。既に実は落ちているようで、心なしか葉も萎れている。その後も、次第に衰弱していく樹の絵と心地の悪い絵が繰り返された。何枚も何枚も樹が描かれ続け、ページが黒黒と感じるほど、何かに追い詰められているように必死に筆を動かしているようだった。しかしその連鎖は唐突に断ち切られた。
晴れ渡る空のもと、蘇ったかのような樹の描写があった。再び描かれる穏やかな日々を、しかしスゥハは同じ気持ちでは眺められなかった。違和感、どころか薄ら寒い感覚すら覚える。この手記は誰が描いた?そして、一体何が起きたのか?普通に考えれば、気落ちした状態では仄暗いものと同調してしまう。だからそういった系統を描き続けてしまったが、何か心情的に解決をし、再び温かな世界を描けるようになった、ということだろう。だが何かがおかしい。分断されているように感じる。そもそも、なぜこの人物は執拗にこの樹を繰り返し描いたのか?狂気的なものすら感じたのに、ある日突然別人となってしまったかのようだった。
スゥハは樹の絵をじっと見つめた。大きく描かれた葉。人の掌のように、深い切れ込みで分かれた形。7つに分かれている。果実。蔦が網模様に実を覆っているように見える。球体ではなく、少し縦長の卵型のような実だ。太陽とともに描かれたページでは、広がる空のもと、遮るものなく陽の光を浴びている。密集して生えている樹ではないように見える。
カタリと立ち上がったスゥハは、この島の起伏図、標高図、植物資料などを集め、再び席についた。




