3 結ぶ手の先
目の前の人物にとって置かれた書類は、見慣れたものだろう。遺物管理局が作成している管理棟の記録である。その内のとある一行を指し示し、スゥハは言葉を続ける。
「こちらに記載されている通り、この日、遺物管理棟に行かれたことは間違いございませんか?」
「はい、その通りです」
慎重に頷いたのは、風の領の領主、ジルキドだ。チャコチャと状況を擦り合わせた後、スゥハとルクスはジルキドのもとを訪れた。急遽の訪問ではあったが、流石に王族を蔑ろにする訳もなく、快くこの場を用意された。最も、先だっての事件から領主として直接謝罪出来るのであれば寧ろ喜ばしい機会だったのだろう。
「同行したヒュンケという方は、御子息ですね?」
「はい」
「よくご一緒に訪問なさるのですか?」
「いえ、初めてだったかと。あれは近隣の国に学びに出ておりまして、つい数カ月前に帰国いたしました。その際、この国の独自性を改めて学び直したい、と本人が同行を希望したもので、後学のためにと許可いたしました」
過去自分の倅が管理棟に入ったかどうかは、記録を見れば明らかなはずだ。何故態々自分の口から説明させるのだろう。少々困惑しながらも、ジルキドは丁寧に対応をした。
「とても勉強熱心な御子息だ」
「勿体無いお言葉です。昔から行動力ばかりが先行するところがあり、親といたしましてはもう少し落ち着きを、と思っていたのですが…。この度の遊学も、矯正となるか拍車が掛かってしまうか、実は半ば賭けのような側面もございました」
ようやく大人になってきたのかもしれません、と少しはにかみながら話すジルキドは息子の変化を心より喜んでいるようだった。
「そうですか…。ジルキドさんは管理棟を定期的に訪れているようですが、これは?」
「私管轄の『目』を管理棟に設置しておりますので、定期的に番と結びに行っております」
小さくスゥハは頷いた。目は番と呼ばれる二匹がいて初めて能力を発揮する。一方の目が見ている光景を、もう一方の目が映すのだ。だが、これは永続的ではない。この遺物は一定期間を過ぎてしまうと何も映さなくなってしまう。管理官の間ではこの状態を番と逸れる、そしてそれを防止するためには番同士を見つめ合わせる必要があり、このことを番と結ぶ、と表現したりする。この能力の持続期間は100日程とされており、それ以内に番を会わせることが、目の保持者には必須となる。
「番と結ばせるのにかかる時間はどのくらいでしょうか?」
「然程かかりません。多少幅はございますが、数分程度で終わるかと」
勿論、スゥハはそれを知っている。ただ、ジルキドの口から言わせているに他ならない。我ながら汚い手段だ。記録表の、最初に指し示した日付を示しながら質問を重ねた。
「この日も、目を結びに行かれましたか?」
「仰る通りです」
「御子息、ヒュンケさんがやられた?」
「いえ、結ばせたのは私ですが」
「成程。私も先程管理棟を見てきましたが、目が下がっていたのは入り口付近ですね。ジルキドさんが結ばせている間、ヒュンケさんは何を?」
「館内で遺物を見ていた、と思います」
ジルキドの額にじんわりと汗が浮かび始めた。この会話の行き先が分かったのだろう。そんな馬鹿な、という思いと、一笑に伏せられる材料を持たないことへの焦り、そして何より父親としての慟哭が瞳の奥に滲み始めていた。
「ということは見てはいないのですね?」
「目を、結ばせている間は背を向けておりました」
「ヒュンケさんは今どちらに?」
「この時間は街に…。夜には戻ると思います」
「人を数人置いて行きます。戻られましたら王都までお越しいただきます」
ジルキドは力なく項垂れてしまいそうなところを、かろうじて堪えているようだった。右手で、目を押さえる。その手の甲には幾つもの皺があり、指の関節は節が目立っていた。
「あれは…、ヒュンケは、特段才覚があるわけではございません。ですが、人を助けようと動ける人間です。その行動力が行き過ぎてしまうことはございましたが、罪を犯すなど…」
目を押さえた手が少しだけ震えている。その手は紛れもなく、年老いていた。時を重ねた手だった。その手で、息子を抱き、手を繋ぎ、頭を撫で、前を示し、背中を押してきたのであろう。スゥハとルクスは黙っていた。
「踊るを間近で見たのはあの日が初めてだった筈です。偽物を用意するなど、どうやって…」
「だからこそ急ぐ必要があるのです」
そう、スゥハもヒュンケが首謀者とは考えていない。ルロワナ=タルセイルと繋がっていたのは彼なのか、それとも他に人間がいるのか。ヒュンケがただの実行犯だとしたら、その先の繋がりが闇に隠れてしまう前に、手繰り寄せないといけない。ジルキドはスゥハが言わんとすることを理解したようだ。手を膝の上に戻し、深く首を垂れた。
「承知いたしました」
頭を上げ、スゥハをしっかりと見つめ返したジルキドは領主であり、また父親であった。正しくあれ。そう我が子に教え諭してきた日々が見えるようで、スゥハは少しだけ目を伏せた。