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1 静かな夜

濡れた髪を掻き上げ、ふぅ、とルクスは溜息をついた。浴槽の中、目を閉じて天を仰ぐ。目まぐるしかったここ数日を脳内で思い返してみた。

ダルクの部屋に飾ってあった豊穣の絵の下には、白い竜と白い少女の絵が隠されていた。遥か昔、この島国には幻獣種が存在していた、という言い伝えがある。そして実際に遺物という異質な存在があることから、それはあながち絵物語ではないとされている。ということは、あの絵は実際の風景を描いたものだったのだろうか。シャイネ曰く、500年は前の絵画とのことだ。500年前に、この島に竜がいた?急に夢物語の世界に落とされたような、足元の覚束無さに焦りが生まれる。元々、この島国の興りに関する書物は、何故か殆ど残っていないのだ。些細なことでもいい、手掛かりを求め、今孤児院の書庫を調べ始めている。

そしてあの白い少女。白い髪、赤い目、白い肌。当然ながら、スゥハと無関係と考えるものはあの場に一人も居なかった。その後、ミレにそれとなく確認を取り、修繕の際の配色は恐らく正しいはず、と回答を得た。加えて、これは恐らくだけど、と前置きをしつつ豊穣の絵と下の絵、描いた人物は同一人物だと思う、と言っていた。

そして現在は、並行して調べていた件の蛇男、ルロワナ=タルセイルが遺物の「踊る」を手にした経緯について、ルクスとスゥハは調査に出向いている。

浴室から出たルクスは柔らかいガウンのようなものを羽織った。ここは各地に点在する守護隊や騎士団などが使用する国の宿泊施設だ。風の領は少々遠いため、本日はこちらで泊まり、明日の到着を予定している。

扉を開けた先には、寝室が続いている。2台間隔を空けて並べられた寝台のひとつにスゥハが腰掛け、書類を読んでいた。先に入浴を済ませていたスゥハであるが、まだ髪が濡れている。小さな雫が、ぽたりと肩に落ちるのが見えた。

タオルを一枚掴んだルクスはスゥハに声をかけた。

「また髪ちゃんと拭いてない。風邪ひいちゃいますよ」

寝台に乗り、スゥハの後ろから髪の毛をタオルで撫でる。んー、とスゥハは軽く頭を揺らした。

「何読んでるんです?」

「風の領の管理官の経歴」

先日、王都へ青い顔をした風の領の管理官が報告に来ていた。この国では北、西、東に領地が分かれており、島の中心から南は王都という区分になっている。最南部分の地域は大森林が広がっており、そちらも管轄は中央だ。各領地には遺物管理局が設置されており、地域ごとに管理や申請などの作業を担っている。踊るは使用が禁じられている遺物だったので、北にある風の領の管理局が保管していたはずだった。それが蛇男の一件から、一部が偽物とすり替わっていたことが発覚したのである。事件が起きるまですり替わっていたことに気付きもせず、さらにそれを使用して王族に危害を加えていたのだから管理官の顔はそりゃあ青くなるというものだ。ただ、招集に応じた管理官からはすり替わりがなぜ可能だったのか、めぼしい回答を得ることは出来なかった。そのため、一度現地を視察してみることにしたのである。

目を通し終えたスゥハは書類を脇に置き、そのまま後ろに倒れた。後ろに座っていたルクスに寄りかかる形になり、肩口に頭を預ける。

「疲れた?」

ルクスの声は甘く柔らかい。微かに、ん、と返事をしてスゥハは目を閉じた。スゥハが羽織っているガウンの胸元が、少しだけはだける。白い首筋。鎖骨が見える。ルクスはす、と目を逸らした。スゥハが預けてくる身体の重みが、温かい。彼は周りの人間をとても大切にする人物だ。だからこそ、あまり弱い部分を他人には見せないし、時間を搾取するような行為はしない。だが、この身体の重みを自分には明け渡している。

ルクスは右手をスゥハの腰前に回した。ゆっくり、とん、とん、とスゥハの左腰辺りを右手で優しく叩く。とん、とん、とん…。母親が子供をあやすように。

スゥハの睫毛が動くのが見え、彼が目を開けているのか分かった。とん、とん、とん…。

しん、と部屋は静まりかえっていた。ふたりは慎重に呼吸をし、何かを壊さないようにしていた。まるで世界から切り出され別の枠にはめられたように、この部屋だけが今、唯一のものだった。

ゆっくりとゆっくりと、叩く動きが変わりつつあった。軽く触れていた指先は次第に撫でるように離れ難いように、触れる時間が増えていく。スゥハの睫毛は揺れている。どちらも、何も話さない。静寂とは、こんなにも頭の中で鳴り響くものなのか。

やがてルクスの手の動きが止まる。指先と腰骨、触れている部分がおしゃべりなほど、熱い。スゥハに触れたまま、ルクスの指は時間をかけて上に滑っていく。やがてスゥハの顔の輪郭まで辿り着き、親指で微かに彼の顔を押す。スゥハは抗うことは容易なその小さな要求に逆らわなかった。押されるまま、ルクスを見上げる。ふたりは互いを見つめあった。

その時、廊下から笑い声がした。恐らく酒場帰りなのだろうか、陽気な笑い声とともにじゃあまた明日な、などと別れの挨拶が聞こえる。ルクスはクシャリと笑い、スゥハの頬を優しく撫でた。

「スゥハ様、何か飲み物取ってきましょうか」

「ん、ありがとう」

スゥハも普段通りに礼を伝える。ヨイ!と立ち上がったルクスは雑に服を羽織った。

「ちょっと行ってきます」

ぱたりと扉を閉め、廊下の壁にルクスは寄りかかった。天を見上げ、彼は自らの額をコツコツと叩いた。


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