6 あたたかい指先、つめたい足音
「ウォルダに、世界の秘密を知る存在がいる…?」
スゥハはまるで自問自答のように呟いた。
「調査に出ていた段階では、靄のような違和感でしかありませんでした。地図のことも、能力者のことも『偶然』と解釈することが可能でしたので。故に、情報のひとつとして持ち帰る止まりの感覚でおりました。ですが」
エイランはバクザを見た。そして言葉を続ける。
「残念ながら、恐らくそうではなかった」
バクザが口を開く。
「先日のナキの森の実験は、カザンを参加させるつもりではなかった。あまりに巨大な力が動くと、例えナキの森とはいえ白い子どもが気付かないとは限らなかったからな。だから先ずは他の術者で試し、ある程度予測が立てられた段階でカザンに代わる予定だった。しかし、事態が変わった」
カザンは頭を傾けた。耳を彩る沢山の飾りが、揺れる。
「実験の数日前、ウォルダから書簡が届いた。表向きは罪人の取り調べに時間がかかっていることを詫び、疾く帰国させるため引き取りに来訪することが書かれていた」
「表向き…ですか」
ヨルシカが眉を寄せる。
「ああ、ただ隠すつもりは毛頭ないのだろうな。何せ、帰国させる対象を記していた。それは事の発端となった罪人のルロワナ=タルセイルでも、第9王女のリラでもなく、カザンの名だったのだから」
「え…?」
どういうことだ?
カザンはリラの専属護衛という立場だ。ウォルダ国内からずっと。
そんなたかが一介の護衛を引き取るために、大国が動く筈もない。
ということは―。
「カザンの重要度を知っている。…つまり、カザンの目的を知っている、ということですか」
「ああ。そしてそれを隠して来訪することも可能な中、敢えて宣言しているのだろう。『知っているぞ』と」
「誰が、来るのでしょうか」
「ウルゥ=ゾルトレイ。…第1王子、現王太子だ」
ヨルシカは言葉を失った。
「王太子、ですか…」
ようやく絞り出した声はしわくちゃで、強く疲労と困惑が滲んでいた。
「王太子が来るということは、ウォルダの中枢は知っている、ということか」
「いや、俺は違うと思いますね」
カザンは指先を宙で遊ばせながら否を唱えた。
「もし国自体が知っていたのなら、俺の一族は何かしらの監視を受けていた筈。ですがそんなことはなく、迫害されていた過去を知らない国民が殆どでした。そして俺が護衛として王宮に出入りするようになっても、ほぼ無関心。まあ第9王女付ですので注目を浴びることはないですし、そもそも俺が護衛になった経緯は『王女の気紛れ』と解釈されていた」
「お前の力は知られていなかった?」
「煩わしいのは真っ平ですから。攫われ、森で逃げ惑っていたあの女を助けた子ども、という位置付けです。あの女が孤立していたのは周知の事実だったので少しでも信頼出来る者を側におきたいという恐怖心からと解釈された訳です。最初は護衛というよりは下男でしたしね。ただ…」
宙で鍵盤を弾くように動いていた指は、まるで記憶を呼び起こすようにカザンの顳顬を叩く。
「一度、ウルゥに声をかけられたことがありました」
王宮に出入りするようになって暫く経った頃。
通路を歩いているカザンにウルゥは話しかけた。
聡明と評判の第一王子は人好きのする笑顔と、柔らかい声色の持ち主だった。
―やあ。君がカザンだね。
―そんな場所より、私の元に来ないかい?
「その時は優越や同情からの巫山戯た提案だと思い、断りました。ウルゥは特に癪に触った様子もなく、笑っていた」
―うんうん。そうか。それじゃあね。
遥かに格下の存在から誘いを断られたにも関わらず、まるで声をかけたこと自体がそっくり無かったかのようにウルゥは穏やかに笑い、去って行った。
「それ以降数年、接点はありません。特別警戒する出来事もない。ですがこの島に来る際、あの女に護衛を追加したのはウルゥです。曲がりなりにも王族が他国に行くのですから、その行為自体に不自然は無かった」
護衛を追加。ということは。
「あの男か」
ヨルシカの言葉にカザンは頷いた。
リラの護衛はカザンと、もうひとりいた。
そしてその護衛はカザンが拘束されて以降、リラの周囲を警戒することを放棄している。まるでリラを護衛の価値無き者として位置付けているようで、ヨルシカは腹立たしく思っていた。
だが―。
「リラ殿下の護衛ではなく、カザンの護衛…いや、監視だった…?」
「恐らくは」
まんまと喰わされました。
面白くなさそうにカザンは言った。
「歴史を鑑みるに、何かを知っていた存在がウォルダに居た可能性はあります。ただ、そうだとしても恐らくほんの一部。あの軍事大国が無関心を貫くのは考えにくい。しかしもしウルゥが知っているとしたら、かなり面倒なことになりますね」
「ええ。それが三つ目の理由となります」
エイランが後を継いだ。
「ウォルダ自体がまだ知らないとしても、ウルゥ王太子が事実を把握しているのなら然程変わらない。世界の安寧がたったひとりの犠牲で保たれるなら、天秤にかけるまでもない、と突き付けられる恐れがある。そしてもしこちらが拒絶した場合、大国の軍事力がこの島を標的と見做すことも想定しなければなりません」
ルクスは硬く拳を握った。
くそ。
くそ!
スゥハは恐らく他者の血が流れるのを赦さない。
誰かが傷付くくらいなら、自分を諦めてしまう。
どうしていつも、世界は。
運命は。
スゥハを解放してくれない?
スゥハは隣に座るルクスの拳が震えているのに気が付いていた。
そっと、問いかける。
「時間は…?」
バクザはスゥハを見つめ、静かに答えた。
「数日以内にこの島に着くだろう」
そうですか、とスゥハはぽつりと言い、目を閉じた。
「所長」
暫く黙っていたシャイネの、普段と変わらない声が響く。
「あたし達は一択です」
この部屋に集う前から話し合いを重ねていたであろう、研究者達の目がスゥハに集まる。
「やってやろうじゃん、っすよ」
シャイネの言葉に同調するかのように、ゼンは胸の前で両の拳を握った。
ワイザードは親指を立て、ペペロイカはにっこりと笑う。
スゥハと、そしてルクスは目を見開いた。
ふたりは思わず顔を見合わせる。
その様子をバクザも、ヨルシカもミハクもエイランもキズィルも強い瞳で見つめた。
ああ、私たちはなんて馬鹿なのだろう。
この優しい人たちが、あっさりと手を離すはずがないのに。
彼等の世界にも、自分たちが根付いている。
必要だと、共に抗うと。
彼等が願うこの先の世界にも、自分たちは存在してるのだ。
例え、夢破れるとしても。
ここは、あたたかい。
込み上げるこの感謝を、伝えるのは今ではないな。
スゥハとルクスは前を向いた。
「…そうだな。やってやる」
溢れそうな感情を押し留めて、スゥハは力強く頷いた。
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ウルゥ=ゾルトレイは波を見つめている。
粘膜のように、ひとつの生き物のように、乱れのない海面。
「船旅は退屈だなあ」
変わらない眼下の景色。
ふいと空を見上げた。
雲がゆっくりと流れている。
上空に舞っていた一羽の鳥が急降下し、ウルゥの肩にふわりと留まる。
ふふ、と彼は笑みを浮かべた。
「凱旋だね」
鳥に向かって話しかける。
興味が無さそうに、その鳥は小首を傾げた。




