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3 勿体無い

「どのくらい時間貰える?」

絵から顔を上げた女性が質問をした。髪は無造作に纏められ、頭の上でぐるりと丸められている。塗料やら木屑やらで少々汚れた上着を腰に巻き、肩が剥き出しになっているこの女性は自らをミレと名乗った。なかなかにはだけた格好ではあるが、いやらしさは感じない。それは恐らく当の本人に誘惑しようという気持ちが皆無だからであろう。

「なるべく早くがありがたい。逆に質問を返して申し訳ないが、どのくらいなら可能だろうか?」

そう聞いたスゥハは、街に降り立つ時用のおでかけスタイルに変更している。といっても陽気な服装、という意味ではない。どうしても目立ってしまう白い髪を黒に染めているのだ。人と会話することが前提であるなら、彼は認識阻害のフードをあまり被らない。タグリットとの邂逅の際は遠方だったこと、対象であるタグリットの能力などが不明だったため、安全策として被っていたに過ぎない。まあ髪を染めるだけだと、どえらい美人な黒髪の男性、と認識はされてしまうが、その程度なら特に問題はないのだ。こと市井に降り立つ際、毎度毎度初登場の存在となるよりは、どこの誰だか知らないが噂で聞いたことのあるどえらい美人な黒髪の男性ってこの人のことか、と存在を証明されている方が、通りやすい話が多いのである。流石にそのどえらい美人な黒髪の男性が第二王子とは露ほども思わないであろうが。そもそもこの国の王族とは、他国のそれとは大きく違った存在である。独裁政治をすることはなく、そして特定の貴族を侍らせるような体制でもない。権力集中を避けるように、王族を含めた主閣と呼ばれる組織が政治運営を、教会が前身の組織が主体として司法を司っている。お互いがお互いを監視し、必要とあらば弾劾が行われるが、この国では殆ど起こらないといってよい。理論上は王族がその地位を剥奪されることも可能なのだが、ここ数百年、そのような事態にはなっていない。どうしてこの国ではこのような体制が継続できるのか、他国と何が違うのか。もしかしたら小さい島国だからこそ、常に隣国と張り合わなければならない環境ではなかったためどこかしら価値観や思考回路が独自のものになっているのかもしれない。しかし、そのような平和な国とはいえ流石に横を向いたら王子でした、なんて事態はたまげてしまう。さらに様々な事情から、第二王子の存在はあまり公にはされていないこともあり、スゥハはどえらい美人な黒髪の男性として存在しているのだ。

「そうだね…。懸念している通り、上の絵は剥がすか溶かすかしないと無理。だからまず、上の絵の模写をする。それから剥がして、膜の採取。採取したらそっちに渡す。んで、下の絵の状態次第だけど、修繕、だから…。膜採取まで2週間、修繕完了まで含めると一月欲しいかな」

顎に手をあて、指先をふらふらと数を数えるように揺らしながらミレが答えた。

「分かった」

スゥハが了承の意で答えた。この部屋にはミレ、スゥハ、ルクス、案内役としてゼンの4人がいる。ルクスはチラリと部屋の奥を眺めた。イーゼルにかかった板と、その上に留められた白い紙が目に入った。

「こっちとしてはありがたいけど、他の仕事は大丈夫?途中だったんじゃない?」

ルクスの視線を追ったミレは、さほど興味がない感じでいや問題ないよ、と答えた。

「急ぎってことだから、模写はあくまで情報を残す意味でよろしく。作品の質を問われても難しいから。じゃあ、とりあえず2週間後に、でいい?何か急ぎの用件が出てきたらおやっさんの店伝いで連絡するよ」

「ありがとう。よろしく頼むよ」

そう答えたスゥハに向かって、承った、とでも言うようにひらりとミレは手を振った。もう視線は絵に向かっていた。



*****************



むーーーん、と口を窄めながらルクスは目の前の小振りな石像を眺めていた。

「俺こういうのよくわかんないけど、どうやら凄いということは伝わる」

奥からガハハ、と気前の良さそうな笑い声がした。厚手の革手袋を脱ぎながら、その声の主がぬっと顔を出した。

「なんか凄い、ってのが一番の褒め言葉かもな、俺達にとっちゃ」

愛想の良い熊のような男が言った。ここはゼンの友人の工房だ。正確にはゼンの友人は跡取り息子であり、父親であるこの男、ドーイが工房の主である。ミレへの依頼後、両者の中継ぎ地点となる旨を伝えにこちらに立ち寄った一行は、このたくましい胸板、槌がこの上なく馴染む二の腕、腹から出る野太い声の主であるドーイに出迎えられたのである。ドーイを見た瞬間、「めっちゃ親方じゃん…」とボソリと呟いたルクスの言葉に、スゥハはゆっくり頷いたものである。

「そいつは俺のばあさんのでな。俺がガキの頃からボロかったんだよ、何してる像なのかよくわかっちゃいなかった」

そう、目を細めて見つめる小さな石像は生まれたばかりの子を抱く母の像だった。愛おしそうに、我が子に頬を寄せる様は母性そのもので、石の冷たさを微塵も感じさせない。

「それを割っちまってな。革ならまだしも、石や美術品は俺みたいな奴にはちいと荷が勝ちすぎる。駄目元で修復を頼んでみたら、これだよ」

いやー、久しぶりに腕に惚れたわ!とまたガハハと笑った。

「あいつのすげぇところは、なんつうのかな、読み取る力がすげぇんだ。だってよ、修復頼んだ時、ぱっくりこう2つに割れてるだけじゃなくって腕に抱いてるチビなんて、元の形なんか分かりゃしねんだ。大昔に抉れちまって。それがこの姿で戻って来たときゃ、あー、これだわ、って皆妙に納得しちまって」

無骨な指で、すいと石像を撫でる。

「俺達修繕工ってのは、我を出し過ぎちゃいけねえ。綺麗にしなきゃならねぇが、全くの新しい糸で紡いだら別物になっちまう。あくまで霞んじまった思い出を磨き直すんであって、それっぽい何かを嵌め込むんじゃ台無しだ。似ている何かってのは、かえって違いが際立っちまうからな。あいつは、そこの匙加減が抜群なんだよ」

うちの専属になっちゃくれねえかな、と豪快にドーイは笑った。扱う物は違えど、同業者の部類である自分よりも遥かに若い女性を手放しで称賛する。これは職人には難しいことではないだろうか。それをなんの衒いもなく口に出来る彼を慕う職人、街の客が見えるようで、なんとも微笑ましい。

「でも確かに凄いな。自分で店出したりしないんかね」

そう感想を漏らしたルクスに、だろ?とドーイが詰め寄る。

「俺もよ、勿体ねえなあって思うんだよ。自分の作品を発表しちゃどうだって声かけたんだけどな…」

なんか違うみてえでな、と首を捻りながらドーイは零した。

ルクスはぼんやりと彼女の部屋を思い出していた。



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