1 硬い男は直角に堕ちる
苛々する。
エイランは早足で歩きながら、親指の爪で人差し指の腹を引っ掻く。何が解決する訳でもないが、そうすることで己の胸の内でちくちくと暴れる感情を細切れにして、少しでも滞りをなくそうとしていた。
―俺は、こんなことをする為にここに来たんじゃない。あの方の力になりたくて、必死に学んだのに。
くそ。
脇に抱えた書類が腹立たしくて堪らない。目下彼に任される仕事と言えば、只管に伝書鳩如く言伝を運ぶこと位である。そうではないのだ。自分を救ってくれた恩人を、少しでも支える為にここまで来たのだ。それを…。
「戻りました」
エイランは研究所の扉を開けた。
「お、さんきゅさんきゅ」
返事をしたのはエイランが目出度く所属することになった第1研究所の所長、ワイザードだった。ワイザードは椅子に座り両足を机の上に乗せていた。顔を覆っている紙を捲りながら返事をしたということは、もしかしたら寝ていたのかもしれない。
かちり、とまたひとつエイランの苛々の目盛りが上がった。
「随分とお疲れのようですね」
明白に嫌味を込めて、労りの言葉を投げかけた。
「あ、違ぇぞ。これはなあれだ、とても深く思考をね、アレしてたんです」
その投げられた石を、腹立たしいことにワイザードは避けることも勘違いすることもなく受け止め、飄々といなす。
かり、とエイランはまた親指で人差し指を引っ掻いた。
苛々する最大の原因が、目の前のワイザードだった。そして何故彼に対してここまで感情が乱れてしまうのか、エイランは既に自己分析を終えていた。
そう、彼の不真面目さが気に食わない。
ここ第1研究所は謂わば選ばれし精鋭達が集う、国の最高機関のひとつと言える。エイランは自身の恩人であるバクザ王に全てを捧げるつもりで努力を重ね、ここに属することが出来た。だのにここの長たるワイザードは、神聖なこの場で毎日毎日ぐうたらぐうたらと過ごしている。
それがエイランにはバクザ王に対する侮辱とも思えてきていたのだ。
「んで、向こうは何だって?」
エイランの醸し出す不穏な空気に気付いていない訳では無いだろうに、ワイザードはのほほんと会話を続ける。
「…まだ待ってくれ、と」
そうかあ、とワイザードは頭を掻きながら言った。
第1研究所は術式の研究機関となる。術式と一言に言ってもその発動方法は非常に様々で、詠唱をする者、陣を描く者、意識を組み立てることで可能となる者等、当人が一番しっくりくる方法を選択している。そしてその内幾つかの術式は力そのものを取り出すことに成功していた。つまり、術者がいなくとも何かに移した陣で発動が可能な術式があるのだ。まだ数は少なく、そして威力もかなり落ちてしまうが、もっと種類を増やし、一般に流通出来るようになれば日々の暮らしに役立つのではないかと期待されている。
「出来ないのなら、早々にそう申告すればいいのです。自分の無能さを認めることすら拒むとは」
「お前は真面目だなあ」
「仕事ですから当然かと」
所属したばかりで上司に噛み付くのはよろしくない。エイランだとて理解はしているが、尊敬出来ない相手を敬うことなど彼には不可能だった。
「折角頭良いんだからさ、どうせならもちっと柔らかくしてみない?」
「仰っている意味が分かりません」
そうかあ、とまたワイザードは言った。
「おし、じゃあ明日は俺と一緒の仕事に就いてもらおうかな」
ぴくり、とエイランの耳が大きくなったようで、ワイザードは内心苦笑いをした。
「畏まりました」
もう伝書鳩は懲り懲りだ。所長と一緒の仕事ならば、今よりも意味のあるものの筈。
そしてあわよくばこの怠惰な所長の所業を暴き、懲らしめる機会に恵まれるかもしれない。
そんな青い野心を胸に、エイランは返事をした。
**************
「は…?」
翌日ワイザードと共にエイランが訪れたのは、つい昨日訪問した場所だった。
「どういうことでしょう?」
「ん?まだ術式を浮き出せてないんだろ?様子見だよ」
今日行けるんなら、何故昨日派遣したんだ…。
またひとつ苛々目盛りが進んだエイランをそっちのけで、ワイザードは「こんにちはー」と扉を叩く。
すると中からドタバタという大きな音がし、暫く後に扉が開いた。
「ワイザードさん…!態々お越しくださるとは…!」
「いやいや、悪いね突然。顔見にな」
お邪魔しますなー、と言いながらワイザードは家に入り、エイランもそれに続いた。
家の中は昨日同様に荒れていた。エイランはそっと眉を顰める。やや潔癖なきらいのある彼は掃除が出来ない人間のことを見下していた。
何故出来ない?そう質問をすると、彼等は「時間がない」と言う。何故時間を確保出来るよう、逆算しない?そう聞くと、大概が嫌な顔をして去っていく。
愚か者は学ばない。相手をするだけ無駄だ。
昨日エイランが訪れた時も、申し訳ないもう少し時間を、と繰り返し、この男は自分よりも若いエイランにペコペコと頭を下げていた。
軽い頭は、下げる重みもないのだろう。
エイランは心の中で悪態をつく。
その時、二階からガシャンという大きな音が響いた。
「あ…、すみませんちょっと失礼します」
疲れた顔をした男が、小走りに二階に上がって行った。その隙にエイランはワイザードに話し掛ける。
「どういうつもりです?」
ん?とワイザードはエイランを振り返る。
「別に。ただ、知ってみようじゃないかってな。行こうぜい」
訳が分からない。二階に上がるワイザードに渋々ついて行った。
「大丈夫か?」
二階の部屋には男と、暴れる小さな男の子がいた。男の子は部屋にある物を投げて、暴れている。
「あ、すみません煩かったですよね。ほら、お客様だからちょっと静かに…」
「やだ!や!!」
「ああ、もう…」
ワイザードはよいせ、と座り男の子の顔を覗き込んだ。
「よ。元気だねえ、いいこといいこと」
びくり、と男の子は止まり、ワイザードをじっと見つめる。
「よし、俺と遊ぶか」
「え?」
「は?」
「うし、ちょっと待っててな。そうと決まりゃ、エイラン、お前家の中掃除しろ。ピーケルさん、貴方はまず風呂にでもゆっくり浸かってください、はいこれは命令です!」
ぱん、と手を叩きしどろもどろになっている気弱な男、ピーケルをワイザードは浴室にぶち込んだ。
堪らず、廊下でエイランは訴えた。
「本当に、どういうおつもりですか。こんなの俺達の仕事じゃない!」
「まあな」
飄々とワイザードは答えた。
「今回は事情があるから特別だ。でもな、物事は型通りに進むことの方が少ないんだよ。時と場合により、調整をする。これは術式にも通ずる極意だぜ」
ぎり、とエイランは唇を噛んだ。
「そこまでこちらが背負うべきですか?他人の至らない点を何故手助けしなければならないのです?」
んー、とワイザードは頭を掻いた。
「お前は優れている人間だと思うよ。単に生まれ持って、だけでなくしっかり努力していることも分かる。んで、力を持っている人間はその力を皆に分け与えるべきだ、なーんて俺は思っちゃいねえよ。そこまで登りつめた時間も労力も、掴んだ結果もそいつのもんだ。でもな、俺は強者だからと言って、他人を弱者と決めつけるのは違うと思ってる」
「時には切り捨てることも必要では?」
「勿論そうだな。それが難しいとこでもある。あのな、人間って誰しも毎日が万全じゃねえんだよ。お前は強いから、日々乱れなく保てるかもしれない。でも殆どのやつは、ブレッブレだよ。腹が痛え、女に振られた、他人からしたら笑っちまうことで躓くんだ。でもそれはそいつの中で重要なんだよ。皆其々の世界がある。それは他人には理解出来ないことが多い。まるで術式みたいだと思わねえか?」
ワイザードはへらりと笑い、エイランを見つめる。
「俺はな、そいつの最高を知りたいんだ。本来ある筈の力が石か何かに邪魔されてるんなら、一時だ。ほんの一時、俺らが石を持つのもありだと思ってる」
「そんな綺麗事…。第一ピーケルさんの任務が進まないのに理由があると?」
「見たろ、あの子」
「子育てが大変だと?」
「あの子はピーケルさんの子じゃない。妹さんの子だ。未婚の母だったそうだが、亡くなったんだよ、事故で先日」
「は、」
「元々勘当同然で産んだ子らしいからな、盥回しになりそうなところ、ピーケルさんが引き取ったんだ。色々重なっちまって、手も頭も回らなくなってんだろうな」
「…同情はしますが、仕事も子どもも引き受けたのは自分ならば、完璧にこなす責任があるかと」
「尤もだ。…ピーケルさんの術式は?」
「治癒術式です」
「そうだ。術式は個人の性質と関係がある、とも推察されている。あの人はな、優しいんだよ。妹を助けられなかったことに苦しみ、子どもと上手く接せられないことに苦しみ、仕事を滞らせていることに苦しみ、だが言い訳を零せない」
ピーケルは確かに謝罪のみで、事情を話したり言い訳をすることは無かった。だが、それだって怠慢ではないのか?話してくれたらこちらだって…。いや、話されたとて自分はそれを言い訳として解釈するだろう。どちらにせよ、自分はピーケルを弱者、不能と判じていた。
其々の世界?術式にも世界があると?
善人ぶるのも大概にしてほしい。しかし、今は逆らっていても何も生まないことは理解していた。
溜息をつき、半ば不貞腐れてエイランは言った。
「…俺は掃除ですね。子どもの世話なんて、出来るんですか?」
「俺弟いんのよ。ガキの頃、世話してたんだぜ」
にやりとワイザードは笑った。
その後。
幾度かピーケル宅を訪問していたワイザードはすっかり男の子に懐かれ、負けず嫌いで完璧主義のエイランは掃除どころか終いには料理までしてほぼ自棄糞で彼の仕事をサポートした。
その御蔭で遅れはしたが、ピーケルの仕事は完了した。ちなみに彼の治癒術式の浮き出し方は、3人の会話から突破口を見出した。どうせ自分ひとりの功績にするんだろうと思っていたエイランだったが、ピーケルから提出された書類にワイザードとエイランの名前も記載されていることに気付き、借りは作らんとばかりに玩具を届けに行ったことを、ワイザードに爆笑されることになる。
「お前面白れえなあ!」
「馬鹿にしないでいただきたい」
「そうじゃねえよ。…期待してる」
そして。
新人には伏せられていたワイザードの術式の異常さに度肝を抜かれたエイランが、転がり落ちるように彼に心酔して我武者羅に右腕の立場を獲得するのは、また別の話である。




