8 回転する日常
さくさく、と草を踏みタグリットは丘を歩く。
今日はぽかぽかとした陽射しが降り注いでいる。
ここで彼等に遭遇したことから、この奇妙な日々が始まった。
いや違うか。もうずっと前から奇妙な道を歩いていたのか。彼等、スゥハとルクスに出会うことでそれが顕現したに過ぎないのかもしれない。
何かが胎動しているのは感じている。その大きなうねりは、決して他人事ではないことも。
タグリットに詳細は降りてこない。が、彼を護ろうとしている故であることを、理解している。
以前、世界の寿命と言っていたように、恐らく途轍も無く巨大な問題なのだ。
何故、彼等は立ち向かえるのだろう。
自分だけでない。きっと大多数の人間は「それ」が起きた時ただ呆けるのみで、気が付いたら飲み込まれている。
だって、敵わないなら仕方ない。
分からないから仕様がない。
皆一緒なら、そういうものなのだ、と。
人は、誰かが何かをしなければならない時、自分がその「誰か」になろうとはしない。
「何か」を探そうとはしない。
ある程度成功の道筋がついている、見知らぬ誰かによって整えられた攻略法のみ手に持ち、これは自分の力だと誇らしげに仁王立ちするのだ。
汗も、泥も、血も、なにもついてないない足で、踏破したぞ、と安全圏から声高に。
―俺も、そっちだな。
手には青い月路花。
母の墓の前に立つ。
「…あれ…」
珍しく、花が飾られていた。花束ではなく、道端に咲いていたもので見繕ったような形だった。
世話になった幾人かを思い浮かべる。
母ちゃん、よかったね、と心の中で呟く。
そしてその花の中に、月路花も重ねる。
暖かな色の花に紛れて、青が一際映えていた。
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かちゃり、とスゥハは扉を開けルクスと共に部屋に入った。
すっかり会議室のようになってしまったカザンの部屋には、既にワイザード、ペペロイカ、シャイネ、ゼンとヨルシカ、ミハクが揃っていた。まだ完全には回復していないのだろう、ワイザードはやや怠そうに見える。それを良いことにペペロイカは支える体でぴとりと寄り添っていた。「ねえ、ちょっと近くない…?」というワイザードの訴えは耳に入らないようである。そのふたりの茶番を、カザンは口をひん曲げて見ていた。
「陛下は?」
「少し遅れるそうだ。始めて問題ない」
スゥハの問いにヨルシカが答える。恐らく、バクザと研究者達の擦り合わせは既に出来ているのだろう。
ナキの森の実験から、既に3日経っていた。翌日には集まると踏んでいたので、本日になった理由はきっと回復に時間を要しただけではない、とスゥハは感じている。
バクザがこの場にいないことに関係があるのだろうか。
「そうですか。お待たせしました」
結果自分達が最後であったことを軽く詫び、一同を見回す。
シャイネがこくりと頷いた。
「じゃあ、始めるっす」
シャイネは少しだけ身を乗り出す。彼女の前の机には小箱が置かれていた。
「先ず、サリュウ王妃には空の世界のものを見分ける力があった。セイシアさんが言っていた、空の影響を強く受けた存在っすね。そして、カザンも同様の力がある、これはいいっすよね」
カザンは肩を竦めた。
「ナキの森を調べた際、一本の樹に遺物が付いているのを見つけました。ナキの森は白い子どもの詮索を受けないと知っていた、恐らくサリュウ王妃によるものだと思われます。その遺物、集会は本来自分の声を特定の範囲に届きやすくする為使用する、と解釈されている。つまり、普通でいくと樹に声を届ける、となるっす。ですが、これはそうではない」
シャイネは人差し指を上に向けた。
「サリュウ王妃は、空に声を届けようとしていた」
「空の世界に?」
スゥハは聞いた。それは文脈から質問ではなく確認に近いものだったが、しかしシャイネは首を振った。
「いえ。空の世界ではありません」
「どういうことだ?」
ヨルシカが代わり質問をする。シャイネはヨルシカを見た。そして彼女の視線は何故か扉を通り、ルクスに行き着く。
「失礼、順序を変えます。そもそも、ナキの森に重きを置いた理由はふたつありましたよね。ひとつ、白い子どもの詮索を逃れる地であったこと。そしてふたつ、ルクスです」
ルクスは無言でシャイネの視線を受け止めた。
「ルクスは幼い頃、ナキの森で保護されました。汚れてはいましたが、立派な衣服を身につけていたそうです。言葉は発さず、しかし躾はなされていた。そして、名乗り出る親はいなかった。孤児院長のダルクさんに保護した正確な場所を確認し、そこを捜索した際に先の遺物を発見しました」
シャイネは左右の人差し指を自身の胸の前で突き合わせた。
「当然、これは無関係ではない。そこで改めて考えてみなければならないこと」
触れた指先を、シャイネは離す。
「ルクスの異常な強さです」
ルクスは動かない。じっとシャイネを見つめている。
「勿論、鍛錬による強化もあるでしょう。ですが、それだけでは説明がつかない。筋肉量、心肺機能、身体能力、どれをとっても常人では到底到達出来ない域にある。さらに、ルクスは幾つかの遺物の能力を無効化することが出来る」
スゥハはそっと手を握りしめた。
「そういうものだ」と区分してしまって久しいが、確かにルクスには一部の遺物の能力が届かない。そしてそれはスゥハも同様だった。
例えばルロワナ=タルセイルの屋敷で「不許可」という遺物に晒された際も、タグリットは動きを封じられたがスゥハとルクスは無効化している。
遺物に関して、気付いたのはかなり昔のことだった。しかし当時ふたりだけが回避出来る理由は分からず、「強いからだろう」という曖昧だが説得力のある説明が答えとされていた。
今考えるのなら、遺物は空の世界の残骸と言えよう。ならば、スゥハに効果がないのも理屈は通じる。
だが。
「だが、俺は空の世界の存在ではない」
ルクスは静かに言った。それは意見をするのではなく、選択肢をひとつ、潰す言葉。
「そう。セイシアさんもそう言っていたっす。そこで、あたしたちは大きな勘違いをしていたのでは、と考えました。それを明らかにするため、先日のナキの森の実験をしたと言ってもいい」
「勘違い?」
ルクスの言葉に、シャイネはこくりと頷いた。
「っす。そもそも、空の世界があって、魔獣のいる世界がある」
シャイネは右手を横にし、左手をその下で横にすることで空の世界と魔獣の世界を現した。
「んで、魔獣の世界の蓋と成るべく、この世界が創られた」
手が足りなくなったシャイネは、鼻先を横に動かすことで右手と左手の中間辺りに線を引いた。
「無意識にこの構図で、固定してしまったんす」
「…つまり?」
ヨルシカが蟀谷を押しながら聞いた。シャイネは続ける。
「つまり、どうして世界は横一線だと?」
「…は?」
スゥハは思わずちいさく声を上げてしまった。
「あたしたちは、空とか蓋とかの単語に引っ張られ過ぎてたんすよ。あたしたちは地面に立ち、空を見上げているから自然とそう解釈してしまった。でも、広く考えると、あたしたちの世界が水平だとは言い切れないんす。もっと言うなら」
シャイネは両腕を解放した。
「きっと、この世界は唯一の蓋ではない」
研究者達はじっとこちらを見ている。
何とかスゥハが問いを重ねようとした時、突然扉が開いた。
「うし、抜群のタイミング…じゃねえな、こりゃ」
俺持ってねえんだよなあ。
飛び込んで来た男は、濡れた頭に巻いた布をゴシゴシと擦りながら、そうぼやいた。




