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たかが世界の終わり  作者: 森大洋
青に紛れて
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7 優しい棘

まるでその部分だけ世界が巻き戻されたように、ぬるりと空の罅が修復されていった。空に散った火の粉も立ち消える。

それを確認し、ワイザードは堪らず地面に腰を落とした。そのまま後ろにぐらりと傾ぐ。あ、やべ、と本人は思ったがもう力は残っていなかった。地面との衝突を覚悟した彼はしかし、思いの外温かい感触に苦笑いをする。

「えー…、硬いお肉…」

「失礼な。至高のお肉よ」

駆け寄り、ワイザードを受け止めたペペロイカは口を尖らせて応えた。ワイザードは目を閉じたまま、少しだけ笑う。

「…お疲れさま」

ペペロイカはワイザードの額の汗をそっと拭った。


カザンは何度か肩で荒く呼吸をし、目を固く閉じていた。脳内が焼けるように熱い。どくどくと脈が浮き出ているようだ。膝に手をつき、息を整えようとした時、背中に手が置かれた。

「ありがとう」

バクザが静かに言った。

「…いや、まあ、」

王族とは思えない、感謝や労いそのものの言葉に戸惑いつつも、消耗した脳では上手く処理出来ず、カザンは諦めて素直に受け取ることにした。

「……はい」


「ぴーちゃん、それ抜こうか」

一瞬呆けていたゼンは、シャイネの言葉で我に返った。

「あ、はい」

ずるり、と楔を引き抜いた。認識阻害の術式が編み込まれている紐にそっと触れる。この場で起きたことを、この世界の人々は気付かない。知らない、ということは存在しない、とほぼ同義となる。

この世界の本当の姿って、何なんだ?

あると思っていた段差がなかった時のように、足元が一気に不安定に感じられた。そんなゼンの心境を知ってか知らずか、シャイネはしっかりとした口調で言った。

「とりあえず、戻ろう」



「ルクス!」

スゥハはひとり離れた場所で戦闘をしていたルクスに駆け寄った。ルクスは剣を鞘に納めたところだった。

「大丈夫か?」

腕辺りを擦り、顔を覗き込む。ルクスはひょいと肩を竦めた。

「問題ないですよ」

しかしスゥハはルクスの両頬をしっかりと包み、目を見詰める。

「ルクス」

誤魔化すな、というスゥハの視線にルクスは困ったように眉を下げた。

「…ちょっと、落ち着いてからで」

スゥハの手に触れながら応えるルクス。暫しじっと瞳を覗き込んでいたが、やがてスゥハは頷き、手を離した。



バクザの声が響く。

「ここまでだ。帰還する」





**************




入浴を済ませたルクスは、衣服を羽織った。寝台に腰掛けぐるりと自室を見回す。今朝もここで目覚めたにも関わらず、長い旅に出ていたかのように部屋を構成する要素が余所余所しく感じられた。

ナキの森から帰還した一行は、今日は其々休息をとることになった。尤もワイザードとカザンは消耗が激しく、動けと言われても無理な状態だったため、当然の措置と言えた。

ひんやりとしたシーツを撫でる。

こんな肌触りだったろうか。


―俺の部屋ではないみたいだ。


普通に考えれば、孤児院出身の自分のような存在が王宮内に自室を持つこと自体稀であろう。

スゥハの右腕且つ護衛的役割であること、一部から目標とされる存在であることなどから利便性と箔をつけるため、スゥハの自室がある建物に立派な部屋を用意されている。尤も、流石に王族であるスゥハの部屋は上階だが。

いつもなら、ひょいと夜であろうと訪問していた。だが今宵は、足が向かなかった。


とぷん。

ルクスは静かに思考の海に潜る。

無音の世界で耳を澄ますように、目を閉じた。

4枚羽の魔獣には、特に何も感じなかったのに。

まるで遠吠えに応えるかのように響いた唸り声。

火の粉。

焔。

その熱を。

俺は何故知っている?

あの時、ぱらぱらと散らばった風景。

記憶、なのか?

カザン達が引き寄せた、それは―。


扉を叩く音によって、潜っていたルクスの意識は浮き上がった。音の主として思い浮かぶはひとりのみだが、あちらから訪問するのは珍しいことだった。

かちゃりと扉を開けると、やはりスゥハが立っていた。

「…入っていいか?」

「勿論」

少し迷いがちに踏み込んだスゥハを導くようにルクスは寝台に腰掛けた。スゥハも黙って隣に座る。

片膝をたて、そこに頬杖をついてスゥハを見詰めるルクスの目はどうしたの?と尋ねていた。

実のところ、スゥハは半ば勢いでここに来てしまっていた。ナキの森で一瞬凍りついたルクス。何があったのか、自分には分からない。だが、スゥハが立ち竦んでしまいそうな時、いつもルクスが包んでくれていた。何度助けられたか分からないほどに。

私だって、ルクスを支えたい。この強く優しい男は、殆ど弱さを見せない。スゥハの弱さはルクスに悔しい程暴かれているのに、いつだってルクスはスゥハよりも広く、大きいのだ。

たまには私だって。

そう思って来てしまったのだが、口下手なスゥハはいざその場となると、この想いをどう伝えればいいのか混乱してしまった。

それを読み取ったかのように、ルクスはスゥハをふわりと抱き締める。

「あー…。ほっとする」

「…え?」

「なんて言うんですかね、帰ってきたって気がする。スゥハ様とくっつくと」

「…そうか」

何だかやっぱりルクスに歩み寄って貰う形になってしまったのが釈然としないが、スゥハも渋々とルクスの背に手を回した。それに気付き、ルクスはふふと笑う。

「えい」

ルクスはスゥハを抱き締めたまま、寝台に倒れ込んだ。ぶっと不細工な音を出すスゥハ。鼻をルクスの胸に潰され、スゥハは「お前」と低い声を出す。ルクスはけらけらと笑った。その笑顔を見て、スゥハの胸は熱を帯びる。そしてほんの少しだけ力を入れ、込み上げてくる涙を押し留める。スゥハはルクスの両頬をぐいと引っ張った。

「いひゃいれす」

「いいか」

スゥハはルクスの目を真っ直ぐに見つめ、言葉を紡ぐ。

ナキの森のことを、音に出して問うのは避けたほうが良い。だが、伝えたいことを伝えそびれてはいけない。


―私は、いつ伝えられなくなるか、分からないのだから。


「お前の帰る場所はここだ。何があっても、私のところに戻って来い」

ルクスの瞳に一瞬、影が揺らめいた。

スゥハの言葉には、ちいさな棘がある。

誰も傷付けまいとするその棘は、ルクスにゆっくり深く刺さっていく。

スゥハ様はひとり、犠牲になる覚悟でいるのに。

俺の手を離すつもりなのに。


―酷いひとだ。

―だけど俺は、何としても。


「…はい」

ふたりはそっと目を閉じ、静かに額を合わせた。

それはお互いの想いを溶かし、分け合うことで等しくするようで。

分かっているその差異を、形だけでも赦し合うかのようで。

ふたりの、抱き締める腕に力がこもる。

暫くして、スゥハが口を開いた。

「…夜にすまなかったな。今日は休まねばならないのに」

ルクスから離れ、スゥハは身体を起こした。それに準じてルクスもむくりと起き、寝台の縁に腰掛ける姿勢になる。

「いえ、健全な夜這いありがとうございます」

「何だそれは」

「あっ、失礼。本音が」

ルクスのお巫山戯にスゥハはふむ、と溜息をついた。

「そうだ、ルクス」

「はい?」

ルクスの肩に触れ、スゥハは声をかけた。

振り返ったルクスに、そっと顔を近付ける。

スゥハは目を閉じ、優しく唇を重ねた。

固まるルクス。

ゆっくりと目を開け、視線を絡ませたまま、スゥハは静かに唇を離す。


「おやすみ」


さっと立ち上がり、振り返ることなくスゥハは早足で部屋を出ていった。



ルクスは呻きながらどさりと寝台に倒れ込む。



「ほんと、勘弁してよ…」

枕に顔を埋めて、青年は溜息をついた。






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