金木犀ジャムとクリソベリルキャッツアイ②
「……痛くないのかなあ……」
店に訪れる客の前では驚くほど優美な仕草をするのに、こうして春臣と二人でいる時はひどく自由奔放に振る舞う、真白の美しい青年。
何ら憂いのない寝顔はいっそ幼ささえ漂わせる。
「朱ー、俺、ご飯食べるけど、良い?」
あまり大きくない声で、問う。
するとむずがるように眉を寄せた男は、「……んー」と不明瞭に返すばかりだ。これでは是か否か分からない。
「こんなところで寝ないでよ」
再び、「んー」と、どちらでもない返答。起きる気配はあるのだが、まだ微睡の心地よさに負けているようだ。
「シャツもぐしゃぐしゃ……」
誰がアイロンをかけると思っているのか。服にこだわりがあるくせに、こういったところは無頓着なのはどうにかならないのだろうか。寝返りを打った男の服の皺を眺めながら、嘆息をひとつ。
一度声はかけたし、放っておいて朝食にしよう。
そう結論づけた、刹那。
――ちりん。
軽やかな鈴の音が、響く。次いで視界の端を、白い何かがゆったりと横切っていくのが、見えた。
「ぐぇ……っ」
それと同じくして、床から潰れた声。
白い塊が、朱のみぞおちと脇腹を的確に踏んでいったのだ。
ちりん。ちりん。涼やかな音で闊歩する塊の名は。
「――ブラン。お腹すいたの?」
なぉん。
確かに返事をしたそれは、真っ白の猫だった。美しい碧と何もかもを見通すような不思議な金色のオッドアイで、冬が近づいてきているためすでに豪奢な冬毛に身を包んでいる。
朱の脇腹に前足をめり込ませたまま春臣を振り返り、優雅にひと鳴きした彼は、長くふさふさとした尾で朱の服をぺしりとはたく。
「じゃあ先にご飯にしようか」
そう言いながらブランの為の朝食を用意しようと踵を返したところで。
「……俺の琥珀糖はダメだからね」
先ほどまで溶けていた朱から、はっきりとした拒絶の声があがった。
「ちょっとくらい分けてあげても良いだろ?」
「ヤダ」
「もー」
子どものような聞き分けのない男に、それ以上は追及することなく春臣は台所から牛乳と皿を取り出してきて注ぐ。
ととと……っ、と乳白色の液体が群青の皿に満たされるのを見届けて、ブランは勢いよく飛び降りた。後ろ足で朱を蹴りつけるのを忘れずに。
ぐぇっ、と再び朱から悲鳴があがるが、春臣もブランも気にしない。
「んんー、わかった、わかったから……ひとつだけね……」
そう言って折れた朱に、今度は頭突きをするブラン。なんで!と朱は憤慨したが、それは親愛のしるしだよと教えれば文句は次第に小さくなった。
んなぁ。
急かすように鳴いた猫に、春臣はアンティークの戸棚に仕舞ってあったガラス瓶を手に取り、宝石をひとかけ摘まむ。
色とりどりの水晶の形をしている琥珀糖を手のひらに乗せてブランの前に差し出すと、小さな歯がそれを食み、かしかしと音を立てて咀嚼した。
そうして一つだけだとしっかりと理解しているのか、そのまま二つめをねだることはなく、牛乳を飲み始める。ちゃっちゃっ、と小気味よい水音。
もちろん、普通の猫は琥珀糖を食べない。けれどこの猫は、普通の猫ではないのだ。
「じゃあ朱、俺もご飯食べるね」
元通り綺麗な群青色に戻った皿を携えて、春臣も踵を返した。