輪っかを棒でぶっ叩いて転がすやつ
輪回しは古代から存在していた。
古代ギリシャ人はこの遊びを車輪Τροχόςと呼んでいた。輪っかは青銅製か鉄製で、立てると腿あるいは腰ほどの高さになる。棒ῥάβδος は短い金棒で、真っすぐのものと、輪っかをひっかけやすいように先端が曲がっているものもあった。
絵画においては主に青年が全裸で遊んでいるようで、10代の若者向けの運動施設パライストラと結び付けられる。オリンピックの競技には含まれなかった。
ローマの作家プロペルティウスはスパルタの女が輪回しをする架空の詩を書いているが、古代ギリシャの絵画に女性の輪回しは確認できない。エウリピデスの悲劇においてメディアの子供たちが殺される直前に遊んでいたのもトロコスだが、ただのかけっこの可能性があるという。
古代ローマは、ギリシャからその文化を受け継いだように見えるが、輪っかtrochusには変化が生じる。
車輪のようにスポークが付けられていたり、また回すたびに取りつけられた鐘の音が鳴る仕掛けが加えられたものもあった。
マルティアリスは輪っかの詩で「どうしてその自由な輪っかは騒がしく鳴り響きながら彷徨っているのか」と愚痴り、ホラティウスは「馬に乗ることを恐れる若者はギリシャの輪っかtrochoやギャンブルの方が得意だ」と嘆いた。
輪っかは小型のものもあり、壁画には両手に持った棒で二つの小さな輪っかを転がす器用な人物が描かれているものがある。このコンスタンティノープルのモザイク画は、輪回しを使ってチャリオットの真似事をしているともいわれる。
輪っかを回すための金属製の棒は複雑に曲がっていて、見た目通り鍵と呼ばれていた。
輪っかは曲芸にも用いられる。クセノポンは饗宴において、12個の輪っかでジャグリングをしたり、刃の付いた輪に飛び込む女の子を描写している。またペトロニウスはトリマルキオの饗宴で火の輪くぐりをする少年を描く。
輪くぐりは中国漢代の画像石にも見られる。百芸の一つとされ、唐代にかけて祝宴で披露された。中国では宋代以降、百子図という多くの子供の遊びを描く絵画が生まれるが、こうした遊びは見当たらない。無いか、無名なのだろう。
14世紀イングランドの写本には、宴会芸と言うよりは子供たちの娯楽としての輪くぐりが描かれている。飛び込む役、フープを持ち上げる役、そして飛び込み役を放り投げる役からなる三人で遊ぶ、危険な遊びだったようだ。
ヨーロッパでは中世後期から輪回しの記録が出て来る。
最初のものは15世紀にネルトリンゲンやドルトレヒトで出された祝祭に関する都市条例のようだ。祝い事で行われる試合の一つだったのだろう。
16世紀になると輪回し遊びの史料が多く登場するようになる。
あらすじで触れたブリューゲルの絵画はその代表例である。この絵画の輪回しには鐘の鳴る仕掛けを確認することが出来る。
中世の頃の輪っかの材質は木製のものもある。輪っかは3,4枚の薄い木の板を丸めて重ね、釘で打ち据えて作った。金属製のものは樽の帯鉄を取り外して遊び道具していたといわれるが疑わしい。
時祷書の一つには様々なサイズの輪っかが描かれている。立てると大体足元から腰あるいは胸くらいの高さ、ときには頭までの高さがあり、転がすだけでなく地面に置いてくぐったり、犬をくぐらせたりもしていた。
大抵の輪っかは、くぐれるようにスポークが付いていなかったが、一部の文献にはスポークの付いた輪っかが描かれている。
棒は腕の長さから肩の長さ程度で、木製か金属製だった。
輪回しは古代の頃と同様に子供の遊びだったようだ。
マテウス・シュヴァルツは11歳のときに輪回しで遊んでいた。フランソワ・ラブレーは子供の頃のガルガンチュアの遊びの一つとしてAu cercleを挙げるが、これは輪くぐりか、輪回しのどちらかを意味するという。
17世紀のブゾネ・ステラBouzonnet-Stellaによる版画「子供の頃の遊びと楽しみ」には輪っかを転がす子供が描かれている。他のいくつかの絵画に見られるものと同様に、輪っかの大きさはまちまちで、左手に持ったり右手に持ったりしていた。
犬とセットで描かれることもあり、輪くぐりをさせたり、輪っかと一緒に走り回ったりしていた。
また子供の遊びとしての輪くぐりがあり、子供の頃のルイ13世も遊んでいたと侍医エロアールが記録している。前述の危険な曲芸ではなく輪を縄跳びのようにしてくぐるものだったようで、「子供の頃の遊びと楽しみ」の一つにも挙げられている。
18世紀の著作には、二人で輪回しをする描写が現われる。
転がした輪っかを一緒になって追いかけるだけでなく、互いに輪っかを転がして相手の輪っかにぶつけて倒した方が勝ちのゲームがあったり、先に相手の陣地に自分の輪っかを到達させた方が勝ちのゲームがあった。
この時代には男の子も女の子も輪回しをしていた。
残されている多くの絵画を確認すると、大抵広場や大通り、郊外で遊ばれていたように見える。
ヴィクトリア朝イングランドにおいてこの遊びは広く流行した。
輪っかには再び金属製のものも使われるようになった。釘打ちした木製の輪っかよりも良く回すことが出来たし、持ち歩きやすかったが、通行人にぶつかったときに金属製は危険だと言う警告も伴った。互いに輪っかをぶつけ合うゲームの方はさすがに遊ばれなくなった。
一方で、メアリー・エッジワースは刺激的なだけの遊び道具では教育に良くないと批判し、輪回しなど運動になる遊具が良いという教育論を提唱した。
輪っかの内回りではなく、スポークの方に飾りや鳴り物をつけることもあった。
男の子も女の子も遊べる遊びで、まだ足のおぼつかない幼児も遊んでいた。仲の良い男女で一緒に遊ぶこともあったようだ。広場や街中で回したり、通りで転がしながら遊びに行ったり、丘の上から転がしたりしていたという。器用な子供は片手に本や人形を抱えながら輪を転がしていた。
アメリカではインディアンの輪回しが記録されているが、近代アメリカではヨーロッパ風の輪回しが遊ばれていた。「トム・ソーヤの冒険」ではトムの所有する輪回しと棒に触れられている。
フラフープは20世紀半ばにプラスチックが発明されてから世界的に流行するが、輪回しの流行は未だ発展していなかった地域に限られた。