これから私が書きたいもの
「だから書くとしたら、リアルタイムの現代じゃなくて、何年か前の時代を舞台にするわ。あの感染症で、行動制限させられる時代より、少し前。その方が、学生である主人公達も、楽しく過ごせるだろうし。私が暗殺される確率も下げられるんじゃないかな」
幼馴染に笑ってみせる。上手く行かなくて、ぎこちない表情になったと私は自覚する。
「ねぇ……テーマを変える訳には、いかないの?」
ベッドに置いていた、私の手を幼馴染が握ってくる。握りながら、彼女は更に続けた。
「もっと気楽な、政治性の無い話だって、書けるんじゃない? そういうので、いいじゃない」
握る手に力が込められる。懇願するような口調だった。
「まだ、書くと決まった訳じゃないから……」
そう言って、私は彼女をなだめる。ある程度、落ち着かせてから、「ただ……」と私は言葉を続けた。
「文学を悪用されたくないのよ、私。今はドストエフスキーが、独裁者の手で都合よく利用されてるような状態なの。偉大な文学者が、政治家の妄想を正当化する理由で持ち出されるなんて、許してはいけないと私は思う。大文豪が最も訴えたかったのはキリスト教的な愛、そして善への志向なんだから」
それがドストエフスキーに付いての、私の解釈だった。私に言わせれば、それ以外は全て些事である。
「……私は貴女に、自分の命を大切にしてほしい。死んでほしくない」
駄々っ子のように、幼馴染は私に縋ってくる。まるで彼女が、私という猫を飼っていて、その容態を気に掛けているように見えた。仮に私が世を去ったら、彼女はどうなるのだろう。
「私が死んだら、あの猫に会えるかな」
軽口のように私は呟いて、すぐに後悔した。私を心から案じている幼馴染の前で、言うべき言葉ではない。何かが爆発したように、彼女は私をベッドに押し倒して、上から抑え込んだ。
打たれる、と思って私は目を閉じる。少しして目を開けると、私を見下ろす幼馴染の泣き顔が見えた。私の髪は縮れ気味で色素が薄くて、対照的な彼女の黒くて真っ直ぐな髪が下りてくる。肌に触れる、その髪の感触が愛おしかった。
私は彼女を引き寄せるように手を伸ばす。幼馴染は、泣き顔をぶんぶんと横に振った。
「こんな形で……こんな、傷つけるような形で貴女と、したくなかった!」
そう叫ぶように言う、彼女の涙が私に落ちてくる。視界がぼやけて、気が付けば私も一緒に泣いていた。私が猫を亡くして苦しんでいたように、幼馴染も私を見て心を痛めていたのだ。私達は二人とも、悲しんでいた。今の私達には、お互いが必要なのだと知った。
「ごめんね……それに付いては本当に、ごめん」
病人の弱みに付け込ませるような行為を幼馴染にさせてしまう。その事が心苦しかったけれど、止めてほしくなかった。私の体の上に下りてくるように、私は幼馴染を誘導する。
「傷ついてもいいの。貴女に、してほしい。喜びも悲しみも、私に上書きして」
私は猫の死を乗り越えたかった。新しい感情を心に刻む事で、前に進みたかったのだ。私達は泣きながら抱き合って、そして猫のように悲しく啼いた。




