人生最期の盗撮
俺は汚れていた。
比喩ではなく、物理的にさまざまな不浄不潔な汚れにまみれているという意味だ。
まあ精神的に汚れていないのかといえば、それも否定はできないのだが。
郊外のひと気のない公園の片隅に設置された公衆トイレ。
その便所の便槽は今どきまだ残っていたのかという福祉に見捨てられた汲み取り式だった。
このあたりの説明は聞いてて気分が悪くなるだろうし、俺自身も具体的に詳しく自分の置かれている状況を思い返すとあほらしくなってくるのであえてあやふやに説明するが。
アレやソレを水で下水に流すのではなく、溜めておいて後でまとめて回収する形式のトイレだ。そのため水洗式と異なり、それなりのスペースが和式便器の下に確保されている。
俺は今、そこで体を曲げて潜んでいるというわけだ。
「……いや、やっぱ気分悪いしあほらしいわ」
自らを客観視してしまい、ため息をついてひとりごちる。
そのため息もネットで購入した防毒ガスマスクに阻まれてコシューという妙な音だった。
汚物を回収されてすぐの日を狙い、幸い人通りの滅多にない公園ということでぼっとん便所の底はなにかが溜まっているというわけではないが、こびりついた悪臭は周囲にまとわりつく。
腐臭を防ぐマスクはウイルスが流行していなくとも必需品だ。
「獲物」を待つ間に有害なガスから命を守るためにも。
「塩素系のトイレ漂白剤は怖いからな」
独り言は危険だと分かっていても、つい口をついて出てしまう。長年の盗撮犯生活で培われた悪癖というやつだった。
……盗撮犯。
そう、俺は女子トイレの中でカメラを構えて目当ての女性がこの個室に来るのを今か今かと待ちわびているのだ。
身も心も汚れ切っている、と表現してなんら問題はなかった。
「……ふぅ」
コシュー、とまた嘆息する。
待っている間、俺はこの人生で何度も考えた自己正当化の理屈を反芻してしまう。
仕方がない、というやつだ。
好きでこんな性癖を選択したわけではないつもりだが、もはやトイレ盗撮以外の目標など人生設計から消え失せてしまっている。他の大多数の人間のようにアダルトなビデオで満足ができればよかったのだが、撮影されていると分かっている女優、しかもキワモノ路線のために大して顔の造作もよくない女の排泄姿などでは満足できなくなっている。
だから高級な一眼レフを購入し、法を犯し、汚泥にまみれてこそこそ隠れているのも仕方のないことなのだ。
「完全に犯罪者の理屈だ」
分かってはいるのだが、人生における大部分を盗撮に割いてきた俺は今さら戻れない。
汚れきった沼(かなりあやふやにした表現)の中に落ち続けていくだけだろう。
大体、性癖の話をすれば、俺は「出されたもの」に興奮するわけではなくて、すました顔の女が見られているとも知らずに本能丸出しで「出している姿」の一瞬を切り取りたいわけで、その理屈で言えば俺は芸術家となにひとつ変わらないはずだ。
180センチの体を曲げている間、背中のヌメった感触をなるべく感じないようになるべく厚着しているのだから、俺は正常である。
世界のどこかにいるであろう、俺以上の異常者と比べれば。
「……そんな奴、いても語り合いたくはないけどね」
そもそも俺よりも格上の異常者がなかなかネット上に存在しないのも悪い。
そいつがインターネットの深い場所で本物の盗撮映像をアップロードしてくれていれば俺がこんなに手間をかけずに済んだに違いない。最近はカメラも小さくなってきたのだから。
もちろん俺も小型盗撮カメラを様々なアングルから見られるように、この公衆トイレに設置している。とはいえ一番ダイナミックなアングルは回収の都合もあり、設置型ではなく俺が直接撮るのが一番という結論に達し、このような苦労をしているというわけだ。
そのお宝映像を惜しげもなく、足がつかないようにアドレスやデータを偽装して裏サイトだのダークウェブだのと言われている場所に匿名で流しているのだから誰か俺に感謝してもいいと思う。
そもそも最近の俺が本当に見たいのは……。
コツ、コツ
女子トイレ内のタイルを叩くハイヒールの音で俺の思考は中断された。
来た。
「獲物」は事前に調べたスケジュール通り22時過ぎに罠にかかった。
このために19歳高卒OL(読者モデル経験あり)の勤務先や帰宅経路を丹念に調べ、ルート上の他の公衆トイレを破壊して確実にここに来るように仕向けたのだ。
計画がうまくいった興奮、垂涎の獲物が来た動悸、見つかるかもしれないという恐怖。
それらのノイズとなる感情を必死に抑え込む。
「……」
ここからはコシューという呼吸音すらも許されない。
自分が興奮する映像を撮るために、興奮を抑えなければならない。
矛盾するようだが、経験則から脳汁だばだば垂れ流して昂った状態での写真はいいものとは言い難いものばかりだった。脳内のアドレナリンが溢れようとも、それを制して極めて冷静にシャッターを切らねばならない。
剣術の達人のような無我の境地が撮影には求められるのだ。
結局、どのような分野においても奥義は一緒なのだろう。
「……んっ、しょ」
鞄を置く音、衣擦れの音、下着を下ろす音。彼女の吐息。
それら一挙手一投足に惑わされてはけしてならない。
だって小型カメラで撮ってるし。
俺がやることは、ただこの位置での最高のワンショットを収めることのみ。
それ以外の猥雑な情動は切り捨てねばならない。
カシャッ
小さくしたシャッター音が地獄の底で響いた。
心と切り離された俺の指は、きっと最高の瞬間を切り取ったに違いない。
「ふぅ……」
(「出始めた」……もう少し……奥から……)
がに股になった彼女の下腹部を別のアングルからも盗撮するために、俺は少し身じろぎする。
便槽内はかなり狭いが、あの三十センチの光明からの景色をすこしでもよく撮らねばならない。
こんなチャンスが二度とあるとは限らないのだから。
ギリギリ、と脊髄がきしむ音がするが無視、撮影のためには痛みなど邪魔だ。
バレない距離と、少しでも近づくアングルのギリギリを探らなくてはならない。
びきっ、みきっ、みししっ
(もう少し……もう少し首を曲げれば最高の……)
グギッ
(あっ)
俺は汚れて真っ暗な闇の中で最期に聞いたのは。
自分の首の骨がへし折れる音だった。