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 駅のホーム下には線路に落ちた人間が退避するための狭い空間がある。

 少女がそこに押し込まれた瞬間、強い風が吹き抜けた。


 誤ってホームから転落した少女を救った勇気ある青年は、狭い空間に体を押し込むのが間に合わず、はみだした足を車輪にひったくられた。倒れこんだ拍子に脚までひきずられ、結局、強烈なブレーキ音の響く薄暗い空間には少女と、青年の胴体が残った。


 呆然とする少女の顔をみて、足の削れた青年が困ったように笑う。

 黄昏ていく空ような、不思議な色の瞳をした青年――


 次の瞬間その少女、乙津白波(おきつしらなみ)は見知らぬ天井を見上げていた。





「この建物、元は学校だったんですよ。

 部屋の名前も、2の丙組など学校時代そのままの呼び方をしています」


 白く少しざらついた天井。ゆるくアーチを描く梁と梁の間を、帽子を逆さまにしたような形の照明がつるされている。


 白波は周囲を見回す。右手側には独特の、おそらくモダンと表現されるような模様を描く格子扉があった。薄いカーテンがかかり、夕日をぼんやりと受け止めている。そのさきはおそらくバルコニーだ。


 今自分がいる場所は、どこかの廊下。駅のホーム下の暗闇ではない。


 白い壁、床から腰壁まで暗く深い色の板張り、左手側には手すりに幾何学模様の装飾が彫られた階段。……洋館、だろうか?なぜ、いつ、こんなところに。


「何かありましたか?」 


 前方から、聞き覚えのない男の声が届く。低く、しかし威圧感は感じない声音。


 声の主は、廊下の暗がりにのまれる一歩手前でこちらを見ている。背が高く、白衣を着ていた。瞼の上までのびた重い前髪と大きな眼鏡で表情がうかがえない。眼鏡はよくみると右側のレンズだけ色がついていた。おそらく白波の父と同世代くらい、30代後半の大人のひとだ。


 何か。なんだろうか、困惑していた。線路から一瞬でこの場所にワープしてきたのだ。何か言わなければと口が先走って開いては、なにも言葉が出ずにとじるを繰り返す。


 男はせかすでもなく、じ、と白波の返答をまっている。


「あ、の……さっき、線、路に……落ちて……」


 男が先を促すように頷く。


「お……お兄さん、助けてくれた……ら、急に、ここに……」


 おかしいと思われるかもしれない。そうわかっていても白波は正直に口にした。ごまかしたりするのは、何か罰が当たるような気がして苦手だった。


 駅のホームから転落したのはついさっきのはずだ。しかし、線路にぶつけた体の痛みは少しも残っていない、夢だったとでもいうのだろうか。今のほうがよほど現実感がないというのに。


 お兄さんは、どうなったのだろう?電車の車輪に体を轢かれて人は生きていられるものだろうか?少なくとも、脚は……


 寒気がする。ふと足元を見ると靴下がずり落ちていた。何か違和感を感じつつ、靴下を引き上げる。


「なるほど、わかりました」


 陽が落ち、急速に増えていく暗がりから抜け出すように男が近づいて来る。白衣には名札がついていた。『内科 小林(遠)』と書かれている。医者なのだ。

 立ち止まると背をかがめ、目の高さをあわせてくれる。


「君は今、小学四年生でしたか」

「え?はい……」


 医師はほんのわずかばかり沈黙してから白波に向き直る。おそらく、白波にもわかるように伝え方を考えているのだろう。


「私は小林遠野(こばやしとおの)といいます。医者です。そして、ここは病院です。望洋町(ぼうようちょう)サナトリウムという名前に聞き覚えは?」


 白波は首を振る。望洋町という地名にも聞き覚えがない。


「そうですか。……君を助けたお兄さんは生きていますよ、安心してください。」

「よ、よかった!あ、でも、脚……」

「たしかに、かなりの大けがでした。

 しかしまあ、かなり奇跡的なことなのですが、後遺症も残らずに済みそうです」

「は……?」

 

 後遺症も残らず済みそう、ということは、繋がったのだろうか。脚が、あの状態で。


 それは、よかった。とてもいいことなのだが……あり得るのだろうか?と白波は思う。あんな、車輪に、奪われて……砕けていった、脚が……


「おや、気分が優れませんか?そこの椅子に座りましょう」


「あ……はい。えと……その、本当に、お兄さんは、無事……?」

「ええ、無事です。すぐに会う事もできますよ。

 驚くのも無理はありません、普通は生きているだけでも奇跡的なことです」


  廊下は、ずいぶん静かだ。病院だというのに、バタバタした様子もない。


「……どうも、君の事故からあの駅は、テケテケが出る駅だと話題になったようで。胴だけでも割と元気に動き回ったものですから、みなさん驚かれたのでしょうかね。ふふ、ははは」


 ははは、があまりにも平坦な調子だったので、笑い声だと理解するのに時間がかかる。軽口なのか怒っているのかいまいち判断がつかない。


 テケテケ――凍える日に電車に轢かれ、体が真っ二つになっても生きていた者が、失われた下半身を探して歩き回るという都市伝説だったか。彼は血まみれの胴を引きずりながら、砕けた自分の脚をあつめていたのだろうか。白波は余計に気分が悪くなってくる。


「大丈夫ですか?すみません、冗談で和ませるつもりでしたが、配慮がたりませんでしたね。

 しかし、葦屋君はこのことを笑い話にするほどに回復しておられるのですよ」

「よしや、くん?」


葦屋格(よしやいたる)くん。君を助けたお兄さんの名前です、私たちは今から彼に会いに行くところだったのですよ」

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