Ⅲ
少し火照った身体に夜風が心地いい。
またしても、目標もやるべきことも失い、振り出しに戻ったわけではあるが、何とも言えぬ心地よさであった。心が軽かった。
今度は何をしようか。何なら満足できるだろうか。
でも、今は何でも良かった。この開放的な気持ちにずっと酔いしれていたかったのかもしれない。
今日はもうこの幸せな気持ちのまま眠ってしまおうと思った。
その矢先だった。
駅前の夜の雰囲気に塗れ、騒がしい繁華街。
一気に目を覚ますほどの怒声と悲鳴。
目前には、深紅に飾られた刃を振り回し、荒れ狂う男。周囲には、腹部を血塗らせ、横たわる5名の男女。
それと今にも襲われかけている女性がいた。
この非日常な空間を驚くほど冷静に受け入れていた。そして考えた。
もしかしたら、この状況を望んでいたのかもしれない。自分が英雄になれるかもしれない。そこに自身の生死は考慮されていなかった。むしろ死んでもいいと思った。自身の肥えた自尊心、自己顕示欲を満足させるにはこれしかないと思った。終わりよければ全て良し、というべきか。どうしようもない人生であったがここが終着点であり、エンディングであり、生きる意味なのだ。それしか考えられない。
私は喜々としてその場に走りこんだ。場違いな感情であったが、それこそが、足取りを軽くさせた。
しかし、少しだけ誤算があった。先ほどまで刃を振りかざしていた男の手には既にそれは無く、先ほど襲われかけていた女性の必死な抵抗によってそれが失われていたのである。
そして、それは、幸運にも私の足元に転がってきた。私はそれを手に取った。
目前には、抵抗むなしく女性が男に馬乗りになって殴られていた。犯人であるその男は刃が失われたことよりも他人に暴力を振るうことの方が大事であるらしかった。
私が刃を手に取ってから、それほど時間は経っていなかった。目前の理不尽な暴行は無くなり、周囲を囲む5人の死体に男が一人加わっていた。
そこからの記憶は無く、目が覚めた時には、病院のベッドであった。
目を覚まし、自身の状況を理解したとき、とてつもない幸福感に包まれた。
「私は、成し遂げてしまった・・・!これは偉業である、そうに違いない。」
誰もいない病室で、声高々に宣言し、胸を張った。
自身がこれ程までに誇らしくなったことはない。殺人を犯したという意識は微塵も無く、ただ、善行をしたと思った。
そして、私の自尊心は今までにないほど満たされていた。
それから程なくして、警察が来て事情聴取をされたり、医師に検査された。
どうやら、私の罪は正当防衛で相殺してもらえるらしい。さらに、私の体は至っては健康そのものであった。
不思議なことに、精神も健常であるらしい。
事務処理やら、様子見やらで、私はその病院に一週間ほど滞在せざるを得なくされたが、その間に目にしたニュースやワイドショーでの私の英雄的扱いは私にあの興奮を思い返させ、自己顕示欲を満足させた。