第8話 強い覚悟
放課後、校門の前でいつものように西口を待つ。
今日は木曜日。
明日には、西口はあの手紙の主に告白される。
そして、付き合うかもしれない。
分からない。
私はどうしたいのだろう。
このまま何もしないで、友達のままでいるのか。
告白して、恋人になるのか。
西口の事は友達としか思っていない。
そのはずなのに、結局私はこの2択に悩んでいる。
でも、こうやって悩んでいるのは、あの手紙のせいだ。
あの手紙がなかったら、私は告白しようなんて微塵も考えなかった。
だから、この迷いは一時の迷い。
あの手紙が、私が西口を好きだと錯覚させたに決まっている。
修学旅行だとかの学校行事で舞い上がった2人が付き合って、すぐに別れるという話もよく聞く。
要するに今回の事もそれと同じようなもので、一時のテンションが引き起こしているだけだ。
西口の事を思うと胸が熱くなる、苦しくなるこの気持ちも。
ちょっと経てば消えてしまう気持ちのはず。
でも、そうじゃなかったら?
西口が他の子と付き合ってもこの気持ちが消えなかったら?
いや、そんなはずない。
これは一時の気の迷い。
今日一日中、そんな思考が堂々巡りしていた。
「すまん。待たせたな」
彼が来た。
「勝手に待ってるだけだから、いいのよ」
「そうか」
いつものように2人で並んで歩く帰り道。
もし彼女が出来たら、私とは一緒に帰ってくれなくなるのかな。
それは寂しいけど、仕方の無いことだ。
いつまでも同じ関係でいられる保証なんてどこにもないんだから。
「赤川、聞きたい事がある」
「うん、何?」
「今度、俺の作った菓子を食べてくれないか」
唐突な話に少し戸惑った。
「もちろん。でも何で?」
「いや、まあ……いつも世話になっているからというか……」
西口が珍しくはにかんだ様子を見せる。
西口の彼女になった人は、こんな表情をたくさん見れるのかな。
「そんなの気にしなくていいのよ」
「俺がそうしたいんだ。お前は俺の大事な友達だからな」
大事な友達。
それは、友達としてはとても嬉しい言葉だ。
「ふふ、ありがとう。雪村くんにも作るの?」
「あいつには別の形で何かしようと思う」
「うん、そっか……。西口は友達思いなのね。だったらさ、もし……もしね……」
「彼女が出来たら、それでも私と一緒に帰ってくれる?」
「……なんだそれは」
西口は困惑していた。
まあ、いきなりこんな質問をされたら、誰だって困る。
「ごめんね。変な事聞いちゃって……でも、答えてほしいの」
「うーん……彼女が出来たって、友達は大事にするべきだ。お前と一緒に帰るの好きだしな」
「でもさ、彼女も一緒に帰りたいって言ったら?」
「そうなったら……3人で帰るか」
ええ……何それ気まずい。
「そもそも、俺に彼女なんて出来ないだろ」
「う、うん……」
とにかく、彼女が出来ても私とはこれまで通り友達でいてくれる。
友達として、私を大事に思ってくれる。
うん、だったら何も問題は無いじゃない。
彼女が出来てもこれまで通りいられるんだったら大丈夫。
そう、西口はそういう人。
なんだ、何も悩む必要なんてなかったのよ。
いつも通りの会話をする。
西口は口数が少ないから、いつも私から話題を振る。
それに対して、西口は淡々と答える。
それは抑揚のない会話だけど、退屈なんてしない。
ただ会話が成立するだけで、嬉しい。
それが私を安心させてくれる。
西口は私の友達でいてくれるんだって、安心出来る。
そして、いつものT字路に着く。
「また明日な」
「うん、また明日」
西口が背中を向ける。
その背中がどんどん遠ざかっていく。
それでも、また明日会える。
だから、寂しくなんてない。
苦しくなんてない。
怖くなんてない。
切なくなんてない。
体が勝手に動いた。
そして、彼を掴んだ。
自分のもとに引き留めた。
「ん、どうした」
彼が振り返る。
自分でも分からない。
彼を引き留める手を離せない。
「具合でも悪いのか」
西口が顔を近付ける。
彼の顔を直視出来ない。
でも、想像する。
彼の色んな表情を。
滅多に表情が変わらないから、私が見た事のない想像上の表情ばかり。
分かってしまった。
というより、認めてしまった。
今の関係は好きだし、幸せだ。
当たり前のように西口が隣にいてくれて、話を聞いてくれて、それが幸せ。
でも、私は……。
いつの間にか、もっと大きな幸せを求めるようになっていた。
西口の事をもっと知りたいと思った。
友達としてじゃ分からないような彼の一面を知りたいと思った。
そして、それを自分だけの特別なものにしたいと思った。
でも、それを得るためには……。
今の当たり前の幸せを捨てなくちゃいけない。
良い方向に行こうと、悪い方向に行こうと、もう元の関係には戻れなくなる。
『好きだ』と一言を言うだけで、何もかもが変わってしまう。
だから、怖くてたまらない。
たった一言を言おうとするだけで、身がすくんでしまう。
ただ、西口を引き留めるだけで精一杯だ。
口が震えて、開かない。
声を出したくても、喉でつっかえる。
言わないと。
ここで言わないと。
でも言ってしまったら……。
「赤川、本当に大丈夫か」
「西口の事が、好きです」
ほんの少しだけど、声が出た。
声というか、音として聞こえているかも怪しいほどの小さい声。
彼の目を見て伝えた。
私の気持ちを。
「……ああ、俺も赤川の事が好きだぞ」
その言葉を聞いて、全身に熱がほとばしった。
苦しさはない。
幸せな温かさ。
「ほ、本当に……?」
不安や緊張から解き放たれて、張り詰めていた色んなものが緩む。
涙が止まらない。
「お、おい、なんで泣くんだ!? 本当に好きだぞ、当然だ」
「う、うう……あり、がとう……」
西口の胸に力一杯しがみつく。
今は少しでも、西口の近くにいたい。
ずっと、この温かさを感じていたい。
「お、おう? こちらこそ、ありがとな。嬉しかった」
「うん、うん……!」
怖かった。
本当に怖かった。
でも、言えてよかった。
伝えられてよかった。
友達よりもっと、特別な存在になれてよかった。
大丈夫。
西口とならきっと大丈夫。
何があっても大丈夫。
だって、私はこんなに西口が好きなんだから。
これからも、よろしくね。
ずっとずっと、よろしくね。
ここで過去編は終了です。