第5話 『好きだ』の一言
ボウリング場に着いてから思ったが、赤川の今の格好はワンピースだ。
体を動かし辛いんじゃないだろうか。配慮が足りなかったかもな。
でも、本人は楽しそうだった。
鼻歌を歌いながらボンリング球を撫でている。
赤川は体育とかは結構はりきるタイプだから、体を動かすのは好きなんだろうな、という俺の目論見は当たったようで一安心だ。
赤川が長くて綺麗な赤髪を髪留めで留める。
ボウリングやるのに邪魔になるだろうからな。
後頭部で髪を留めてポニーテールの形になると、赤川のうなじが見える。
女子って、普段隠れている部分が見えるだけでドキドキしてしまうのが不思議だ。
「そうだ、罰ゲームやらない?」
「面白そうだな」
何にしようか。
「負けた方が、勝った人の言う事を一回だけ何でも聞く」
「随分重い罰だな」
「無茶振りはしないから大丈夫よ」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「もう勝ったつもりか? 料理部を舐めるなよ」
「それ関係なくない?」
まあ、ボウリング得意ってわけじゃないがな。
ゲームスタートだ。
✳︎✳︎✳︎
……嘘、この子弱過ぎ?
赤川のボウリング玉は無情にも次々とガターに吸い込まれていった。
「うう……」
赤川がうなだれている横で、俺はスペアを取る。
段々かわいそうになってきた。
「どうして上手くいかないのよ。ボールが悪いのよ、ボールが」
ボールに八つ当たりを始めた。
「投げるフォームがよくないんじゃないのか。ちょっとボール持ってみろ」
少しむくれながらも素直に胸の前にボールを構えた。
赤川の後ろから、互いの腕を密着させて動きをシンクロさせる。
「あっ……」
「肩に力が入り過ぎだな」
「う、うん」
「よし、そのまま肩を支点にして腕を動かすんだ」
「あ、あのさ……」
「どうした」
「身体、くっつき過ぎ……」
俺の態勢が赤川の後ろから覆いかぶさるような形になっている形になっている事に気づく。
近い。
腕組みよりもさらに身体がくっついている面積が広い。
「す、すまん」
慌てて下がる。
何だこれは。身体全体が熱くなる。
苦しい。
……が、同時に心地よさもある。
「別に、いいけど」
赤川が俯いたまま言った。
怒らせてしまっただろうか。
赤川の顔を覗き込む。
「ひゃっ」
よく熟したトマトみたいに真っ赤になった顔があった。
それを見て、俺の身体はさらに熱を帯びる。
「だから、近いって」
「す、すまん」
どうしよう。身体の熱が収まらない。
「別に……嫌じゃ、ないけどさ」
控えめに赤川が声を絞り出す。
嫌じゃないってなんだ?
じゃあ抱きしめてしまっていいのか?
いかん、落ち着け俺。
その後は緊張し過ぎて俺もボウリング玉をガターに突っ込みまくり、グダグダの戦いになった。
✳︎✳︎✳︎
序盤リードしてたから、戦いには俺が勝利した。
「罰ゲームだな」
「さあ、私を滅茶苦茶にしちゃっていいわよ」
赤川がもじもじしながらチラチラ見てくる。
さて、『勝った言う事を一回だけ何でも聞く』……と言っても、すぐには思いつかんな。
「とりあえず保留でいいか?」
「えー、今決めてくれないとつまらないわよ」
不満そうに口を尖らせる。
じゃあ、適当なのでいいか。
「ジュース奢ってくれ」
「ちっさいわね。何でも言う事聞くのよ?」
「そうだ。だからジュースでもいいだろ」
「はいはい。まったく、西口はお人好しなんだから」
どうやら赤川的には拍子抜けだったようだが、ニヤニヤと表情を綻ばせていたから、ご機嫌ではあるだろう。
自販機からジュースを持って戻ってきた。
オレンジ味の炭酸ジュース。
「ねえ西口、ちょっとだけもらってもいい?」
俺にジュースを手渡す前にそう尋ねてきた。
「ああ、構わない」
「それじゃ、いただくわね」
ペットボトルの栓を開けると、プシュッとわずかに炭酸が漏れる音がする。
飲み口に、赤川のみずみずしい唇が触れる。
ってあれ? 俺もこのジュース飲むんだよな。
「はい、どうぞ」
栓を閉めてペットボトルを俺に突きつける。
「お、おう」
俺が手に取ったペットボトルは、赤川が先ほど口をつけたものだ。
これを飲むって事は、いわゆる間接キスになる。
くそ、あっさりOKするんじゃなかった。
こんなの気軽に飲めないじゃないか。
「……飲まないの?」
赤川は顔を紅潮させて、俺を下から覗き込む。
上目遣いの期待の眼差し。
赤川は間接キスを狙ってやったんだろうな。
ここは飲まなければ期待を裏切る事になる。
「ああ、飲むぞ」
喉渇いてるからな。
うん、それだけだ。
喉が渇いているから飲む。ごく自然な行為だ。
それ以外の意味なんてない。
結果的に間接キスになるだけだ。落ち着け俺。
ペットボトルの栓を開けて、飲み口が露出する。
わずかに濡れている飲み口。
テラテラと輝くのは、赤川の……その……唾液……だよな……。
ごくりと、思わず唾を飲む。
手が震えだす。
いかん。これではダメだ。
勢いでいけ、勢いで!
目をつぶって、一気にペットボトルを口に押し当てる。
俺は水分補給しているだけだ!
水分補給! 水分補給!
「ぷはっ」
飲んだ。
飲んじゃった。
「大丈夫?」
俺の息が荒くなってるのを赤川は心配してくれた。
「大丈夫だ、問題ない」
大丈夫じゃないし、問題だらけだ。
まあでも、赤川が嬉しそうだし、いいか。
「ねえ、もう一回やらない?」
「ああ」
気を取り直して、次のゲームを開始した。
✳︎✳︎✳︎
赤川と一緒にいるのは楽しい。
だからこそ、時間はあっという間に過ぎてしまう。
ボウリングの後、食事したり、少し買い物したり、本当にあっという間に感じた。
俺はついこの前まで知らなかった。
俺と赤川が恋人だなんて。
恐らく、赤川はちゃんと俺に告白してくれたんだ。ただ、俺がそれに気付けなかったんだろう。
だから今のところ、俺たちの関係は『偽物の恋人』だ。
だが、今の俺にははっきりと分かる。
俺も、赤川が好きなんだ。
友達としてだけじゃなく、一人の女の子として。
だから、ちゃんと気持ちを伝えよう。
『好きだ』って伝えよう。
そして、『本物の恋人』になろう。
それはこのデートの前から決意していた事だったが、より一層気持ちが強くなった。
「今日は、誘ってくれてありがとね」
夕焼けが綺麗な、別れの時間。
赤川の白いワンピース姿がほんのり赤く照らし出されて、とても綺麗だ。
「ああ」
明日は月曜日だ。
明日になればまた会えるのに、別れがとても惜しく感じる。
「また、明日ね」
赤川がにっこり笑って、手を振る。
「ちょっと待ってくれないか」
言わなければ。
『好きだ』って。
「……うん」
目の前の女の子。
ちょっと前まで友達としか思っていなかった女の子に、俺はもう夢中になっている。
恋人になりたい。
ちゃんと、恋人になりたい。
『好きだ』と伝えるんだ。
「どうしたの?」
「あのな……俺は……俺は、お前の事が……」
色んな感情が俺の中に渦巻く。
興奮、緊張、期待……そして、不安。
ここで『好きだ』と言ったら、もう後戻りは出来ないんだ。
もう、友達には戻れない。
本当に、恋人になるんだ。
俺は、上手くやっていけるのだろうか。
今は上手くやれているが、その先はどうだ。
俺は口数が少ないし、飽きられたらどうする。
俺は女心に自信ないし、傷つけてしまったらどうする。
恋人になれば、色んな事が変わる。
いいことはたくさんあるだろうが、悪い事もあるかもしれない。
友達としては見えなかった赤川の新しい姿がたくさん見れるだろうが、俺にとって嫌な姿があるのかもしれない。
それでも、もう友達には戻れない。
考えたくはないが、別れたとしても、それは形の上で友達に戻っただけで、心の中は別問題だ。
完全に元に戻るわけじゃない。
それでも、だ。
それでも俺は赤川と『本物の恋人』になりたいんだ。
言え。
『好きだ』と言うんだ。
俺はその覚悟をして来たはずだ。
一言、『好きだ』と言うんだ。
「……また、明日な」
俺は赤川の頭の上に手を置いて、そっと撫でた。
「……うん」
はにかんだ笑顔を見せる赤川。
俺はその笑顔に、罪悪感を募らせた。