『君』の話
初めての投稿です!
乱文失礼致します。
『私』の話を書きたいと思う。
けど、主語が『私』ではつらいから、『私』ではなく『君』と呼びたい。
ここに書かれる『君』の話は、本当かもしれないし、嘘かもしれないけれど──確かめようがないというのは、往々にしてよくあることだよね。
14歳の冬、君は父親になりたいと思った。
結論から書こう、それは叶わなかった。
君の両親は同い年。18歳で結婚した。軽音部で知り合ったのがきっかけさ。
18歳。あまりにも若い。まだまだ……まだまだ遊びたい盛りさ。
(君の母親となる人は、早くに家を出たかったんだってさ。ただ……二人がもう少し、見定める期間が長く設けていれば、きっと、心が幼いこの二人は結婚はせずに済んだのだと思う。)
君の、君たちの苦悩は、きっとここ。ここで定まっていたのかもしれないね。
知ってるかい? 君には本当はお兄さんがいたんだ。だが、彼は小さな町医者で産まれ、運悪く満足ではない設備の中で死んでしまった。
(そういえば、君は毎年の墓参りの日、普段は気の強い母親が泣いているのを見て、驚いていたね。)
両親がそろそろ三十路に入るかという頃、君は二番目の赤ん坊、生きているのとしては一人目として生まれて来た。(妊娠が発覚したのがずいぶん遅かったのだけれど、無理を言って大きな病院で産まれさせてもらったそうだよ。)
さて、幼い君に残る記憶は、大部分が両親のケンカで占められているのではないかと思うけど、どうかな?
君の母親は癇癪持ち、君の父親は家に帰るのを嫌う自由人、その上いわゆるメンヘラというタイプの女性によくもてていた。
両親が互いを尊重し、心穏やかに、仲良くしている姿など、たったの一回も見たことがなかった。
これはルーティンだったんだけど……母が父の不在を責めれば、父は母に怒鳴り返し、殴りかかる。そこで母は掃除機を投げつけて応酬する……大人同士の本気のケンカなんて、ふつうに生きていたら、なかなか見られない光景だったかもね。
父親が不在の時、母親は決まって君を殴った。
殴って、罵倒して、君でストレスを発散した。
「殴る手が止まらなくなったらゴメンね」これが、君への大人からの脅しの言葉。
(知ってる? これって、我慢を覚えられなかった大人が口にすることが多いんだってさ。ほら、遊びたい時期に、人々に揉まれることがなかったから。)
小学校に上がる前、君は布団の中で、枕に顔を押し付けて、声が漏れないようにして泣いていたね。泣けば、それに気付かれれば、「泣き止め」と殴られるから。鬼のような形相と、罵声と共に。
ああ、これはきっと些末なことなのだけれど、君の父親は、AVは画面映えを優先した、ある種のファンタジーであるということを知らなかったそうだね。
女性には前立腺がないというのに、アナルファックをしいたというエピソードは、ある意味でお似合いであった二人らしいと思うよ。(そんな顔をしないで、皮肉だから。)
不思議なことに、父親は君を殴らなかった。だから君は相対的に、父親のことが好きだった。
(父親は流行のゲームや、当時人気のあったハムスターなんかを買い与えていたね。君は彼にとって、玩具や安価なペットのように、愉快な存在だったのかもしれない。)
さてさて、君には年の離れた弟がいる。
彼が生まれる年、君は決意を固めた。
彼が殴られそうな時、身をていして彼を守るのだと。
子供のしつけに、体罰は不要だと証明するのだ、と。
どうしたって、彼の側にずっといることはできなかったけれど──それでも、彼はあの家にあって、うんと明るく育った。彼の友人は言うことだろう「彼は良い奴だ」と。ほら、未就学児の決意は正しかったんだ!
君が小学校に上がった時、ここまで来ればやっぱりという展開というか……君はいささか問題児だった。成績優秀な問題児という矛盾した存在だった。
だいたい、クラスに一人はガキ大将がいるけれど、君はその大将に立ち向かって行くタイプだった。
いじめられっ子の中には、君を応援する子が出てくる始末だ。
きっと大将たちは各家庭で問題を抱えていて、君はそこに、ある種の共鳴をしてしまっていたのかもしれないね。
(だって君、中学に上がる頃には、そうした大将肌と、互いに珍しいものを見るような形で、クラスの一員同士で打ち解けていたじゃないか。)
家庭の中では一人の大人が際限なく殴りかかってくる。だから家庭の外で、多種多様な人々の中で散発的なトラブルとぶつかっていた方がラク──当時の君はそう考えて学校に通い通したけど、今振り返ると、けっこうな労力だったと思う。
14歳の冬、君の両親は離婚した。
混乱の時期、父親の不倫相手と、その子供宛の手紙を見かけた時は、予想はしてたけど、残念な気持ちになったよね。
君は、子供という枠を越えて、父親になろうと必死だった──それは無意識だったのだけど。
幼い弟の遊びの相手をした。成長してからは、大学で学んだことを教えた。(父親との思い出の一つが、核兵器が落ちた時の対処法だったから。君と父親を繋げたのはそういった知識だけだったのかもしれないね。ちなみに、解決策は水で洗い流すとのことだった。)
母親の浪費を叱り、近所のスーパーを回っては、安い食材を押さえた。こうすれば良いのだと伝えたくて。(伝わる日が来ることは一回もなかった。)
君は朝から日暮れまで働きながら、大学に通った。両親が知らない世界を、君は知りたかったから。
何度も、何度も、キャンパスの中で思った。
なんて平和なんだろう──親に殴られていた、あの日々はなんだったんだろうって。(やっと、解放されたんだと実感したんだね。その時は虚しさが胸を占めていたけれど……。)
お情けで卒業させてもらった身ではあるけれど、人生の中で有意義な時間だったんだと思う。君は外国文学の傍ら心理学を学んで、虚しさや苦しさの原因を少しずつ掴み、そして同じような境遇の友人と出逢った。
母親に必要とされたくて、父親に成り代わろうとしていたけれど、それは土台無理な話だった。一人の人に代わりはいない。そういった意味で無意味な願望でもあった。
君が君の人生を歩めることを、誰かの身代わりをつとめないことを、君が君自身の幸せを望めることを──私は願おう。
ありがとうございました。