83.森内部 16 ~清き乙女、レインリリー~
「あ~……………。うん、ごめん、たぶん俺の聞き間違いだと思うんだけど、レインリリーの十七才に成長した姿になれって言った?」
十四名のはっと息を呑む音が重なった。
「さ、先駆けて、天姫様の成長したお姿を、拝める……!?」
「嘘だろ……」
「調査に参加できて良かった……っっ」
外野がうるさい。呑気なこと言いやがって。
俺にとっては心を抉る事態なんだぞ! 本来は徐々に女の身であることに慣れていくはずのプロセスを一気にすっ飛ばすんだ。俺の中の男の部分が大量に死滅しちゃうじゃないか! 俺はまだまだ男でいたいのに!
『聞き間違いじゃないよ。十七才の乙女になって、リリー』
い! や! だぁぁぁぁぁ―――――っっ!!
「五歳児のレインリリーじゃ駄目なのか!?」
『リリーは効率性より自尊心の方が大事?』
「致命傷の勢いで抉ってくるな、ナーガ………」
魔素には早々に戻ってもらわなきゃならない。そのためには戻ってもいいと思える環境を整えなくてはならない。
森の状況も加味すれば、効率化を選ばない理由はない。それが俺の男の部分を大量虐殺するものでなければだが。
残念ながら俺の心を慮っている場合ではないことは重々承知だ。無駄な抵抗だということも分かっている。
アレンを筆頭に、一様に多大なる期待を込めた眼差しでじっとこちらを見つめてくる。目は口ほどに物を言うとはこの事かとばかりに、皆の目力と圧が強い。
ちくしょう、見せ物じゃねえぞ!!
苦り切った顔で十二分に身悶えた後、虚脱してうんざりと口を開いた。
「………………………わかった。十七才のレインリリーだな。でも俺には未来視なんて能力備わってないから、成長具合をどう想像すればいいかわかんねえぞ。過去を思い描けばよかった浩介とは勝手が違う。お母様のお姿を参考にすればいいのか?」
『あ、それは大丈夫。ナーガが知ってるから、ナーガが転化させてあげる』
「は?」
『ちゃんと未来のリリーの姿だから心配いらないよ。ナーガに任せて』
「いやいやいやいや。任せてって。いや任せるけども。俺の未来? 知ってるの?」
『知ってるよ? まあ何を選択するかによって未来は変わるから、分岐の一つを引っ張り出すってことだけど』
それは当然だ。本来未来は確定していない。人の選択の数だけ未来は存在するはずなのだから。
その意味は分かるけども。俺が言いたいのはそこじゃなくて。
「正真正銘、未来の十七才のレインリリーの姿を、ナーガは知ってるってことか?」
『うん。知ってる』
「じゃあもうそれは想像じゃなくて本物じゃん」
『そうだよ? だから任せてって言ったんだ』
マジか。こ、心の準備が。
ついていたはずのものを喪失した現実には何とか慣れてきたが、ついていなかったものが急に備わってしまうとダメージがデカい。
お母様の豊満な胸を思い出して、ゾッとした。あの遺伝子を受け継いでいるのだ。未来の俺が豊満でない可能性は低いんじゃないのか?
―――嫌だ知りたくないし見たくない!
『選択によって未来は変わるけど、本当の意味では何一つ変わらないから、リリーの姿も一つしか存在しないんだけど』
「うん?」
『ナーガがイメージと負荷を担うから、リリーは目を閉じて待ってるだけでいいよ。じゃあ早速やろうか』
「いきなりか!?」
『心の準備が必要? 時間は有限なのに?』
「くそう、ナーガが優しくない………。ああもう、いいよっ。腹を括る! 一思いにやってくれ!」
『潔いけど、死んだりはしないからね?』
「俺の繊細な男の部分は確実に死ぬからな!?」
『リリーは女の子だから、小鳥遊浩介の人格が薄れてしまっても問題はないんだよ?』
「それ、似たようなことをお兄様にも言われた………いいからやってくれ」
がっくりと項垂れる俺から離れて、ナーガは宙を泳ぐようにくねくねと胴体をくねらせながら前方へ回った。ナーガの金色の双眸が煌めくと、俺を囲んで黄金の魔法陣が展開する。
背中に流れる豊かな髪の感触と、体重の減少、骨格や筋肉が細く創り変えられていく感覚がした。柔らかくしなやかな肢体に転化したのだと、目を瞑っていてもわかる。
『はい、完成。とっても綺麗だよ、リリー』
ナーガの称賛にゆっくりと目を開ける。
浩介よりずいぶんと目線の高さが下がった。その証拠に、今までほぼ同じ高さで視線が交わされていたアレンたちを、現在は見上げる形になっている。それでもアレンの鼻の位置に頭が来るから、女性にしては少し高い方だと思う。
確認のためにじっとアレンを見つめていたせいか、アレンの顔が見る間に真っ赤に染まった。まあ、お母様に似ている自覚はあったので、きっとお母様みたいに匂い立つような美女になっているのだろう。なんて胃の痛い……。
確かめるまでもなく、未来のレインリリーが豊満であることはずしりと肩にかかる重みでわかる。
浩介が中学生の頃、地域医療現場体験をした際に装着した妊婦体験ジャケットを思い出す。あの時は七キロほどの重石がジャケットの腹に入っていたわけだが、あれにはしっかりと胸もついていた。肩と腰に何か取り憑いたんじゃないかってくらいずっしりときたんだよなぁ。
母はこうして俺たち兄妹を育んでくれたのかと、在りし日の母の苦労の一部を追体験したものだ。
現在はアラベラお母様がまさにその苦労をされている最中だ。命を懸けて産んでくださった恩返しのためにも、もっと労って差し上げなければ。
「お嬢様………とてもお美しいです」
アレンが頬を染めたまま、蕩けるような笑みを浮かべてそんなことを言う。
「あ、ありがとう、アレン………」
お礼を口にして、はっと瞠目した。皆は一様にほぅ、と惚けたため息を吐く。
紡いだ声は透き通っていて、とても耳に心地よかった。お母様とはまた違う、透明感のある声だ。成長したレインリリーの声はこんな感じなのかと、何とも言えないむず痒さを覚えた。
いずれ遠くない未来に、男性的特徴は完全に喪失してしまうんだな……そう思うと、物悲しい痛みが胸に去来した。
うっとりと見つめてくるのはアレンだけでなく、ノエルや騎士たち、ニールまでもががっちり視線を逸らさない。ザカリーだけは滂沱の涙を流しながら、天に召されるが如く満ち足りた満面の笑みを湛えているが。
ザカリーは特殊だ。放置しておこう。
『リリー。足運びの基本は禹歩でいいけど、リリーにやってもらうのは神招きの浄めだから、その点は禹歩とまったく違うんだ。やれる?』
ナーガの言葉にはたと瞬いて、神招き?と眉をひそめた。
「神招きってどういうこと? 呼び戻す魔素たち、すなわち聖霊たちは神と同一であるとされているから神招きなの? それとも本当に神が降臨なさるの?」
質問してかなり違和感を覚えた。どういう訳か、女性よりの言葉遣いが自然と口を衝いて出てしまう。浩介はどこへ行った!?
『神の一部が降りることになるね。今からリリーが発動するのは、聖属性じゃなくて神属性だから』
くっと目を見開いた。
それって紛れもない神憑りなんじゃないの。神様の一部が降りるって、つまりは純粋な神力がこの身を介して神属性を発動するってことでしょ? 人の身で耐えられるの!?
唖然と驚愕に固まる顔を見て、ナーガが事も無げに首肯する。
『大丈夫大丈夫』
それさっきも言ったよね? 精獣との契約は、一般人だと即死レベルのヤバイやつだったってパターンと一緒じゃん。神様しか扱えないから神属性なんじゃないの。その一部と言えど、苛烈な力がこの身を通じて森に影響をもたらすって、精獣との契約以上に即死どころか一瞬で塵になりそうな危険な香りしかしないんだけど!?
『ならないから。リリーはならないから』
「他の人間だとそうなるって聞こえるんだけど!」
『そこはほら、リリーは神の使徒だから』
「それで括ってしまえるほど軽い問題じゃないからね!?」
『大丈夫だってば。ちょっとキラキラしちゃうけど、問題ないよ』
「ちょっとキラキラって何!?」
全身黄金色に染まるの!? 最早それって黄金の像じゃね!? 人間じゃなくね!?
『はいはい。じゃあサクッと行くよ~』
一度空中でくるんと回転し、無理やり会話をぶった切る。
「ナーガが冷たい………」
最大の癒しにすげなく扱われてよろりとよろめいた体を、一番近くにいたアレンが咄嗟に支えてくれた。
舌打ちや歯軋りが至る所から聴こえるけど、「森の浄化も終わってないのに、しっかりしろよ」と叱責されたと認識して、気を引き締め直す。確かにナーガとじゃれ合ってる場合じゃないものね。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと儚んだだけだから、気にしないで」
そう応えつつ、腰と背に回された腕がまったく緩まないことに訝る視線を向けた。支えてくれたのは有難いけど、そろそろ離してくれないかな。密着し過ぎていて、これは支えるというより抱き締めている状況じゃないか。
「アレン、もう平気だから離して」
「またよろついてしまわれるかもしれません。今しばらくは私を支えとなさってください」
「え。いや、大丈夫だから」
「きっとまだ、女性の肉体に慣れていらっしゃらないのですよ」
「そうね、でも」
「大旦那様ともお約束しましたでしょう? 傷一つつけることなく無事に帰還なさると」
「ええ、約束したわ。でもね」
「私は貴女の護衛騎士ですから。どんな些細なことからも全力でお守りする義務がございます」
「まあ……そうね」
「ええ。そうです」
なら仕方ないのか? そんな混乱にも似た納得を無理やりさせられそうになったところで、ザカリーから冷静な指摘が入った。
「無闇にお体に触れるものではないぞ、アレン。稚いお姿であられる場合とはまったく状況が違う。そのように無遠慮に触れるのは不敬だろう。いい加減解放して差し上げろ。これから浄化をされるのに、お前がその邪魔をしてどうする」
まったく以てその通り! 目から鱗が落ちたとばかりにはっと瞠目した。ノエルや騎士たちも眉をひそめたままザカリーに同意を示す。
チッと隠すことなく不機嫌な顔で舌打ちしたアレンは、ご無礼致しましたと頭を下げた。え? いま舌打ちした?
いつも冷静沈着で穏やかなアレンらしくなくて唖然としたけど、絡んでいた腕が離れてホッと息を吐く。
さて。本題だ。
「ナーガ。神招きを教えて」
『神招きの基本は禹歩と同様足運びが重要。加えて腕の振りも重要になる。左足を一歩前へ出し、右足を引き寄せ左足より一歩前へ出して、左足を引き寄せ、右足に揃えて止める。右足を一歩前へ出し、左足を引き寄せ、右足より一歩前へ出して、右足を左足に揃えて止める。これを繰り返すのが禹歩なのは知ってるよね?』
「ええ。知ってるわ」
『禹歩よりもう少し舞いに近いのが神招き。ほんのりスローワルツに似ているかな?』
「スローワルツ………」
一応上位貴族令嬢の嗜みとしてお兄様をお相手に研鑽を重ねてはいるけど、得意な訳ではない。先生に筋がいいとお褒め頂いて有頂天になるほど純真無垢でもない。社交辞令なのは分かっているし。
苦虫を噛み潰したような顔をしていると、ナーガがこくりと頷いた。
『禹歩とスローワルツが踊れるリリーなら、問題なく神招きの舞いを奉納できるよ』
「あ、やっぱり奉納なのね。しかも舞い。巫女神楽のようなものだと認識して間違いないのでは?」
『ん~。まあ、そうだね。その方がリリーには想像しやすいか』
「ええ。それだと理解できるわ。この腕に巻かれた鈴の領巾は、巫女舞に使われる手鈴の五色の鈴緒のようなものでしょう?」
ナーガが着せた衣装は、薄い白絹を重ねたローブデコルテドレスで、光の加減によっては白銀に煌めく刺繍が全体に施されているのがわかる。一見無地に見えるけど、陽光の差すこの場であれば繊細な光を纏ったように見えるかもしれない。
これは巫女装束の白衣にあたるものだと思う。さすがに緋袴に相当する差し色はない。ハイウエストで結ばれた白絹は、引き摺るほどに長い裾に垂らされていて、薄絹を重ねた裾が大きく広がらない作りになっている。
緩く編み込まれたハーフアップに真珠で出来たエレノアの花のヘッドドレスが咲き、額には湖底を雫の形に固めたようなサークレットがかかる。
唯一差し色があるとすれば、この一つだろう。
剥き出しのデコルテには装飾品は一つもなく、胸の膨らみの上部が目立って仕方ない。これこそお爺様に扇情的だと言われてしまうような衣装だった。
『そうだね。視覚と聴覚で舞いの美しさを際立たせるための装いだから、その見識で間違ってないよ。さあ、そろそろ神招きを始めよう。リリーには、すでに分かっているはずだから』
その指摘に、そっと嘆息した。
そのとおりだった。
ブクマ登録&評価ありがとうございます:*(〃∇〃人)*:
次話はようやく森の浄化に着手します。
あと3話前後で北区ヴァルツァトラウム編終了です。
第五章も終了し、新章へ突入致しますo(・ω・o)
果たしてユーインお兄様はレインリリーに再会できるのか……?
すれ違ったらすれ違ったで面白い……(((*≧艸≦)ププッ