77.森内部 10
ニクバエを、刀に付与した聖属性で浄化するのは得策ではないとナーガは言った。では聖属性結界に閉じ込めたまま火魔法で焼却するか、万物流転で無に帰すか、選択肢は二つしかない。とは言っても、今の俺には火属性は使えないから、万物流転の一択になってしまうのだが。
「ナーガ。触媒の浄化は聖属性で出来るのか?」
『出来るか出来ないかで言えば、出来る』
「でもそれも得策じゃないって訳か。じゃあ万物流転は?」
『完全に滅却するという意味でなら、それが一番だね』
その言い回しでは、万物流転でさえも最善策ではないということになる。
「……………」
ナーガは言っていたよな、呪いの大本は叩かなければいけないと。そして、最初に植えつけられた痕跡を探し、それを抹消する必要がある、と。
―――――抹消。
そのままの意味なら、確かに万物流転が一番手っ取り早い。でもそれじゃ完璧じゃないと、ナーガは言いたいのだろう。
何が足りない? ナーガの言う滅却と抹消の違いって何なんだ。
聖属性結界の浄化作用にあてられ、弱っている捕らわれの身のニクバエをじっと観察して、ふと違和感を覚えた。
ニクバエの腹部に、何かある。
黄金の結界匣を引き寄せ、ゆっくり回転させながら裏を見た。
すでに飛ぶ力も失くしているニクバエは、傾けても動く気配はない。聖属性浄化結界で衰弱するなら、このニクバエは不浄を振り撒く者ではなく、その身こそ不浄であるという証拠だ。
「……………腹部に何かあるな」
「何か、とは?」
専属護衛三人も同じく裏を覗き込む。
「これは………何でしょうか。何か模様にも見えますが……」
「こんな模様の蝿なんていたか?」
「痣じゃないのか?」
アレン、ノエル、ザカリーの順に疑問を口にする。それを受けて、俺はどちらも違うと感じた。
「小さすぎて判然としないが、たぶんこれは……」
ひやりと背中を氷塊が滑り落ちた気がした。
拡大して細部を確認しなければ断定はできないが、恐らく間違いじゃないだろう。これは。
「魔法陣だ………」
「えっ!?」
俺の戦慄した呟きに、皆が一様に目を見開いた。
そう、ニクバエの腹部の裏側に、極小化された紫黒の魔法陣が描かれているのだ。
刺青のように彫られているのか、それとも転写させているだけなのか。どちらであっても顕微鏡や極小化の技術がなければ難しい。
まさか、と嫌な予感が過った。
俺の黒髪、アバークロンビーのお婆様の血筋や、じっちゃん―――本郷主税氏の例もある。転生者、もしくは転移者が他にもいる可能性は否定できない。
もし、もしも、神様が俺やじっちゃんの他にも地球の人間を、或いは俺の知らない世界から転生や転移をさせた者がいたとしたら。保有する知識を、俺が懸念した戦争という形でこの世界のどこかの国で広めているのだとしたら。
過るのは、王都邸の習練場でたった一度だけ創造してみせた、あの水素爆弾だ。
俺のような特殊な力を授けられないかぎり、水素爆弾を今すぐに作り出すということはまず不可能だ。しかし、作る知識があり、材料をこの世界で見つけることが出来ていたら………少なくとも火薬を作り出すことが出来れば、爆弾だけでなく銃や大砲だって大量生産できる。戦車や戦闘機だって知識と技術があれば量産可能だ。そうなれば、魔法が使えずとも戦争はできる。地球で繰り返されてきた大規模戦争の幕開けだ。
その可能性に思い当たり、俺は血の気が引いた。
環境を壊し、大量殺戮できる兵器を利益追求のために平気で生み出せる人間が、この世界に転生ないし転移しているかもしれない。
俺やじっちゃんのように、ただ世界の発展のために、生活の質向上のために貢献するような、そんな人物ばかりがこちらへ招かれているとは限らないことに、ようやく今頃になって思い至った。
そして、地球より発達した世界から招かれていた場合、俺の想像の追いつかない知識と技術がもたらされているのかもしれないのだ。
はっと弾かれたように周囲を見渡した。
「コウスケ様?」
アレンの呼び掛けに応えず、視覚で見える範囲を警戒する。目視できる範囲にそれらしきものは発見出来ない。
落ち着け。焦るな。目視が駄目なら探知を使えばいい。
ドクドクと脈打つ己の心臓の音がやけに耳に響く。
同じ地球出身者だと仮定して、こちらを観察、または監視しているとすると、目の代わりになるものを寄越しているはずだ。
どこまで見られた? レインリリーと浩介が同一人物であることも知られたか? 創造魔法と聖属性魔法も知られたかもしれない。ナーガの存在だって。
こちらからは何一つ正体を掴めていないのに、こちらの情報は筒抜けだった可能性もある。
情報伝達速度の優位性があると、あちらは早急に企みを看破されたとは気づいておらず、また後手に回されていた状況を覆せると、お爺様とそんなことを話していた。それさえも甘い見積もりだったとしたら、俺はなんて馬鹿なんだ。
索敵魔法を展開する。感応速度を重視するため、探知する対象は一点のみだ。
小型で小回りがきいて、遠隔操作、または自動操縦ができる、空撮機能が搭載されたドローン。
地球出身者なら、偵察用にまず思いつくのはこれだろう。
ドローンは自作しようと思えば作れる。俺はその知識を持っていないが、恐らくじっちゃんなら概要さえ掴めればドローンを作れるだろう。
じっちゃんの頭脳と技術なら、フレーム、フライトコントローラー、モーターとスピードコントローラー、ローター、バッテリー、受信機、トランスミッター、FPVゴーグル、分電盤、ケーブルなども、材料さえあれば一から作れるはずだ。
それが可能な人物が、今回の触媒生産に荷担していたならば、俺では思いつかない技術や使い方をしているのかもしれない。
そこに気づくのが遅れた。痛恨の極みだ。
この世界の人間に気づけと言う方が無理があるのだ。だからこそ俺が気づかなきゃいけなかったのにっ。
白く表示された探知対象、ドローンに酷似した能力を有する飛行物体はすぐに感知された。
探知範囲を森全体と、お爺様や両騎士団が待機する第二防衛ラインにまで拡大したが、見つかったのは一ヶ所。子ドラゴンから十五メートルほど離れた位置だ。
ほっと安堵すると同時に、知らず子ドラゴンに接近し情報を盗み見されていたかもしれない可能性にひやりとした。
神眼を索敵魔法に同期し、飛行物体を視認する。
浮かんでいたのは掌に乗るほどの小さな物体。ホビー用ドローンに似ている。これで監視している人間、或いは技術提供者が地球出身者である可能性が高くなった。
全く未知のものでなかったことは不幸中の幸いだった。地球の他の、より高度なテクノロジーを持った異世界人が相手だった場合、俺程度の頭では太刀打ちできない。
電撃を落として機能停止を試みるか……いや、その場合金属のシールドに守られて、バッテリーは生き残る可能性がある。バッテリーが生きていれば、操作は不可能でも映像や記録は引き出せる。こちらの顔ぶれや情報は小さなことでも渡したくない。
ともすれば、雷撃は悪手だ。でも破壊はしたくない。内部を調べて、どの国が仕掛けているのか精査する必要がある。
遠隔操作、ないし自動操縦、内臓バッテリーだけを停止、凍結したい。じっちゃんならば解体して調べられるはずだ。
「コウスケ様?」
今一度アレンが呼ぶ。
俺は早鐘を打つうるさい心臓の音を抑えるように、努めてゆっくりと深呼吸した。
「―――――監視されている」
「!?」
ざわっとどよめき、全員が陣形を固め直し警戒を強めた。四方に視線を走らせながら、どういうことかと一様に問う視線が向けられる。
「監視とは、どういうことです。一体どこから」
「こちらの世界にはない技術を使った偵察機だ。子ドラゴンの近くに一機、森に潜んで浮遊している」
俺の言葉に全員が目を見開いた。
あの場から動かないのは何故だ。偵察機が一機だけだというのも違和感を覚える。
ニクバエを使って子ドラゴンを呪いの宿主にして、ラスロールに飛び火。親ドラゴンから逃げたことで魔物のスタンピードが引き起こされ、南下した。魔物を追うように親ドラゴンも南下し、ヴァルツァトラウムの街が脅威に晒された。
ヴァルツァトラウムとエスカペイド両騎士団の戦闘も含めて、監視するべき箇所は大いにあった。なのに、ドローンに模した偵察機は子ドラゴンの傍らに一機だけ。
俺はまだ何かを見落としているのか?
見えない蜘蛛の糸に捕らわれているようで、それが何とも不快で俺の胃の腑をきゅうっと締め付けた。
ブクマ登録&評価&感想ありがとうございます!
たくさんのパワーを頂いております(*>∀<*)
なかなか年齢と恋愛が進まずヤキモキされている方もいらっしゃると思います。
ごめんなさいm(。≧Д≦。)m
作中では、五歳というお披露目を終えた年はかなり大きな節目で、今後の流れの大きなターニングポイントになります。
このあたりをしっかりと書いてから、物語を進めていきたいと思っております。
具体的な話数は明言できませんが、もうしばらくお付き合い頂ければと思います。
一言だけ申し上げるなら、「イルはそんなに簡単に諦めるような性格してないよ!」ということです(*`艸´)