76.森内部 9
不快な表現が含まれていますので、お食事の時間帯は避けてくださいm(。≧Д≦。)m
「ルギエル アルトグラント エモル アギリテ」
三重の金の魔法陣が十四本の剣をそれぞれに包み、吸収されていった。聖属性解呪魔法の付与で、先刻ラスロールの呪いを斬った俺の刀に付与したものと同じものだ。
「ルギエル アルトグラント エモル プリナーオス」
俺を含めた十五名とラスロールの足下から魔法陣が伸び上がり、金色の薄い膜を纏うような結界が各々に張られる。全身が淡く発光するような光景は、事情を知る両騎士団以外に目撃されたくはない、かなり異様な出で立ちだった。
「魔力をより繊細に練り込んであるので、余程のことがない限り各自に張った聖結界が破壊されることはないと思いますが、過信は危険です。出来るだけ呪いには触れないよう、厳重な警戒を心掛けて挑んでください。それから、皆さんの剣はすでに呪いを解呪出来ます。解呪に対しては恐れることなく呪いを斬り祓ってください」
「「「「「はっ!!」」」」」
「前言したとおり、私を守る必要はありません。皆さんには私の背中を託します」
「お任せください。殿はエスカペイド騎士団が担います」
「では露払いは我らヴァルツァトラウム騎士団にお任せを! 天姫様は真っ直ぐにドラゴンを目指して頂きたい」
「ありがとう。助かります」
「「勿体無きお言葉……!」」
エスカペイド騎士団一番隊隊長、ルシアン・エインズワースと、ヴァルツァトラウム騎士団団長のテレンス・オールディスが応えてくれる。
両騎士団の面々も、先刻まで見せていたドラゴンへの恐怖心は鳴りを潜め、一転してやる気に満ちた熱い視線を返してきた。
対処できる術を得たことが自信に繋がったのかは分からないが、意図せず鼓舞できたことは幸いだった。
逆に躊躇いを抱えているのは俺の方だ。
大本は直接叩かなきゃいけない―――確かにナーガはそう言った。呪いの媒体にされている本体は斬る必要があると………。
望んで呪いを強化し、拡散しているわけじゃないはずの生物を、問答無用で切り捨ててしまうなんて嫌だな―――そう懸念した通りの状況だ。さらに媒体化した生物がドラゴンの赤ん坊で、俺にはあの子の親を討伐したという負い目がある。
本当に斬るしかないのか……。
『斬る必要があるよ』
俺の葛藤に正確な返答がなされる。
『殺したくない』
『殺す必要があるとは言ってないよ』
『………は? でも大本は叩かないといけないって言ったのはナーガだろ?』
『言ったけど、殺すべきだとは一言も言ってないよ?』
確かにそうだ。言ってない。
俺が勝手に誇張解釈していただけ、か……?
覚えず脱力してしまう俺に、ナーガは更に続けた。
『どうするか決めるのはリリーだよ。ナーガはリリーのメンターであって、それ以上の役割を持たない。決定権は常にリリーにある。殺さないと決めたのはリリーなんだから、そうすればいい』
俺の命に関わることだった場合に、何度か口を挟んできたことはある。でもそれ以外だと、ナーガは積極的に助言しない。俺が疑問を抱いた発問に対しては情報開示してくれるが、節目節目の決断では一切助言しなかった。
ナーガの言うとおり、決定権は常に俺にある。ナーガにないのではなく、ナーガは干渉しないだけ。その線引きがはっきりしていないので、あくまで仮定の話ではあるのだが。
『殺さなくていいなら、どこをどの程度斬ればいいんだ』
『最初に植えつけられた痕跡を探して、それを抹消すること。連結する呪いは身体の一部に根を張っているから、それを断ち切ること』
「最初に植えつけられた痕跡の抹消と、それに連結する根を子ドラゴンから断ち切る………」
呪いを媒介しているのは子ドラゴンの肉体だが、本体とも言える呪いの根源は別にあるってことか。
『そのとおり。じゃあ、リリー。どっちを先に処理する?』
どっちを………。
子ドラゴンの身体に猶予はない。早々に呪いを断ち切り、浄化と回復を同時に行わなければならない。
同じく起動装置である触媒も放置出来ない。これがある限り子ドラゴンのアンデッド化は止められないだろう。異常な速さで細胞が変質しているのだ。反応速度に影響しているなら、こちらを叩くのは最優先だ。
ではどうするべきか。何が最善なのか。
「……………」
一人では手が足りないと、そう考えたのは他でもない俺自身だ。蠢く呪いの鎖が邪魔で、子ドラゴンまでの距離に対峙する数が多すぎる。
両騎士団とニール、俺専属護衛三人が露払いと殿を務めてくれる。武器に聖属性浄化魔法を付与したから、大半の呪いは引き受けてくれるはずだ。
残る問題は一つ。
ナーガの指摘した、処理の優先順位。
出来るか出来ないかは別として、考えていることはある。
「まずは子ドラゴンの根を絶つ。ラスロールのように浄化と回復を行いつつ触媒を探知、破壊する」
俺の言葉を受けて、面々はこくりと首肯した。ナーガも小さな頭で頷く。
『それがリリーの決めたことならば』
可否の判断は俺の役目。判断が合っていたか間違っていたかは、駒を進めてみなければ分からない。答え合わせは結果が示してくれる。
「教えてくれ、ナーガ。触媒は斬れるのか?」
『斬ることなら出来る』
「それは、斬ったところで、と続くか?」
『答えは“是“』
「刀での解呪は最善ではないんだな?」
そうなると、解呪の方法如何では時間がかかりすぎる可能性もある。根を絶ってしまえば反応速度を落とせるとは思うが、時間がかかればその分浄化と回復も遅れる。子ドラゴンの体力があとどれほど持つのか分からない以上、時間をかけるやり方は悪手だろう。
すでに身体中至る所に蛆と卵を発生させている。臓器をやられれば一巻の終わりだ。
「……………?」
なんだ? 何か引っ掛かる。
焦眉の急だというのに、今度は何に気を取られているんだ?
神眼を通して視ている子ドラゴンはぴくりとも動かない。骨だけになった翼や尾など、治癒魔法でどこまで復元できるだろうか………。すでに意識はないのか、それともラスロールのようにひたすら耐え続けているのか。どちらであっても一刻を争う状況であることに変わりはない。直ぐ様行動に移らなければいけないのに、俺は何に気を散らしている?
腐った肉や体液は必ず取り除かなきゃならない。真新しい健康な筋繊維も腱も血管も神経も、細胞一つ一つを丁寧に再生し、今後の成長に不具合を起こさないよう完治させなければ。
浄化で呪いは祓えても、腐った肉を甦らせることは出来ない。湧いた蛆やその卵も不浄ではないので、当然浄化魔法は効かない。取り除くならば、焼き殺す以外の手段は万物流転しかないのだ。
マゴットセラピーという、バクテリアなどで腐敗した体組織を蛆に食べさせ、感染症を防ぐ壊疽治療がある。成虫は別だが、蛆そのものは不浄とは言いきれない。
そこまで沈思黙考して、唐突にはたと気づいた。
そうだ。どうして。
「―――――何で蛆は呪いにかかっていない?」
俺の呟きは、その場にいる全員を瞠目させた。
言われてみれば、と溢す者や、どういうことだと訝る者もいる。専属護衛三人はただじっと俺を見つめ、俺が答えを出すまで待ってくれている。
ラスロールに巣食っていた蛆も呪いにかかっていなかった。呪いの探知に蛆は引っ掛からないのだ。
浄化作用を持つ植物を糧にしている被食虫でさえ呪いに侵されていた。腐肉に寄生する蛆が、呪いに侵された肉を食んで無事なのは何故だ。
一つ、思い当たることがあった。それに気づいた瞬間、俺はひゅっと息を呑んだ。ぞわりと肌が粟立ち、同時に激しい怒りが噴き出しそうになる。
「………ナーガ。蠱毒、と言っていたよな?」
俺を見つめていたナーガの金の双眸がきらりと光る。
「コウスケ様。それはどういう意味ですか」
じっと待っていた専属護衛を代表して、アレンが発問した。
「蠱物の毒と書いて、蠱毒と言う。俺が生きた前世の世界で、人を呪い殺すために用いられた古代の呪術だ」
「呪い殺すための呪術……」
「蛙や爬虫類、虫を壺の中に閉じ込め、共食いをさせる。最後に残った一匹の毒を使い、料理や酒に混ぜて人を殺す凶悪な呪術だよ」
「そんなものが………その蠱毒とやらが、今回使われたと?」
「少なくとも似た術であることは間違いないだろう。子ドラゴンが呪いの強化と拡散を担う媒体であることに違いはないが、子ドラゴンに呪いを植えつけた触媒は別にいる」
え、と一同の顔が強張る中、俺は魔力を今までの五倍消費して、薄く広範囲に拡張していく。探知する目標は触媒。索敵範囲は直径二十キロの半球体。移動距離はこれくらいだったはずだ。あくまで今日ここから移動していれば、になってしまうが。
俺はとんでもない見落としをしていた。問題は子ドラゴンではなかった。
もっと早く気づいていれば。どうか手遅れにだけはならないでくれ。
「ラスロール。お前が幼虫を産みつけられた時期はいつ頃か分かるか? 俺達が来るまでに五日以上経過していたか?」
問われたラスロールは首を左右に振った。
「足に蛆が湧いたのは今日?」
こくりと頷く。ひとまずほっと安堵の息を吐く。
「子ドラゴンに蛆が湧いた時期は分かるか?」
再び首肯する。よし、いいぞ!
「五日前? それより長い? 六日? 違うのか。じゃあ短いんだな? 四日前? 四日前なのか?」
首肯するラスロールにひやりとした。
首の皮一枚繋がった、と判断するのはまだ早い。五日経っていたら相当ヤバいことになっていたが、四日はかなりグレーゾーンだ。
二十キロ圏内に生きた反応が一つだけあった。ここから十二キロの距離を移動中だ。
「コウスケ様? 我々にもお教えください」
アレンの言葉に全員が固唾を呑んで見守っている。
俺は逸る気持ちを抑え込みながら、出来るかぎり要点だけを伝えた。
触媒は焦眉の急を告げている。子ドラゴンの命の刻限も近い。一刻を争う事態であるのは変わっていないのだ。何をおいても時間が惜しい。
「恐らくは、呪いの触媒は蠱毒に似た呪術により生き残った、雌のニクバエだ」
「蝿、ですか」
「蠱毒により生き残るのは一匹。卵が産みつけられていたことで勘違いをしていたが、ニクバエは卵を産まない。産むのはイエバエ類で、ニクバエは卵胎生だ。雌の胎内で孵化し、蛆の姿で産まれてくる。卵から孵っていない蛆はイエバエ類の幼虫で、憶測になるが、孵化していないことで今はまだ呪いの脅威から守られているのかもしれない」
結果論に過ぎないが、観察力が足りていなかった。
「ルギエル レモーラ プリナーオス」
索敵魔法で捉えている十二キロ先を移動中の触媒に対し、聖属性結界魔法を遠隔でかける。逃がすものか。
「ラング カスティーリア フォート ラキ」
突如俺の前に現れた金色の結界にどよめきが起こる。
「コウスケ様、これはっ」
「件の触媒だよ」
掌に乗るほどの小さな正方形の結界が宙を漂い、それを全員が唖然と見つめた。中には十五ミリほどの大きな蝿が閉じ込められている。
十二キロ先を飛行していたニクバエを、遠隔で聖属性結界魔法で閉じ込め、創造魔法で転送を行った。上手くいってよかった。
「これを始末すれば、あとは」
「ああ。でも問題は、子ドラゴンの腐肉に寄生するニクバエの蛆がすべて成虫になれば、爆発的に呪いが世界中に拡散されるということだ」
ラスロールの生きながらに侵食されていく様を目の当たりにした彼らには、安易に想像できる災厄らしい。一様にさっと蒼白になり、あちこちでごくりと唾を呑み込む音が響いた。
「蛆は五日から十日ほど腐肉を食み、地中に潜って四日程で成虫になる。中には蛹になり越冬する種もいるから一概には言えないが、地上へ出て寿命一ヶ月間に数百の卵を産む。その全てが成虫になり、またそれぞれの雌が数百の産卵をすれば………」
「「「「「……………」」」」」
誰も口を開かなかった。俺の言わんとすることはありありと伝わったことだろう。
すでに蛆が湧いて四日経過している。いつ成虫になってもおかしくない。蝿の繁殖力は本当に恐ろしいのだ。こんな生物兵器を量産されては堪ったものじゃない。
―――――まさか、触媒を大量に作り出しているなんてことはない、……よな?
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