74.森内部 7
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◇◇◇
『―――――リリー! 呪いが来る! 聖属性結界を急いで!』
ラスロールが甲高く警戒音を発したのと、ナーガの緊迫した呼声は同時だった。
「ルギエル アルシオン プリナーオス!」
弾かれたように瞬時に結界を張った。黄金に煌めく魔法陣が足下に現れ、先頭に立つラスロールごと半球状に包み込む。
状況を把握して結界魔法を発動したわけじゃない。
ナーガが警告した。ラスロールも警戒するよう高らかに鳴いた。だからこれは、ナーガの指示に従っただけの、条件反射のようなものだ。
突如張られた結界に騎士たちのどよめきが起こるも、敵襲だと覚った様子でそれぞれが剣を構えた、須臾の間。前方から紫黒の帯状に伸びたものが結界壁に激突した。
「なんだ!?」
騎士の誰かが叫ぶ。ひやりとするも、黄金の結界は衝撃に揺れることも砕けることもなく、確実に攻撃を食い止めた。咄嗟に発動した聖属性結界だったが、きちんと役目を果たしているようでホッと安堵する。
魔法陣そのものが結界壁として展開し、二重、三重にそれぞれが時計回り、反時計回りと緩く回転している。
結界壁から立ち上る金の粒子が蛍の乱舞のようで、とても幻想的だった。
結界に衝突した紫黒の呪いは、触れた途端ジュッと蒸発するような音を立て、金色の粒子となって浄化されていく。
その様を目視したアレンが、俺を抱えたまま発問した。疑問ではなく、確認といった体だ。
「お嬢様。これは呪いですか」
「ええ。間に合って良かったわ。ナーガとラスロールに感謝しなくちゃ」
警戒心丸投げで爆睡していた俺が悪いのだが、ナーガとラスロールの察知が早かったおかげで結界が間に合った。あと一歩遅ければどうなっていたか………考えたくもない。
『リリー。今のは呪いの大本からで間違いない。明確に敵意をもって攻撃してきたようだね』
『こちらを敵だと認識してるってことか? なんで?』
『ナーガにもわからない。ラスロールを狙ったのか、リリーたちを狙ったのかは不明だけど、これ以上近寄るなっていう警告かもしれない』
『俺たちの存在に気づいてるってことだよな? ラスロールの呪いを通じて知ったってことかな』
『たぶんそれで合ってる。呪いを斬ったリリーを一番に狙うかもしれない。気をつけて』
ラスロールの呪いと同期していたなら、こちらのやり方は見て知っているということか。聖属性を付与した刀を警戒して、反撃や追撃の機会すら与えず初手から総攻撃を仕掛けてくるかもしれない。厄介だな。
「お嬢様?」
アレンの問い掛けにこくりと首肯する。
「今の攻撃は呪いの媒体にされている者からのようよ。この先に大本がいるのは間違いないわ。ただ、さっきのラスロールの時のように、呪いの届く範囲が判然としない。今の攻撃でここに届くのは確実だけど、ここから大本までの距離がわからないわ」
ラスロールに取り憑いていた呪いの不可侵領域は、精々半径五メートル程度だった。しかし、鞭のようにしなって伸びる呪いの射程圏内となると、それ以上の飛距離を有していた。特に最後の十三本目は最も射程距離が長かった。
先刻の攻撃が最長飛距離なのか、あれ以上に伸びて来る可能性もあるのか、今の一撃だけでは判断できない。
有効射距離が判然としない内は、迂闊に近づくことは出来ないだろう。これはやりにくいぞ。
あれこれと対策を練っている間に、不味いことに騎士たちに動揺が広がってしまった。俺の影響で何かと耐性を持っているはずのアレンたちでさえ、その表情に不安を滲ませている。
完全に士気が落ちきる前に、これは一度発破をかけ直す必要があるかもしれないな……。
だがその前に、俺にもナーガにも把握できていない存在を確認する必要がある。呪いの進行具合と、正気を保っているか否か。そして、媒体にされている者の姿を。
触手の如く伸びてきた呪いの方へ索敵魔法を発動する。先頭に立つラスロールもじっと前方を注視していた。
魔力を薄く引き伸ばし、呪いを探知していく。二百メートルほど進んだ辺りで対象を捕捉した。レーダーに引っ掛かるように表示された、その規模にはっと目を見開く。
それは命を燃料に、煌々と燃やし尽くす勢いで揺らめいている。これは助けられないかもしれない―――直感的にそう思ってしまった。
敵だと認識されている時点で救済はかなり困難を極めるが、こうも呪いの規模が広範囲だと近寄ることさえできない。
後から呪いを受けたラスロールの状態から察するに、大本の生物には猶予などないに等しいだろう。すでに、完全にアンデッド化しているかもしれない。そうなればもう屠る以外に道はない。これほどの呪いを振り撒いておいて、まだアンデッドに堕ちていないなどと楽観視は出来ないだろう。その可能性は極めて低いのだから。
とにかく状態を確認したい。
ラスロールのようにじっと耐え、呪いが勝手にこちらを攻撃している状況ならば、まだ救いは残されている。
伸ばした索敵魔法を伝って、神眼を進めていく。この一帯は大本以外に呪いが存在していないことは確認済みなので、ショートカットで一気に樹木の間を抜け、鉱山まで辿り着いた。
「なんてこと………!!」
鏡を見ずともわかる。恐らく俺の顔からは血の気が引いていることだろう。
俺の神眼と同期して同じものを視たナーガも、金の双眸をすっと眇めた。
ぽっかりと大きな口を開ける鉱山の入り口の前で、ラスロールのように踞る生き物がいた。
体長は一メートルもない。軍馬ほどに大きなラスロールより小さく、和毛のナーガよりは大きい。周囲に比較できるものがないので目算になるが、恐らく体長は六十センチほど。
踞ったままぴくりとも動かないそれは、予想通りラスロールよりずっと状態が悪い。身体の至る所が壊死しているのか、斑に変色した部位から腐った肉が落ち、ねっとりと粘度のある体液が滴っている。力なく地面に投げ出された翼はすでに骨だけになっており、地を這う長い尾も広範囲に骨が覗いていた。
肉の削げ落ちた箇所すべてから蛆が湧き、地面に落ちている朽ちた肉からも蛆が溢れていた。
アンデッド化しているなら生きた肉を求めて徘徊していないとおかしい。だからこれはアンデッドではない。でも、これを生きていると言っていいのか。こんなにも腐った肉体で、まだアンデッドに堕ちていないことが信じられない。
口を衝いて出た声は、自覚できるほどに震えていた。恐怖から来る震えではない。俺の心を支配した感情は、深い悲哀から来るものだった。
これは子供だ。それもまだ孵化して一月も経っていない。探せばきっと卵の殻の名残が近くに落ちているはずだ。
堪らず俺は顔を覆った。
唐突に理解してしまった。
致し方なかったとはいえ、俺はこの子の親を殺してしまったのだろう。
孵化してからか、もしくは卵の時からか。あの子は呪いをかけられ、助けようとより多くの餌を求めてヴァルツァトラウムの森までやって来たのかもしれない。人間に敵意を剥き出しにして、問答無用で襲いかかってきたのも、呪いをかけたのが人間だったからではないのか。
その仮定に辿り着けば、一回り小さかった方のドラゴンが、死ぬ直前まで俺を憎悪の目で睨んでいたのも理解できてしまう。
あの子の姿を知れば、人を憎むな、襲うなとは到底言えない。言える道理がない。
漆黒の鱗はまだ柔らかそうで、なおさらその痛ましげな姿を強調してしまう。ドラゴンの生態を知らないので判断できないが、漆黒の鱗は成長と共に鈍色をしていた親のように変化するのかもしれない。
だがその成長も、現段階では相当に危うい。このままではアンデッドに堕ちるのも時間の問題だ。
縦しんばアンデッド化を回避出来たとしても、天災級の魔物を放置にはできない。赤ん坊の内に討伐してしまうべきなのだろう。
神聖視されるラスロールの場合とは事情が異なる。魔物と心を通わせることはできない。……出来ない、とされている。
「……………」
良心の呵責から正常な判断が下せているのか自信がない。
討伐したことに後悔はないが、あのドラゴンの子供に感じてしまう罪の意識は拭えない。もっと他にやりようがあったのではないかと、燻る火種のように俺の柔らかい部分をじりじりと焼いて苛むのだ。
『どうしたいの、リリー』
「………わからない」
『助けたいって思ったんでしょ?』
「助けたいよ。でも」
『天災級の魔物だから、浄化しても討伐しなきゃならない?』
「これまでの成体がそうだったように、人や街を襲うかもしれない」
『でも、襲わないかもしれない?』
「……………」
可能性や確率の話で命を天秤に掛けていいのだろうか。そう思ってしまうこと自体、俺は冷静に分析出来ていないんじゃないのか。
子ドラゴンの稚さから、また罪の意識から、正常な判断力が欠如しているのだとしたら、このまま俺が指揮するのはかなり危険だ。
それでも、やはりちらりと過るのだ。
ドラゴンを天災級に指定し、危険視するのは人間の見解だ。人や街を襲うのにも、ドラゴンなりの理由があるのかもしれない。今回あの子の親ドラゴンが俺たちを急襲したように、人間側からの視点では理解できないちゃんとした理由が存在するのでは?
元々棲み分けが出来ていたはずなのに、歴史上思い出したようにドラゴンが現れ、人や人の棲みかを蹂躙していった。仮に、そこに正当な理由があったのだとしたら。
逆に、蹂躙してきたのが人間だったのだとしたら。
『リリーに一つ、いいことを教えてあげる』
「え……?」
『ドラゴンは本来烈しい気性はしていない。人は苛烈な一面しか見ていないから、ドラゴンを天災級の魔物だと認識しているけど、ドラゴンは同族への情が深く、特に子供は親でなくとも守る生き物なんだ』
それは、つまり。
『ドラゴンから仕掛けたことはないんだよ。人の街が破壊される時は、必ず先に人間がドラゴンに何事かをやらかしてるんだ。それを人は自覚できていない。勿論巻き込まれただけの不運な人間もたくさんいたけど、元凶は必ず人にある』
俺は息を詰めた。
人が人に都合よく設けたルールでドラゴンを量り、断罪してきたということだ。
今回急襲を受けた俺たちは巻き込まれただけだが、あの子ドラゴンに呪いを掛けたのが同じ人間であるなら、親ドラゴンにとっては俺たちも同罪だ。
結局は俺も人間側の見解で子ドラゴンの両親を殺してしまった。
お爺様や騎士団を守り抜いたことに一切の後悔はしていないのに、その事実が堪らなく心苦しさを引き起こす。
苛む痛みに胸を押さえ、自身に覚悟の程を問う。
知らず因果は巡っている。ならば、人が仕掛けたものを終わらせるのも、また同じ人である俺たちの役目だろう。
『リリーはどうしたい?』
じっと俺の様子を観察していたナーガが、今一度問う。俺を試しているように思える。
親ドラゴンを殺せと命じた時も、ナーガは俺に判断を委ねていた。今思えば、あれも試されていたのだろう。恐らくは、ナーガを通して神様に試されている。
ナーガが呪いの媒体とされている子ドラゴンの存在を知っていたとはさすがに思わないが、少なくとも親ドラゴンが理由なく俺たち人を襲ってきたわけじゃないことは知っていた。それを教えなかったのは、俺がそのことに疑問を抱いていなかったから。
気づけていたら、子ドラゴンにとって今よりましな未来があったはずなのに。
「……助けたい。浄化するだけじゃなく、命そのものを助けたい」
『あの親ドラゴンのように襲ってくるかもしれないよ?』
「それでも。甘いかもしれないけど、心を尽くしたい」
そう。単なる自己満足に過ぎないことは百も承知だ。
そのせいでこの場にいる騎士たちや、第二防衛線で警戒体制を整えているお爺様や騎士団の面々、領民たちが危険に晒される事態を招くかもしれない。
それでも。あの子ドラゴンは助けなくちゃいけない。殺してはならない。
『じゃあもう一つ、リリーに教えてあげる』
そう言って、ナーガはラスロールを見た。
『人はドラゴンとラスロールを魔物と呼ぶけど、正確にはどちらも魔物じゃないんだ』
「……え?」
『人肉を好んで人を襲うのが魔物だけど、ドラゴンもラスロールも人間を捕食しない。いつしか廃れてしまった本来のカテゴリーは、“精獣“』
「精獣………」
『純粋で優れたものという意味が、苛烈な一面から使われなくなり、忌むべきものとして魔に区分された。人の都合のいいようにね』
ああ、と溜め息が溢れた。
本当に、人間とはなんて自分勝手で醜い生き物なのだろう。
結界に浄化され、昇華していく二撃目の呪いを見つめ、この呪いこそが人間の本質を表しているように思えてならなかった。
読了お疲れ様でした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
『灰かぶりのお薬屋さん』も更新しました。そちらも覗いて頂けたら嬉しいです( *´艸`)