72.森内部 5 ~アレン・バルバーニー 1~
お嬢様と初めてお会いしたのは、お嬢様がようやくつかまり立ちが出来るようになった頃だった。
十歳になったばかりの頃、オレはバルバーニー侯爵家三男という、家督も継げなければ嫡男にもしもがあった時の代替要員にもなれないという、半端な立場に鬱屈した日々を過ごしていた。王宮騎士に仕官すれば、いずれ上位貴族というネームバリューで近衛隊に入れるかもしれないからと、父上に勧められ嫌々ながら始めた剣術が思いの外面白くて、師事した師匠から筋が良いと褒められたことで更に剣術にのめり込むようになっていた。
そんな日々が五年続いたあくる日、父上が興奮した様子で帰ってきた。家族一同サロンに集められ、興奮冷めやらぬ面持ちで王宮から持ち帰った話題を告げた。
六公爵家の一角である、能力や財力など色々と話題の絶えないグレンヴィル公爵家に、ついに百年ぶりのご息女がお生まれになったというのだ。
その意味をその頃のオレは理解していなかったが、母上と嫡男である兄上は喜色満面に溢れた。
「我が家は格下にはなるが、家格は十分に満たしている。あの唯一無二の能力者であられるグレンヴィル公爵の血を引くご息女だ。無能であるはずがない。母君であられるグレンヴィル夫人の美貌の片鱗を、すでにお持ちだと王宮では専らの噂だ。焦がれても手に出来なかったグレンヴィル公爵家の血統が、ようやく他家にもたらされる! いいか、アーサー! 是が非でもお前の正妻にお迎えするぞ!」
「はい! 父上!」
まだ生まれたばかりの赤ん坊を将来の妻にと、そう期待に満ちた顔で笑う兄上は、来月十九を迎えようという年齢だ。グレンヴィル公爵家のご息女が成人する頃には、兄上の年齢は三十四になっている。
グレンヴィル公爵も、親子ほどに年の離れた格下の男に嫁がせるより、同格の六公爵家で年の近い嫡男に嫁がせようとするんじゃないか? そう考えているのはオレだけのようで、両親も兄上たちも、妹も、使用人たちも、一様に同じ喜色を浮かべている。
「数年経てばご息女に専属護衛が付けられるだろう。先駆けてご息女と信頼関係を築くため、アレン、お前をグレンヴィル公爵家へ奉公させる」
「はっ?」
「お前は我が家で一番の腕利きだからな。グレンヴィル公爵にきっとお気に召していただけるだろう」
「いや、ちょっと、待ってください! オレは王宮騎士隊に仕官する予定では!?」
「馬鹿者。グレンヴィル公爵の血を我が家に引き入れることの重要性が分からんのか」
こうしてオレの意思は完全に無視され、グレンヴィル公爵との面会に漕ぎ着けた父上に連れられて、一等地に構える大豪邸へ足を踏み入れた。
面会希望者がこんなにいるのかと茫然としたのは記憶に新しい。長蛇の列の中程に陣取った父上について、ようやく通された部屋で一通り面接が行われ、グレンヴィル家お抱えの護衛たちと模擬戦を披露した。
雇われても雇われなくてもどっちでもいい。どうせオレの意思は反映されないのだから。
そんなやさぐれた気分で護衛騎士に勝ってしまったオレは、鬱々したままご息女に会わせてもらえることになった。
通された部屋にはオレと年齢の近い男が二人。そこを何とか!と粘った父上は通されず、同年代の男二人の身内も拒否されていた。
秋に行われた十五の成人の儀を終えているので、オレはすでに成人している。未成年者ではないから、主となる方との面会に保護者同伴はあり得ない。普通に考えれば分かるだろうに、ほんの僅かでも誼を通じたい父上は必死になりすぎて滑稽だった。恐らく同じ部屋に通された彼らの親類らしき人物たちも似たようなものだろう。
元来人付き合いというものを得意としないオレとしては、ご息女に面会できる機会に喜んだりなどしていない。寧ろ残った理由がさっぱり分からず、訝っているくらいだ。別にご息女に会いたいわけでも、雇われたいわけでもないのに。
同様に残った男二人もそうなのだろう。退屈そうに、面倒くさそうにソファに座っている。仮にも最上位貴族の一つであるグレンヴィル公爵家で見せていい態度ではないが、まあ気持ちはわかる。オレと同じような理由で奉公に出された口だろう。
何となしに観察していたオレの視線に気づいたのか、ふと呼ばれでもしたかのようにレディッシュの髪の男がこちらを見た。
「なんだよ?」
「いや。望んでここにいるわけじゃなさそうだと思って」
「てことは、あんたも親に無理やり連れて来られたのか?」
「まあそんなとこだ」
「お互い熱心なのは親と嫡男だけってか。おれはノエル・オルグレン。侯爵家の四男坊だ」
「アレン・バルバーニー。侯爵家の三男」
「お~。同じ侯爵家出身か~。おれのことはノエルって呼び捨てで呼んでくれ」
「じゃあオレのこともアレンで」
「了解」
握手を交わしてから、寡黙なダークブラウンの髪の男を見る。オレとノエルの視線を受けてようやくこちらを見た男は言葉少なに名乗った。
「……………ザカリー・ユニアック。伯爵家三男」
生家はオレたちより格下だが、柵の少ない立場なのは同じこと。家のために継ぐものも守るべき身分もない。家のために将来を左右されるのは侯爵家も伯爵家も同じだ。
「んじゃザカリーって呼んでいいか?」
「……………好きに呼べばいい」
「じゃザカリーな」
人好きのする笑顔でノエルが決めてしまえば、ザカリーも拒絶はしなかった。ちょっと眉間にしわを寄せてるが、この部屋に入った時からこうだったのでノエルのフレンドリーさに辟易している様子ではない。
「百年ぶりに誕生したご息女だって話だけど、グレンヴィル公爵の四属性持ちの血統を引き入れたいからって、生まれたばっかの赤ん坊相手に下卑たこと考えるよな」
「父親にそう言われたのか?」
「そのための繋ぎに送り込まれたのがおれだぜ? アレンだって似たような理由だろ?」
「まんまだな」
「どこの大人共も同じこと考えんだな。ザカリーの家もか?」
問われたザカリーはふんすと鼻を膨らませ、堂々と言い切った。
「俺は自ら志願した」
「自ら? 何で?」
「騎士としてお仕えするならお嬢様がいいとずっと思ってきたからだ。盾となりお守りする方が、可憐なご令嬢であればと願ってきた。このチャンスを逃すはずがない」
「うわぁ……」
ドン引きするノエルに同調して、オレも頬が引き攣った。そんな理由で奉公先を決めていいのか。
「そ、そうか。念願叶ってよかったな」
「ああ!」
満面の笑みで言い切られては、もはや何も言えまい。本人が幸せならそれでいいじゃないか。オレには関係ない。
不機嫌そうな顔をしていたから、てっきりオレやノエルと同様に親に強いられた奉公なのかと思ったが、不機嫌そうな表情そのものがデフォルトだったか。
「とりあえず、おれはご息女の護衛騎士になっても実家との架け橋にはならない。父上には悪いけど、すでに二十歳を超してる兄上の嫁に、生まれたばっかの赤ん坊を差し出すような真似はしたくない。アレンは?」
「同感だ。オレの兄も十九だから、ご息女が成人する頃には中年期真っ只中だ。あり得ない」
「だよな。マジであり得ないって。ザカリーは親に何か言われてないのか?」
「チャンスがあるならば、といったことは言っていたが、俺の性格を熟知しているからな。血縁者と言えど優遇しないことは理解しているから、別段何も指示されていない。家格的にも難しいことは父上も理解しているだろう」
「なるほどな~。じゃあおれもザカリーをあやかって、血縁者と言えども優遇しない!って突っぱねよう」
「オレもそうする。簡単に利用されてたまるか」
うん、と互いに頷き合ったこの時の決意表明が、現在に繋がっている。
その後ご両親に連れられ入室したお嬢様は、噂に違わず本当にお可愛らしく、天女の如しと言われる奥方様によく似ておいでだった。ザカリーなどはその場でへたり込み、遠吠えする狼のように咽び泣いていた。グレンヴィル公爵はドン引きしていたが、ご夫人はにこにこと笑っておいでだった。
見かねた様子でお嬢様がご両親を見上げておられたが、今思えばあれは念話でお話されていたのだろうな。
盛大に顔をしかめたグレンヴィル公爵をご夫人が宥め、執事殿に抱かれたお嬢様がザカリーへと近づいた。執事殿に下ろしてもらったお嬢様は、拙い足取りで滂沱の涙を流すザカリーへ手を伸ばし、捕まえたとばかりににっこりと笑われて………。
あの瞬間、ザカリーだけでなく、オレもノエルもがっちり鷲掴みされてしまったことなど、きっとお嬢様はお知りではないだろう。
天女の如しとは、まさにお嬢様のことを言い表しているのだと、恐らくオレもノエルもザカリーも同じことをそう思ったに違いない。
この方をお守りすること。何が起ころうと決してお側を離れないこと。心に固く誓い合ったオレたち三人の決意は、お嬢様の色んな面や事情を知った今でも揺るがない。
お嬢様は、あの瞬間からオレたち三人の大切で大事な愛しい主になったのだから。
「んん………」
横抱きにしているお嬢様が、お可愛らしい声を洩らし、オレの胸にすり寄った。
落とされた瞼に一巡する黒く長い睫毛が目元に影を落とし、ほんのり色づいた頬は滑らかで柔らかそうな肌をしている。赤みを帯びた桃色の唇はぷるんと潤っていて、ただ目を閉じているだけでも美少女であることが窺える。
ふふ、と無意識に頬が緩んだ。
愛しくて愛しくて、誰にも渡したくないと不敬ながらも思っているのはオレだけじゃないだろう。ノエルの奴はケイシーが気になり始めた様子だが。吊り橋効果ってやつか? まあ馬上であれだけ密着していれば、普段は意識していなかったケイシーに女を感じるのは当然か。
その点オレもノエルを小馬鹿にはできないな。
ヴァルツァトラウムの地でお嬢様と相乗りしていたのはオレだし、普段ならば気安く触れることなど許されないお嬢様を、こうして抱き締めることも多かった。
そのまま抱いていてと耳元で言われたオレの心情を察してほしい。相手はお仕えするお嬢様で、肉体年齢はまだ五歳であられると、念仏のようにずっと唱えていなければヤバかった。
おかしいな、オレは小児性愛者じゃないはずなんだが……。
いや、違うな。お嬢様だから、だろうな。はあ、気づきたくなかった。どう足掻こうとも主従以上にはなれないというのに、オレはなんて不毛な情を抱いてしまったんだろう。
「……っくち!」
お可愛らしいくしゃみをしたお嬢様は、お寒いのかオレの首に腕を回し、暖を取るようにすり寄ってきた。下を向けばお嬢様の唇が近くにあり、小振りな唇は誘っているように半開きで寝息を漏らしている。
くらりとした。この唇に、第一王子は二度も口づけたのだったな。腹立たしいことに。
ごくりと唾を飲み込み、瑞々しい唇から目が離せない。
誘われるまま首を傾けそうになって、その時ようやくお嬢様の首に巻き付いているナーガ様の視線に気づいた。
―――――触れてくれるなよ。
そう言われている気がして、オレは咄嗟に視線を逸らした。
すみません。危うく理性が吹き飛ぶところでした。
察した様子でナーガ様がやれやれとばかりに首を横に振る。本当にそう言ってそうだな。
これからも理性が吹き飛びそうな時は、必ずお側についておられるナーガ様を見るようにしよう。
オレの理性の最後の砦だ。
お手数お掛けします。
ブクマ登録&評価ありがとうございます!!
もう、嬉しすぎて意味なく大掛かりな部屋の掃除をしちゃいましたよ。何でだΣヽ(゜∀゜;)
でも家具の位置が変わってなんだか新鮮(*/□\*)
今回はレインリリー専属護衛の一人、アレンにスポットを当ててみました。
アレンの秘めているようでだだ漏れな想いに、薄々お気づきの方もおられたかもしれませんね。
ザカリーはアレです。信仰対象として崇めるような感じです。恋愛感情など畏れ多い!というタイプ。
その点アレンは健全な男だったという。五歳の幼女相手に、と本人も葛藤しておりますが、中身は年相応ではないことをよく知っているが故の弊害ですね。
まあ一番健全だったのはノエルですが(((*≧艸≦)ププッ
如何だったでしょうか。
感想など頂けると嬉しいですネ~(〃´ω`〃)
『灰かぶりのお薬屋さん』も連載中です!
こちらも宜しくお願いしますo(*゜∀゜*)o