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71.森内部 4

 



 佩刀する柄に指をかけ、蹲ったままじっと動かないラスロールにじりじりと近づいていく。

 鎖のような呪いはラスロールの周辺でも蠢いており、ラスロールを中心に、触手の如く獲物を探す呪いによって半径五メートルは不可侵領域と化していた。


『ナーガ。解呪はどうやればいい?』

『刀に聖属性を付与して斬ればいいよ』

『あの鎖のような呪いを斬るのか?』

『そう。あれほどまでに強制力が強い呪いは、その媒体にあたるものがあるはずなんだけど』

『媒体?』

『大体は生き物を使うことが多いね。蠱毒(こどく)と言った方がリリーには分かるかな』


 ぞわりと肌が粟立った。

 蠱道(こどう)蠱術(こじゅつ)巫蠱(ふこ)とも言う、古代中国で用いられた人の不幸を願う呪術のことだ。壺の中に爬虫類、蛙、虫を入れ、共食いをさせて最後に残った一匹の毒を使い、人を呪い殺すという。古代日本でも、蠱毒により人を呪った罪で実際に処罰された内親王がいる。犬猫を強力な怨みに落として殺す、犬神、猫鬼といった呪術もあり、それらと並ぶとても恐ろしい術式だ。


『―――じゃあ、ラスロールに絡みつく呪いは、媒体にされている某かの生物の怨念、てことか?』

『そうなるね』


 そうであるならば、その生物は最初に呪いを植えつけられ、未だ朽ち果てることなく苦しみの怨嗟に囚われているということにならないか?

 神聖化されているラスロールの現状がこの有り様なのに、未だに生きたまま耐えているとは、よほど強靭な肉体と精神力を兼ね備えていなければ無理だろう。そしてラスロールに働く強制力の強さからして、確実にラスロールより上位に立つ生物なのは間違いない。


 ―――――くそっ、嫌な予感しかしない。


 躊躇っている場合ではないだろう。この呪いは異常だ。早急に祓わなければ、森だけの異変に止まらない事態になりかねない。怨念の強さで人間の右に出る者はいないだろう。これが人に感染したら―――考えたくもない。


 距離を縮めながら、改めてラスロールをじっくり観察した。

 銀鼠色の硬質な枝角が、重量感たっぷりに両耳の間の頭頂部から生えている。毛並みはくすんだ金色で、喉から胸、腹部、お尻、尾の内側は純白をしていた。健常であればもっと美しい毛並みをしていたのだろう。

 こんなことになっても、その神々しさを失わないラスロールをここまで追い込んだ呪い。一体どこの誰が仕組んだ惨状なのか、仕掛けられたのが何故ヴァルツァトラウムの森なのか、考えれば考えるほど腹立たしい。


 半分程の距離に近寄った俺を、それまで目を閉じていたラスロールが分かっていたかのように真っ直ぐと見た。

 魔物とは思えないほどに澄んだ、美しい青の双眸をしていた。高い知性が窺える青い目は、ただ静かにじっと俺を見つめる。警戒するでもなく、威嚇するでもなく。諦観しているように、ただ真っ直ぐと俺を見ていた。


 ああ、そうか。分かっているんだな。俺が何をしようとしているのか、お前は理解しているのか。


 刀の柄から指を外し、敵意はないと両手を挙げて見せた。


「お前を苦しめているその呪いを祓ってやる。刀で呪いそのものを斬るが、お前は絶対に傷つけないから。俺を信じて、その場にそのままじっとしていてくれるか?」


 暫し微動だにしなかったラスロールだが、僅かに、だがはっきりと了承の意を向けた。こくりと首肯し、顎を地面につけてその場に伏せたのだ。


「本当に賢いんだな………信じてくれてありがとう。必ず助けてやるからな」


 抜刀すると、(しのぎ)に指を這わせ、聖属性を付与する。


「ルギエル アルトグラント アギリテ」


 三重の金の魔法陣が刀を包み、吸収されていった。

 よし。下準備はできた。あとはあれを本当に斬って祓えるのかってことだけど。

 ざっと目算で十三本はある。本当に、動きが触手のようで気持ち悪いな。


「顕在化された呪いを斬るだけで、ラスロールの呪いは解呪できるのか?」

『できるよ。大本は直接叩かなきゃいけないけど、あのラスロールは絡め取られただけだから。それをほどいてやれば、これ以上の呪いを受けることはないよ』

「そうか………」


 呪いの媒体にされている本体は斬る必要があるってことか………。

 ああ、嫌だな。望んで呪いを強化し、拡散しているわけじゃないはずの生物を、問答無用で切り捨ててしまうなんて。媒体化した生物が、目の前のラスロールのようにただひたすらに耐えるだけの存在だったら、俺は……。


 握り込む柄がギリリと鈍い音を立てた。

 森へ入る時に決めた覚悟は、敵対する人間や襲ってくる魔物に対してのものだった。こんな、犠牲者に過ぎない相手の命を刈り取る話ではなかった。


 ラスロールはまだいい。正気を保っているなら、救ってやれる可能性がまだ残っている。

 そうじゃないなら………。


 ふう、と細く息を吐き出した。

 今は考えるな。最奥がどうなっているかなんて、今の段階でわかるはずもないんだから。今は目の前のラスロールを救うことだけ考えろ。気もそぞろでは救える命も救えないぞ。

 自身の防御と解呪、そしてラスロールの救出だ。優先順位を間違えるな。


「―――――よし」


 後方で固唾を呑んで見守る騎士たちの存在を背中に感じながら、俺は下腹に力を込め、地を蹴った。

 まずは一本。左袈裟に振り、一番手前で蛇のように鎌首をもたげた呪いをぶった斬る。何の抵抗もなく、まるで豆腐を切ったかのような滑らかな斬撃だった。白刃の軌跡がそのまま呪いを浄化し、金の粒子となって消えてゆく。

 二撃目と三撃目はすぐだった。俺を標的に据えた呪いが二本、俺目掛けて鞭のように襲ってきた。初撃は鎬で受け流し、すぐさま左切り上げで追撃する。金の粒子が舞う中、三本目は右薙ぎに斬り祓う。

 四本目、五本目、六本目と、続けて唐竹、左薙ぎ、左袈裟と斬り、眼前に迫った七本目を避け、一旦後方に下がった。

 残りはあと七本。こうしている間にも、呪いはラスロールの身体を溶かしている。俺の忠告通りじっと伏せたまま微動だにしないラスロールの耐久力には頭が下がる思いだ。苦しみから早く解放してやりたい。


 ふう、と今一度細く息を吐き、残りの呪いへ突っ込めば一気に五本が鎌首をもたげ、しなる鞭の如く四方から襲ってきた。

 大振りの右薙ぎ一閃で二本浄化し、しゃがんで九本目を避け、逆風に切り上げた。片手バク転で十本目と十一本目を回避すると、刺突で貫き、流れるように十一本目を左に薙いだ。

 十二本目が鎌首をもたげているが、最後の一本である十三本目はラスロールに絡んだまま一度も離れない。強い執着のようなものを感じて、薄ら寒い感覚を覚えた。


 十二本目の猛攻から目を離さず回避して、振り向き様に唐竹に切り落とせば、最後の一本、十三本目がようやくラスロールから離れた。

 そこかしこで金の粒子が舞い、若干視界を遮っている。不利になるほどではないが、邪魔であることに違いはない。


「………ナーガ。最後に残ったあれを祓えばラスロールの解呪は完了か?」

『ラスロールに関して言えば、その通りだね。あれで最後だよ』

「含んだ物言いだなぁ………伏線張るの止めろよ」

『だって大本残ってるし』

「ごもっとも。とりあえずラスロール自体に解呪魔法掛けつつ最後の一本を浄化って流れでいいかな?」

『問題ないよ。多少残っちゃうから、ラスロール自身を解呪するのはいい選択だね』

「お褒めに与り光栄でございます。さて、じゃあサクッとやっちゃいますか」


 しゃがみ込んで地面に左掌をつき、神界言語を詠唱する。


「ルギエル アギリテ」


 地を這うように黄金の魔法陣が展開し、ラスロールを囲んだ。さすがに驚いた様子で、ラスロールがぱっと顔を上げ、青い双眸を見開いている。

 痣のように染み付いていた斑状の紫黒が剥がれ、金の粒子に変わって消え始めた。


「さあて、浄化が完了するまでに最後の粘着質を取っ払いますかね」


 刀を下段に構え地を蹴った、須臾(しゅゆ)の間。


「おっと!」


 慌ててしゃがみ地面を滑った。他の十二本とは段違いの速さで、弾丸の如く一瞬で間合いに伸びてくる。これはやりにくいぞ。


 黄金の魔法陣とラスロールから立ち上る浄化の光に照らされ、十三本目も輪郭を曖昧にし始めている。多少なりとも効果はあるのだろうが、それでもあの速さだ。一瞬の隙を突かれれば、やられるのは確実に俺の方だ。


 納刀すると深呼吸をした。その場にしゃがみ、折敷(おりしき)の姿勢を取る。

 落ち着け。速くとも相手はたった一本だ。さっきまでの一対多数よりはましなはずだ。

 ふっと短く息を吐くと、ラスロールと目が合った。じっと最奥まで覗かれているような、肉体に内包された魂の色や形を見られているような、何とも言えない不思議な感覚に陥った。青の双眸は全てをありのままに甘受し、また見透かしているようにも思えた。


(……………わかってるよ。焦るなってんだろ?)


 こくりと、ラスロールが頷いた。

 俺は驚きのあまり、くっと瞠目した。本当に見透かされているのかもしれないな。


 うねうねと蠢く十三本目は、俺が間合いに飛び込んでくるのを待ち構えている。

 鎬で弾くか、回避すべく躱すか……。あの速さだ。それはかなり難しいだろう。さっき咄嗟に躱せたのは偶然の産物だからな。次も同じことが出来るとは思えない。試してみるにはリスクが大きい。


(じゃあ、躱さなければいい)


 出来ないことをやろうとしても失敗するだけだ。ならやらなきゃいいだけの話だよな。

 ごちゃごちゃと考えすぎていたらしい。ここはシンプルに行くか。


 呪いを浄化するたびに重く伸し掛かるような怠さが気になるが、動けないほどではないので今は後回しにしよう。


 誘い込むように折敷のままにじり寄れば、己の間合いに入ったと歓喜するように、眉間を射貫く勢いで瞬時に真っ直ぐ伸びてきた。

 素早く抜刀から左薙ぎに一閃する。自分でも驚くほどにぴったりなタイミングで接触し、十三本目は上下真っ二つに裂けながら、金の粒子へと昇華していった。


 同期したままの索敵魔法に規模の大きい呪いが潜んでいないか確認してから、ようやくほっと息を吐いた。

 金の粒子が舞い上がる中、黄金の魔法陣に照らされた俺とラスロールの視線が絡む。暫し互いをじっと見つめたあと、俺は刀を鞘に戻し、異空間へと仕舞った。

 ラスロールは蹲ったまま俺から視線を逸らさない。程無くして浄化は終了し、黄金の魔法陣が同じように金の粒子となって消えていく。


「近づいてもいいか?」


 こくりと頷いた。やはり俺の言葉を正確に理解しているな。

 歩み寄れば、その悲惨さがはっきりと分かる。焼け爛れたような裂傷からはじわりと血が滲み、骨の見えている左前足は蛆が湧いていた。死臭とも言える臭いが充満し、まだ生きている現状が奇跡であるとしか言いようがない。こんな状態でも正気を保っているラスロールは、確かに神聖な存在なのだろう。


「………蛆の湧いている箇所は焼かなきゃならない。その周辺は、卵を産み付けられている証拠だからな」


 心得ているとばかりに頷く。本当に大した奴だ。


「でも、今の俺に炎の魔法は使えないんだ。だから、産み付けられている事象そのものをなかったことにする。大丈夫。焼くよりは痛みはないはずだ。許可してくれるか?」


 躊躇いもせず、再びこくりと首肯する。


「ありがとう。約束は違えない。必ず助けてやる」


 ピィ、と高い声で一声鳴いた。返事をしてくれたってことだろうな。しかし可愛い声してんな。


 膝をつき、蛆の湧く足に手をかざした。痛みを与えず、見えない部分にまで潜り込んでいる幼虫や卵も含めて、全てをなかったことにする。腐っておらず、卵を産み付けられることもなかった。そう、想像する。


「ラング カスティーリア リェプギール」


 目に見えている蛆虫が消え、腐っていた肉が赤みを帯び、臭気が消えた。所々見えていた卵も消え去り、鮮血が溢れ出す。


「ルギエル アルシオン ネスルクール」


 再び黄金の魔法陣が広がり、ラスロールの痛ましい身体を浄化、治癒していく。

 思った通り、とても美しい毛並みをしていた。神々しくもあるラスロールを魔物とせず、神聖化して討伐対象から除外した理由がよくわかった。これは魔物だと判断できないな。


 ごっそりと魔力を持って行かれる感覚に襲われた。貧血に似ているかもしれない。へたり込んだ俺を背後から支えたのは、いつの間に近くまで来ていたのかまったく気づかなかったアレンだった。


「お嬢様、あまりご無理をなさらないでください」

「ああ、悪い……て言うか、このなりでお嬢様は止めてくれって」

「必要とあらばコウスケ様とお呼び致しますが、あくまで便宜上のことであって、私にとってお嬢様は変わりなくお嬢様ですから」

「頑固だなぁ」


 ふはっ、と気の抜けた笑いが漏れた。ああ、疲れた。


「お嬢様。一度元のお姿にお戻りを」

「うん?」

「抱えて移動しますので、その間お休みください」

「そうだな……じゃあ後は頼む」

「お任せを」


 眠い。猛烈に眠い。魔力が枯渇したって話じゃないだろうけど、ここまで魔力を消費した経験がないから判断に困る。ここはアレンの忠告を受け入れて、暫し休憩すべきだろう。この状態で最奥へ向かうのは到底無理だ。


 変化を解くと、ラスロールを見た。まったく動じていない辺りが、もうさすがだなとしか言いようがない。


「痛いところはない? もう、平気?」


 ピィ、と返事をした後、ラスロールは立ち上がり、森の最奥へと進んでいく。元気になったのなら良かったとぼんやり見送れば、立ち止まってこちらをじっと見つめた。

 ……………なんだ?


『たぶん、案内するつもりなんだよ。呪いの大本に』

「えっ?」


 改めてラスロールを見る。その澄みきった青い眸が、ついて来いと言っているように思えた。


「案内してくれるのね……? 呪いの元凶に」


 ピィ、と再び鳴く。ニールとアレンたち、騎士団面々がはっと息を飲んだ。


「わかったわ。ありがとう。アレン、あとは、お願い、ね………」


 そこで俺の意識は途切れた。一睡もせず連戦に明け暮れた過酷過ぎる半日は、自分が思う以上の負担と疲労が五歳児の肉体に蓄積されていたようだ。


「―――はい。お任せください、お嬢様。良い夢を」


 一度ぎゅっと抱き締めて、俺を抱き上げたらしいが、夢の世界へ旅立った俺の知るところではなかった。






ブクマ登録&評価ありがとうございます(ノ≧∀≦)ノ

小躍りする勢いで喜んでおります(/ω\)キャー


友人に「まだ200件そこそこじゃん」と言われてしまいましたが、何を言うかヽ(♯`Д´)ノコリャーッ


一切宣伝活動していない中で見つけて下さり、さらに読んでみようかな、続き読んでもいいかも、とブクマ登録までして下さったこの有り難みが判らぬとは!

200件そこそこじゃないよ!

200件超えの方々が続き読んでもいいかなって思って下さったことが奇跡なんだよΣ(Д゜;/)/


拙い文章とストーリーを読んで、評価までつけて頂ける。もうお説教コースですよ、友人めっっ。


まぁそんな友人も変わらず読んでくれる読者サマですが、辛口です。ええ、抉る勢いで。ありがたいデスネ~(-∀-)


皆々様へ、この場を借りまして、改めて御礼申し上げます。

いつもありがとうございます(*゜∀゜人゜∀゜*)♪



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― 新着の感想 ―
[一言] とても読みやすい文章で ポテチのようにサクサクと読めます。 お話も 楽しく想像の斜め上に展開されて もう 楽しみで楽しみでたまりません。 発見したのが たまたまですが コメントで200件超…
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