69.森内部 2
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「少し止まってくれ」
森の内部に分け入って十分ほど経過した頃、先導する案内人・ニールが待ったをかけた。一本の大樹の根元に屈み、拾った小枝で何やら黒い物体をつついている。
「ニール?」
「これは熊の糞ですね……」
「熊?」
「はい。繁殖期は過ぎているので一番危険な時期ではないのですが、現在の時刻が活動時間帯とちょうどかぶっているので、遭遇してしまう可能性があるかもしれません」
地球の熊の生態と同じだと思っていいのかな。種類によっては繁殖期や活動時間帯に違いがあるけど、ヒグマやツキノワグマを基準にするならば、ヒグマが五月から七月、ツキノワグマが六月前後だったと記憶しているので、ヒグマにしろツキノワグマにしろ確かに繁殖期は過ぎている。
活動時間帯も、今の季節ならばツキノワグマは午前四時から七時と、午後五時から九時。ヒグマだと日中も活動しているらしいので、一概に時間帯で判断は出来ないだろうが、ニールの言う活動時間帯とかぶるというのがツキノワグマの行動時間と同じなら、今が六時ちょうどなので活動中の熊に遭遇する危険性はあるのか。
「糞の状態から見て数日経過しています。見る限りでは木の幹に背擦りや爪痕のマーキングはないので、縄張りではないでしょう」
「足跡は見当たりませんね」
「熊は警戒心が強いので、足跡を残すことは滅多にありません。仮に見つけたなら、速やかにその場を離れなければなりません。足跡が残っているということは、まだ近くにいる可能性がかなり高いと言えますから」
地球では登山する際、熊対策に熊鈴を携帯する。視覚は人間と変わらないが、嗅覚と聴覚は犬並に優れているそうなので、蚊取り線香などの臭いのするものや、大きくて高い音が出る鈴の音にいち早く気づく熊の方から、人間から逃げるように離れていくらしい。
例外もあるので、熊鈴さえ携帯していれば絶対大丈夫!というわけではない。ニールのようにこちらもよく観察し、熊のサインをしっかりキャッチして危険を回避しなくてはならない。
「鈴のような高い音が出るものを鳴らしながら歩いては?」
「それでは魔物にこちらの居場所を正確に伝えてしまいますから、悪手です」
「あ~……そうか、魔物か」
地球との大きな違いはそこだよな。あちらでは熊避けに鈴を鳴らしながら山歩きするのがセオリーだが、こちらでは魔物を引き寄せちゃうのか。
ニールが居なかったら魔物ホイホイ状態だったな、危ない……。
「熊の糞が落ちているということは、その他の獣はしばらく寄り付かないと思います。引き続き警戒は必要ですが、範囲は絞れましたね」
「直進しても平気そうですか?」
「ええ。恐らく問題はないかと」
「よかった」
ほっと安堵したら、急に喉の渇きを思い出した。そういえば昨日のお昼から飲食できていないんだったな。
「ニール。この場の安全にしばらく猶予はありますか」
「数時間ともなれば無理ですが、十分程度であれば。どうかされましたか?」
「私を含め、騎士たちは昨日から飲まず食わずの連戦続きだったので、余裕があるうちに補給したいのですが……」
「そうでしたか。本当にお疲れ様でございます。私が見張りをしておりますので、携帯食をお持ちでしたらどうぞお召し上がりください」
「ありがとう」
離れた位置で周囲を警戒している騎士たちへ歩み寄りながら、創造魔法で生成する食べ物を考えた。
匂いの強いものは獣と魔物両方を引き寄せてしまうだろう。ついでに言えば虫もだ。匂いが少なく、且つ食べやすい携帯食―――ああ、いいのがあるじゃないか!
「天姫様? どうされました?」
「皆さん飲まず食わずでここまで来られたでしょう? この先何が待ち構えているか分かりませんので、ここで補給しときましょう」
「それはありがたい! しかし、飲まず食わずなのは天姫様とて同じ。我らが見張りますので、まずは天姫様が召し上がってください」
「そうですよ! 我らは鍛えているので一日抜く程度どうということはありません」
騎士団の面々がいい笑顔で気遣ってくれるが、その天姫ってのはやめろ。
「お嬢……コウスケ様。彼らの言葉に甘えて先にお食べになってください」
「ありがとう。だがな、ノエル。十分ほどは安全性を保証するとニールのお墨付きだ。ここで一度に済ませてしまった方が時間を有効活用できるだろ?」
そう言って、創造魔法で経口補水液を十五名分生成する。野天なのでかさばらないウォーターキャリーにした。
汗と共にミネラルも失われるので、電解質を補給する必要がある。水だけでは、流出し不足しているミネラルを更に薄めることになり、体液が薄まると自発的脱水が引き起こされる。更に体内の水分が減少することになるので、大量に汗をかいたり、ずっと水分を摂取していなかった場合は体液に近い濃度の水分を摂らなければならない。
特にナトリウム不足は問題だ。集中力と運動機能が低下し、重症化すると致死的不整脈を引き起こすこともある。これは鍛えている、鍛えていないの問題ではない。
「まずは水分を補給してください。浸透性の高い飲み物なので、水より補給効率が高くなります。脱水状態は大変危険です。私を含め、皆さんはすでに脱水状態にあると思ってください。集中力と運動機能の低下を招くことにもなりかねませんので、まずは第一に水分補給です。さあ飲んで」
一人一人に手渡し、飲み方を説明する。未知の容器と飲み物におろおろしていた騎士たちは、臆することなく呷ったノエル、アレン、ザカリーに続くように、キャップを外してぐいっと飲んだ。
「これは……!」
「旨い!」
「それが美味しいと感じるなら、皆さんの体内は水分が不足している証拠ですよ。喉に渇きを覚える前に、きちんと飲む習慣をつけてくださいね」
「「「「「はっ!」」」」」
「ああでも、訓練中などは水だけでは駄目ですよ? レモンと塩と砂糖を加えてください。両騎士団の衛生兵の方に分量と作り方を伝えておきますので、演習時だけでなく日頃の訓練でも必ず飲むように。いいですね、オールディス騎士団長?」
「は! そのように致します!」
今回護衛としてついて来てくれた十名のうちの一人、ヴァルツァトラウム騎士団のテレンス・オールディス騎士団長に視線を向ける。さすがにエスカペイド騎士団の団長はお爺様についているが、十ある隊の内のひとつ、一番隊隊長は森調査に同行している。
ちなみに副団長はエスカペイドに残留中だ。団長が一番隊から六番隊まで率いて遠征中なので、留守を預かり守りを固める者が必要だからだ。
「エインズワース一番隊隊長もよろしいですね?」
「はい。必ずプリッドモア団長に伝え、早急に組み込みたいと思います」
そう、彼がエスカペイド騎士団一番隊隊長、ルシアン・エインズワースだ。スタンピード中にイクスの闇魔法に運悪くかかってしまった同僚の解除を求めた、あの優男だ。
森調査に同行しているのは、ヴァルツァトラウム騎士団団長のテレンス・オールディス、同じくヴァルツァトラウム騎士団の四つある隊から一番小隊隊長エルマー・アンブラー、二番小隊副隊長ビル・スウィーニー、三番小隊副隊長キャリー・テニエル、四番小隊隊長アリスター・アーチボルドが、次いでエスカペイド騎士団からは前述した一番隊隊長であるルシアン・エインズワース、二番隊隊長ウォルター・プロウライト、四番隊隊長トレーシー・タッチェル、五番隊副隊長ヒュー・シューリス、六番隊隊長ホレス・ギランの計十名である。
今さら言っても仕方ないのだが、騎士団のトップや小隊の精鋭たちが俺についてしまって良かったのだろうか。
考えても意味はないので、よし、と頷くと、俺も水分と電解質をチャージした。
次いで創造魔法で十四名分の固形携帯食、栄養調整食を作る。見た目はショートブレッドに似ている、地球ではお馴染みのアレだ。
一人四本の五十六本を空中に生成し、二本ずつを包紙で包むと十名の騎士と俺専属護衛三名の眼前に下ろしていく。
「携帯食です。二本ずつ入っていますので、包紙を破って食べてください。四本で一日に必要な栄養素の半分は摂れますから、消費したエネルギーを補充できると思います」
「たったこれだけの量で、一日の半分の栄養が摂れるのですか!?」
唖然と掌の上に二つ重なった包紙を見つめる騎士たちとは対照的に、ノエル、アレン、ザカリーは頓着なく包みを破ると、さっさと胃袋に収めてしまった。
「早く食べた方がいい。ゆっくり談笑している時間はないぞ。お嬢様……いや、コウスケ様が作られたものなら味も栄養も完璧だ」
ザカリーの言葉にはっと我に返ったようで、騎士たちもいそいそと包みを破り、一本を口にした。
「こ、これが携帯食……!?」
「俺の知ってる携帯食じゃない……なんだこれ、めちゃくちゃ旨いっ」
「天姫様のお作りになったこれは、きっと神界の食べ物に違いない」
うん、違うからな? 地球じゃ普通に売ってるから。
感動にうち震える騎士たちを放置して、俺はウォーターキャリーと栄養調整食をニールへ運ぶことにした。
「ニールも補給できる時に口にしてくれ」
「またあなたはとんでもないものを作り出しましたね……もう何が起こっても驚かないようにします」
「それは重畳。そういうものだと流してくれるとかなり助かります」
ニールは苦笑いすると、頂戴します、と受け取ってくれた。
『リリー。ナーガも』
「ああ。分かってるよ。ちょっと待ってな」
受肉してしまったので、まず水分補給をさせたい。ナーガが飲みやすいようにウォーターキャリーではなくハイドレーションにする。
チューブを差し出すと、咥えてちゅーちゅーと吸い始めた。短い前足でハイドレーションを抱き締めるように持っている。
(かっ………可愛い……っっ)
なんだこれ! なんだこの可愛い生き物は!
俺は身悶えながら掌に栄養調整食を生み出し、そっとナーガの口元に持っていく。チューブから口を離すと、小さな顎でかぷりと齧りついた。ハイドレーションを俺に手渡し、器用に前足で持ってカリカリと牙を立て食べているその姿は、リスにとてもよく似ていた。
(ナーガが可愛いのは前々から分かってたことだけど、これは反則だろう……! 餌付けしたくなるっっ)
遠い日々の幼い妹に抱いていた、母性愛にも似た溺愛っぷりを鮮明に思い出す。ナーガを愛でるのは、もはやそれに近い。
ナーガって可愛いだろ?とばかりにニールを見れば、ニールも口許をによによさせながらこくりと首肯した。
やはり可愛いは正義だな。ここにもナーガを愛でる会会員候補が誕生したな。
ナーガが食べ終えたのを見計らってハイドレーションのチューブを差し出せば、再び咥えてちゅーちゅーと吸う。もう一本生成し、食べさせてまた飲ませる、を三度ほど繰り返したところで、ナーガが首を左右に振った。お腹いっぱいらしい。残念だ。
残りを異空間に仕舞いながら、俺もぱぱっと栄養調整食を四本食べ、ウォーターキャリーを飲み干す。その後全員の包紙とウォーターキャリーを回収し、同じように異空間へ収めた。
「ジャスト十分ですね。そろそろ先へ進みましょう」
ニールの言葉に俺達は頷き返すと、先導するニールに続いて森の更に奥を目指す。
樹冠の隙間から陽が差し込み、足下をやんわりと照らし始めた。森の奥まで視界が通るようになり、格段に歩きやすくなる。
「コウスケ様、魔物は探知できませんか?」
「ええ。今のところは罠も私たち以外の人間も反応はありませんね」
「そうですか。平時ならばこの辺りはゴブリンやグールの奇襲ポイントなんですが、やはりスタンピードの影響でしょうか」
「防衛線でかなりの数を殲滅しましたからね……狩り尽くしたとは思いませんが、ピンポイントで遭遇するほどは残っていないのかもしれませんね」
俺はそう応えながら、一度獣の索敵もやってみる。獣は緑色表示に設定し、常時展開している索敵魔法に重ね掛けしてみた。
「……………ん? これは……なんだ?」
「どうされました?」
「いや、ちょっと待って。これって……」
訝るニールたちに返答を待ってもらい、引っ掛かった方角へ意識を伸ばしていく。
うーん、と眉をひそめる俺にアレンが声を掛けた。
「何か不審なものが?」
「いやな、さっき獣の探知を索敵魔法に重ね掛けしてみたんだけど、一箇所気になる表示が見えるんだよね」
「気になる、とは?」
「緑色に表示されるようにした途端、その件の場所で一つだけ点滅し始めたんだよ。点滅してる時点で俺の表示設定とは違ってる。不規則についたり消えたりして、込められた魔力がなくなりかけている時の灯りのような、って言えば分かるか?」
前世風で言うならば消えかけの蛍光灯だ。
「何でしょうか……気になりますね」
三次元化した索敵魔法は常に視覚と同期されている。半径百メートルに引き伸ばした魔力に意識を這わせれば、その端まで視野を飛ばすことも出来る。
不審に点滅している箇所まで進むと、俺の神眼はあり得ないものを視てしまった。
息を呑んだ俺にアレンたち専属護衛がさっと険しい視線を四方へ走らせる。
「コウスケ様……?」
「ニール。ここから左へ十時の方角には何がある?」
「それならば鉱山の一つ、西から数えて三つ目のアストラへ続く支流の一本が流れています。我々砂金ハンターが仕事をする場所の一つですね。そこに何か?」
「その支流に、前言した緑色の点滅が見えるんです。それに、これは………」
森で異変が起きているのは確かなようだ。
それも、想定していたよりずっと悪い。
「ナーガ、これって」
俺と視覚を同期したナーガが、金色の双眸を剣呑に細めた。
『呪い、だね』
やはりそうなのか。
禍々しい闇魔法の気配がする。俺の神眼にははっきりと、魔素とは明らかに違う表徴が視えていた。
生き物のようにうねる文字の鎖が幾重にも重なり、それを縛り徐々に変質させている。言うまでもなく、決して触れてはならない代物だ。
嫌な予感が背筋に氷塊を滑らせ、覚えずぞくりと身震いする。
知りたくないと本能が告げているが、あれを無視して最奥へ進むのは危険すぎる。恐らくあれは答えの一部だ。素通りは出来ない。
やりたくないと叫びたいのを必死に堪え、俺は索敵魔法にさらに追加の探知を重ね掛けした。
感知対象は、淡い紫で表記する。
途端、問題の箇所がその色に変わり、波紋が広がるように索敵範囲内を染め上げた。
ちょっと長くなってしまいました。読了お疲れ様です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
『灰かぶりのお薬屋さん』も覗いて下さると嬉しいです(*´艸`*)