61.第二防衛線 5
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頭上に現れた新手のドラゴンは、捕縛中のドラゴンよりも大きく、その巨躯は十五メートルを優に超えていた。
グルルルと低い唸り声を立て、俺を睨んでいる。番か、もしくは親か。閉じ込める結界を行使しているのが誰か正確に理解した様子で、俺だけに威嚇を向けてきた。
どう対処すべきか逡巡した、須臾の間。矢庭に俺へ尾が振り下ろされた。
「―――――っ!!」
「リリー!!」
「レインリリー!!」
イルとお爺様が叫声を上げ俺を抱き締め庇うのと、反射的に下した判断は同時だった。詠唱していては間に合わない……!
かざす左手では捕縛中の結界を維持し、右手ではイメージ優先の無詠唱で防護魔法を発動した。またもや前頭葉に鈍い痛みを覚えるが、今は無視する他になかった。
衝突と共に凄まじい衝撃音が轟く。耐えきれず一枚目に亀裂が生じ、パラパラと虹色の欠片が落ちていった。
俺はごくりと唾を呑む。捕縛中のドラゴンより威力がある。鞭のようにしなる尾だけでこれだ。ブレスを吐かれたら完全に防ぎきれるか自信がない。
これが天災級といわれるドラゴンか。
そんなものが何故ヴァルツァトラウムに二頭も存在してるんだよ。あり得ない連戦の止めが絶対王者だなんて、非現実的な不運に見舞われるなど天文学的数値の確率じゃないか。
亀裂を修復しつつ、一段と強度を上げた防護壁の層を半球状に騎士団全体に広げた。並行して捕らえているドラゴンの結界壁も、微調整と追加を繰り返していく。すでに詠唱する余裕はない。
酷くなる頭痛に焦燥感が増していく。
このままでは先に俺が倒れてしまう。そうなれば防護魔法は消失し、この場にいる者たちだけでなく、領地すべてに被害が及ぶかもしれない。もしくは王都にまで牙が届くかも……。
嫌な想像を振り払うように頭を振る俺に、お爺様が告げた。
「防護魔法を解け、レインリリー。一人で二頭を抑えるのは無理だ」
唐突な言葉に頭が追いつかない。何を言っている?
「解きません! 解けばどうなるかお分かりでしょう!?」
「ああ、分かった上で言っている」
「でしたら!」
「このままでは先にお前が死ぬ。そうなのだろう?」
言い訳すら浮かばないほど切羽詰まっているのだと、歯噛みした様子から察したようだった。優しい笑みを浮かべて、お爺様が俺を力強く抱き締めた。それだけのことが、酷く不安に駆り立てる。
「最愛のお前を死なせるつもりはないぞ。先代領主としてあれを片付けるのは私の役目だ。お前は守られておれ」
「嫌です! 駄目です! 属性魔法は効きません! 剣も通りません! 手段もなく対峙して死ぬおつもりですか!」
「一矢報いてお前を守れるならば本望よ」
そう言って頬に口づけを落とした直後、俺を護衛たちに投げて寄越した。
「レインリリーを連れて直ちに逃げよ!」
「お爺様!!」
「近衛騎士も聞け! 殿下をお連れし、王都へ逃げ延びろ! アッシュベリーの護衛たちもだ!」
「「「………はっ!!」」」
お爺様に最敬礼した護衛たちは、俺とイルとイクスを抱き抱え、軍馬に跨がる。
「―――――ご武運を!!」
「嫌よ!! 離しなさい!! アレン!!」
「申し訳ございません、お嬢様……っ」
「離して!! お爺様!! お考え直しください!! わたくしをお側に置いて!!」
「行け!! 生き延びろ!!」
「………っっ」
鞭を打たれ走り出す馬上から、俺は遠ざかるお爺様の背中を凝視した。
終わるのか。本当にここでお別れなのか。
俺は最後の最後で役立たずだ。守ると誓った命を見捨てて、無様に守られ、逃げるしかできない。
属性はすべて試した。お爺様や騎士団に手段がないのは分かりきっている。俺が遠ざかることで防護魔法も結界も消失するだろう。五百を超える命が、一瞬で刈り取られてしまう。俺たちとて逃げたところですぐに追いつかれる。結局誰ひとり守れないんだ。
不甲斐ない。情けない。何が神の使徒だ。何が天女だ、女神だ、天姫だ!
何一つ守れやしないくせに、こうして逃げることしか出来ないくせに!
思い上がるな! お前はただの小娘だ! 何でもできる気になって、手に負えなければ尻尾を巻いて逃げ出す卑怯者だ!
悲劇のヒロインぶって、尻拭いは他人任せにする甘えただ! 今のお前に出来ることはなんだ!? 考えろよ! それさえ放棄して嘆く権利がお前にあるとでも思うのか!
考えろ! 考えろ! 考えろ! 考えろ!!
お爺様たちを守っていた防護魔法が砕け散った。結界壁も間もなく突破されるだろう。
嘆くな! お前の甘さが招いた結果だ!
目を逸らすな! お前の不甲斐なさが起こした事態だ!
逃げるな! お前が非力なのは変わらない!
尾が振り下ろされる。防護壁に亀裂を入れた一撃だ。盾もなく挑む彼らを一瞬で殺せる脅威だ。人の形のまま死ねるとも思えない。ただの肉塊と化し、残骸が誰であったかを示す形として残ることはない。
……………いやだ。いやだ。いやだ。いやだ。いやだ!
認められない! 受け入れられない! 誰かが死ぬのは嫌だ! お爺様を失うのは嫌だ!
「ラング!! カスティーリア ユルエヴァルア!!」
距離なんて関係ない。守るんだ、この俺が!
出来ないなんて思うものか! 諦めてたまるか!
再びの防護魔法に騎士団のどよめく様が伝わる。
「ラング!! カスティーリア イエラトワール ペントフィディ!!」
壊されてなるものか! お前はそこから一歩も出るな!
結界壁がぐにゃりと姿を変え、ドラゴンの肢体を締め上げていく。ブレスを吐けないよう口輪が掛かり、四肢を縛り、胴体に巻きつく大蛇の如く構造色の結界が殺す勢いで絞まる。苦しみの呻き声が漏れるが、ドラゴンは咆哮もブレスも固く閉じられた口腔から発することは叶わない。
「ナーガ!!」
俺の叫声に呼応して閃光が走った。突如光に目を射られた軍馬たちが嘶き混乱する中、護衛や近衛騎士たちが必死に手綱を操った。
瞬きの間に巨大な水龍の姿に戻ったナーガが頭上に現れ、軍馬が恐怖からその場に硬直した。近衛騎士たちも絶句し、新手かと凍りついたまま上空を仰ぎ見ている。それはイルもイクスも同様だ。
ナーガの姿が変わっていた。水魔法だった時の姿ではない。東洋式の龍の姿はそのままだが、長い胴体を覆う鱗は美しい青銀色に煌めいており、神々しさが増していた。時間と余裕があればじっくり眺めて堪能したいところだが、生憎とそうはいかない。
じっと金の双眸を俺に据え、どうするのかと待っている。
「―――ドラゴンを殺せ!!」
意を受けたナーガは軍馬が駆けた距離を一瞬で戻り、一際大きなドラゴンに取り憑いた。長い胴体を駆使し、ドラゴンをみしみしと締め上げていく。
「エスクルジュ イロウテーナ。―――前線へ戻れ」
アレンの軍馬の首に手を触れ、耳元で囁く。びくりと震えた直後、操り人形のごとく馬首を返した。
「え!? イライアス!? 何をしている!!」
アレンが手綱で馬首を向け直そうとするが、俺の掛けた闇属性魔法・誘引によって、イライアスと呼ばれた軍馬はドラゴンの元へと駆け戻っていく。
「おい!! アレン!!」
「リリー!!」
イルとノエルの焦った声がするが、俺は振り向きもしない。ノエルはザカリーと共に追いつき並走した。
「なぜ戻る!?」
「知らん!! 急に言うことを聞かなくなった!!」
「まさか、お嬢様……!?」
ザカリーの言葉にノエルとアレンの視線が突き刺さる。
俺はじっと前だけを見据えていた。蛇と化した結界壁に絞められているドラゴンは一切身動きできていない。ブレスも爪牙も尾も封じた。これでしばらくは持つ。
次いでナーガを見た。よほど苦しいのだろう。ナーガに取り憑かれたドラゴンは泡を吹きながら激しく抵抗し、ナーガの身体を傷つけていく。裂かれ、抉られ、噛みつかれるナーガの姿に心臓が凍りつく思いだった。
お爺様たちを救うためとは言え、大切なナーガが傷つく姿は寒心に耐えない。
でも神様は仰っていた。魔素はあらゆる事象の影響を受けないし、消滅もしないと。その言葉を信じ、ナーガを信じる!
「なぜ戻った!! 何故だ!!」
舞い戻った俺にお爺様が猛烈な憤りを向ける。それも甘受する覚悟で戻ったのだ。今さら怯んだりなどしない。
「誰も失うつもりはないとわたくしも申し上げました」
「お前はグレンヴィルの誇りだ! 希望だ! 未来だ! それが何故わからん!!」
「そう思って下さるなら! 側を離れようとなさらないで!」
零れた涙にお爺様の眸がくっと見開かれる。くそ、泣くつもりなんてなかったのに!
「お爺様や騎士団の犠牲の上に成り立つ未来などあってたまるものですか! わたくしは逃げません! 逃げ果せるならお爺様や騎士団も一緒です! それ以外は認めませんわ!」
甘っちょろいことを言っている自覚はある。生き残る確率を選んだお爺様が正しいことも。俺の主張は綺麗事の単なる我が儘だ。あれは嫌これは嫌と駄々をこねているのと大差ない。それでも。
「お婆様とお母様がお待ちしているエスカペイドのお邸へ一緒に帰るんです!」
この話はこれでおしまいとばかりに乱暴に涙を拭うと、ナーガに視線を移した。
近づいてようやく知る惨状に愕然とした。
至るところに傷をつくり、青銀色の鱗が剥がれ血を流している。あらゆる事象の影響を受けないはずのナーガが血を流すなどあり得ない。どうなっている?
『某かの力が働いてる。ナーガは生身を持ってしまった』
俺の疑問に答えてくれたのは、周りを浮遊する金の魔素だ。
『生身? それじゃ、ナーガが死ぬこともあるってことか!?』
『身体は死ぬけど、魔素に戻るだけ』
『でもナーガは死ぬんだろ!?』
『そう。ナーガという個体は死ぬ』
「ナーガ!! もういい!! このままじゃ消滅してしまう!!」
俺の悲痛な叫びに、追いついたイルとイクスが驚愕の声を上げた。
「ナーガ!? あれはナーガなのか!?」
「どういうこと!? ナーガはラースカじゃなかったの!?」
「消滅ってどういうことだ! リリー!」
「今は説明してる余裕はない! ルギエル! ネスルクール!」
ナーガだけに聖属性回復魔法を掛ける。黄金の魔法陣がナーガを包み、裂傷を塞ぎ青みを帯びた銀の鱗を再生していく。
某かの力が働いてるとか、生身を得たとか、気になることは山ほどあるが、すべて後回しだ。
暫しの攻防戦が上空で繰り広げられた。絡みつくナーガから逃れようともがくが、締め上げていく力は一層強まる。ナーガが傷を負うたび回復魔法を施し、その唯一の命を繋ぎ続けた。悔しいが、俺が支援できるのはそれくらいだった。
次第にドラゴンの動きが緩慢になってきた、そのとき。ゴキン!と盛大に首の骨の折れる音が響いた。
ドラゴンは悲鳴のような弱々しい咆哮を上げ、血の泡を吹いてぐったりと弛緩した。するりと長くしなやかな巨躯をくねらせると、ナーガは絶命したドラゴンを地表へ捨てる。
「ナーガ」
両手を差し出すと閃光が走り、いつもの見慣れた、白い和毛に覆われたイタチのような姿に戻った。胴体をくねらせ宙を泳いでくる。定位置の首に巻きついて、頬を寄せてきた。
「ありがとう、ナーガ……痛い思いをさせてごめん」
『リリーの願いに応えただけ。ナーガも少し驚いてるけど』
「どうして生身に?」
『リリーの創造魔法だね。それ以外の力も感じるけど、今はそれ以上はわからない』
俺のせいなのか。強張る頬に今一度ナーガがすり寄った。励まし慰めてくれている。
俺からもすり寄ると、結界蛇にすべての動作を抑えつけられているもう一頭のドラゴンへ歩み寄った。
「待て、レインリリー! 近寄るな!」
「リリー!!」
お爺様が前に立ち塞がり、イルは後ろから羽交い締めにする。
「大丈夫です。次こそは間違えない」
「なに? 何の話だ」
「もう出し惜しみは一切無しです。今後のことより今を選びます」
「待て。お前は何をしようとしている」
「わたくしにしか出来ないことを」
離さないイルに、スタンガンの要領で軽く放電する。小さな悲鳴を上げ膝をついたイルに驚き、近衛騎士が慌てて駆け寄ってくるが、俺はそのまま振り返らずドラゴンに近づいた。
地に横たわるドラゴンの、憎しみに染まった金の眸が俺を睨む。
「お前たちがヴァルツァトラウムを襲った事情は知らない。だがお前たちはやり過ぎた。その報いは受けてもらうぞ」
荒い鼻息と憎悪を宿す金の眸だけがドラゴンに与えられた自由だ。それ以外の全てを封じられたドラゴンの鼻先に手を触れ、試していなかった魔法を唱える。
「ラング カスティーリア リェプギール」
びくりと一度震えたドラゴンは、固まったまま砂のようにざらりと輪郭を崩し、消えていく。
使ったのは万物流転だ。この世のありとあらゆる事象を変化させる魔法。形あるものを成長させることも、朽ちさせることもできる。
時間に縛られる限り、変化しないものなど存在しない。施された結界をなかったことにだって出来る、反則技のような魔法だ。お父様に使わないようにと厳命されていた、禁忌の魔法。
舞う蛍のごとく光の粒子となって昇華していく様は幻想的で、残されたのは大量の鱗と爪牙、抱えるほどの真っ赤な特大魔石だった。
万物流転であれば討伐できるということだ。大変美味であるらしいドラゴンの肉まで消失してしまうのは勿体ないが、他に絶命させる方法がない以上、鱗などの素材や魔石が残せただけで良しとしよう。
ナーガが仕留めた一際大きいドラゴンへ歩み寄る。
このまま放置するわけにはいかない。腐って疫病の温床にならないようにという意味もあるが、死骸は残すべきじゃないと漠然とした警鐘が鳴るのだ。
スタンピードはドラゴンのせいかもしれないが、ドラゴンが元凶じゃない。魔素を森から閉め出すなど、一介の魔物でしかないドラゴンに出来るとはどうしても思えない。
一度だけ大挙して現れたアンデッドの存在が気になっていた。出で立ちから、あれはすでに討伐された魔物だった。殲滅した魔物は全て灰に変えたはずだが―――そこではたと気づく。
倒れる前に氷漬けにした魔物の群れ。氷像の背後から立ち上る土煙。
そうだ。ナーガが凍らせた魔物は、バジリスク、マンティコア、グールの群れだった。アンデッドとして現れた種と一致する。
その後押し寄せたスタンピードで氷は砕かれ、氷と一緒に凍らされた身体も欠損したのではないか。何らかの原因でそれらがアンデッドとして甦り、大挙して押し寄せた。
アンデッドの原因の大本は、森の最奥にあるんじゃないのか? だから嫌な感じがして、森に居られなくなった。つまり、閉め出されたのでは……?
そこまで考えて、ぞくりと背筋が凍った。
これで解決したとはどうしても思えなかった。