60.第二防衛線 4
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◇◇◇
不意打ちの口づけに、くっと目を見開いた。
最初の軽く押し当てただけのものとは違う、今度はしっかりと唇を食んだ、これはキスだと断言できる触れ合いだった。
(こいつ……っ、本当に五歳児か!?)
常ならば俺こそがそう言われる感想をイルに抱く。
どんな教育を受けたら五歳で正しい唇の重ね方を習得できるってんだ!? いや正しい唇の重ね方ってなんだ。落ち着け俺!
幾度か食んで、ちゅっとリップ音を立て離れたイルに、俺は今度こそ青筋の浮いた笑みを形作ると、手加減なしの頭突きを額に食わせた。
「痛っっ!」
「痛い? 痛いですよね? 目は覚めましたか? ふふふ。その御年齢で耄碌したのかと思いましたわ」
ふふふふふ、と笑う俺の苛立ちに呼応して、あちらこちらでスパークと冷気が発生する。一同の呼気が白み、スパークにバチリとやられて悲鳴が上がる。風が吹き荒れ、地鳴りと共に地面が隆起し、火の玉がいくつも浮かび上がる。
俺の背後に上位蜃気楼が発生し、突如現れた二つ目の疑似太陽に目を覆った面々が恐れ戦いた。
「地属性まで……!?」
「まさかっ、六属性持ち……っ!!」
あ、ヤベ。瞬間的な怒りに翻弄されて、黄色と橙の魔素まで動いちゃった。
近衛騎士の戦く声に、急速に冷静さを取り戻した俺は、次いで感極まった様子の両騎士団面々が、祈るように跪いた姿にぎょっとした。
「後光が………っっ」
「て、天姫様はやはり、神の御遣い様……!」
おい止めろ! 後光なんて差してねぇよ! 蜃気楼で疑似太陽が増えたように見えるだけだ!
面倒臭い事態に発展させてしまったことを激しく悔いながら、すべての属性の影響を散らした。
「ご、ごめん、リリー。そこまで怒るとは思わなかった」
「殿下。相手の同意を得ていない一方的で行き過ぎた行為は、性的いやがらせと同義です」
「せ、性的いやがらせ……心をざっくりと抉られた……」
よろめくイルを慌てて支えた近衛騎士たちも、青ざめたまま唇を引き結んだ。物言いたげな視線に片眉を上げた俺は、何だよ文句あんのかとばかりに目を眇める。
揃って首を振った近衛騎士を、ふん!と鼻息荒くあしらった。
なんだろうな。イルの護衛は揃って俺を苛立たせる。イクスの護衛になくて近衛騎士にある違いって何だろうか。
常に値踏みされているような、監視されているようなねっとりと絡みつく視線が嫌なのは分かりきっていることだが、他に鼻持ちならない要素が確かにあるはずなんだよな。
眉根を寄せ記憶発掘に勤しんでいると、ふと自分の護衛に目が行った。
俺が何をやらかしても恐れ戦くことのない、肝の据わった忠誠心溢れる専属護衛たちをじっと見つめた。途端、はたと思い立つ。
エスカペイドの邸を出る際、侍女たちが自主的に話し合い決めた同行者の精選理由。イルとイクスの連れたそれぞれの侍女が侯爵家の出だということで、格下だと舐められては困ると同格の侯爵家出身のケイシーが選ばれた。
確かに同行中、イルの侍女はケイシーとイクスの侍女を格下のように扱う節があった。近衛騎士もそうだ。イクスの護衛を見下す言動が度々見られ、今回初めて警護を共にしたノエル、アレン、ザカリーに対しては殊更その傾向が強いように思えた。
なるほどなぁ、と俺は一人納得する。
詰まる所、俺は俺自身にとって最上で大切な護衛たちを馬鹿にされたことが、心底面白くないのだ。
理由がはっきりしたところで、俺の近衛騎士に対する好感度は更に低落した。
俺の侍女と護衛は優秀だ。仕える家に王家と公爵家の違いがあろうとも、馬鹿にされる謂れはないぞ。
これだから家格や権力重視の輩は嫌いなのだ。
俺のことだって、値踏みなどせずとも王家に嫁ぐ予定は今後もねえよ。
魔窟だと仰ったディアドラお婆様のお婆様にあたる王女殿下のお気持ちが、今ならばよくわかる。お披露目の日に召喚された内廷で、向かう道中を蛇の腹へ赴くようだと感じた嫌な印象は間違っていなかったのだろう。
俺の大切な者たちを嘲弄するその性根が気に食わない。
『ナーガ。アンデッドの第二波は来そう?』
悪感情を散らすようにナーガに問いかけた。いま必要なのはそんな生産性のない感情ではない。スタンピードが打ち止めならば、元凶の森の最奥へ行かなければ。
『う~ん………たぶん大丈夫。森の中までは見えないから確証はないけど』
『森の中が見えない?』
それはおかしな話だ。ナーガは他の魔素と繋がっているので、魔素が存在するかぎりナーガに見渡せない場所はないはずだ。
森に目が届かないということは、森の中に魔素がいないということになる。
『その通り。今の森に魔素は入れない』
『入れない?』
『そう、入れない。閉め出されたと言うべきかな』
『閉め出す? 誰に?』
『わからない。嫌な感じがして、そこには居られなくなった。そう言ってる』
どういうことだろう。居られなくなるようなものが最奥に存在するってことか? 考えてみたが、神の一部である魔素を追い出すほどのものが何なのか、想像もつかない。
魔素が嫌うのは魔術の魔法陣だが、まさか鉱山に魔法陣が? 誰が何のために?
『それに関しては肯定も否定も出来ない』
『直に行って確認しなきゃ、結局はわからないままってことか』
『そういうことだね』
話は振り出しに戻る。最奥へ辿り着かなければ何一つ解決しないということなのだから。
『魔素が閉め出されるほどの場所だ。ナーガは行けるのか?』
『それもわからないけど、嫌だと感じる程度なら我慢できる。リリーを一人にはしないよ』
『それは嬉しいな。ナーガが側にいてくれるなら百人力だ』
『任せて。ナーガの基になっている属性であれば魔法も使えるから、森の最奥へ潜っても対処できるよ』
ナーガは青と金と銀の魔素で構成されている。ということは、水属性と聖属性、創造魔法なら使えるということだろう。充分だ。
「お爺様。森の最奥へ異変の原因を調べに行きます」
「なに? お前が? 駄目だ。さすがにそれは許可できん」
「ですがお爺様。わたくしでなければ森で魔法は使えませんよ」
「どういう意味だ」
ナーガに聞いた情報を掻い摘まんで説明しようとした、その時。
『! リリー! 第二波だ!』
ナーガの緊迫した警告に俺も北の森を顧みた。
これほど切迫した声で危険を告げたことのないナーガの切羽詰まった様子に、否応なしに俺の緊張も高まっていく。過るのは最悪の事態だ。
「お爺様! 第二波です!」
「またか! 騎士団、陣形を―――」
指示を飛ばそうとしたお爺様が最後まで告げることは出来なかった。
爆風に煽られ、体重の軽い俺たち子供は簡単に吹き飛ばされた。アレンとザカリーに抱き止められ事なきを得たが、俺を始め誰しもが茫然と白み始めた空を見上げていた。
耳をつんざく咆哮を上げ、ばさりと皮膜の張る翼をはためかせるそれは、威風堂々と上空からこちらを睥睨している。全身は鈍色の鱗に覆われ、力強い四肢には鋭い鉤爪がぎらりと凶猛に煌めいていた。縦に細長い瞳孔の金色の眸は竦み上がるほど獰猛で、生きとし生けるものの頂点に君臨する王者の風格を示す。
聞きしに勝るその姿は、ドラゴンと呼ばれる存在だった。
「そんな………」
「終わりだ………」
騎士団の震える声が耳朶に触れる。
六メートル超えのヒュドラでさえ三十人掛かりでようやく討伐できるというのに、軽く十メートルを超えるドラゴンには何十人、いや何百人で挑めば仕留められるだろうか。加えて相手は上空だ。翼をはためかせるだけで爆風を巻き起こす相手に、機動力すら劣る人間がどれほどの犠牲を払って討伐できると言うのだろう。
あの鋼鉄より頑丈な鱗に覆われた肉体に、剣など物理攻撃はまず通用しない。魔法にも耐性を持つと聞く。空から引きずり下ろすことさえままならない、物理も魔法も通じない相手に対抗手段は存在するのか。
お母様がナーガをドラゴンと見間違えた時、蒼白になった理由をようやく理解した。
これは次元が違う。人間がどうこうできる相手ではない。
そこでようやく合点がいった。
魔物のスタンピードは、このドラゴンが元凶だったのだ。
恐らく、四つの鉱山の内いずれかに住みついたドラゴンから逃げ出してきた結果なのだろう。食物連鎖の頂点に立つ魔物の王だ。森の最奥の魔物たちとて捕食の対象になる。
逃げ出した結果がスタンピードであり、餌を失くしたドラゴンまでもが捕食の対象を人間に固定したのかもしれない。
(冗談じゃねえぞ………!)
ドラゴンは、一頭でも出現すれば天災級だとされる。人間はただひたすらに息を潜め身を隠し、嵐が過ぎ去るまで蹂躙と破壊を甘受する以外にない。
では、身を隠すシェルターもない荒野の中心で、ドラゴンに睨み下ろされている俺たちはどうなるのか。考えるまでもない。
再びの咆哮に咄嗟に耳を塞いだ。なんて爆音だ。
降下する絶対王者にあちこちで悲鳴が上がった。逃走する者、凍りつく者、へたり込む者、果敢にも魔法を放つ者と、様々な反応を見せるが、さすがに俺とイクスの護衛や近衛騎士たちは逃げ出さなかった。
「ラング! カスティーリア ユルエヴァルア!」
銀色の魔素が大挙し、構造色を帯びた巨大な防護壁が三重に構築されるのと、降下したドラゴンの爪が振り下ろされるのは同時だった。
ガオン!と衝突音が轟く。防護魔法に驚愕した一同は、罅ひとつ入らなかった防護壁に更なる驚きの声を漏らした。
「これは、防護魔法……!?」
「あり得ない……! 防護魔法は無属性っ、チェノウェス公爵家のお家芸だぞ……!」
騒ぎ喚く近衛騎士の相手などしている余裕はない。防護魔法まで知られたのは大問題だが、出し惜しみしている状況でもない。保身に走れば全員が死ぬ。
防がれたことに腹を立てたのか、苛立ちの咆哮を上げ、ぐるんとその場で巨体を回し、鞭のようにしなる尾を叩きつけてきた。
凄まじい衝撃と音に怯みそうになる。励ますようにナーガが頬にすり寄った。
またしても防護壁は無傷だった。ドラゴンの猛攻に二度も耐えた事実にどよめきが起こる。
攻撃は防げた。しかし防御一辺倒では解決にならない。寧ろこちらから攻撃する手段がなければじり貧は避けられない。
ドラゴンの喉が赤く鈍い光を放った、露の間。
憤懣をぶつけるように、極大の炎のブレスが防御壁を襲った。威力と脅威を防いでくれているが、それでも肌をちりちりと焼く熱気は防ぎきれていない。
一瞬ですべてを無に帰す烈火に耐えかねて、一枚目の防御壁が砕け散った。二枚目に罅が入り始めたところで、改めて三枚追加で重ねる。
防御壁が割れた上に、さらに罅割れていく二枚目の様子に息を呑む面々だったが、層が厚くなったことに仰天の声を上げる。
これほどの強度、これほどの規模などあり得ないと恐怖する近衛騎士の声が耳障りだ。
どうやって倒す? 物理、魔法共に耐性を持つなら、何だったら有効だ?
防御に徹しながら、俺は必死に考えた。
このままでは取り逃がしてしまう。街まで飛んで行くドラゴンを追走するのは困難だ。馬の脚でも追い付けない。ここで仕留めなければ、人も建造物も全てが犠牲になってしまう。
考えろ。考えろ。どうする。どうやれば仕留められる?
何も思いつかず歯噛みした。
とにかく逃がさないことを大前提に、結界に閉じ込めてしまうべきか。
迷っている暇はないと息を吐き出し、下腹に力を込めた。
「ラング! カスティーリア イエラトワール!」
構造色の結界壁が、ドラゴンを捕らえるように天地四方を取り囲んだ。一枚だけで捕縛できるとは思えない。層を厚くし、加えて五枚重ねる。
怒り狂ったドラゴンは、狭い結界壁の中で狂暴に振る舞っている。尾を振り回すスペースはないので、鉤爪を打ち付けたりブレスを吐き出す。結界内部が火炎に包まれるが、自身のブレスに焼かれることもなく、内壁を破壊して暴れまわった。
結界が壊れるたびに内部空間にゆとりが生じてしまうため、割れたら縮めて調整し、減った分だけ結界の外壁を増やしていく。
合間合間に七属性すべてを試してみたが、どれも効果がない。強靭な鱗に傷ひとつ付けることができないとは思わなかった。
闇属性の眠り魔法だけでなく、混乱、衰弱、石化、即死すら効かないとは、反則的に強すぎるだろう。
さすがは天災級。台風や地震災害相手に戦っているような、無意味で無謀な賭けをしている気分だ。
手探りの攻撃と、結界の維持に細かい調整。その一手を担う俺は必死に対処法を模索していた。三つの作業を並行して行う負担は想像以上に過酷で、一瞬でも気を抜けない。
(くっそ……! どうすれば……っっ)
焦燥感に駆られた、須臾の間。
またもや轟いた咆哮に色を失った。
鈍色の鱗を纏った個体が、もう一頭上空に現れた。
読んで下さりありがとうございました( *´艸`)