59.第二防衛線 3
ブクマ登録&評価ありがとうございます!
殲滅し終えたあと、しばらく警戒していたが魔物は現れなかった。今までの怒涛の勢いだったスタンピードが嘘のような静けさだ。
お爺様の指示で地属性持ちが大穴を穿ち、風属性持ちが屍を穴に落としていった。火属性持ちがその全てを焼き尽くし、大穴に残ったのは大量の灰と、それに埋もれて鈍くきらめく数々の魔石だった。
魔石は重要性が高く、魔物の強さに応じて質も純度も高くなるので、これだけの高ランク魔石を大量に捨て置くのは勿体ないにも程がある。ざっと目見当で見積もっても、領地を向こう三年は豊かにできるほどの、潤沢な資金になりえる量と質だ。
魔石は様々なものに活用されている。例えば冷蔵魔道具や魔道コンロ、魔道石窯などの魔法陣に使用されていたり、照明や浄水など生活面に利用されているだけでなく、防護壁の結界陣や武器防具の耐性付与など、用途は多い。
魔石に直接魔法陣を刻んだり、特殊なインクに砕いた魔石を加えたもので魔法陣を画いたりなど、使用法は用途によって千差万別だ。
闇属性魔法陣の透かし絵が施された誓約書も、この特殊なインクで画かれている。公文書なども然りだ。
魔石は需要が高いわりに入手が難しいので、高ランクの魔石は当然高値で取引される。
魔石ハンターを生業にしている者もいるが、かなり危険を伴う職種のためその数はあまり多くはない。さらに高ランクの魔物は鉱山付近で繁殖する。鉱山を所有するのは六公爵家の何れかだと決まっており、それゆえ魔石目当てに許可なく立ち入ることは禁じられている。
だからこそこの国に冒険者やそのギルドが存在していないのだと、領地へ来て改めて知った。
魔物を討伐する依頼もなければ、その素材や核とも言える魔石を売ることもできないのだ。魔物討伐で稼げないのだから、冒険者や冒険者ギルドがないのは道理だった。
魔石を採取するのはもっぱら騎士団や採掘者である。
魔石ハンターはその土地の所有権を持つ六公爵家に雇われた者たちだ。彼らは労銀を貰って魔石を狩りに行っている。入手した魔石を六公爵家に納めるのが魔石ハンターの仕事だ。
グレンヴィル領に魔石ハンターはいない。採掘兼砂金ハンターとして魔物と対峙する機会が多い彼らが、その魔石ハンターの役目を兼任できるからだ。
高ランクの魔石は滅多に入手できないが、他領のようにわざわざ最奥に狩りに行かずとも、我がグレンヴィル領は他の生産で潤っているので問題ない。砂金ハンターとして得られる労銀と別途手当も低くはないため、それなりに豊かな生活を送れていると聞く。
採鉱期間に魔物を間引いているから異常繁殖の懸念もないはずだ。今回のスタンピードとそれは無関係だと思う。
風属性持ちの騎士たちが、灰と魔石を慎重に分け地表へ取り出す作業に入った。お爺様がその一つを手に取り、矯めつ眇めつして見たあと、にやりとほくそ笑む。
「上物だ。思わぬ収穫に恵まれたな。……レインリリー、おいで」
呼ばれて駆け寄ると、お爺様が軽々と俺を抱き上げた。
「お前のおかげでこちらの被害はないに等しい。高ランクの魔石を大量に入手できたのも、偏にお前の助力の賜物だ。よくやった」
「お役に立ててよかったです。お爺様、お怪我はもう平気ですか?」
「お前の回復魔法で全快している。抉られた痕すら残っておらんぞ」
「それを聞いて、ようやく安堵できました」
ほっと息を吐く。腹を切り裂かれた瞬間を思い出すと未だに寒心に耐えないが、死者を一人も出さずに済んだことは僥倖だった。
「殿下。お怪我はございませんか」
俺を下ろしたお爺様が、心配そうにイルへ問い掛ける。
「ないよ。大丈夫だ」
「このようなことになり、誠に申し訳ございませぬ。エスカペイドでお待ち頂くべきでした」
「僕が申し出たことだ。魔物のスタンピードなんて前例がない。それを予期するのは不可能だ。決してグレンヴィル翁のせいではないよ」
「恐れ入ります」
「それに、何があってもリリーの側を離れないと決めているから、例えグレンヴィル翁がスタンピードを予期できていたとしても、僕はここへ赴いているよ」
イルはにこりと微笑み言い切った。お爺様はにやりと笑い、騎士団の面々は喜色満面にどよめく。
「口づけを交わしたばかりだから、余計に離れ難いよね」
仰天の視線がイルから俺に滑った。舌打ちしなかった俺を誰か誉めてくれ。
「え!? お嬢様!? されたのですか!?」
ケイシーの狼狽えっぷりが半端じゃない。
キスくらいで動揺しなくていいよ、ケイシー。子供が興味本位で大人の真似事をしただけだ。それに一瞬触れただけの接触をキスと断じるのも些か疑問だ。
「したのじゃなく、されたのよ。ちょっと触れただけだから、あれは口づけの内に入らないわ」
「酷いなぁ。あんなに可愛らしく恥じらっていたのに、口づけじゃなかったって言うの?」
「あれは気の迷いです。わたくしにも何が何やら分かっておりません」
「口づけを交わしたと僕は思っているから、きちんと責任を取るつもりだよ?」
「責任?」
少し接触しただけで、何の責任を取るつもりだ?
片眉を上げ訝しんでいると、お爺様がにやにやとにやけ顔でとんでもないことを語った。
「レインリリー。お前は公爵令嬢としての自覚が足りんな。すでに殿下のお手付きとなったということだ。殿下に貰って頂かないかぎり、お前はどこへも嫁げないと心得よ」
この場にカリスタが居たら素早く閉じられたであろう大口を開け、あんぐりと凍りついた。
どういうことだ。あの程度でお手付きだと?
俺の雄弁に物語る疑問符まみれの視線を受けたケイシーは、無言でこくりと頷いた。その双眸は痛ましげだ。
「……………殿下。分かっていてやらかしました?」
「寧ろ今の今までわかっていなかったお前に驚きだ」
イクスの言葉に皆が同意するように首肯をする。
イルはてへ、とばかりに可愛らしく微笑んでいる。天使のような微笑みで誤魔化せると思うなよ?
「覚悟してねって、僕は言ったよ?」
実力行使とは、なかなかに腹黒い真似してくれるじゃねえか。
苛立ちをそのままに、俺はにっこりと微笑んだ。
―――――覚 え と け よ
口パクで告げた言葉を正確に読み取れたのは、イルの周囲に立つ者たち、つまりはイルとその護衛である近衛騎士五人、それからイクス、イクスの護衛三人だ。
いい笑顔でそう告げた俺に青ざめたのは、近衛騎士とイクスの護衛だ。イルはまったく堪えていない様子でにこにこと微笑み、イクスは呆れたように嘆息した。
『リリー。どうやらスタンピードはまだ終わっていないようだよ』
ナーガの警告に、俺は森のある北へ視線を走らせた。
「リリー?」
「レインリリー、どうした」
俺の剥き出しの警戒心に、イルとお爺様が訝しい視線を同じ方角へと向ける。倣うように騎士団や護衛たちも同じ北へと顔を向けた。
「お爺様、陣形を整えてください。まだ終わっていません」
「何? 魔物か」
「はい。恐らくは」
「まったく、どうなっている……! よもや森の魔物を狩り尽くすまで終わらないなどと言ってくれるなよ……!」
お爺様に大賛成だ。
目を皿のようにして探すが、まだ姿は確認できない。だがナーガの指摘通り、確かに異様な気配が迫って来る悪寒のようなものを感じる。
『ナーガ。見えるか?』
『見える。リリーの嫌う存在が大挙して来るから、覚悟して』
『俺が嫌う?』
それは何だと問おうとした時、ぞくりと背筋が凍った。
「ひっ……!」
悲鳴を漏らすケイシーを背後に庇い、ノエルが剣を構えた。
……おいノエル。お前、絶対ケイシーに惚れただろ。
つい物言いたげにノエルを見てしまったが、今はそれどころじゃない。注視すべきは迫り来る眼前の敵だ。疑似太陽の明かりが届くギリギリの範囲に、ようやく蠢く影が視認できた。
造形は確かに魔物だ。バジリスクとマンティコア、それにグール。
―――ああ、なるほどな。確かにこれは、俺が一番遭遇したくなかった魔物だ。
明かりの下に這い出て来たのは、欠損した身体を引きずり、それでも南下を止めようとしないバジリスクとマンティコア、グールの群れだった。
四肢の欠損はまだ理解できるが、明らかに絶命しているはずの欠損、例えば上半身のみで下半身はなく、ちぎれた腸を引きずりながらこちらへと這ってくるグールや、首を失くしたマンティコア、頭が縦に裂けたバジリスクなど、生きて活動できるはずのない致命傷を受けた身で、それでも行軍を止めない異常さ。
「アンデッド………!」
浩介の兄に無理やりやらされたVRゲームのゾンビを思い出し、総毛立った。形が人に近いグールのアンデッドはまさにゾンビそのものだ。
「無理………あれは無理………っ」
「大丈夫。アンデッドには光魔法が効果覿面だから、僕が近づけさせないよ。リリーは必ず守る」
俺を抱き締めたイルが、宥めるように髪を撫で、爽やかな笑みと共に宣言した。
「アンデッドを怖がるなんて、リリーも女の子だね」
一言余計だ。ちょっとときめいた心が急速に萎んでいく。いやちょっと待て。ときめいてなんかいないぞ!
俺がアンデッドアレルギーなのは浩介の兄貴のせいであって、女の子特有の可愛げのある理由からじゃない!
「目を瞑っておいで。その間に終わっているよ」
それは有り難い。俺はきゅっと目を瞑ると、イルの肩に顔を埋めた。見なくて済むなら絶対見ない!
◇◇◇
すがりつくリリーの髪を撫でて、僕は頬が緩むのを止められなかった。
いつもは先へ先へと一人で駆けて行ってしまうリリーだけど、ちゃんと年相応の女の子らしさに触れて、且つ僕にすがりつくというか弱さに、愉悦を覚えずにはいられない。
触れた肢体は柔らかく、甘い花の香りがする。珍しい黒髪は細く滑らかで、光沢は上質な絹のようだ。
一度両腕でぎゅっと抱き締めて、その抱き心地と甘い香りを堪能しつつ、青みを帯びた濡れ羽色に唇を寄せた。
愛しくて愛しくて、堪らなく好きで。どうしてこんなに彼女に惹かれるのか、正直なところ自分でもよく分からない。容姿や内面、保有する知識の造詣の深さなど、優れている点を挙げれば切りがないが、そのどれか一つ、もしくは全てが僕の心を惹き付けて止まないのではなく、リリーという一人の存在そのものに深く心を奪われてしまうのだ。
側にいたくて、彼女に相応しくありたくて、そのためにはどの分野でも努力や研鑽を積むことを疎んだりなどしない。前世の人格の影響から、見た目に似つかわしくない粗野な物言いをすることもあるけど、それも含めてリリーが愛しい。
彼女の隣にいたい。誰にも奪われたくない。だから、誰からも横やりを入れられないように、割り込む余地を与えないために僕自身がリリーの先へ進まなければならない。
リリーがアンデッドを忌避するなら、リリーが怖い思いをしなくて済むよう僕が掃討する。
リリーの隣で彼女を守るのは、これからもずっと僕でありたい。これはその第一歩目だ。
「魂無き虚ろな者に救いの雨を。ウィル・オー・ウィスプ」
アンデッド化した魔物の群れに、容赦なく光の雨が幾重にも降り注ぐ。一度に全てのアンデッドを葬ることは出来ないが、回数を重ねれば殲滅できる。
「アンデッドには火力の高い火魔法も有効だ。火属性持ちの騎士たちは討伐に専念するように。他属性持ちは動きに制限をかけるため四肢を奪え」
「はっ!」
「近衛騎士も今の指示通りに動け」
「御意!」
次々と指示を飛ばせば、騎士団と近衛騎士たちが素早く従った。グレンヴィル翁も早速地魔法で地盤を崩し、アンデッド諸共大穴を穿つ。落ちたアンデッドは四方から土杭に串刺しにされた。それでも蠢き這い上ろうとするアンデッドは殊更厄介だ。
アンデッドの一番の煩わしさは、まさにこれだろう。地に縫いつけた肢体が裂けようが千切れようがお構い無しに進むのだから、痛覚のない奴等は身体がどうなろうと気にした風もない。
生きた肉を求め、食らいつき、その唾液から感染してアンデッドは増えていく。
アンデッド対策には遠距離魔法が有用だろう。
近づきさえしなければ、アンデッドは徘徊するだけのただののろまだ。ただし、誰も怪我をしていないことが重要だ。血の匂いで凶暴化し、その緩慢だった動きに俊敏性が備わってしまう。そうなると盾の魔法を使える者が隊にいなければ大変危険な状況になる。
「アレックス、君も火力で掃討しろ」
「俺もアンデッドは得意じゃないんだが」
「なら君も抱き締めるか?」
途端、思いきり顔を歪め拒絶を示したアレックスが、嫌々ながら火魔法を放つ。僕だってアレックスを抱き締めるなんて鳥肌ものだ。こうして抱き寄せるのはリリーだけに限る。
リリーの温もりに安堵を覚え、自分でも驚くほど冷静に戦況を見つめていた。
先ほどまで戦っていた魔物よりずっと動きが鈍い。四肢類の欠損のせいもあるだろうけど、行動や攻撃がワンパターンでそれほどの脅威を感じない。とは言っても、油断はしないけれど。
「うわ! 急に何だ!?」
突如上がった声に視線を走らせれば、四肢を切り落とされたマンティコアが止めを刺そうと近づいた騎士に反応して、バクンと粉砕する勢いで噛みつこうとした。
「馬鹿野郎! 怪我は天姫様に全快して頂いてるとは言っても、流した血はこびりついてるだろ! 血の匂いで凶暴化するのは常識なのに、近づけば噛みつかれるに決まってるだろうが! アンデッド化したいのか!?」
同じエスカペイド騎士団の者が風魔法でマンティコアを木っ端微塵に切り刻み、迂闊に近寄った同僚を怒鳴り付ける。
まったく以てその通り。血濡れのプレートメイルで近づく行為は、どうぞ襲ってくださいと言っているようなものだ。
「彼の言う通りだ。不用意にアンデッドに近寄らないこと。必ず遠距離から魔法で攻撃するようにね」
「はっ! 申し訳ございません!」
折り目正しく頭を下げた騎士二人に頷き返す。
「魂無き虚ろな者に救いの雨を。ウィル・オー・ウィスプ」
再びの光の雨がアンデッドを貫通し、ざらりと崩れる砂のように灰と魔石だけを残して消え去った。
あちこちで火柱が上がり、地盤沈下が起こる。風や水の鎌鼬が走り、グールやマンティコアの四肢を切断していく。バジリスクは地属性持ちが地に縫いつけ、火属性持ちが優先的に屠っていた。
血に狂う前に、動きが緩慢なうちに機動力を奪い、討伐していくのが得策だろう。
僕もバジリスクを中心に三度光の雨を降らせる。この魔法の使用制限は僕の場合二十五回なので、これが第一波でなければリキャストタイムに入ることなく殲滅できるはずだ。
……………第一波でないことを願おう。
北東の空がうっすらと白んで見える頃、ようやく全てのアンデッドを灰にした。リリーの打ち上げた疑似太陽のおかげで、昼間のように明るい場での戦闘だった。
暫し第二波を警戒していたが、それ以降の異変を察知することは出来なかった。これで終わってくれるといいのだけど………。
「リリー、もう大丈夫だよ。顔を上げて」
「もういない………?」
「うん。もういないよ」
「グ、グールも?」
「グールもいない。自分の目で確かめてごらん」
恐る恐るといった体で僕の肩に埋めていた顔を上げたリリーは、視線を背後に滑らせ一掃されて何も残っていない荒野を見渡すと、ほっと安堵の息を吐き出した。
僕に視線を戻し、ふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべて良かったと言った。
気づいた時には、再び彼女の唇に自身の唇を重ねていた。
無防備なリリーが悪い。
僕は悪くないと思う。………はずだよね?
長くなってしまいました(´□`; 三 ;´□`)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました(*´▽`*)