5.揺り籠
リリーが突然、火が付いたように泣き出した。
何の予兆もなく唐突に、何がきっかけだったのか誰にもわからない。
顔を真っ赤にして、全身で泣く。
マリアがあやしても、ベラがおっぱいをあげようとしても、何も聞こえていないかの如く赤子らしく大声で泣く。
その声に、その姿に、私は心から安堵の息を漏らした。
乳飲み子らしく癇癪を起こして泣く、そんな当たり前の姿にホッとしたのだ。
ああ、この子はちゃんと人の子だと。
決して人為らざる者ではなく、私の子だと安堵した。
「リリー、リリー。どうした。悲しいことでも思い出したか? 何も心配いらない。お父様がついているぞ。お母様もお前のお兄様も、マリアだっている。リリーは何も心配しなくていい。お父様が守ってやるからな」
よしよしと声をかけながら、ベラの腕から抱き上げたリリーを揺り籠のようにゆらゆらと揺らす。
懐かしいものだな。ユーインもこうしてよくあやしたものだ。
真っ赤な顔で大粒の涙を溢しながらぎゅっと握り締めた小さな紅葉のような手を、そっと労る気持ちで優しく撫でてやる。
「さあ、リリー。私の可愛いレインリリー。あんまり泣くと干からびてしまうぞ? せっかく愛らしい顔をしているのに、しわしわに渇れてしまったらお父様は悲しいぞ」
規則的にぽんぽんと背中を叩いてやりながらゆらゆらと揺れる。
ユーインはこうして庭園を歩くと眠ってくれていたが、さてリリーはどうだろうか。
全身で力んで泣いている姿を見ると、ひきつけを起こしてしまわないかと心配になる。
「リ、リリー……」
遠慮がちに開かれた扉から、ユーインが本を抱えて顔を覗かせた。
リリーの泣き声が邸中に響いているのだろう。ユーインの顔は衝撃を受けたように強張っていた。
「ユーイン。午後の最後の授業は終わったのか?」
「は、はい。リリーに絵本を読んであげようと思って持ってきたのですが……リリーはどうしてしまったのですか?」
不安そうに近づいてきた息子によく見えるよう軽く屈み、先程よりは落ち着いてきたリリーの顔を見せてやる。
「大丈夫だ。赤ん坊はこうやって急に癇癪を起こすものだ。心配せずともそのうち泣き止む」
ほんの少しだけホッとした様子で、ユーインがそっと優しくリリーの頭を撫でた。
「リリー、泣き止んで。僕が絵本を読んであげるから。悲しいことなんてきっと飛んでっちゃうよ」
ユーインはもう立派な兄上だな。
私に兄弟はいないが、兄というものはこうも頼り甲斐のある存在なのか。
リリーは良い兄を持った。
ユーインも立派に育っている。頼もしいかぎりだ。
ベラと微笑みを交わした。彼女も私と同じことを考えていたのだろう。婚約を交わした幼き頃より側にいるが、私は妻にも子供にも恵まれている。幸せなことだ。
「さあ、リリー。泣き止んでお兄様に絵本を読んでもらいなさい。物語を聞いたら、ゆっくりおやすみ。お前は私たちが守っているから、安心しなさい」
ゆらゆら揺れる揺り籠に扮した腕が心地いいのか、しゃくり上げながら体からゆっくりと力が抜けていく。
一度私と同じバミューダブルーの瞳がこちらを見上げたが、マリアの言葉通りならしっかりと私の顔を認識しているわけではないのだろう。
それでもじっと見つめてくる涙に濡れた青い瞳はキラキラと宝石のように煌めいて、様々な色彩のたくさんの光を反射していた。
目が離せなくなるほどに美しい輝きだった。
将来はきっと、絶世の美女と称えられる妻よりも美しい女性に成長するのだろう。そんな予感めいたことを思ったが、同時に言い寄るであろう有象無象を想像してぴくりとこめかみが痙攣した。
片っ端から潰してやる、絶対に……!
そう再び固く心に誓った。
ユリシーズ氏、密かに不言実行の誓いを立てる。
愛娘の背後で無双するお父様の姿が、あたかも残像のように……(笑)