57.その頃、王都では
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「父上! 殿下がエスカペイドへ向かわれたとは本当ですか!?」
「喚かずとも聞こえている」
帰宅早々出迎えと共にユーインが捲し立てる。妹のこととなると歯止めが効かない点は相変わらずだ。
騒ぎ立てると分かっていたため情報を伏せていたが、どこで仕入れたのかついに息子の知るところとなったようだ。
リリーの能力のこともあり、ユーインの婚約者選定にはかなり慎重にならざるを得ないのが現状だが、こうも溺愛に拍車を掛けるようなら、婚約者選定を急ぐべきかもしれない。妹の他に意識を向けさせないと、跡取りであるのにこれでは血の継承を望めないばかりか、リリーのためにもならない。
「殿下は陛下より課された課題を全てこなされ、許可を得て向かわれた。きちんと取るべき段階を踏んでリリーに会いに行かれたのだ。文句は言えまい」
「ですが!」
「勘違いするな、ユーイン。我らは六公爵家の一角であって、王族ではない。正規の手順を踏み、婚約者に会いに行かれる殿下を阻止することは出来ないぞ」
「分かっています! 王家に楯突くつもりは毛頭ありません! リリーがそこに関与していなければ、ですが!」
言い切ったユーインに、私はこぼれ落ちる嘆息を我慢できなかった。
「お前は今少し妹離れしなさい」
「嫌です」
「お前は我がグレンヴィル家の嫡男だ。いずれ婚約者を迎え、跡取りを儲ける義務がある」
「ええ、重々承知しております」
「何事もリリーを最優先にしていては、婚約者となるご令嬢や姻家の面目が立たない。いい機会だから、今から妹離れを心掛けなさい」
「無理です」
「ユーイン」
「無理なものは無理です」
しばし睨み合いが続いたが、エントランスでする話ではないと溜め息を吐き、そのまま執務室へ息子を連れていく。
「何が無理なんだ? 理由を聞かせなさい」
皮張りソファに腰掛け、対面に座るよう促す。
「僕に課されている役目と義務は理解しています。それから逃れるつもりはありません。家にとって都合の良い姻家を選ばれることも承知しています。その点に一切不満も疑問もありません。でも、リリーの件だけは別です。僕はリリーを手離すつもりは毛頭ありませんし、リリーを誰かに渡すつもりもありません。だから無理です」
言葉に詰まることなく言い切った。確固たる信念を曲げることはないのだと、細められたベラと同じ色の眸が言葉以上に雄弁に物語っている。
「そこまでリリーに固執する理由はなんだ? よもやリリーを妹としてではなく、子仲を成す相手であると思っているのではないな?」
「まさか。リリーはあくまで妹ですよ。そんな下卑た目でリリーを見たことなど一度もありませんよ」
憤慨するユーインに、私とエイベルはほっと安堵の息を吐く。
兄妹婚は特例を除き承認されていない。ここで肯定されていたらややこしい事態になるところだった。
「では何故だ? 妹離れ出来ない理由にはなっていないだろう」
「僕はリリーが産まれた日に守ると約束しました。それは身の安全だけでなく、心もだと思っています。リリーは最高に愛らしいし、約束そのものを反故にする気はありません。最高に愛らしいリリーの願いを、僕は必ず守り抜きます。リリーは誰とも結婚したくないと言いました。ですので、お相手が第一王子殿下であろうと僕は認めません。他は従いますが、最高に愛らしいリリーの願いだけは譲れません」
「最高に愛らしいを何回言うつもりだ」
ユーインは私からの呆れた視線をしれっと躱し、澄まし顔だ。
「まあ、理由はわかった。だがそれでも、婚約者になるご令嬢の先に妹が居たのでは障りがある。第一に婚約者、次にリリーだ。その優先順位だけは守るように」
「リリーが最優先でも良いというご令嬢を希望します」
「居るわけがないだろう。馬鹿なことを言うな」
「婚約者って面倒臭い………」
「ユーイン」
へそを曲げたような面持ちで、右手の人差し指にはめられた金の指輪を撫でる。あれはエスカペイドへ向かう前にリリーが御守りとしてくれた魔道具だ。乗せられている石こそ違うが、同じデザインのものが私の右手薬指にもはめられている。
エイベルの燕尾服の胸ポケットにも、リリーから贈られた懐中時計型の魔道具が大切に収められているのを知っている。覗くチェーンの煌めきが他とは一線を画すからだ。
斯く言う私の胸ポケットにも、そして息子のベストのポケットにも、同様に魔道具である懐中時計を忍ばせている。
最早伝説級の魔道具だが、そういった意味で肌身離さず身につけているわけではないことは、私に限らずユーインにもエイベルにも共通している部分である。
私にとっては大切な愛娘からの贈り物であり、ユーインにとっては溺愛する妹からの贈り物で、エイベルにとっては―――――。
「エイベル。お前がリリーからの贈り物を後生大事に胸元にしまってあるのは、それは魔道具の美しさや素晴らしさを気に入っているからか? それとも私の愛娘が贈ったものだからか? リリーからプロポーズされたからか?」
「え!?」
「あ、それは僕も突っ込んで聞いておきたいことでした。その辺どうなの、エイベル」
「は!?」
ぎょっと目を剥くエイベルの顔色は、さっと血の気が引いていながら頬には朱が差すという、何とも器用で奇妙なことになっている。凄いな、どうやってるんだ?
「とっ、とんでもないことです! 私が大切にしておりますのは、懐中時計の素晴らしさは当然のことながら、もちろん旦那様のお嬢様から頂いた物だからです! 決して! 決してお嬢様から求婚して頂いたからではなく!」
「ふーん。じゃあリリーのことは、父上の愛娘ってこと以外、他に抱く情はないんだね?」
「御座いません! そんな畏れ多い感情など抱くべきではありません!」
「ほう。抱くべきではないという言い方であれば、抱かないよう気を付けているとも取れるな?」
「さすがです、父上。僕も同感です」
「旦那様! 若様!」
ユーインの悪ふざけについ乗ってしまったが、ふとリリーの言っていた言葉を思い返す。
『ええと……ふと思い付いただけです。わたくしはグレンヴィルから離れたくありませんし、エイベルは結婚するつもりがない。跡継ぎは弟君の血筋から選ぶと聞いていたので、成人してからエイベルが貰ってくれたら、わたくしも何の憂いもなく、心置きなくお兄様と領地のためだけに尽力できますでしょう? 伯爵家当主に嫁ぐのであれば、家格としても問題ないのでは、と』
何を馬鹿なことを、とあの時は思ったが、リリーの考えにも一理あるとそう思いもした。
あの子が言い出したことだ。婚姻に関して初めて望みを口にした。
恋愛感情も家庭も不要、跡継ぎも不要、生活面に変化は一切ない。ただひたすらにグレンヴィル家と領地の繁栄に貢献するだけ。これ以上にない縁組みで、自分にとってもエイベルにとっても理想的だと。
「僕は正直有りだと思ったよ。エイベルに嫁ぐのであれば、リリーは我が家から離れる必要はなくなる。何よりリリー自身が願ったことだ」
「わ、若様っっ」
「ふむ。確かに一考の価値があるな」
「旦那様!?」
「お前にリリーを無理やり娶らせるつもりはない。双方の意思が伴わなければ意味などないからな。だがリリーの願いに添うならば、確かにお前が理想的かもしれんと、そう思っただけだ」
エイベルの狼狽しきりな表情の変化は見ていて面白いが、年齢差より王家に出すリスクの方がずっと面倒で厄介だ。出来れば王家には嫁がせたくない。
ブレットの小倅などは論外だ。アッシュベリー家に嫁いで、あの子の幸せになるようなものは一つもない。ブレットに利用されて終わりだ。我が家としてもメリットは何もない。ただリリーを奪われ、失うだけのデメリットしか存在しない。
「まあ、可能性の一つとして心に留めておいてくれ。お前に強要するつもりはないが、判断はあの子の成長を待ってからでも遅くはないだろう。だが断言してもいい。あと七年も経てば、お前の鋼のような理性も揺らぐだろう。リリーは必ずこの国一番の、いや、この世界で一番の美女となるだろう。すでにその片鱗は表れ始めている。言わずもがな、ではあるがな?」
エイベルの頬に走った朱が、それを物語っている。エスカペイドのパレードで、母上が仕上げたリリーの姿はまさに妖艶と言えた。エイベルが思わず見惚れてしまったのは、私やユーインの知るところだ。故にあの時、ユーインはエイベルをからかったのだろう。
「王家に出すよりは、お前に嫁がせた方がずっといい。幸いにも陛下より、リリーに決定権を与えられている。どちらに転ぼうとも十七で決まる。それまでに、お前の気持ちも固めておいてくれ。リリーを妻に迎える気があるのかないのか、どちらかをな」
エイベルは唇を引き結んだまましばし無言を通したが、折り目正しく一礼し、承知致しましたと応えた。
さて。リリーの選ぶ結末はどうなるのか。不安と期待を抱えて待つこととしよう。
そう思った時、扉をノックする音がした。入室を許可すると、使用人が些か青ざめた様子で一礼する。
「旦那様。早打ちから報告がございます」
「何? 早打ちだと?」
「エスカペイドの大奥様からにございます」
「! 通せ!!」
エスカペイドと聞いて、私もユーインもエイベルも、一様にさっと顔色を変えた。過った考えは同じだろう。
直ぐ様通された使者はその場で跪き、グレンヴィル家の紋章が捺印された書簡を差し出す。
「急報にて口頭でもお伝えするよう仰せつかっております!」
「構わん。話せ」
「はっ。ではお伝え致します! 昨夕、北区ヴァルツァトラウムにて魔物のスタンピードが発生! 森を抜け南下しているとのこと! 同刻、ヴァルツァトラウムへ視察に向かわれていた先代様がエスカペイドへ騎士団本隊の派遣を要請なさいました!」
「魔物のスタンピード………!!」
そんなまさか、と寸刻その場に凍りついた。
ベラの容態が急変したのかとひやりとしたが、それとは別の肝が冷える報告だった。
魔物のスタンピードなど起こった記録はない。稀に数体森の浅瀬まで出てくることはあったが、それもヴァルツァトラウム騎士団で討伐できる程度のものだ。それが大挙して森を抜けるなどあり得ない。
「本隊が到着するまで三つの防衛線を築き、ヴァルツァトラウム騎士団を率いて先代様が足留めを行っております! それから………」
唐突に言葉を濁す使者に苛立ちを覚えながら促すと、額に冷や汗を浮かべた使者が今一度頭を垂れ、信じたくない恐ろしいことを言った。
「先代様の視察に同行されていた第一王子殿下とアッシュベリー公爵家御子息、そして、レインリリーお嬢様も前線へ共に赴かれたと……!」
「何だと!?」
「そんな! 何故リリーが!」
「現時点では恐らくいずれかの防衛線にて魔物のスタンピードと交戦、エスカペイド騎士団本隊も到着し、混戦しているか、もしくは決着がついている頃かと……!」
その決着が騎士団の勝利であれば良し。その逆であったならば―――。
最悪の事態が頭を過り、それを振り払うようにエイベルへ指示を飛ばす。
「陛下にご報告する! 先触れを出せ! 他の者は遠征の準備を進めろ!」
「御意」
「父上! 先に向かわせてください!」
忙しなく散っていく使用人たちの中で、ソファに腰掛けたままのユーインが強く主張してきた。居ても立ってもいられない荒れ狂う感情を必死に抑えているのだろう。膝の上で握られた拳が小刻みに震えている。
気持ちはよく分かる。私とてすぐにでも飛んで行きたいのだから。
「………いいだろう。先に行け。ベレスフォードを同行させろ」
「はい!!」
一礼すると、あっという間に走り去って行った。あの身軽さが羨ましい。グレンヴィル公爵家当主となった身では、もうあのように身一つで飛んでいくことなど叶わない。
どうか無事であってくれと、息子の後を追いたい衝動をぐっと堪え、今は幼い娘の身の安全を願う。