56.第二防衛線 1
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触れた唇の感触に、俺は自覚出来るほどに真っ赤になった。
なんだ!? たかがキス程度で何でこんなに真っ赤になるんだ! しかも相手は五歳児だぞ!?
狼狽える俺を見て、周囲はあり得ないものを見たとばかりに凝視し、イルは嬉しそうに蕩ける笑みを浮かべた。
「全く脈無しという訳じゃないみたいだね。嬉しいな」
うるせえよ、このマセガキ!と叫ぼうと開いた口は、意に反して空気を求める魚のようにパクパクと音もなく開閉するだけだった。
心臓がうるさい。胸のこれはときめきじゃないと誰か言ってくれ!
そうだ、ケイシー! お前なら真顔で否定してくれるよな!?
天啓とばかりにケイシーの姿を探し、離れた一角でノエルに抱えられたままぐったりと横になっているケイシーを見つけた。
頭を鈍器で殴られたような気持ちだった。
あれは、俺が昏倒した理由と同じだ。
「ケイシー!!」
転びそうになりながら駆け出した俺は、白に近い真っ青な顔色で意識を失っているケイシーに血の気が引いた。
「ノエル! いつから意識がないの!?」
「お嬢様をここへお運びしてから、すぐに」
脳に損傷を受けているかもしれない―――そんな嫌な可能性が過る。
「回復魔法をかけるわ!」
そう宣言した時、脳裏に幾つかの言語が浮かんだ。
『御守りは、魔法を発動する時に理解できるよ』
神様が言っていた言葉だ。まさか、御守りって!
仰天の視線を首元のナーガに向けると、こくりと首肯した。
待ってくれ。これは、この言語は、人間が知ることは許されていないはずのものじゃないのか。
『この方法でしか、リリーを護れない。さあ、呼んで。唱えて、リリー』
俺は震える手をケイシーの額へかざし、唱えた。
―――――魔素の真名と、神界言語を。
「ルギエル ネスルクール」
金の魔素が大量に集い、黄金に輝く魔法陣を形成した。
使用してきた聖属性と同じに見える。二重の神界文字も、それが左右別々に回転するのも。ただ一つ違ったのは、集う魔素の数だ。ケイシー一人を回復させるために呼応してくれた魔素の数が、大規模展開した場合と遜色ないのだ。魔素の濃度が決定的に違っていた。
金の光を纏い、ケイシーがゆっくりと目を覚ます。
いつものように魔法陣が砕けるのかと思ったが、粒子に戻るように、煙のように掻き消えた。
俺を労ってくれているのか、金の魔素たちが寄り添い、それぞれに散っていく。
「リリー………君の光魔法はやっぱり既存のものではないよね……? それに、何て言ったの? 聞き慣れない言葉だった」
一部始終を目撃したイルが瞠目したまま訊ねてくる。イルの配下もイクスもその配下たちも、一様に同じ表情を貼りつけていた。
『人間には聞き取れない。だからリリーがナーガたちの真名や神界言語を口にしても、それを真似ることは出来ないから安心して』
それを聞いて安心した。魔術のように模倣されては敵わない。
……いやちょっと待て。人間には聞き取れないものを、何故俺は発音出来ている?
戦いた視線に、ナーガがにやりと薄気味悪く笑った気がした。
怖い怖い怖い怖い!
「リリー?」
「こ、ここではお話できません」
「………わかった。エスカペイドに戻ったら聞かせてほしい」
全ては話せないが、少しは開示してもいいだろう。イルの近衛騎士か、領地から伝わる噂話で第一防衛ラインで行使した数々は、そのうち王家の耳にも入るだろう。
いつまでも隠し果せるとはさすがに思っていない。
ただ気掛かりなのは、常に守って下さっていたお父様に一つも相談出来ていないまま、急速に事が進み過ぎているということだ。
「お嬢様………」
「ケイシー、気分はどう? 不具合を感じる場所はある?」
しばし体を触り、どこにも異常がないことを確認したケイシーは、いいえと答えた。
「お嬢様こそ御加減はいかがですか? どこも苦しくはありませんか」
「ええ、もう平気よ」
「良かった………」
ケイシーが、ほっと心からの安堵の息を吐く。こんなに想われて、俺は本当に果報者だ。
「お嬢様が治癒してくださったのですね。ありがとうございます」
「いいのよ………元はと言えば、わたくしが原因ですもの」
きょとんとするケイシーの手を握ると俺は近くにいる全員に聴こえるよう話し始めた。これはきちんと伝えておかなければならない。
「わたくしもだけれど、ケイシーが倒れたのはリミッターが機能しなかったからなのよ」
「どういう意味だい、リリー?」
イルが神妙な面持ちで問う。
「治癒院で話した詠唱とイメージの関係性、覚えておられますか?」
「覚えてるよ」
「わたくしは、重要なのはイメージであり、詠唱ではないと申し上げました。元来魔法というものは、初級、中級、上級と区別するものではないと。威力も効果も詠唱で構築されるのではなく、すべてイメージで固定されるのだと、そう申しましたね」
イルの眉根が寄った。口外しないよう忠告したのに、俺自らが蒸し返し、暴露しているからだろう。
「あれは間違いです。いえ、正確には判断基準の違いなので、大筋では間違っていないのですが……」
そう、使い方を間違ってしまっただけで、考えそのものは間違っていない。問題がある、という点を除けば。
「魔法に使用制限が設けられているのには、正当な理由があったのです。イメージを優先すると、人の脳はその負荷に耐えられない。詠唱は、そのストッパーでした。わたくしは前提から間違えていたのです。詠唱ありきの魔法は、人を守っていたのだと」
言って、ケイシーを見つめる。俺のせいで重い障害を残してしまうところだった。最悪死んでいたかもしれない。知った気でいる無知蒙昧なやつほど質の悪い者はいない。
「ごめんなさい、ケイシー。わたくしは、貴女からそのリミッターを外してしまった。危うい状況だったのよ」
「そんな。お嬢様もお倒れになったではありませんか。私などよりよほど危険な状態だったのですよ。お嬢様の責任ではありませんわ」
「いいえ。知らなかったでは済まされないの。貴女をブレア侯爵家から預かっている以上、その責任がわたくしにはあります」
「お嬢様………」
「ケイシー。あの魔法の使用制限は十五回よ。それ以上は脳を損傷してしまうリスクがあるわ」
脳の損傷と聞いて、先程までの自分がいかに危うかったのか理解したケイシーは、血の気が戻ったばかりの顔色をまたなくしてしまった。
「自動制御が施されている既存の魔法とは勝手が違うから、回数は意識しておいて。使わないに越したことはないけれど、必要になる場面もあるでしょう。だから、その時は必ず十五以下で使用を止めること。いいわね?」
「は、はい」
「リリー、ひとつ教えてほしい。君はそれを誰から教わった?」
イルの問いと重なるように、前線で卒然と爆発が起きた。
弾かれたように全員の意識が前線へ向いた。爆発が起きた場所から悲鳴や呻き声がここまで届いてくる。群がり蠢く影が人のシルエットではないことは、離れた位置からでも確認できた。
「まずい……! 第二防衛ラインが突破される……!」
そう叫んだのは誰だったか。
駆け出した俺には確認する余裕はなかった。
◆◆◆
「無事な者は援護に回れ!! 突破させるな!!」
騎士団の返す声を聞く間もなく、今の爆発で負傷した者たちへ群がる魔物共を牽制するように、土壁を築き雷撃を落とした。
連戦続きであと五発も撃てないだろう。そろそろ揺り戻しが始まる頃だ。起こる眩暈は一度きりだが、何度経験してもこれには慣れないものだ。それ以上に、今この場で再び眩暈を起こせば隙が生じる。その一瞬を見逃さないのが魔物だ。
十五分間のリキャストタイムに入れば魔法は一切使えない。物理攻撃で凌ぐしかなくなる。
「これは厳しいな………」
レインリリーが回復していればいいのだが―――そう過った考えに歯噛みし、倒れた孫娘の死人のような顔色を思い出した。
まだ五歳の幼子の体であれほどの活躍をしてみせたのだ。無理を重ねさせた結果が昏倒だ。アラベラに弁明のしようがない。
徒党を組んで攻め込む魔物共は、森の最奥を離れないはずのミノタウロスと、キマイラ、ヒュドラ、サイクロプスだ。援軍が到着してこちらの数も増えたが、それ以上に奴等も増えた。第一防衛ラインの比ではない。
最後の雷撃を落とした刹那、揺り戻しが襲った。足下が一瞬でぐにゃりと歪み、視界が暗転する。
「ぐっ……」
傾いだ身体を休める暇はない。踏ん張り眩暈を散らした、須臾の間。
「―――――――――お爺様!!!」
最愛の孫娘の悲鳴と、己の腹を抉られる衝撃は同時だった。
◇◇◇
「―――――――――お爺様!!!」
幼子の身体が憎い。足がもっと速ければ間に合ったかもしれないのに!
目の前で、ミノタウロスの横薙ぎに振った戦斧によって腹部を引き裂かれたお爺様が、その場に頽れた。
倒れ込んではいないが、二撃目に対応できそうにない。魔法で反撃しなかったのは、リキャストタイムで魔法が使えない状況だということか!
「ザカリー!! 地魔法で防御!! アレンは風魔法でミノタウロスの首を落としなさい!!」
「「御意!!」」
素早く動いた二人を見る余裕もなく、俺は聖属性魔法を唱えた。
「ルギエル ネスルクール アルシオン!!」
回復と浄化魔法を広範囲に発動させる。頭がまったく痛まないのは本当に有り難い。
目映いほどの黄金の魔法陣が、第一防衛ラインの戦闘より拡大した戦域に展開された。金の粒子を纏い、お爺様を始めとする騎士団の負傷者が回復していく。
愕然とする者、茫然とする者が大半の中、ヴァルツァトラウム騎士団の面々は「姫様ぁ!!」と歓声に沸いている。
「信じられない……このような大規模回復など、聞いたことも見たこともないぞ……!?」
近衛騎士たちの畏怖する声を背に受けながら、次の魔法を放つ。構っている暇はない。
「テシュヴァイス リヒレイユ!」
白の魔素が集い、疑似太陽を天空に作り出す。これで視界の不利も解決だ。
「なんだこの魔法は……」
「あれは……太陽……?」
茫然自失に呟く近衛騎士の存在を完全に意識の外へと閉め出す。彼らの目を気にしていたら、救える命も救えない。
「アスルイードル タウスフェスト!」
戦域を埋め尽くすほどの青の魔素が集まり、魔物の脚ごと地面を凍らせた。
「レインリリー・グレンヴィルです! これで魔物はしばらく動けません! 騎士団の方々! 今のうちに討伐を!」
突喊すると共にエスカペイド騎士団とヴァルツァトラウム騎士団の連合軍が動けない魔物へと雪崩れ込んでいく。あとは空へと難を逃れたキマイラの群れを撃ち落とせば負傷者を減らせる。
空を舞い、怒りの咆哮をあげるキマイラを仰ぎ見た。
ここまでならば、まだ近衛騎士を誤魔化せる。彼らの目の前で使用したのは光魔法に見えなくもない聖属性魔法と、水属性の氷魔法だけだ。お母様と同じ、光と水の二属性持ちだと言い張れば誤魔化せなくもない。
だが、上空のあれが真下にいる騎士団を襲う前に掃討する必要がある。となると、一番有用なのは。
「エシュルベル エクヘレム!」
果てしなく拡がる空に膨大な爆炎が走った。瞬く間にキマイラを呑み込み、上空が真っ赤に染まる。衝撃と熱波は天空を放射状に走り、地表へは届かない。塵と化したキマイラは欠片ひとつとて落ちてはこなかった。
絶句したまま仰ぎ見る一同を代表して、イルが強張った表情で訊ねる。
「リリー、君は………適性は光属性だけじゃなかったの」
「光に水に火……三属性持ちなのか?」
イルに続いてイクスも呆然と呟いた。
「話は後! まだ終わってないわ!」
氷を砕いてこちらへ向かってくるのはヒュドラだ。
お爺様の傷がきちんと塞がったか気になっているが、それを確認する時間すらない状況だ。
「お嬢様!」
ケイシーとノエルが庇うように俺の前に躍り出た。ヒュドラの他に、ミノタウロスとサイクロプスもこちらへ向かっている。
「ノエルは左のミノタウロス、ケイシーは右のサイクロプスにそれぞれ水と火魔法を!」
「「はい!」」
ノエルは水魔法を、ケイシーは火魔法の呪文を詠唱していく。
「水刃と化し敵を切り刻め、ウンディーネ!」
「業火の御柱にて鉄槌を受けよ、サラマンダー!」
「テシュヴァイス アスルイードル アインルィーヴ!」
ノエルが発動した水の鎌鼬が、ミノタウロスの赤黒く硬い毛皮に覆われた皮膚を深々と切り裂き、その命を刈り取った。ケイシーの新呪文もサイクロプスの巨体を火炙りに処し、灰色の皮膚どころか骨すらも残さず消し去った。
俺が発動した雷撃はヒュドラの九つすべての脳天を貫き、毒々しい赤紫の蛇体を引き裂いた。轟音を立て、左右に裂けたそれぞれの巨体が震動と共に倒れ込む。
「雷撃………四属性持ち………!!」
ひゅっと息を呑む気配を複数感じた。
一驚しているところ悪いな。四属性持ちですらないんだよ。
最後まで読んで下さりありがとうございました!