55.聖域
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「やあ。目が覚めたみたいだね」
薄ぼんやりと半分だけ覚醒しているような、水に揺られているような心地よさに微睡んでいると、声の主が可笑しそうにくすくすと笑った。
笑声に誘われて視線を上げれば、絹糸の光沢を称える長い銀髪をゆるく背中で結った青年が、俺に膝枕をしたまま金色の眸を柔らかく細めて微笑んでいた。
誰だろうか。とんでもない美貌をしているが、お目にかかったことはない。
何より気になるのは。
「……………何故に狩衣?」
「えっ、そこ?」
もっと訊ねるべきことが他にあるでしょ、と青年は頬を膨らませた。ぼんやりとその様を眺めたまま、物言いや仕草がナーガに似てるなと思う。
「この姿は君がそうイメージしているからだよ。わたしには、性別も年齢も固有の形も存在しないからね」
「ああ、そういうことね………」
うつけたように応えて、はたと瞬いた。
「……………俺のイメージ?」
「そう。君のイメージ」
にこにこと微笑んで、青年は横になったままの俺の髪を撫でている。
俺のイメージで姿が投影されている? それってもしかして………っ!
「君の神様のイメージが、狩衣を着たこの姿だってことだね」
やっぱりか!!
俺はぶわっと一気に冷や汗をかく。そりゃナーガに似ているはずだ。ナーガの本体とも言える存在じゃねえか!
「君は力を使い過ぎたんだ。あのままでは脳に損傷を受けて、二度と目覚めない体になるところだった。ずいぶんと無茶をしたね」
一面真っ白な空間に、青年改め神様の、静かな声が落ちた。声を荒げたわけではないのに、ぴしゃりと叱られた子供の気分になった。
一瞬無理が祟ってぽっくり逝っちゃったのかと焦ったが、そうか、死んではいないんだな。良かった……。
「詠唱とイメージをセットで扱うのはちゃんと理由があるんだよ。設けた規範にはきちんと意味がある」
「使用制限に意味がある………?」
「そう。イメージは、例えるなら起爆剤だね。わたしの一部である魔素は燃料だ。二つを加えるとどうなる?」
「爆発する」
「その通り。起爆剤であるイメージに、燃料である魔素を際限なく注ぎ込めば、威力も効果も比例して跳ね上がる。でも、人間の脳はそれに耐えられないんだ。そのための、詠唱は言わばストッパーなんだよ」
はっと息を呑んだ。では、新しい呪文で魔法行使を続けたケイシーは………っ。
「君が即席で作った詠唱も、既存のものより縛りが緩い。それは使用制限のリミッターも緩いということ。君の侍女には、きちんと制限をかけた方がいい。リミッターが働かないということは、脳へかかる負荷を止められないってことだから」
さあっと血の気が音を立てて引いていく。俺は何てことを仕出かしたんだ………!
「君なら分かるはずだ。脳へ負荷を与えない限界回数が幾つほどであるか」
そう指摘されて、不思議と理解してしまえることに戦いた。何でこんな特殊なことが分かるんだ………。
「君にリミッターを設けなかったのは、わたしの使徒だからだ」
「え………? 使徒って、でも始まりは違いますよね? 創造魔法の適性だって記憶消去出来なかった対価だって」
「そうだね。始まりはそれで合ってる。このまま死んでたまるかっていう、前世の君の意志がことさら強くてね。何度消去実行しても、必ず残り一%で耐えちゃうんだ。自己修復までやってのけて、復元した時にはさすがに笑っちゃったよ。まさか覆すとは思わなかった」
えっ。俺そんなことやらかしてたの!? 自己修復に復元てスゲーな俺!! どうやったのか全然記憶にない!
「だからね、創造魔法に適性があると思ったんだ。わたしの力を撥ね除けるほどの強い意志と、突発的でも他人の命を守ってしまう憐れな慈悲深さを備えた君なら、創造魔法と聖属性魔法を正しく扱えると思った。世界に貢献してくれるとね。もちろん、わたしの美味しい食事のためにも」
「途中まではいい話だった」
「おや。美味しい食事は大事だよ?」
「全面的に賛同できますが、何でこう微妙な気持ちになるんでしょうねぇ………」
にこにこと微笑んだまま神様は答えない。笑って誤魔化すなんてことを神様もするんだなぁ。
「デリートに耐えた君の前世の記憶に興味が湧いて見させてもらったけど、面白いよね、君のいた世界って」
「ちょっと待て! 見たって、浩介の人生をまるっと全部!?」
「え? うん、当然じゃないか」
黒歴史のあれやこれやがすべて明るみに………! あまりの羞恥に身悶える。
「特にゲームは面白かった。あちらは娯楽が豊富で羨ましいよ。こっちでも何か広めてくれると嬉しいな」
「ええまあ………考えておきます」
ふと気になって尋ねる。
「神様。メッセージやチュートリアルが送られて来たのって、まさか地球のゲームの影響で?」
「うん、そうだよ。ゲーム仕様の方が君には馴染みがあるかと思って真似てみたんだけど、どうかな? まあ活用法はほぼないんだけど」
「ないのかよ!」
「ないね。ナーガが居れば連絡はすぐ取れるし、メッセージ送るより早いじゃない?」
そうだけど、ないなら作んなよ! と、つい突っ込んでしまった。
すると、唐突に神様はまじまじと俺を覗き込んだ。
「―――うん、だいぶ混ざってきたね」
「え? なんです?」
「あと七年かな?」
「話に脈絡がないのですが」
「今後は神殿に赴きなさい。そこからならここへ来れるようにしておくから。困ったらおいで」
「ここって………」
「神界と呼ばれる場所の、ここは狭間だね。普段わたしは神界にいるから、ここにはいないけど。君が来る時は分かるから、その時はわたしもここへ来るよ」
それから、と一旦言葉を切り、穏やかな表情から一転、真剣な面持ちになった。
「今の君の脳はまだまだ未発達だから、膨大なイメージデータの処理能力はない。本当はもっと成長してからの予定だったんだけど、わたしの予測よりも早い段階で事は起きてしまっているようだ」
「え?」
「そこで君に御守りをあげる」
「御守り?」
物凄く重要なことを言われた気がするが、気もそぞろに思考誘導されてしまう。
「そう、御守りだ。創造魔法にも聖属性魔法にも、既存の詠唱呪文というものは存在しない。元より人間が扱える力ではなかったからだけど」
そんな代物を何の説明もなしに寄越した神様にも問題あると思うぞ。
「リミッターの代わりになるものを君に与えよう。燃料でしかなかった魔素がイメージの負荷を請け負い、君の護りとなるだろう」
「魔素が負荷を請け負うって、そんなことをして魔素は大丈夫なんですか………!?」
あまりにも予想外な言葉だったのか、一瞬きょとんとした神様がはははと声を上げて笑った。
「平気だよ、だってわたしの一部だよ? あらゆる事象の影響を受けないし、消滅もしない」
一頻り笑った神様は、柔和な笑みを浮かべた。
「君は奇特だね。わたしの一部である魔素を気にかけるだなんて、そんな人間は君が初めてだ。わたしのデリートを弾くだけのことはある。為るべくして君はわたしの使徒となったのだね」
手放しで誉められると何ともくすぐったくなるな。ただ執着心が人より強かっただけという、決して自慢できるようなものではないけど。
「神様。起こるはずのないスタンピードが何故起きているのでしょうか? 原因はやはり森の最奥にあるのですか」
「それは自力で見つけなさい。ナーガをメンターとしていい。分からないことはナーガに聞くように。あの子たちはわたしの一部ではあるけれど、全てを見通せている訳じゃないから、今回の答えは得られないよ。もし本当に困った状況になったら、わたしを訪ねておいで。場合によっては答えられるかもしれないよ?」
その言い方だと、答えてくれないこともあるという意味か。
聞きたいこと、確認したいことは腐るほどあるが、今は時間がない。こうしている間にも、魔物のスタンピードは続いているはずだ。早く戻らなければ。
「―――――ああ。呼んでいるね。戻ってあげなさい」
どきりとした。それは誰かの命に関わる呼声であってほしくない。
「御守りは、魔法を発動する時に理解できるよ。さあ、お戻り、レインリリー・グレンヴィル。また会える日を楽しみにしているよ―――――」
突如意識と共に神様の姿や声も遠ざかっていく。
斥力が働いているかのように、または空から地表へ落下するかのように、狭間の外へと弾き飛ばされていった。
俺に覚醒を促したのは、俺を包み込む温もりと、力強く脈打つ心音だった。
ふっと目を覚ますと、視界を覆うように誰かが腕の中に抱き込んでいた。覚えのある香りが肺を満たし、きつく抱き締める腕にそっと触れた。
「苦しいから緩めて………イル」
はっと息を飲む気配があちこちでし、イルは腕を緩めて俺を凝視した。
「リリー………! 良かった、意識が戻ったんだね………!」
「ここは………?」
「第二防衛ラインです、お嬢様。ご気分はいかがですか?」
「アレン………ええ、何とか。状況を説明して」
イルに手伝われながら居住まいを正すと、ようやく周囲の状況が分かってきた。
誰かが打ち上げた篝火に照らされて、百メートルほど先で騎士団が魔物と戦闘を繰り広げている。意識を失う直前に見えた土煙の原因があれだろう。
騎士たちの数が五倍ほどに増えて見えるが、恐らくはようやくエスカペイドからの援軍が到着したのだろう。
俺の疑問を読み取ったアレンが、これを肯定する。
「お察しの通りです。先程本隊が到着致しました。第二防衛ラインで接触する直前だったので、本当にギリギリのタイミングでしたが」
「わたくしはどれくらい気を失っていましたか?」
「ここへ着くまでの間ですので、それほど長くはありません」
「そう………意識のないわたくしを運んでくれたのは、アレン?」
「はい」
「今日は苦労ばかり掛けているわね………」
いいえ、とアレンが真摯に答える。お嬢様の手足となり、お側でお守りするのが私の役目です―――そう言って微笑む彼は、本当によく尽くしてくれている。
「イル、貴方どうしてここに? 王都へ戻るよう言ったはずよね?」
「よく考えた。王子として、君の諫言をしっかりと。でも、それでも僕にはリリーを残して戻る選択は出来なかった。意識のない君を発見した時、僕は自分の直感が間違っていなかったと思ったよ」
いつになく強い眼差しに申し訳なく思った。イルの想いは理解している。どう感じたか想像に難くない。
「ごめんなさい、イル。心配をかけました。もう無茶はしないわ」
「本当だよ。無茶もいいところだ。言ったじゃないか、君はまだ五歳の女の子なんだって」
「ええ………その本当の意味を痛感しているわ」
肉体は五歳の幼女。そのことを認識はしていても、理解はしていなかったのだ。その結果が、未熟な脳を損ない兼ねない大事になりかけた。
「イルが回復魔法をかけてくれたの?」
「うん。昏倒する前に額を押さえていたって聞いて、頭に治癒を施した。まだ痛む?」
「いいえ。少しぼんやりしてるけど、痛みはないわ。ありがとう、イル」
本当に助かった。イルが回復魔法をかけていなければ、今もまだ昏睡状態だったかもしれない。
ここまで考えて、はたと気づいた。
神様が別れ際に言っていた『呼んでいる』とは、あれはイルのことだったのではないか?
「ねえ、イル。もしかして、わたくしをずっと呼んでいた?」
「呼んでいたよ。ずっとずっとね」
そうか。不思議と胸の中央にそれはすとんと落ちてきた。とても温かい感情だった。
「―――――ありがとう」
微笑みを浮かべた瞬間、周囲がはっと大きく息を呑んだ。反応の理由がわからず訝っていると、出し抜けにイルにぎゅっと抱き寄せられた。
いきなりの抱擁にびっくりしたが、心配をかけた自覚があるので抱き締め返し、謝意を込めて背中をポンポンと叩いてやる。
「……………リリー。僕はもう君から離れない。何があっても」
「え?」
腕が緩んだ露の間、頬を引き寄せられ、唇を塞がれた。
「……………!?」
遅れて目を見開いたが、すぐに唇は離れていった。
不意の出来事に誰もが唖然とし、微動だにしない。
間近に跪いていたアレンとザカリーは、絶句したまま固まっていた。