52.スタンピードの謎
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「まずは防衛線を張る!」
重苦しい空気を粉砕するように、いち早く持ち直したのはお爺様だ。
「第一陣は―――――アッシュベリーの小倅! 闇魔法を解け! 騎士を起こさぬか!」
唐突に怒鳴られたイクスははっと目を見張り、慌てて眠りの闇魔法を解除した。
次第に覚醒し始めた騎士や砂金ハンターたちは、初めはぼんやりとした顔をしていたが、自身の状態を思い出した様子でそれぞれの負傷患部に目を向けた。知らぬうちに治っていることに気づくと、混乱と困惑に満ちた面持ちで己の身体を隈無く確認し始めた。
あちこちで「どうなっている」「傷がない………」などと呆然とした呟き声がさざめいた。
「騎士たちよ。そして我がグレンヴィル領の民たちよ。聞け。私はグレンヴィル前公爵、アラステア・グレンヴィルだ」
はっとした様子で、騎士が居住まいを正し跪いた。砂金ハンターも慌てたように頭を垂れる。
「お前たちの傷を癒したのは、光属性持ちの我が孫娘レインリリーと、我が領へご滞在中であられるシリル第一王子殿下だ」
「で、殿下が……!?」
「何と畏れ多い……!」
「姫様だ……!」
「我らが姫様が俺達を……っ」
驚愕する者と、涙を流し平伏する者と、騎士礼のまま感動にうち震える者と。思い思いの反応を返す騎士や砂金ハンターたちに、俺はにこりと微笑んだ。
これからお爺様が話すことは、彼らを再び死地へ赴かせるものになる。領主代行命令だ。
例え相手が彼らを治癒院へ送り命を危ぶめた元凶であっても、彼らが戦力になってくれなくては北区ヴァルツァトラウムは滅びてしまう。
騎士団本部から本隊が派遣されるまで、彼らには戦ってもらわなくてはならない。森の最奥から出てこないはずの、強力な魔物の群れと。
俺は覚えず歯噛みした。
微笑みを返す以外に、俺が彼らにしてやれることはないのか。
騎士や砂金ハンターを見渡して、お爺様が重々しく告げた。
「悪い報せだ。森から魔物が大挙して押し寄せていると報告が入った。お前たちをそんな目に遭わせた者共だ」
ざわっと不協和音のようにどよめく。蒼白になる者も少なくはなかった。
「恐怖はわかる。わかった上で頼む。今一度戦ってはくれまいか。エスカペイドから騎士団が到着するまで、少なく見積もっても最短で一時間半はかかるだろう。それまで防衛線を張り、凌いでほしい」
恐怖と動揺に染まった多くの双眸をじっと見つめ、お爺様は真摯に言葉を重ねる。
「お前たちだけに押し付けるつもりはない。私も出陣する」
「そんな! 先代様まで前線にお立ちになるなど!」
「わたくしも参ります」
リリー、と背後で悲鳴が上がった。イルだ。イクスも青ざめた顔で止めろと唇が動いた。
「駄目だ! リリーは駄目だ!!」
「そうです! 姫様はお逃げください!」
イルに同調してヴァルツァトラウムの騎士たちが必死に懇願する。彼らのその想いが胸を締め付ける。自分たちだって逃げ出したいだろうに、俺の身を案じてくれるのか。
「レインリリー」
「お爺様まで逃げろだなんて仰らないでくださいね」
「だがお前は」
「わたくしとてグレンヴィル家に名を列ねる末輩。領民を見捨ててどこへ逃げると言うのですか」
「その心意気は立派だが、相手は魔物だぞ。お前は見たこともなかろう」
「はい。ございません」
「足手まといになる。殿下とアッシュベリーの小倅と共にエスカペイドへ避難しておれ」
まったく以てその通りだ。戦場を知らぬ者が己の力を過信してしゃしゃり出たところで、邪魔にしかならないだろう。魔物を間近で目視し、同胞が傷つき殺されていく凄惨な現場を、幸いにも俺は経験していない。実際目の当たりにしたら、竦み上がって使い物にならない可能性もある。
想像するよりずっと酸鼻であろうことは理解している。先程までの治癒院の有り様が何てことないように感じるほど、本物の戦場は凄烈を極めるのかもしれない。それでも。
俺はお爺様の目を真っ直ぐに見つめ、お爺様とエリアル、俺の配下たちにだけ念話を繋いだ。
『この防衛戦で創造魔法を使わずいつ使うと言うのですか。わたくしは誰一人として失うつもりはありませんよ』
「ならぬ」
『秘匿せよとのご命令には従えません』
「身重のアラベラに要らぬ心配をかけるな」
俺はそっと嘆息し、念話を切る。正論だ。俺の安否はお母様のお体に障る。
「大人しく従え、レインリリー。エスカペイドへ戻れ」
「エスカペイドまで魔物が来ない保証はありません」
「行かせぬ。私が残るのだ、もしもなど起こさせるものか」
「お爺様がお強いことは知っておりますが、お体はお一つです。全てを通さないのは無理です」
「全ての足止め程度、造作もないぞ」
お爺様は雷と地の二属性持ちだ。確かにどちらも強力な属性なので、防衛と攻撃それぞれに特化しているだろう。
無尽蔵であれば。
「使用制限がございます。お一人では無理です」
お爺様が目を眇るが、俺も一歩も引かない。ここで折れてたまるか。みんなの命がかかってる時に、出し惜しみしていられるか!
しばし無言の攻防戦が繰り広げられ、先に折れたのはお爺様だった。
「頑固者め」
「お爺様に似たのですわ」
「ふん! ユリシーズに似たのだ」
「お父様もお爺様に似られたのでは?」
「減らず口を。口論の時間も惜しい。決して傷を作ってくれるなよ、レインリリー」
「心得ましてございます」
深々とカーテシーで応えると、今一度鼻を鳴らしたお爺様がヴァルツァトラウムの騎士たちに檄を飛ばす。
「我が孫娘が共に前線へ赴く! 我こそはと続く者はいるか!」
「参ります!!」
「おれ、いえ、私も共に戦います!」
「姫様に近づけさせはしません!」
お爺様に応えるように、騎士たちがあちこちで吶喊した。先程まで蒼白になっていたとは思えないほどの熱量だった。
「よし、よく決断した! では作戦を伝える!」
お爺様は一度俺の頭を撫でると、治癒院全体に届くよう声を張り上げた。
「防衛線は三つに分ける! まず第一防衛ラインは森と街の中央に張る! 遠隔防衛だ! 理想はここで食い止めることだが、それは難しいだろう! 次に張る第二陣は、さらに半分ほど後退した位置だ!何としてでもここで食い止めたい! ここを突破されれば、最後の防衛ライン、市街地戦になる! 被害は第二陣までの比ではなかろう!」
街には北区領民の財産がある。ここで戦闘になれば、被害は人的損害に留まらない。お爺様の仰るとおり、理想は第一防衛ラインで侵攻を阻止することだ。無理でも第二防衛ラインで必ず仕留めなければならない。
「部隊を編成し、防衛線に配置せよ! ブルーノ、お前は領民の避難誘導だ! 街に一人も残すな! さあ時間との勝負だぞ! 行け!!」
「「「「「はっ!!」」」」」
命令を受けたアンヴィル侯爵と騎士たちが散っていった。
俺も今のうちに確認を取っておかなければ。戦闘に突入したら問う間もないだろう。
『ナーガ。スタンピードは起こらないんじゃなかったのか』
『そのはずだよ。本来ならあり得ない』
『そのあり得ない事態が今まさに起きてる。どうなってる?』
『ナーガにも分からない。山には魔物のライフラインとも言える瘴気が溜まりやすい。その周辺から離れるなんて、本当にあり得ないんだ。鉱山辺りで某かの異変が起こっているとしか言えない』
神の一部であるナーガにも把握できない何かが起きている?
いったい最奥で何が起こっているんだ。
何者かの見えない手が伸びてきているように思えて、薄ら寒さにぶるりと震える。
『調べれば分かるか?』
『森の最奥を?』
『ああ』
ナーガはしばし黙考すると、こくりと頷いた。
『現場に行けば、ライフラインを放棄してまで魔物が離れた理由は分かるかもしれない』
『分かった。スタンピードを阻止したら、こっそり森へ向かおう』
『了解。その時はナーガが乗せて行く』
『頼りにしてるよ、相棒』
ナーガが嬉しそうに笑った気がした。
物言いたげに控えている護衛たちを見て告げた。
「あなたたちも、共に戦ってくれますね?」
「勿論です」
「お嬢様は必ずお守りします」
「何があろうともお側を離れません」
「ありがとう。頼りにしています」
「「「は!」」」
次いでケイシーを見ると、俺が口を開くより先に宣言された。
「私もお供致します」
「………ケイシー」
「お側におります。離れません。私も火属性持ちです。戦えます。残れなどと仰らないで下さい。どうか……!」
両膝を床に着き、組んだ指を胸に引き寄せ必死に懇願する。瞳は悲痛に揺れ動き、見ているこちらが胸を締め付けられる思いがした。
「お嬢様。僭越ながら発言をお許し下さるならば、おれからも一言添えさせてください」
ノエルがケイシーから視線をこちらへ移す。
「許します」
「ありがとうございます。お嬢様、ケイシーをお連れください」
「ノエル?」
「ケイシーの想いがわかるんです。主君を戦地へ見送って、自分だけ安全地帯で護られているだなんて、おれなら耐えられません。そんな思いをするくらいなら、共に戦場へ赴く方がずっと心安い」
「私も同意見です」
「同じく」
「あなたたち………」
ケイシーに続くように、ノエルたちも床に跪いた。
「火属性は魔物に最も有効性があります。きっと活躍することでしょう」
「まったく………」
揃いも揃ってお前たちは。俺の親心の分からん奴らめ。
お爺様に食らいついた俺が言っても説得力ないなと、そっと嘆息しつつそんなことを思った。
「わかったわ。でも一つだけ約束して。決してわたくしの側から離れないこと。いい?」
「は、はい! 勿論です、お嬢様! 決して離れません!」
よし、と頷くと、ケイシーが涙を浮かべて満面の笑みを浮かべた。
良かったな、おれたちも側を離れないから大丈夫だ、などと三人で励ましている。美しき友情かな。この中の誰かと恋に落ちたりしないのかな?
思い至ってドキドキと見つめていると、背後から声がかかった。
「リリー、どうして君が討伐に! 無謀だ!」
それぞれに役目を受けた人々が散っていった治癒院は、訪れた時とは正反対に今は閑散としている。静まり返った治癒院に、イルの咎める声はよく響いた。
「グレンヴィルを名乗る以上、領地や領民に尽くすのは当然の義務ですわ、殿下」
「そうだが! それでも! 君は五歳で女の子だ!」
「ええ、見た目はそうですね」
「母君の元へ戻るべきだろう!」
「正論ですわね。本来ならばその通りでしょう」
「リリーは戻るべきだ!」
「いいえ、殿下。我がグレンヴィル家はすでに嫡子を授かっております。生まれてくる子が弟妹どちらであってもグレンヴィル家にとっては慶事。わたくしの役目は母と弟妹が過ごすエスカペイドへ魔物を寄越さないこと。お母様のお側で天に祈ることではありませんわ」
「リリー!」
殿下こそ、と言葉を切り、周囲を確認する。すでに治癒院は俺達しか残っていない。
「イル、お前こそ王都へ帰れ。王位継承権を持つ者がこの場に残っていては駄目だ」
「何を言っている!」
「これはグレンヴィル領の問題だ。今はまだ王家は関わるな。王都へ戻れ」
「戻らない! 戻ってたまるか! リリーの側を離れるわけがないだろう!」
「シリル第一王子殿下!!」
びくりと肩を震わせた。お爺様もきっとこんな感情を抱いたんだろうな。聞き分けのないやつめ、と。
「冷静になれ、イル。お前は将来国を背負って立つ立場だろう。その自覚があるなら王都へ帰るんだ。イクスも。アッシュベリー公爵家の嫡子が他領の問題に巻き込まれるな。領地の異変はまず領地で何とかする。聞き分けて戻れ。いいな?」
これ以上の反論は聞かないとばかりに、俺はイルとイクスを残して治癒院を後にした。