4.許容量を超えたようです
マリアの言葉に俺は固まった。
彼女はすでに確信を得ているのだという。更に今まさに思い悩んでいたことまで指摘されてしまった。
一瞬詰まったが、これは好機なのではないかと思い直す。
見えないし喋れないし動けないのだ。現状の俺では自力で情報を掴むことはかなり厳しい。運良く欲しい情報を偶然大人たちが語り出すなど、そんな奇跡を待つ意味はないだろう。
折角だ。これを逃せば次いつ好機が巡ってくるかわからない。
渡りに船の申し出をありがたく頂戴させてもらおうじゃないか!
俺はマリアに提案された瞬きで彼女の質問に答えていく。
「お嬢様は何か悩んでおられるのですね?」
そのとおり。
「それはどのようなことでしょう? お腹が空いておられる?」
いいや、腹は空いていない。恥ずかしながらさっきもらったばかりだ。
「なるほど。空腹ではないということですね。ではおしめですか?」
くっ。
粗相を指摘されると頭を抱えたくなるな!
だが違う! おしめも先ほどマリア自身が替えたじゃないか!
交換した張本人がなぜ問う!? 嫌がらせなのか!?
「おしめでもないと。わかりました。では身体的なことではなく、ご自身の周囲のことでしょうか? そうですね、例えばお嬢様のお生まれになったご家庭のこととか」
はいそれ! まずそこ聞きたいね! 貴族ってなに!
「やはりそうでしたか。お嬢様はご家庭のこと、そしてこの国のこと、延いてはこの世界そのものの情報を欲しておいでなのですね」
恐ろしい……マリアって恐ろしい……。
今のやり取りだけで何故そこまで拾い上げることができるの。いや、拡げることができたの!?
確かに俺が欲しい情報は最終的にはこの世界そのものだけどさ。
極々一般的な観点で言えば、マリアの勘の鋭さは異常だよ。だって俺、昨日産まれたばかりの赤子だよ? 言葉を理解しているかどうかなんて気にする人いるかな? 絶対マリアが特殊なんだって。
着眼点が人と違う。固定観念を作らないというか、こうあるべきという枠を設けていないというか。
人の本質、物事の色味だけを見ているのかな。たくさんの人が「あれ赤だよね」「うん、赤だよね」と言っていたとしても、彼女だけはよく観察してそれを朱色だと判ずるのだろう。
他人と足並みを揃えず違うものは違うと、間違っているものは間違っているとはっきり断言できる人なのだろう。
それがどれほどの勇気を必要とするのか、俺はよく知っている。
前世の俺が死んだ頃は、妹は中学三年生だった。
同じクラスに両目の色素が薄い女の子がいた。日本人の家系だが、その子だけたまたま瞳の色が一際明るい茶色だった。
全国探せばきっと多く見つかるだろう。寧ろ逆に純黒の目を持つ日本人の方が珍しい。
だが、その学校で、そのクラスで、その子の他に明るい茶色の目を持つ子はいなかった。
たったそれだけ。人より色素が薄いだけ。
でも、たったそれだけのことが、一部の人間には奇異に映った。
ただ珍しいってだけで、自分達は持っていない色をしていたってだけで。それだけのことが、一部の子たちには許せないことだった。
複数の集団が糾弾すると、群集心理が働くのか同調する人間が増えていった。
その波はうねりを持って周囲を巻き込み、クラス全体に、さらに隣のクラスに、三学年すべてにと、嵐にうねる荒波の如くどんどん膨れていった。
その子は孤立してしまった。
以前は友達も多く、活発な子だったのに。
一部の人間に妬まれた結果、大きなうねりは彼女の心を蝕んでいった。
竹を割ったような性格の妹は、その理由も状況も気に入らなかった。そもそもの発端になったきっかけそのものが嫌悪するものだった。
だから、妹は己の心のままに群集心理を突っぱねた。間違っていると声高に糾弾した。
結論から言えば、妹の正義は受け入れられなかった。
妹の発言こそが異質なもので、和を乱す異物だった。
協調的ではない者が足並みを揃えないのが悪いのだと、妹は排除される側に押し出された。
それまで仲良くしていた友人たちも離れていった。
明るい茶色の目をした女の子は、学校へ来なくなった。
足並みを乱した存在として一人取り残された妹が、次のターゲットになった。
正義の定義は難しい。誰が舞台の主役に立つかで正義と悪はどのようにも入れ替わってしまうからだ。基本的に正義は一つだけだ。それが複数になると、そこに矛盾が生じてしまう。
矛盾が生じれば、我こそは舞台の主人公だと主張する者たちによって、その者にとって都合のいい正義の名の下に淘汰されるだろう。俺の妹のように。
定義は必ず一つ。他などあってはならない。
誰かにとっての正義は、誰かにとっての悪なのだから。争いに勝った者が掲げる正義が、唯一の定義になるだけである。
だから俺はよく知っているんだ。
群集心理の恐ろしさを。
正義定義の不確かさや一方的な暴力を。
我こそが正義だと声高に叫ぶ者こそ自己顕示欲に固執している愚か者だということを。
己自身が正義だとなぜ言える。
自分は間違えないと、間違っていないとなぜ思える。
協調性と想像力を持たない子供が増える中で、協調性教育を指導する立場にある大人たちが自己利益を優先する矛盾。
足並みを乱すな、同じでいろ、突出するな、自分より優秀であってくれるな。
前世の俺が勤めていた塾の内外にも、自己利益にしか頭が働かない大人はたくさんいた。それで子供に何を教育出来ると言うのか。
異物と見なされ淘汰された女の子のように、己の勇気を信じて実行した妹のように、本来の協調的な意味を失った教育に居場所を追いやられていく子は少なくないのだろう。
元同僚講師やその妻、浮気相手の塾生の母親が自己利益しか見えていなかったからこそ俺は巻き込まれ、腹を刺されて死んでしまった。
心残りは一番の被害者であったあの女子生徒と、人に期待することを諦めた妹の存在だ。
彼女たちはどうしているだろうか。どうか俺が死んでしまったことを気に病んでないといい。
多感な時期に死を目撃させてしまった。
大事な時期に側に居てあげられない。
高校受験の勉強を見てやる約束をしていたのに。
塾講師の浩介にぃの授業は分かりやすいと、妹はタダで教えてもらえてラッキーだと笑っていたのに。
ああ、色んな感情が過っては去り、渦巻いては沈んでいく。
マリアの話をきちんと聞いていなきゃいけないのに、しっかり答えなきゃいけないのに、俺の記憶は刺されたあの瞬間に繋がっていて、それをうまく切り離せない。
未練なんてものはあって当然だろう。
妹のことが、あの女子生徒のことが、気がかりで心配で申し訳なくて、消化できない色んな想いが濁流のごとく流れ出ていくのだ。
赤子の未発達の脳に、前世の俺の記憶や知識は容量が多過ぎてうまく処理できないらしい。
唐突に感傷的になったのも、未発達な脳が許容量を大幅に超えてしまったからだと気づいたのは、初めて産声以外で泣き声をあげ、泣きつかれて眠ってしまった後だった。
シリアス展開になりました。
茸が生えてしまうくらいじめじめと暗いです。
一度きちんと過去と向き合って、新しい人生に折り合いをつけてほしくて。
次回はお父様、ユリシーズ氏の目線でお楽しみください。