47.慶事だった
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繰り返し聖属性魔法を掛けながら、お母様の不調を騙し騙しで街へ辿り着き、宿で一泊した後すぐに出立。小休止を度々挟みつつ次の街へ進み、そこで再び一泊。
本来は立ち寄る街でお金を落としていく義務があるのだが、今回はお母様が最優先だ。宿を取るだけで外出はしない。街で買い物など一切することなく、ただひたすらに領地だけを目指す旅路だ。
最初の街で医者にかかろうと提案したのだが、当の本人がそれを拒否したため已む無く移動を続けている。領地に着いたら専属医に診てもらうからとお母様が仰るのだから、仕方がない。
予定より大幅に遅れて領地へ到着したのは、王都を出発してから三日目の午後のことだった。
「それで、どうなんだ? どこか悪いのか」
「落ち着きなさい、ユリシーズ。レインリリーも。アラベラは病気ではないから安心なさい」
診察を終えた専属医に詰め寄るお父様と俺を窘めるのは、祖母のディアドラだ。
「しかし母上、馬車に酔ったこともないベラが真っ青だったのですよ。彼女にとってここまでの道中がどれほどの苦行だったか」
「真っ青にもなりますよ。時期が悪かったのだから」
「そんなに悪いのですか!?」
「だから落ち着きなさいと言っているでしょう。まったく」
お婆様が呆れた溜め息を吐く。これじゃ埒が明かないな。結局診断はどうだったんだ。
「アラベラは懐妊しています。安定期でもないのに無茶をしたわね。流れたらどうするつもりだったの」
「は? 懐妊!?」
驚愕の声を上げたのはお父様だ。その横で、俺はなるほどと得心した。
道理で回復魔法が効かないわけだ。妊娠は病気じゃないからな。
合点がいくと同時に、指輪に追加付与した体調の安定は、これを無意識に予期していたものだったのかと思い至る。しかし病気の類いじゃなくて本当によかった。
「お婆様。お母様は妊娠しているのではないかと、お気づきだったのではありませんか?」
「あら。どうしてそう思ったのかしら?」
「なに? どういうことだ、リリー」
「領地へ到着するまで、お母様は頑なに診察を拒んでおられました。具合が芳しくないのは明らかであるのにです。それでも医者にかかろうとなさらなかったのは、予感があったからではないかと思うのです」
「そうだとしても、医者を拒む理由にはならない」
「なりますよ、お父様。もし最初の街で発覚していた場合、お父様は急遽取り止めになさったのではありませんか? 王都へとんぼ返りしておられたのでは?」
渋い面持ちで沈黙する時点で肯定していることになる。
「お母様はそれを危惧なさって、恐らく黙っておられたのではないでしょうか」
「だからと言って、何かあってからでは遅いではないか」
「理由はご本人にお尋ねになってくださいな。でも責めるようなことは仰らないでくださいね?」
「わ、わかっている」
「情けないこと。レインリリーの方がよほど肝が据わっているじゃありませんか。あなたも三人目なのだから、いい加減慣れなさい。狼狽えてみっともない」
ムッとしつつ、お父様は反論することなくお母様の休まれている部屋へと急いで行った。
「父親があの調子では、あなた達も苦労するわね」
お婆様の忌憚のない物言いに、俺とお兄様は苦笑いした。
「父上は、母上のことに関してはアレなだけで、普段はどっしりと構えておられますよ」
「そこが問題ね。ユーイン、ああなってはなりませんよ。反面教師になさい」
最早お兄様は、苦笑いしか返せない。
そこへ、視察から戻られたお爺様が俺を見つけて破顔一笑、こちらへ手を伸ばしてきた。
「レインリリー! よく来たなぁ! 会いたかったぞ!」
「お久しぶりです、お爺様。お会いできるのを楽しみにしておりました」
「そうかそうか! ますます美人になっていくなぁ、我が愛しき孫娘は!」
俺を抱き上げ大量のキスを降らせるお爺様が、お兄様を見て意地悪げに笑った。
「よく来たユーイン。お前は相変わらず妹を溺愛しているそうだな」
「お久しぶりでございます、お爺様。ええ、リリーは僕の大切な妹ですから。溺愛するのは当然です」
「だが行き過ぎはいかんな」
「どういう意味でしょう?」
「聞いておるぞ。シリル殿下を牽制しておるそうではないか」
イルの名にお兄様の眉がぴくりと震えた。
にっこりと微笑む背後に、ゆらりと黒い影が見える。
「殿下の行き過ぎた接触を窘めただけですが。婚約と言えど仮ですので、その辺りはしっかりと弁えて頂かないと」
「仮でも婚約者は婚約者だ。他人の恋路を邪魔する無粋な真似は、馬に蹴られてしまうぞ、ユーイン?」
「ははは。ご冗談を。前提が違うでしょう? 仮はあくまで仮ですよ」
「だが婚約は婚約だ」
ふふふ、ははは、と一見和やかな祖父と孫息子の会話に聞こえるが、互いの背後に見える竜虎の争いは決して幻ではないだろう。
イルの最大の難関は俺じゃなく、恐らくお兄様ではないだろうか。
「なに? アラベラが懐妊だと?」
通されたサロンでお爺様が瞠目した。
「ええ。馬車の振動はかなり負担になったはずです。しばらくは安静にさせませんと。育つものも育ちませんわ」
「そうか。ではしっかり養生させねばな。しかし三人目とは、我がグレンヴィル家も安泰だな」
満足げに微笑むお爺様の内心が透けて見えるな。男児ならば領地を治める当主代行を任せられるし、女児ならぱ縁組みで益を望める。どちらが産まれてもグレンヴィル家にとって都合がいい。
憶測だが、仮に女児であった場合、俺が駄目でもその子が王家と縁続きになる可能性がある。だからどちらが産まれても益にしかならないのだ。
誕生に得失を計られるのは、貴族に生まれた義務だから仕方ない。第一に求められるのは、血統を残すことだからな。
「………」
まあ、その義務から全力で逃れようとしている俺が言うなって感じだが。
しかし、弟妹か。どっちかな。妹が可愛いのは分かりきっているが、弟も意外に可愛いものだと最近知ったからな。イクスの可愛さは愛でるべき類いのものだ。あいつの言動めっちゃ可愛いもの!
ふんすと一人興奮していると、そこへお父様が些か憔悴した顔で戻ってきた。
「お父様?」
「ああ……。お前たちに話しておくことがある」
なんだろうか。不安を煽る面持ちで切り出すのは止めてほしい。
「安静にしていれば問題ないそうなんだが、再び馬車に乗るのは危険だ。ベラは安定期に入るまで、ここで療養することになった」
「当然でしょう。アラベラはわたくしがしっかりと責任を持って世話しますから、あなたは何一つ心配せず王都へお戻りなさい」
お婆様にぴしゃりと言い切られ、お父様の頬が引き攣った。
「ええ………お願い致します、母上」
それで、とお父様が俺を見る。
「明後日には領地を立つことになる」
「わかりました。わたくしも残ってお母様のお世話を致しますわ」
「そうか………まあ、そう言うだろうとは思っていたが………」
はあ、と嘆息して肩を落とす。
どうしたお父様。俺が残るのは不満か?
「お前まで領地へ残して、私は王都へ戻らなければならないのか………これは何の試練だろうか……」
「女々しいことを言うものではなくってよ。見苦しいったらありゃしない」
「お言葉ですが、母上。私にとって妻と娘を置いて戻らなければならないことは、身を切るほどにつらいことなのですよ。来るんじゃなかった」
「まあ。言うに事欠いて、来なければよかったですって? 呆れた。これから大変なのはアラベラだというのに、あなたは幼子のように甘えたことを言うのね」
ムッとしつつもその通りだと思った様子だ。唇を引き結んだお父様に、お兄様がにこやかに告げる。
「ご心配には及びませんよ、父上。僕が父上の代わりに母上とリリーの側におりますから」
「何を言っている? お前も私と共に戻るんだぞ」
「は? いやいや、僕には父上の名代を務める義務が」
「こちらには父上がおられる。お前の出る幕ではない」
「そんな! リリーから離れるなんて!」
「それが本音か」
愕然とするお兄様を、俺たちは呆れた面持ちで眺めた。
お兄様、どんだけ俺が大好きなんですか。
「お兄様。またすぐにお会いできますわ」
「リリー………きっと僕は三日と持たないよ………」
まあ分からんでもない。幼い妹に、当時の浩介が言いそうな台詞だ。中学時代、修学旅行を自主的に辞退しようとして親と揉めに揉めた過去があるからな。
学校行事だということで強制的に参加させられたが、出発日の早朝に、泣き喚いて行っちゃだめとすがり付く二歳の妹を抱き締めて、だから行きたくないって言ったのに!と、大泣きした恥ずかしい過去も思い出してしまったけどな。
強制連行されたバスの中で、級友たちに生暖かい目で慰められたこともついでに思い出しちゃったじゃないか。ああ恥ずかしい。
「明日だが、領民へのお披露目がある。その心積もりでいるように」
「お披露目ですか?」
いじけたお兄様の膝に抱っこされながら、お父様の言葉に首を傾げた。何のお披露目だろう?
「レインリリーのお披露目だ。百年ぶりの女児ということで、領民はお前が領地へ戻ることを心待ちにしていたのだよ」
言葉を継いだのはお爺様だ。
また身の丈に合わない期待を懸けられそうで憂鬱だな。
「更にシリル殿下の婚約者となって凱旋するのだから、領民の関心はお前に集中している。お披露目をしなければ暴動が起こるほどにな」
わはは、と豪快に笑っているけど、お爺様。その情報聞きたくなかったのですが。
未来の王妃とか思ってるんでしょ? もうマジで勘弁してよぉ………荷が重いってば……。
それに凱旋の表現は正しくないよ。いつ勝ち取ったことになった?
「お爺様。何度も間違えないでください。リリーは殿下の仮の婚約者です。仮!」
「お前もしつこいのぉ。いい加減諦めんか」
「諦めるとはどういう理由で仰っておられるのです? リリーはまだ五歳なんですよ? 婚約なんてあり得ない」
「私は五歳で婚約したが? ユリシーズはお前の年の頃にはすでにアラベラと婚約していたな。お前もそろそろ婚約者の選定に入れ」
再びの竜虎の争いに俺は遠い目をした。そういう話は俺を間に挟んでいない時にお願いできますか。腹に回されたお兄様の腕が絞め殺す勢いで絞まっているんですけど!
お兄様、出ちゃうから! 先ほど頂いたお茶がリバースしちゃうから! ゆーるーめーてー!
「お、お母様を見舞って参ります」
「僕も一緒に行くよ」
にこりと微笑んだお兄様は、手を繋ぐとお爺様にせせら笑いを向けた。
「ご案内致します」
先導してくれるのはこの邸の執事、エリアルだ。エイベルの実父であり、前ウェイレット伯爵当主その人である。
息子と同じダークブロンドに白髪が混ざり、ブルージルコンの目元には経年の皺を刻んでいる。年を重ねた色を持つ人で、若い頃はさぞモテたことだろう。エイベルは確実に父親似だな。
「大旦那様はお嬢様が参られる日を、誰よりも心待ちにされておりました。その想いが行き過ぎることもあるでしょうが、どうか汲んで差し上げて下さると嬉しく思います」
「エリアルはお爺様に甘いな。行き過ぎればそこを諌めるのがあなたの務めじゃないか」
「これは手厳しい。仰るとおりでございますが………お嬢様に関しては、若様も大旦那様と大差ないように思いますが」
「僕はいいんだよ。まだ子供だからね」
ぺろっと舌を出したお兄様に苦笑を返す。
「そう主張なさっている辺り、若様は子供ではないでしょう。少なくとも子供は背伸びしたがるものですよ?」
ふふん、とお兄様は不適に笑う。
確かにお兄様は、地球での一般的な十歳とはかけ離れている。お兄様だけでなく、イルやイクスもそうだ。
俺はずっと疑問に思っていたことを口にした。
「なぜお兄様はそんなに賢くていらっしゃるの? 殿下やアレックス様もそうですし、王家や公爵家の教育の水準が高いのでしょうか?」
イルやイクスの名前にお兄様の眉がぴくりと動いたが、にこやかな笑みに掻き消えた。
「属性持ちは知能が高いと言われているね」
「そうなのですか?」
「私もそのように聞き及んでおります。適性のある属性の数によって、知能指数も異なるのだそうです」
「え? では三属性に適性をお持ちのお兄様は、かなり高い知能をお持ちだということ?」
「はい。その通りにございます」
「まあ………」
これは驚いた。適性属性の数でIQが決まるとは思わなかった。魔素の恩恵の一つということだろうか。と言うことは、イルとイクスの五歳児らしからぬ言動の原因は、お兄様と同じ三属性持ちだから? では唯一無二の四属性持ちであるお父様の知能指数は、この国で一番ということになるじゃないか。
でもその理屈だと疑問も残るな。二属性持ちのアッシュベリー公爵に押されがちなのは何でだ? 適性属性の数で決まるなら、お父様が劣勢になる理由がない。
でもまあ、頭の出来と悪知恵は別物だからな。たちが悪いことにはやたらと知恵の回る人間もいる。イルやイクスの言葉を信じるなら、アッシュベリー公爵こそまさにそれなのだろう。
やりにくい相手であることは間違いない。お父様やイルに受けた警告は肝に銘じておこう。
「お母様、お加減はいかがですか?」
「ええ、もう大丈夫よ」
マリアだけを世話役として側に置き、ベッドでゆったりと安静にしているお母様の顔色は、確かに到着したばかりの頃よりずいぶんと回復している様子だ。
「母上、ご懐妊おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「ありがとう、二人とも。心配かけましたね」
促され、用意された椅子に腰かける。
部屋には匂いの少ない花が飾られ、嗅覚が敏感になる妊婦の負担にならないよう彩られている。それだけで、お婆様のお心遣いが窺い知れた。
「予兆がおありだったのでしょう? だから道中診察を拒まれた」
「気づいていたのね。ええ、リリーの言う通りよ。出立日の朝から胃の具合が芳しくなかったし、月のものが遅れていたから、もしかしてとは思っていたのだけれど………まさか領地へ出立する日に発覚しなくてもねぇ」
お母様が困ったように微笑む。おめでたいことだが、出立する前にはっきりしていれば、体に負担を強いることもなかったのだ。
「けれど、赤ちゃんは天からの授かり物だと言います。せっかく授かったのですから、これからはご自愛ください、お母様。微力ながらわたくしもお側でお支え致しますわ」
「僕も残りたかったのですが、父上が連れ戻すと無体なことを仰るので、明後日には王都へ出立することになりました」
お兄様の物言いに俺もお母様も苦笑いした。無体とまで言いますか、お兄様。
「あなたは跡取りですから、長期間大切な教育を放棄するわけにはいかないでしょう」
「正論ですが、リリーのいない邸で僕が何日耐えられるとお思いです、母上?」
「リズと似たようなことを言わないでちょうだい。まったく、あなたたち父子は驚くほどそっくりね」
お母様はやれやれと嘆息を漏らし、それを受けたお兄様はムッとした様子だった。
「明日はあなたのお披露目だとお父様から聞いているわ。わたくしは同席してあげられないけど、お婆様が良きように采配してくださいますから、安心なさい」
「はい。しっかり務めを果たして参りますので、お母様は心穏やかにお過ごしください」
「ふふ。ええ、貴女のことは何一つ心配しておりませんよ。美しく着飾って、臨んでらっしゃい」
俺は思わず苦り切った顔をした。それを見てお母様が鈴を転がすようにころころと笑う。
「観念なさい、リリー。お婆様は決して手を抜いたりはなさらない方よ」
「お嬢様の情報は大奥様へ逐一ご報告しておりますので、サイズぴったりなお召し物もご用意くださっております。明日が楽しみでございますね」
「僕も楽しみにしてるよ、リリー」
「……………」
令嬢らしからぬ苦々しい表情になるのは見逃してほしい。明日の苦行に耐える前段階で、作り笑いなんぞ浮かべられるか。