40.オキュルシュス
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「今日は魔法の種を使って、新しいお菓子の提案をしたいと思います」
そう言われたベサニーが、どう返答すべきか分からないといった表情を浮かべ、辿々しく頷いた。
何を作るか説明すらしていないしね。そりゃ当然か。
「魔法の種が何かは一先ず置いといて、ベイクドチーズケーキとシュークリームを作ります」
この世界にオーブンレンジはないので、調理や焼き菓子などを焼く場合には石窯を使う。地球の石窯とは少し異なり、文明の利器であるオーブンレンジのように温度設定が出来るのだ。焼き床に彫られた魔法陣で細かな温度調整が出来ると知った時の俺の感動は筆舌に尽くしがたい。
きちんと数字化して魔法陣の上に浮かぶので、温度は一目で分かる。だが如何せん、浩介が最後に菓子を作ったのは大学生の頃だったので、適温が何度だったかうろ覚えだった。
なので、ベイクドチーズケーキとシュークリームの生地はグレンヴィル邸でクリフ達と何度も試行錯誤を重ねた。失敗を繰り返し、やっと適温を探り当て成功したのがつい最近だった。
「石窯の温度は百七十度でいいわ」
グレンヴィル邸の石窯とここの石窯は同じ業務用サイズなので、扱い方も同じでいい。石窯の蓋横に彫られた魔法陣と焼き床の魔法陣は連動しており、魔力を流すと蓋の横の魔法陣が橙色の数字を浮かび上がらせる。
百七十度に達したところで魔力を流すのを止め、蓋を閉めた。
「石窯が充分に温まるまで時間がかかるから、その間にベイクドチーズケーキの生地を作りましょう」
ケイシーに持って来させた材料を調理台に乗せ、袖をたくしあげた。
「お嬢様、それは何ですか?」
「これはパウンド型と言って、これに生地を流し込んで焼くのよ」
「初めて見ます。金属ですか?」
「ええ。鉄で出来てるわ」
「鉄? それはこれのことですか?」
ベサニーが指で示したのは、所謂果物ナイフだ。俺はそうだと首肯する。
この世界で主に使われている金属は、真鍮と銅だもんな。ボウルや泡立て器、鍋などの調理器具は全て銅製だ。
鉄と言えば剣とナイフだが、平民にとって馴染み深いのは料理や日用のナイフくらいだろう。
「知り合いに作ってもらった特注品なの。オーブン天板も一緒に置いて行くから、活用してね」
「はい! ありがとうございます!」
意欲があって大変よろしい。
俺はにこりと微笑むと、ベイクドチーズケーキの生地作りに取り掛かった。
下準備としてレモン汁を搾り、パウンド型の底と四方に油紙を敷いておく。油紙を準備している間に、ケイシーがレモンを搾ってくれた。ありがとう!
必要な材料の分量を計り、用意しておく。
続いて小麦粉を篩にかけ、ダマを崩しておく。次に割った卵を溶きほぐし、茶漉しで濾す。どちらの下準備も抜かしてはいけない。
「面倒でもこれは必ずやってね。理想は二回だけど、一回でもいいわ。この行程をしっかりやっているかどうかで、仕上がりの滑らかさが違うの」
「はい」
ベサニーはメモを片手に書き込みながら真剣に見つめている。
ボウルにクリームチーズと無塩バターを入れ、泡立て器でよく練り合わせる。
「クリーム状になったら、砂糖を加えて丁寧にすり混ぜて」
混ぜ終えた生地に、卵液を少しずつ加えながらしっかりと混ぜる。更に生クリームとレモン汁を加え馴染ませたら、ふるっておいた小麦粉を加えてさっくりと混ぜる。
パウンド型に生地を流し込んだら、型を軽く台に落として空気を抜く。
「石窯で四十分ほど焼いて、中央に串を刺して生地がくっついてこなければ完成よ」
石窯の中央へパウンド型を押し込んで蓋を閉める。さて、待ち時間に洗い物をして、試食用のポンでお茶にしましょう。
「私が洗います! お嬢様はゆっくりなさって下さい!」
公爵令嬢が洗い物などとんでもないとばかりにベサニーが素早く行動に移った。ケイシーも当然とばかりに頷いている。
別に洗い物くらいやってもいいと思うんだが。浩介は毎日自炊してたから、洗い物なんて日常茶飯事だったぞ?
「丹精込めてお手入れさせて頂いてきた白魚のような指に、ただでさえ最近始められた剣術の影響で胼胝が出来掛けていますのに、更に洗い物などされては荒れてしまいます。お止めください」
おっと……ケイシーから怒られるのは珍しいな。
まあ確かに、深窓の令嬢然とした美しい手指だったと我ながら思うが、そうか、ケイシーの日々の努力を俺が台無しにしている状況なのか。
でも剣術楽しいんだよなぁ………。
ちらりと窺い見れば、ケイシーの眉は更にきゅっと寄った。
「可能ならば剣術もお辞め頂きたいです」
ですよね~。
普通は令嬢が剣振り回したりなんてしないもんな。
そうなると魔法一択になるわけだが、剣胼胝まみれの手指をした公爵令嬢に仕上がってしまうとケイシーの精神衛生上よろしくない、か?
「ぜ、善処します」
すまん、ケイシー。剣術はもうやらないと即答できません。だってめっちゃ楽しいんだぜ!?
「あっ、なかったことにすれば」
「お嬢様。その程度のことで乱発なさるおつもりですか?」
うわぁ………ケイシーが段々とカリスタに見えてきた……。
護衛のノエルと、長いアッシュブロンドの髪を一つに括ったアレン、襟足の長いダークブラウンの髪をしたザカリーが苦笑している。三人共同じくカリスタを想像したのだろう。それとも、俺のなかったこと発言に対しての苦笑じゃないよな?
疑いの眼差しを護衛に向けている間に、洗い物を終えたベサニーが戻ってきた。
「お待たせ致しました!」
「お疲れ様。じゃあお茶にしましょう。ケイシー、お願いね」
「畏まりました」
恐縮しきりとばかりにおろおろするベサニーを座らせて、俺はお茶の準備が整うまでに次に作る菓子の話をすることにした。
「ベイクドチーズケーキが焼き上がるまでに、シュークリームの生地を作ろうと思うの。まったりお茶をしてから、お菓子作りを再開しましょう」
「はい」
「カスタードクリームは作れるようになった?」
「はい。砂糖の混ぜ残しでどうしてもざらっとした食感が残ってしまっていたのですが、お嬢様に教えて頂いた順番通りに混ぜたら失敗しなくなりました」
「それは良かった。そこで、さっき話した魔法の種がこれなんだけどね」
包みから出したバニラビーンズを見て、ベサニーがイルやイクスたちと同じ微妙な顔をする。
うん、予想通りだね。まあとりあえずお聞きよ。
「これはバニラビーンズと言って、とても香りがいいの」
半信半疑の体で香りを確認して、ベサニーの目が見開かれた。この反応もイルやイクスと同じだな。
因みにこの香りだが、香りはさやの方が断然強い。そもそもバニラの香りはさやから発せられており、中の種はそれが移ったに過ぎない。所謂残り香というやつだ。
「今回はこのバニラビーンズをカスタードクリームに入れるのよ」
「えっ! これをですか!?」
「百聞は一見にしかず。まずは試食してみて」
紅茶をいれてくれたケイシーに目配せして、試食用に持参したポンをお茶請けとして用意してもらう。
「これは……ポンですか?」
「ええ。お店のものとは少し違うけど、ポンを元にうちの料理人が作ってくれたのよ」
「何だかほんのり甘い香りがします」
「ふふ。さ、食べてみて」
促すと、ベサニーは半分だけかじった。瞬間、ベサニーが瞠目する。中身はカスタードクリームだと分かっていても、風味が違うからな。驚いてくれて何よりだ。
「砂糖の甘さとはまったく違う、とてもいい香りがします!」
「幸せな香りでしょう?」
「はい!」
やはりバニラは女性受けがいいな。浩介の妹も、カスタードクリームにバニラの風味がついているかいないかで食の進みも随分と違っていた。まず一口、口に含んだ瞬間の、鼻へ抜けるバニラの風味に頬が緩むのだ。
因みに付き合った彼女たちには披露していない。高校時代付き合っていた彼女に一度ご馳走したら、「下手にプレッシャーかけないで」と言われたからだ。そんなつもりは毛頭なかったが、彼女にとっては女性のプライドを傷つけるようなもてなしだったのだろう。妹が手放しで喜ぶからといって、世の女性が皆一様に喜ぶわけではないと知った苦い思い出だ。
女性だから、料理が得意で上手でなければならないと俺は思えないのだけど、そう思っている女性もいるのだ。大失態である。
―――と、いかんな。今はそんな話はしていない。
「風味が増して感じるのは、これが入っているからなの。使うのは開いたさやと刮ぎ取った中身で、真っ黒い種よ。ほら見て。カスタードクリームの中に、黒い粒々が見えるでしょ?」
「わあ、本当だ。黒い粒々がたくさんあります」
自分のかじったポンの断面を見て、ベサニーがぱちくりと瞬く。
「バニラビーンズは苗から収穫できるまでの過程がとても長くて、さらに加工する作業も本当に手間が必要になるから、これを市場に出せるようになるまで時間がかかると思うわ。だから、数年はベサニーのお店が独占販売できるのよ」
はわわ、と慌てふためく。面白い反応だな。
「どっ、独占販売って、このお店だけですか!?」
「ええ。グレンヴィル邸で収穫できている分では、市場に行き渡りませんもの。我が領地で栽培して頂けるようお父様にお願いしているから、早くて五年以内には卸せるかしらね」
もちろんメリットあっての独占販売だ。いきなり販売してもバニラビーンズは絶対に売れない。見た目のグロさもあるが、使い道を知らなければ見向きもされないだろう。
だが下地が出来ているベサニーの店で、バニラビーンズを加えた菓子を販売したらどうだろう? 初めは試食してもらうのも一つの手だ。
風味を知ってもらい、噂になり、他店がこれを知る。敵情視察にやって来て、これは何だとなれば、数年後に卸されたバニラビーンズは高騰する勢いで売れるのではないか?
「で、では、少なくとも五年間は独占するということですか」
「そうなるわね」
「お嬢様! 私には荷が勝ち過ぎています! どうか、どうかオーナーであることを公になさってください!」
「あら、それはダメよ。幼女がオーナーだなんて誰も信じないわ。グレンヴィル家の家紋を掲げるだけでもやっかみは少ないでしょう?」
そう、何を隠そうここ『オキュルシュス』の影のオーナーは俺なのだ。
お父様と相談して出資することになり、俺がメニューを提供するのだからと名義人は俺になっている。俺名義にするのならばとお父様に借金という形にしてもらい、店舗の確保、内装、照明、店舗家具、魔道石窯、調理台、魔道コンロ、調理器具、冷蔵魔道具、ケーキショーケース、食器など、諸々を揃えてもらった。
特に魔道具は高級品なので、総額を知った時は卒倒しそうになった。返済は三十年計画でお願いします!と折り目正しく直角に頭を下げた俺は間違っていないと思う。金融機関に借金したと想像するだけで過呼吸になりそうな金額だった。
砂糖の売り上げに貢献しているからと借金をチャラにしようとしたお父様を、俺は逆に叱った。それはそれ、これはこれだ。親子であろうと出資したからには見返りを求めるべきだ。与えるだけでは俺が腐った人間に成り下がっちゃうだろ。けじめはしっかりつけなくちゃ。幼女を甘やかしてはいけません。きちんと教育してください。
オキュルシュスが開店して四ヶ月経つが、食べ歩きでも問題ないクレープが大好評を博し、次いで出したミートパイとアップルパイ、スコーンも人気に火がついて飛ぶように売れている。ありがたいことだ。
あのグレンヴィル家が店を出したということで貴族の客層も厚いらしいが、「あの」とはどのことを言っているのだろうな。まさかここでも百年ぶりの、なんて噂が関係してたりはしないよな? 勘弁してくれよ。
「確かにグレンヴィル公爵家に楯突こうなどと大それた真似をする平民はいませんが、貴族方は違いますっ。同じ六公爵家の方々も御見えになり、いつも同じ質問をされて行くのですっ」
「何と聞かれるの?」
「ここのオーナーはグレンヴィル家のどなたか、と」
「ふ~ん。変な聞き方をなさるのね」
グレンヴィル家が出資する店となれば、そのオーナーは両親のどちらかになる。領地に籠る祖父母が出資するなら、まずは先駆けて領地内に、次いで王都へと事業拡大を狙うだろう。姉妹店ではなく一店舗目なのだから、出資したのは現公爵夫妻のどちらか。そのどちらかと訊ねるのはわかるが、どなたかと複数形で確認を取るのは違和感を覚える。まるでグレンヴィル公爵夫妻の他にオーナーになれる人物がいると言わんばかりではないか。
「どう思う、ケイシー?」
「お嬢様の懸念なさった通りかと存じます」
「ノエル達もそう思う?」
「僭越ながら付け加えさせて頂くならば、お披露目の影響が大きいかと」
「お披露目?」
「第一王子殿下のことは、すでに周知のことですので」
ノエルに続いてアレンが答える。
ああ、なるほどな。確かに大多数の貴族たちが集う場で、イルはやらかしたからな。衆目の度合いが違うか。
仮の婚約はまだ公表されていないはずだが、俺と両親がお披露目の後に呼ばれたことは知られている。
最後にザカリーが付け加えた。
「推測でしかありませんが、恐らく六公爵家の方々はお嬢様がオーナーであられると疑っての質問ではないかと。グレンヴィル家が飛躍的に経済成長を遂げたのは、お嬢様が御生まれになってからですので。まさかと否定しつつも、確信に近いものを抱いているのではないでしょうか。グレンヴィル家の繁栄にはお嬢様が関わっておいでなのだと」
―――――盲点!!
俺は目を見開いた。ちらりと考えもしなかった視点からの指摘だった。
そうか、そうだよな。単純に逆算すれば怪しむのは当然か。でも五歳児だぜ? 普通そこを怪しむか? 地球じゃ考えられない発想だぞ?
「あ、あの………」
眉をひそめていると、ベサニーがおずおずと尋ねてきた。
「第一王子殿下、とは?」
ああ、そこ気になっちゃったか。まあそうだろうな。
「先日、国王陛下主催の五歳のお披露目で、殿下がお嬢様に公開プロポーズをなさったのですよ」
「ええ!?」
俺が答える前にケイシーが答えた。
間違っちゃいないが、多方面に誤解を生みそうな物言いだな。
「陛下からの申し出もございまして、ご婚約あそばしたのです」
「ええええー!!!!」
「仮ね。仮が抜けていてよ、ケイシー」
「仮であろうとも、お嬢様が第一王子殿下のご婚約者様であらせられることに違いはございません。端的に申し上げれば、未来の王妃陛下であらせられます」
「わ、私は何という御方の下で働かせて頂いているのでしょう……!」
青いやら赤いやら、よく分からない顔色で興奮しているベサニーに若干引いた。
ケイシーめ、余計なことを。誰が王妃になどなるか。荷が重いわ!
「……………コホン。話を戻すわね? 今後貴族方から同じような質問をされたならば、わたくしがオーナーであると明言して構わないわ」
「まあ、お嬢様、よろしいのですか?」
「それこそ今更でしょう? すでに疑惑を持ってそう仰っておられたのなら、お茶を濁していたのに急にお母様名義だと言えば逆に空々しいだけじゃない。どう返答しようとも、最初にお母様だと明言しなかった時点で一択しか残されていないわ」
「もっ、申し訳ありません!」
自分の失態なのだと思い至った様子で、ベサニーが真っ青になった。
「ああ、違うのよ。ベサニーは悪くないわ。オーナーであるわたくしの許可なく下手なことは言えないと、そう思ったのでしょう?」
「は、はい」
「六公爵家方が意地悪な質問をなさったのよ。これは、それを想定して質疑応答のマニュアルを作っていなかったわたくしの落ち度なの。配慮が足りなかったわ。気苦労が絶えなかったでしょう、ごめんなさいね」
「そんなっ」
まあ五歳の幼女にここまで想定して準備しておけという方が無理な話だが、中身は中年期真っ只中の俺が、全く見通しを立てていなかったことは問題だ。どう転んでも俺の失態以外あり得ない。
「ベサニーとオキュルシュスを守る意味でも、今後ははっきりとわたくしがオーナーだと言っていいわ。お父様もそのつもりでわたくしを名義人になさったのだろうし。色んな面倒事はその都度捌くから、貴女は気にしなくていいわ」
「お嬢様って………本当に五歳なんですか?」
ぶっとノエルが吹き出した。ザカリーもとっさに後ろを向いたが、肩が震えてるから笑ってるのバレバレだぞ。
アレンはにこにこと微笑んでいるが、口角がひくついているからお前もアウトな。
ケイシーを見習えよ。無表情じゃねえか。あれって唐突に無心になるらしいぜ。思考を放棄して笑いを霧散させるんだと。何者だよ、ケイシー。逆に怖いわ。
「残念なことに、五歳児なのよ。中身はお父様より年上だけど」
「え?」
「そろそろいい頃合いかしらね。シュークリームの生地を作りましょうか」
残りの紅茶を飲み干し、ベサニーを促した。
さて、ベイクドチーズケーキは上手く焼き上がっているかな?
『オキュルシュス』とは、ラテン語で『出会い』という意味です。