39.王子は可愛い…?
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王子の戯れ言を聞き流した俺とお兄様は、それぞれに木刀を使用人へ手渡した。
「僕はそろそろ上がらせてもらうよ。リリーも模擬戦で消耗してるでしょ? 今日の鍛練は控えた方がいい。足も痛めているようだし」
何故バレた。引きずって歩いたりはしていないのに。
当然だが、五歳の幼女の脚にジークンドーはかなり負担だったようだ。折れなかっただけまだ良い方だろう。歩けない訳じゃないので、ヒビも入ってはいないはずだ。
「何だって!? リリー、足が痛むの!?」
聞き咎めた王子が喰い気味に詰め寄り、許可も取らず俺の足首に触れた。
おい、王子。世間的に男が一番やっちゃいけないやつだ。家族や恋人でもない男女間で、女性に断りもなく勝手に触れることはご法度だぞ。
まあ世間一般の女性に分類されない俺だから問題ないが―――。
「殿下。女性の許可なく肌に触れるなど言語道断ですよ」
問題あったらしい。お兄様が厳しい面持ちで俺を背に庇った。
無意識の行動だったらしく、注意された王子ははっと息を飲み慌てた。
「す、すまない! 無礼な真似をしたっ」
「婚約したと言えど仮です。過度な接触はお控えください。看過出来かねます」
強い口調に自分の失態を痛感した様子で、悔しげに歯噛みする。
「本当にすまない。ただ私も光魔法が使えるから、リリーの痛みを取り除いてあげたかったんだ」
心配と優しさから出た行動だったのか。
まだ五歳だし、相手は中身おっさんの俺だし、そこまで目くじら立てなくてもいい気がするんだが……。何だか王子が気の毒に思えてくるな。
「では殿下のお優しさに甘えまして、治療をお願い出来ますか?」
「リリー」
「お兄様。あまり殿下に強く当たらないでくださいませ。間違いは少しずつ覚え、正して行けばいいのです。あの程度の接触を過度であるとするのは、些か不憫ではありませんか」
「君は公爵令嬢なのだから、先程の接触は過度であると判断されるべきものだよ」
「まあ、お兄様ったら。まさかわたくしを、一般的な公爵令嬢だとお考えではないでしょう?」
我が家の使用人たちも、イクスの護衛も、王子の配下たちも、俺の言葉に妙に納得した顔をした。
おい。失礼だな、お前たち。少しは遠慮しろ。
お兄様も渋面を作るだけで何も言わないということは、反論できないということだ。自身の妹が、世間一般的に認知されているご令嬢像からはかけ離れていると、認めざるを得ないのだ。その点は、何となく申し訳ない気持ちにさせる。
「殿下。癒してくださいませ」
「あ、ああ!」
ほっと安堵したように微笑んだ王子が、片膝を地につき足首に手をかざした。
「彼の者に癒しの温もりを。ウィル・オー・ウィスプ」
きらきらと煌めく暖色の光が患部を包み、ホットタオルやカイロのようにじんわりと熱が浸透していく。
「……………どう? 痛む?」
足首を回したり、屈伸したりして具合を確かめるが、先程までの鈍い痛みが嘘のように消えていた。
「まったく痛みません。ありがとうございます、殿下」
初めて回復魔法を受けたが、細胞が活性化されたような、お灸をした後のような、身体の中からぽかぽかする心地よさだった。これは一度、自分自身に回復魔法を掛けてみる価値はあるな。治療以外の効能を調べたい。
痛みや怪我を一瞬で治してしまう光魔法が貴重であることを、我が身を持って痛感した俺は微笑んだ。何事も経験は大事だなぁ。
すると、王子が今まで見せていたどの笑顔とも似ていない、心からの笑みを浮かべた。嬉しいのだと一目で理解できる、飾らない笑顔だった。
計らずもほっこりとした気持ちにさせられてしまった俺は、うっかり王子を可愛いと思ってしまった。
よもや恋愛脳の王子を愛でてしまう日が来ようとは。
お兄様とはまた違った、天使のような容貌が原因だな。あの笑顔は反則だ。
◇◇◇
午後は街へ人に会いに行く予定だ。そう頻繁には許されていないが、どこへ赴くか事前に報告し、必ず護衛を連れていくという前提条件ならばと許可をもぎ取った貴重な時間だ。
今日は実に四週間ぶりの訪問なので、うきうきと浮き足だってしまう。
「それで、どこへ行くんだい?」
ついてくる気満々な王子を見て、俺は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「連れて行きませんよ」
「君の兄君や師はもうここにいないのだから、その口調は止めてほしい」
長い廊下を共に歩きながら、王子が我が儘を言い出した。
「我が家の使用人やイクスの護衛もおりますが」
「君専属の使用人やアレックスの護衛が知らないはずはないよね」
言外に、普段の俺の物言いを身近な者たちが知らないはずはないと言っている。
その通りだ。ちくしょう、言い返せない。
「殿下もなしだよ。名前で呼んで。ああ、アレックスやリリーの兄君のように、愛称で呼んでほしいな」
俺はこの王子のどこを可愛いと思ってしまったのか。寸刻前の自分を尋問したい。
王子の近衛騎士たちを睨み見た。昨日と同じ展開なので、察した騎士たちが諸手を挙げる。
「何も申しません。殿下のご希望ですから」
片眉を上げると、次いでカリスタを見る。
「わたくしがどのような口調になろうとも、黙っているように」
「……………畏まりました」
到底納得しかねるが、第一王子のご命令であれば致し方無しとばかりに目礼した。すました顔だが、返事するまでの間に、何百という不満の言葉を呑み込んだ感が半端ない。
カリスタ、頼むからいい加減慣れてくれ。公の場では絶対やらかさないって。
「じゃあイルと呼ぶことにする。異議は?」
「ないよ!」
嬉しいそうに破顔すると、俺の手を取って繋いだ。
イルよ、今し方お兄様に注意されたばかりだろう。女性の許可なく肌に触れるなと。
ふふふと機嫌の良い様子に、何だか毒気を抜かれた気分だった。手のかかる弟がまた一人増えたような、そんな錯覚を覚える。
「それで? どこへ行くの?」
「だから連れて行かないってば」
「どうして? まさか、どこぞの子息に会いに行くんじゃないよね」
「そんなわけあるか。街へ行くだけだよ。人に会う約束をしてる」
やっぱり!と立ち止まった。繋がれた手に引かれ、俺も立ち止まる。何がやっぱりなんだ。
「貴族じゃないなら平民の男か!?」
「まあ男と言えば男だな」
「は!?」
「じいさんだけどな」
「じいさん………」
「あとお姉さんもだな。二人に会いに行く予定だ」
「僕とアレックスも同行する」
帰ろうとしない王子が付いて行くと言って聞かない。本当に面倒なやつだな。
イクスは欠伸をしていた。呑気だなぁ。ちょっとはお前も止めろよ。側近候補だろうが。
「イルを連れていったら仰々しくなるだろ。却下だ」
イルの護衛五人と侍女三人、イクスの護衛三人、俺の護衛三人と侍女一人を連れて行ったらとんでもなく仰々しくなってしまう。一発でやんごとなき家柄の子供だとバレてしまうではないか。
きっぱりと指摘すれば、イルが不満たらたらに口を尖らせた。
「せめて近衛騎士だと一発で分かってしまうような騎士服じゃなければ、多少は考える余地もあったかもな」
王族に付けられる近衛騎士の騎士服は、白を基調としており大変目立つのだ。王家の紋章が刺繍された白いマントといい、王より下賜された金細工の鞘に収められた剣といい、一目で王宮の近衛騎士だと分かる格好をしている。そんな目立つ集団を引き連れて行けば、面倒なことになるのは明らかだ。
「諦めろ、イル。行くなら国王陛下の許可をもぎ取ってこい。それ以外は認めない」
近衛騎士たちがこくこくと頷いた。
彼らにしてみれば、職務中にイルを危険に晒すような真似は極力避けたいことだろう。比喩的にも物理的にも首がかかっている。
制限を設けられ、窮屈な思いをするのは第一王子としての宿命だよなぁ。出掛けるだけでも一苦労だ。
公爵家以上に自由がなく、縛られた生活は憐れだと思うが、王家の特徴を持つイルの身の安全のためには致し方無いことなんだろうな。襲撃がないとは言えないからな。
「ここへは陛下の許可を得て来たのか?」
「もちろんだよ。寧ろ行ってこいと送り出したのは父上だからね」
そこまで俺に意識改革させたいか、国王よ。見た目五歳児の幼女に丸投げするくらい切羽詰まってんだなぁ。
「なら、ここへは陛下の許可があればいつだって来ていいから、今回は諦めろ。我が家を訪ねた時くらいは息抜きしていけ」
そう言って宥めるように頬を撫でると、後方に控えているブレンダを振り返った。
「ブレンダ。クリフにカスタードクリームとレモンカードのポンを大量に作るよう頼んで来て。あと、試食用に持っていくから、いくつか包んでもらって」
「承知致しました」
「ああ、それから、王子配下の侍女を誰か一人連れていくように。毒味と監視要員として厨房に立ち入らせて。昨日言ってたポン、食べるだろ?」
最後の質問はイルに対してだ。振り返れば、イルの顔は真っ赤になっていた。
「どうした? 食べないのか?」
「た、食べ、る」
しどろもどろに答える様子に、俺は眉根を寄せた。
「歯切れが悪いな。どうしたんだよ?」
「リリーは、兄君の影響が多分にあると思う………」
「何の話?」
「お前が昨日やらかした人たらしの話だろ」
「はあ?」
お兄様の影響? 何を言う。俺は前世からこうだぞ。他にどうやって宥めればいいんだよ。放置するか宥めるかの二択しか知らんぞ。
はあ、と頬を染めたまま一度息を吐き出したイルが、俺を見て申し訳なさそうに言った。
「毒味と監視の気遣いに感謝する。リリー相手にこういうことは本当は嫌なんだけど」
「双方に要らぬ誤解を残さないためには必要な手順だ。気にするな」
ブレンダへ目配せすると、目礼を返し王子の侍女を一人連れて下がって行った。
「鍛練で汗を掻いたから、軽く入浴を済ませてくるよ。カリスタ、二人をサロンへ案内して。もてなしを頼む」
「畏まりました」
入浴と聞いて赤面したイルを放置して、ファニーとケイシーを連れて自室へ下がった。
さっぱりして戻ると、イルとイクスはポンに舌鼓を打っていた。こちらに気づいたイルが満面の笑みで絶賛する。
「リリー、とっても美味しいよ! この二種類のクリームが、リリーが考案したものなの?」
毒味と監視に同行していた侍女も感動しきりと目を輝かせてこちらを見ている。
一足先に食した彼女のお気に召した様子だ。それは重畳。
「香りがすごく良いけど、これは何を入れているの?」
「そうだな。以前より香りが強い」
俺はふっふっふと得意気に笑み、実はと明かす。
「バニラビーンズの栽培に成功し、それを加えたんだよ」
「バニラビーンズ?」
二人に問われ、俺はブレンダに目配せして厨房へ取りに行かせた。
「バニラビーンズが入った砂糖もね」
付け加えた言葉通り、ブレンダは陶器のキャニスターと一本のバニラビーンズを持って戻ってきた。
ブレンダから受け取った俺は、黒に近い焦げ茶色のさやを二人に見せた。イルの配下やイクスや俺の護衛騎士たちも興味津々に覗き見る。
「これがバニラビーンズといって、甘く芳醇な菓子に仕上げてくれるんだ」
「この黒い物体が?」
俺の説明に二人は訝るも、さやから甘い香りがして瞠目する。まあ見た目は食べ物の色や形をしてないからな。その気持ちは分かる。
「使用後のさやを砂糖に漬け込むことで砂糖に香りを移せるんだ。入れる本数が増えればその分バニラの香りが移るから、菓子作りの幅が広がるんだよ」
続けて説明し、バニラシュガーの香りも確認させる。
面々は感心しきりとばかりに釘付けだ。
バニラビーンズの栽培は本当に大変だった。本来は苗が成熟するまでに七、八年はかかるのだが、そんなに待ってはいられない。そこで思い付いたのが創造魔法だ。
バーボンバニラの苗を探すより、創造魔法でバーボンバニラの蔦を生み出した方が早い。
お父様におねだりして温室を作ってもらい、添え木の代わりとして木材の格子を使った。創造魔法で成長スピードを上昇させ、一気に成長させる様は正直気持ち悪かった。急速に伸びる蔦が何か未知の生物の触手のようで、背筋がぞくりとしたものだ。
年に一度、たった三、四時間だけしか咲かない淡い緑色の花を受粉させる。花が開花し収穫できるまで九ヶ月ほどかかるが、ここもショートカットして創造魔法で育成スピードを上げた。
実を収穫し、次は加工へ移る。これも創造魔法で仕上げた。よく乾燥させ、俺の知るバニラビーンズの出来上がりだ。
これからは創造魔法に頼らない栽培を続けていかなくてはならない。そのためにはトーマスの全面協力が必須だ。
今後はバニラエッセンスを試作する予定だ。
そのためにはウォッカやバーボン、ラム、ブランデーなどの度数の高い酒が必要になるので、その辺りの模索もしなければならないだろう。
昔取った杵柄というやつで、雑学知識は無駄に豊富だ。そのうち必ず実現してやる!
◇◇◇
ずっと渋っていたが、残りのポンを手土産に渡し、王子一行にはお帰り頂いた。イクスにも菓子の手土産を渡したいところだが、食べるならグレンヴィル家がいいと言うのでいつも手土産は包まない。
せっかくの菓子を警戒しながら食べたくないのだそうだ。そんな普通のことがままならないイクスの環境を思えば、うちでまったりと食べたいから手土産は要らないと言うイクスの心情も理解できる。
今度は何を準備してあげようか。そんなことを想う。
最初に向かったのはジェロを購入した、あのうっかり者のお姉さんのお店だ。
お姉さんと協力していろいろと作った軽食が人気となり、屋台ではなく、店舗を構えるようになっていた。
護衛の一人、レディシュの短髪をしたノエルの手を取り、馬車から下りた。
移動には、グレンヴィル家紋章のエンブレムが入れられていない隠密用の馬車を使った。無駄に公爵家だと情報を垂れ流す必要はないからな。
馭者に馬車を任せ、俺はケイシーと護衛三人を引き連れて赤砂岩の店舗へ入った。今日は定休日なのでお客はいない。
「お待ちしておりました。お嬢様」
深々とカーテシーをするのは、この店の店長で、あのうっかりお姉さんだ。名をベサニーという。
平民には馴染みのないカーテシーなので、やり慣れていない不恰好さはあるが、大変誠意は伝わってくる。しなくていいと言ったのだが、ベサニーは頑なに止めようとしない。もっと肩の力を抜いて接してくれた方が気楽でいいんだがなぁ。その方がベサニーにとっては重荷か。
この世界で身分制度は絶対だ。気安くあれと重ねて言えば、それは命令になってしまう。
「こんにちは、ベサニー。久しぶりですね。今日は魔法の種を持ってきましたわ」
「魔法の種?」
きょとんと瞬くベサニーに、俺はにっこりと微笑んだ。