36.お茶会 2
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早めに書き終えたので、前倒しで投稿します。
王子とイクスの三人でお茶を頂いている中庭は、国王が王妃と婚姻した時に贈った庭なのだそうだ。王妃に贈るには質素すぎる狭い庭なのだが、他の側妃や王子たちが立ち入れない、謂わば完全なプライベートガーデンらしい。国王と王妃二人だけの逢い引きの場と言っても過言ではないのだろう。
「ここには父上と母上と僕以外に立ち入りは許されていないんだ。僕らが息抜きを出来る場所と言えば、自室とこの中庭くらいしかない」
王家は王家でいろいろとありそうだな。まあ貴族令嬢が輿入れして集っている場だ。江戸城大奥のようなどろどろとした女の闘いが繰り広げられているのは明らかだろう。イクスのような気苦労も絶えないに違いない。
それを考えると、我がグレンヴィル家は何て快適な家庭環境だろうか。お父様が妻を一人しか娶らなかったおかげだな。他の六公爵家に比べれば格段に子供の数の少なさが目立つが、単純に数が多ければそれでいいという話でもないだろう。実際側妃や側室を多く入れている王家やアッシュベリー家で跡取りに弊害が起きている。
女性は並列に扱われるのを良しとはしない。自分が一番愛されていると実感できなければ嫉妬に狂うものだ。この中庭は、その象徴であるように思える。王妃と側妃の立場の違いというものを、目ではっきりと分かる形にしたというか。やるな国王。
「ここへはアレックスも入れたことはないんだ。両親からは僕の伴侶となる女の子だけ招いていいと許可を頂いている。もちろん、今まで女の子は誰も入れていない。リリーが初めてなんだよ。そして、リリーが最初で最後の女の子だ」
「それは………身に余る光栄に、存じます………」
思わずひくりと頬が引き攣った。
それは令嬢にとって栄誉ある招待だろう、間違いなく。真っ当なご令嬢であれば、が前提となるが。
よりによって何故自分にそれを与えたのかと頭を抱えたくなった。両陛下もなぜここを選んだ! 期待が重い!
よし、ここは話題を逸らすことにしよう。これ以上広げるのは非常に身の危険を感じる!
「イクスは、仮とはいえわたくしとの婚約を決められてしまってよろしかったのですか?」
「父上の企みに乗せられるのは癪だが、リリーならば気心の知れた仲だから他を宛がわれるよりよほどいい。それにお前を隠れ蓑に他の令嬢たちから解放されるメリットもあるしな。異論はない」
唐突に問われたイクスは納得していると言う。
確かにそれはあるだろう。イクスが納得している上で役に立てるのであれば、こちらとしてもさほど問題にはならないだろう。イクスに懸想しているご令嬢方のやっかみを一身に受けそうではあるが。
そこまで考えて、イクスの妹たちに嫌味を言われたのはこれが原因かと思い至る。王子に見初められたくて着飾って挑んだ席で、俺一人に場を掻っ攫われたようなものだろうからな。
俺のせいではないはずなのに、女の子たちの矜持を著しく傷つけたのかもしれないと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
それもこれも王子が自重しなかったせいだとジト目を向ければ、分かっているのかいないのか、爽やかな笑顔が返された。何だろうな、無性に腹立つ笑顔だな。
お茶請けに出されたパンケーキに舌鼓を打つイクスを眺めて、少しだけ心が和む。
「本当に甘いものが好きだよなぁ」
「邸では食べられないからな」
思わずぽろりと溢した言葉にイクスが返す。食べられない経緯を知っているが故に、彼の置かれている環境が本当に憐れだ。
「うちでたんと食べていけ」
保護欲をくすぐられそう言うと、イクスは穏やかな笑みを浮かべた。
「リリーの邸で食べたカスタードとレモンカードが旨かった。またあれを頼む」
「了解。大量にこさえてやるよ」
「ちょっと待って。いろいろと気になるんだけど、まず最初にいいかな」
急に何だとばかりに俺とイクスが同じ怪訝な視線を王子に向ける。背後に控える侍女や護衛たちもこちらを見開いた目で見ている。
一体なんだ?
「リリー、言葉が、その、……急に令嬢らしからぬものに変わっているんだけど」
ぱちくりと瞬いた後、思い返して失態に気づいた。
「―――――あ」
イクスと視線がぶつかる。瞠目している様子から、イクスも気づかなかった模様。
そりゃそうか、いつもの口調だから気づきにくいよな!
やっちゃった!
「リリー、もう無理だと思う」
「分かってるよ。ご指摘どうも」
お父様からここまでの許可は貰ってないんだよな……油断した。
ちらりと王子を見る。困惑の色が伺えるが、ドン引きしている様子ではなさそうだ。侍女や護衛にもばっちり聞かれちゃったし、これは国王の耳にも入るかもなぁ。はあ、失敗した………。
「殿下、聞かなかったことには」
「出来ないね。あと殿下は禁止」
くそぅ、誤魔化されてくれよぉ。
見え見えの嘘を突き通そうとする俺に呆れたイクスが引き継ぐように話し始めた。
「元々リリーの口調は先程の砕けた物言いなんですよ。中身は男なので、気の置けない相手だと令嬢然とした振る舞いは鳴りを潜めます。まあ気心の知れている相手であっても目上であれば令嬢らしく話しているようですが。グレンヴィル公爵夫妻や兄君相手がそうですね」
「砕けすぎじゃないのか………? いや、それよりも目上に当たらない気の置けない相手って、君くらいしか思い当たらないんだけど」
「ええ。ですからリリーが男口調で話すのは俺相手だけですね」
イクスの言葉に特別な絆を見せつけられた気がしたのか、王子はむっとした表情そのままに俺を見る。
「僕の前でも砕けた口調でいい」
「無理です」
「無理じゃない。ここには僕とアレックスしかいないのに、その他大勢のような扱いは嫌だ」
無茶言いやがる! 何でうっかり油断しちゃったかな、俺! 更に面倒臭いことになってきてるじゃん!
しれっと侍女や護衛の目と耳を数に入れなかったぞ、この王子!
俺の目線で察したのか、王子は背後の配下たちへ視線を向けた。
「貝に徹するように。父上や母上に報告しないでくれ」
「―――――御意」
応えるまでの間に葛藤を感じる! 何か申し訳ない!
これで大丈夫とばかりに期待に満ちた視線を向けられ、俺は苦悶した。
一国の第一王子にため口の男口調って、ハードル高いよ!
視線のみの攻防戦を繰り広げる中、イクスは残りのパンケーキ攻略に勤しむようだ。お前だけ平和でいいな! もういいよ、俺のもお食べ。
パンケーキをイクスへ差し出してから、俺は観念して腹を括ることにした。自分の失態だ。申し出を受け入れるしかないだろう。
重々しい溜め息が口を衝いて出たのは仕方ないと思う。
「わかりました。ではそのように致しましょう。でも! 前世は男でその人格を引き継いでいるという前提で会話してくださいね? 後になって不敬罪だの令嬢らしくないだの言わないでくださいよ?」
「もちろん! そんなことは言わないさ!」
まだ敬語は抜いていないが、お嬢様口調から浩介寄りに変化させる。レインリリーとして話すより断然気安くて楽ちんだ。
「じゃあ質問その二。アレックスが言っていた食べ物は何?」
「ああ、あれは昨年話題になっていた菓子、ポンのことですよ」
「ポン?」
「知りません? 握り込めるほどの大きさで、丸くてほんのり甘いお菓子」
「知らない」
「去年家族と出掛けた折りに食べる機会がありまして。薄皮の中に乳製品由来のクリームが入っていたのですが、それを我が家の料理人たちと研究して、中身をまったく別のクリームに変えてみたんです。当たりでしたね」
「ああ、あれは本当に旨い。商品化したら絶対飛ぶように売れるな」
「だろ~? 俺と料理人たちの力作だからな! クリームは俺が作ったけど、薄皮はさすがに無理でさ。うちの料理人すごいよな!」
「リ、リリー!? いま俺って!?」
王子とその配下たちの顔を見て、またやらかしたと悟った。
イクスと居ると居心地良すぎて気が抜けちゃう………!
「あ~………中身は男なもので」
王子は何やら様々な葛藤が身の内でせめぎ合っているようで、これで初恋も冷めるかな?などとちょっぴり期待して見守った。
「何だか新鮮でいい! ますます惚れちゃったよ、リリー」
「わぁ………妙な性癖つけちゃった………」
これって俺のせいになるのかなぁ。不可抗力だってことにしてくれない?
それにしても順応性高いな、王子! 俺ちょっと見くびってたよ、何かごめん。
「それよりもリリー、君が作ったクリームって?」
「カスタードクリームとレモンカードですね」
「まだ固いなぁ。もっと砕けて喋ってよ。アレックスに話すみたいにさ」
「いきなりは無理です」
「慣れが必要? じゃあ意識的に敬語は避けてね」
頑張ってと微笑む王子が俺には鬼に見えた。
何だろう、有無を言わさぬお兄様を彷彿とさせるのは何でだ?
「それで、カスタードクリームとレモンカード、だっけ? どんなクリームなの?」
「カスタードクリームは卵黄と牛乳と砂糖、小麦粉があれば簡単に作れるクリームで、レモンカードも似たような材料にレモンの皮と絞ったレモン汁を加えて作る、甘酸っぱいジャムのようなクリームです」
「敬語は禁止だよ、リリー。それから? そのクリームをリリーが作ったの?」
「……………イクスに出したものは料理人たちが作っています」
「敬語」
俺はぷるぷると震えた。
お兄様だ。このやり取りはお兄様にそっくりだ! 何で!?
「リリー?」
「ああもう、わかりました!」
自棄になって護衛の騎士五人を睨んで指差した。
「殿下の命令だから! どんな口調になろうと咎めないでよ!」
気圧された様子で騎士たちがこくこくと頷く。言質を取ったとばかりにふんと鼻息荒く顎を引くと、王子を見据えて口を開いた。もう取り繕うのは止めだ。知らん。
「研究初日にカスタードクリームとレモンカードを作って見せたのは俺だけど、ポンとして形にしたのはうちの自慢の料理人たちだ。イクスに出す菓子は彼らが作ってくれている。たまに俺も新しい菓子作りに知恵を貸すことはあるが、基本厨房には立たない。本職の彼らにとって聖域である場を頻繁に荒らしたくはないからな」
どうだとばかりに目を眇めれば、王子はぱっと華やいだ表情を浮かべてぱちぱちと拍手した。
「嬉しいよ、リリー! これで僕も特別だね!」
「ここまでさらけ出すつもりは毛頭なかった俺としては頭が痛いけどな」
「俺は令嬢然とした立ち居振舞いの方が違和感あるが」
差し出したパンケーキも無事完食したイクスが口を挟む。口についた蜂蜜くらい拭いなさい。
手のかかる弟のようで微笑ましく思いながら、ハンカチを取り出してそっと拭いてやると、唐突にその手を王子が掴んだ。
「ちょっと、何やってるの、リリー」
「え? 何って、イクスが口周りに蜂蜜つけてるから」
「そうだけど、そうじゃなくて! 指摘すれば済む話でしょ!? 何でわざわざ拭ってあげてるの!?」
「ええー? これくらい普通だよな?」
「いつものことだな」
愕然と目を見開く王子に首を傾げる。口周りは自分で拭くようにっていう決まりでもあるのか? けったいな決まりだな。俺もお母様によくして頂いていたぞ?
「いつものことだと括ってしまえるほどに普段からやってあげてるの!?」
「目についた時はまあ大体は」
「それ禁止! アレックスも自分で拭え!」
「え、何で」
「僕が面白くないからに決まってるじゃないか!」
俺とイクスは同時に片眉を上げた。これはやきもちか? こんなことで?
「こんなことくらいでって顔してるけど、僕の立場に立ってみたらおかしいって分かるから!」
おっと。また顔に出ちゃったか。本気でどうにかしないと、腹の内が筒抜けなのは貴族社会では致命的だ。
しかし王子面倒臭いなぁ、と思いつつ、前世のあれやこれやを思い返してみる。中学時代、意中のあの子が、当時噂になっていたバスケ部員のあいつの制服のネクタイを、人目も憚らず締め直してあげていた在りし日を思い出した。
あの時はカッと頭に血が上り、心の中で罵詈雑言の嵐が吹き荒れたものだ。そいつに触れるなよ、自分で直せばいいだろ!なんて殺意にも似た激情を抱えたっけなぁ。
そうか、王子は今まさにそんな心境なんだな。俺が中身男でイクスとは男同士の友情を築いていると何度言われても、王子としては距離の近さに嫉妬するか。心情的にも物理的にも近い距離感は、当人同士がどう捉えていようとも王子にとっては心穏やかなものではないな、確かに。
「わかった。もうしない。今度からはついてるよって指摘するだけにする」
だからそんな顔をするなと頬を撫でれば、王子の顔が一気に沸騰する勢いで真っ赤になった。
一部始終を目撃した侍女たちも真っ赤になっている。騎士たちは見てはいけないものを見てしまったとばかりにほんのり頬を染めて明後日の方向を見た。
何だ、みんなしてどうした。
「お前………それは男前過ぎるだろう」
イクスの冷静な突っ込みに、王子も侍女も騎士も全員が大きく頷いた。
「そうか?」
あれ? そうなのか?
浩介が付き合った歴代の彼女達や妹にやる感覚で宥めたつもりだったが、これはやり過ぎたってことになるのか? 匙加減が難しいな。
「殿下よりよほどお前の方が口説き慣れてないか? お前の前世はどんな人たらしだよ」
人聞きの悪いことを言うイクスに同意を示すように、一同が今一度大きく頷いたのだった。
実は大変的を射た発言をしていたアレックス。
浩介は女性の扱いに長けており、気遣いが細やかで、欲しい言葉を欲しい時に絶妙な間で口にしていたので、学生時代は女友達も多く、また告白されることも多かった。
彼女がいなかった期間がほぼないほどのハイスペック人たらし。という設定。