34.お披露目 3
「グレンヴィル家第二子長女、レインリリーと申します」
参列者は爵位に準じて国王、王妃両陛下へと我が子を紹介していく。両親に連れられた令息令嬢たちは、緊張と期待を綯い交ぜにした面持ちで挨拶をした。
六公爵家は爵位第一位だが、六公爵家の中に順位は存在せず、並列である。ゆえに口上を述べる順番というものは、スペル順と決められているらしい。
エイマーズ家から始まり、アッシュベリー家、チェノウェス家、グレンヴィル家、リックウッド家、ストックデイル家と続く。次いで侯爵家、辺境伯家、伯爵家、子爵家、男爵家と続くが、それぞれの爵位同士にまた序列はないため、スペル順に回る。
男爵の下位に勲爵士があるが、一代限りの叙爵であるためお披露目の参列資格を持たない。
お父様の口上に国王が頷くのを確認した俺は、お母様に倣って最敬礼にあたるカーテシーを今一度執った。座り込むほどに屈した膝より下へと深々と頭を垂れ、両親と家名の恥とならぬよう指先や髪の毛の先にまで全神経を集中させて完璧にこなして見せた。
ほう、とどこからか溢れた感嘆のため息が耳朶に触れる。幼い故に最敬礼を上手く執れない令嬢がいる中で、完璧にやってのけた俺の評価は悪くないようだ。
よかった、両親の顔に泥を塗るような真似だけは防げたようだ。ありがとう、カリスタ!
醜態を晒さずに済んで一瞬気が緩み、思わずほっと安堵の息を吐きそうになる。いかん、国王と王妃の御前だ。一切の油断は見せちゃいけない。
「お初にお目にかかります。レインリリーにございます」
王子がぴくりと僅かに動いた。おい、動くなよ。余計なことは口にするな。頼むからこれ以上状況をややこしくしないでくれ。
「そなたが百年ぶりに誕生した息女か。幼いながらも母君によく似た美貌をしているな。将来が楽しみではないか。なあ、グレンヴィル公爵?」
「恐れ入ります」
「そなたのことは私も心に留めておこう」
え、と思わず瞠目した。国王が心に留めておく? 俺を? 何で?
混乱から僅かに動揺を見せてしまった俺に、国王が朗らかに笑った。
「下がって良い」
三度の最敬礼を執り、御前を拝辞する。
何でそれをわざわざこの場で言ったんだ、国王!? 周囲の視線が突き刺さる勢いで向けられてるじゃないか! 何てことを言ってくれる!
王子といい国王といい、踏んだり蹴ったりなお披露目に早くも帰りたい心境だった。帰ってナーガの和毛をもふもふしたい。お兄様に癒されたい。
もうヤダ王族! 王宮怖い!
どんよりとした気持ちを引きずったまま六公爵家や下位の貴族たちに挨拶をされたが、そのほとんどを俺は覚えていない。あとできちんとお父様に聞き直そう………。
「ご案内致します」
国王が宴の締めの挨拶をした直後に、文官と思われる男性がそう告げた。内心で舌打ちしながら、臣下の立場の面倒さにうんざりした。
やりたくなくてもやらなきゃいけない点は前世の社会と変わらないのだが、身分というものの厄介さはあちらの比ではないだろう。
地球でも、会社勤めのあれやこれやはあった。出世を天秤に上司の娘と婚約することもある。付き合っている彼女を切り捨てて出世を選ぶ人もいるだろう。だから馴染み深くはなくとも身分差という概念は理解できる。できるが、自分自身に降りかかる問題であれば話は別だ。
「俺も行く」
仏頂面を出さないよう眉間を撫でていると、イクスが側へ寄ってそう告げた。
「殿下に気づくのが遅れたせいで阻止できなかったからな」
「いや、イクスのせいじゃない―――」
「息子が連れ立って行くのであれば私も同行しよう」
被るように話の継ぎ穂をさらったのは、にこやかに笑むアッシュベリー公爵だ。
「厄介だからお前は来るな。悪巧みならうちとは無関係なところでやれ」
「失敬だな、ユリシーズ。無関係なものか。レインリリー嬢の今後を左右する一幕だぞ。俺にも一枚噛ませろ」
「ふざけるな。リリーの件にお前は一切関係ない」
お父様の険しい表情にもまったく動じず、アッシュベリー公爵は文官にさっさと案内させて先に行く。
「ブレット!!」
どうもお父様はアッシュベリー公爵の押しに弱い傾向にあるな。とは言っても、お父様がと言うよりはアッシュベリー公爵の押しが強すぎるということだろうけど。何を言っても暖簾に腕押しだから、毎度振り回されるお父様の苦労が偲ばれる。
しかし、悪巧みの部分は否定しなかったんだよな、公爵。何が目的なのか、飄々としていてその本質が掴めない。人当たりはいいのに捉えどころがないのだ。こういう人間が一番恐ろしいんだよな。
先に行くアッシュベリー公爵を追うお父様に続いて、お母様とイクスと連れ立って内廷へと進んだ。その道程が、俺には大きな顎門を開いて待ち構える蛇のように思えた。
昼間通った、赤い絨毯の廊下と同じ様式の通路を歩いてきた俺たちが通されたのは、内廷に造られた黄金の間と呼ばれる部屋だった。
名に相応しく、高い天井を埋め尽くす黄金の装飾とフレスコ画が華美を極めている。ドイツ・アウクスブルク市庁舎の黄金の間にとても似ていた。
フレスコ画は歴代の国王を描いたものだそうで、一様に皆がプラチナブロンドの髪とスフェーンの瞳をしている。王家特有の色ということなのだろう。当代も第一王子も同じ色なのだから、まず間違いない。
廊下と同じ赤い絨毯が敷き詰められた床の一段高い場所に簡易的な玉座があり、その両隣に更に簡素な座が設けられていた。
壁際にずらりと立つ近衛兵たちの視線をうんざりと受け流しながら、しばし待つこと一刻。
「両陛下、並びに第一王子殿下のご到着です」
俺たちは再びの謁見に最敬礼を執った。ああ、帰りたい………。
「楽にせよ」
国王からの下知を受け、姿勢を戻す。先程と同様に、やはり国王は俺を見ていた。王妃も王子も同じく俺を見ている。両陛下からは値踏みされているような心地よいものでは決してない視線が容赦なく突き刺さる。おのれ、王子のせいでっ。
「先程はすまなかった。礼を欠いたのは王子である。レインリリー嬢が咎められることはないゆえ、心配せぬように」
「申し訳なかった」
国王に続いて王子も謝罪した。行動起こす前に気づけと喉まで出掛かった言葉を無理やり呑み込んで、お気になさらず、と返す。国王と王子からの謝罪だ。内心でどんなに悪態ついていようと、そうとしか言いようがないじゃないか。
これを最後に王家とは今後一切関わりませんように、と心から願う。俺はグレンヴィルのまま一生を終えると決めているのだ。頼むから放っといてくれ。
「さて。ここからが本題だが」
国王が不穏な出だしで話し始めた。何だよ、もう勘弁してくれ。
「王子の落ち度とはいえ、公の場で明言してしまったことは覆せない。王子が取り計ろうとしたようだが、それで騙せるような我が国の諸侯ではなかろう。共に弊害が起きているゆえ、このまま王子とレインリリー嬢の婚約を結ぶべきではないか?」
「お待ちください、陛下。レインリリー嬢との婚約は、すでに我が子と結んで欲しいと持ち掛けている段階だったのですよ。王家といえど、横槍は困ります」
「なに? 本当か、ユリシーズ」
「そのようなことは一切ございません」
気持ちいいほどにお父様が一刀両断した。いいぞ、もっと言ってやれ!
「ユリシーズはこう申しているが」
「こんな感じなので口説いている最中だったのですよ。ですので横槍は止めて頂きたい」
アッシュベリー公爵は苦笑しながら重ねて言った。
「我が息子アレックスとレインリリー嬢は特別仲が良いのです。これ以上の相性はありますまい」
「ふむ。二人はどうなのだ?」
「「親友です」」
問われて答えた声と言葉がイクスとかぶった。互いに視線を交わし、ふっと口許が緩む。王子がむっとしたような顔を向けてきたが、知ったこっちゃない。
「ほう、親友と申すか」
「まだ子供なので恋愛感情が芽生えていないだけで、将来的にはどう転ぶか分かりませんから」
一瞬そうかもしれないと考えが過る。互いに将来結婚する気が全くないので、下手な伴侶を宛がわれるよりは気心の知れた互いを選ぶ方がましかもしれないと。
イクスと再び視線がぶつかったと同時に、いやないな、と互いに首を左右に振る。
イクスの妻になることは出来るかもしれないが、子供は産めない。肉体的な繋がりなど互いに不幸なだけだ。あり得ない。
俺はグレンヴィルのまま一生を終えることが理想で、イクスは生涯独身であることが望みだ。友情から家族愛に変わることはあっても、恋愛感情が芽生えることはないと断言できる。
「それはなさそうだが」
「子供なので今はまだ分からないのでしょう」
「まあ一理あるな。だが正式に結んでいないのであれば、横槍を入れたことにはなるまい」
「陛下。それは屁理屈と言うもの」
「ふん、何とでも言え。して、ユリシーズよ。返答はいかがする?」
「身に過ぎて光栄なことではございますが、ご辞退申し上げます」
「理由は?」
「以前にも申し上げました。娘は決して他家へ嫁がせることはないと」
お父様、素敵! 感動しているのは俺一人のようだが、よくぞ言い切って下さいました!
「その理由がわからぬ。何度問うてもお主はそうとしか返さぬではないか」
「何度問われましても、私が返せます言葉は同じにございます。レインリリーをグレンヴィルから出すつもりはありません」
お父様がはっきりと、王家にもアッシュベリー家にも嫁に出さないと宣言した。同意を示してこくこくと二度頷く。
俺までもが肯定したことに驚きを隠せない王家の面々とアッシュベリー公爵だが、理解されようとは思わない。これは俺とグレンヴィル家の問題だ。本気で放っといてほしい。
「お前は娘にどんな教育を施しているのだ。優れた血統を残すことも六公爵家の義務だろう」
国王がお父様を厳しく叱責する。
え、そうなの? でもうちには優秀なお兄様もいるし、お父様とお母様だってまだまだお若いし、今後下に弟妹が産まれるかもしれないよね? わざわざ俺が性別の壁を乗り越えて残す必要なくね?
「娘をグレンヴィルから出さない理由はなんだ」
「それが娘の願いだからです」
続けて国王から問い質されるも、お父様は眉ひとつ動かすことなく答えた。王家の面々とアッシュベリー公爵の視線を受けた俺は、その通りだと首肯した。
何故だと俺自身に重ねて問われ、俺はお父様を伺う。頷かれたので、少しだけ秘密を明かすことにした。
前世の人格を引き継いでいること。前世は男であったこと。だから見てくれはどうでも、中身は決して伴ってはいないこと。ゆえに男は恋愛対象にならないこと。
詰まることなく語った内容に、王家とアッシュベリー公爵、護衛として配置されていた近衛兵士たちもが驚愕した。珍獣でも眺めているような目だ。
「で、では現在、肉体的に同性である女性が恋愛対象なのか」
動揺を隠せない国王にそう問われ、俺はしばし悩んだ。
そういえば、転生してから女性に対して食指が動いたことはないな、と。可愛いなとか、綺麗だなと見惚れることはあっても、劣情を掻き立てるような激しい感情は一度も抱いていない。浩介の人格が未だ色濃いが、レインリリーの人格も少しずつだが溶け込んでいる。だからなのか、女性が恋愛対象になるのかと問われれば、それを肯定することはできない。正直に、分からないが可能性としてはかなり低いと答えると、一同は心からの安堵の息を吐いた。
両親までもがそうだとは。なんか、ご心配お掛けして申し訳ない。
明らかにほっと安堵の息をついていたのは王子だが、俺のことは諦めて他の真っ当なご令嬢を見初めてほしいものだ。
「前世とは、記憶も引き継いでいるのか?」
俺はいいえと答えた。虚偽に当たるが、余計な情報は渡したくない。
「なるほど。引き継いでいるのは純粋に男であった人格のみか」
しばし考え込む様子を見せていた国王だったが、唐突に提案する。
「では、仮の婚約者とするのはどうか。すでに仲の良いアレックスとレインリリー嬢の間に、王子も加えて仮の婚約者とする。アレックスは王子の側近候補ゆえ、これからは常に王子の側に控えている必要がある。そこにレインリリー嬢を加える」
そんなことを言い出した。どんな理屈だ。
「今は同性間の友情であっても、将来的には分からないだろう。その時に、どちらかを正式に婚約者とすればいい」
王子とアッシュベリー公爵は納得している様子だが、俺とお父様は反対だ。
それは王家とアッシュベリー公爵の都合であって、俺の意志は完全に排除されている。どちらかを正式に婚約者とすればいい、だって? 男は無理だと言っているのに、結局は王子かイクスと婚姻する流れになっているじゃないか。
「それはあまりにも身勝手ではございませんか! リリーの意志と人格を無視するやり方は認められません!」
「これは勅命である」
お父様が抗議するが、勅命だと言われてしまえば臣下であるお父様は黙るしかない。勅命、何て都合のいい言葉だろうか。
不敬罪に問われかねない、視線だけで国王を殺せそうな勢いの眼光をお父様が放っているが、慣れているのか国王は取り合わない。
俺は勝手に進んでいく話に腹を立てながら、必死に創造魔法を使わないよう感情を抑えた。ここで使えば創造魔法の存在が露見してしまうだけでなく、グレンヴィル家自体が処分の対象になってしまうかもしれない。
発言を許されていないのでどのみち何も言わせてもらえないが、頭の中に明確な負のイメージを描かないよう無心に徹することに精一杯で、結局国王とアッシュベリー公爵のいいようにされてしまった。憤懣やるかたないとはまさにこの状況を言う。
魔素が騒ぎ始めるが、動いてくれるなよと念じながら、ただひたすらにぶつけようのない怒りを抑え続けた。