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30.魔法陣 1

 



 この世界の魔法とは、火・水・風・地・雷・光・闇の七属性と、それらに該当しない無属性に分類される魔法のことを指す。先天的に適性を授かった属性のみ扱えるのが魔法であり、魔素の恩恵を受けて発動できる。

 逆に魔法に適性がない者でも扱えるよう開発されたのが魔法陣だ。更に追加で特定の術式を織り込むことで特殊な効果をもたらす魔法陣もある。魔素に頼らない魔法陣は、魔法と区別して魔術と呼ぶ。


 魔法より威力は落ちるが、適性のない属性魔法も扱えることから国は積極的に研究を重ねてきた。しかしこの研究は、魔法に長けた我が国の強みを危ぶめる結果にもなっている。他国に研究成果を盗まれ、独自に開発された魔術が諸外国に普及する事態を招いた。

 広大かつ肥沃な土地を持つバンフィールド王国は度々狙われてきた歴史を持つが、適性に優れた六公爵家と、それに列なる貴族の活躍により敵国の侵攻を未然に防いできた。ところが十数年前、侵襲を受けたバンフィールド王国は、未曾有の大打撃を受けた。予期していなかった魔術での攻撃を受けたのだ。


 自国のお家芸だったはずの魔法で蹂躙されたバンフィールド王国軍は、混乱の渦中にありながらも防御に特化した者たちにより最悪の事態は回避できた。同じ属性であっても適性魔法の方が威力は数段上だと気づいた六公爵家の反撃により、領土を奪われる事態にはならずに済んだ。

 この失態から教訓を得たバンフィールド王国は、防犯と情報管理の徹底化を義務付け、また対抗手段を模索するため魔法陣や魔術に関する研究にもより一層力を入れてきた。

 専売特許であったはずの力を、疑似魔法とは言え模倣されてしまった。その過去の過ちを包み隠さず伝えることで、恥と教訓を受け継ぎ同じ轍を踏まぬようにと戒めている。


「なので、本来であれば札売り屋が存在すること自体警戒すべきことなのだが、取り締まりを強化したところで闇市を開かれてしまえば意味がない。であれば、目の届く場で商売させた方が得策だということになり、戦争に使用されるような危険なものでないかぎり認めると、国王が勅許を出すに至った」


 お父様の講義を受けながらちらりと習練場を見渡した。

 習練場にはお父様とエイベル以外に、お母様とお兄様、それぞれの使用人たちがすでに集まっていた。どうやら俺が一番最後だったようだ。


 しかし、魔法陣にそんな物騒な過去があったとは。単純に楽しそうだと喜ぶのは不謹慎だったな。とは言え、お父様も浮き足立っていたけれど。

 情報の漏洩がすでに起きたことであるならば、技術開発の波は止めようがない。それも十数年以上も前のことなら、バンフィールド王国には存在しない強力な魔術も開発されていると考えるべきだろう。

 対等に戦える術を得たのだ。我が国が把握していない、おぞましい威力を持つものもすでに生み出されているかもしれない。疑似魔法が化学に該当するような力なら、元素を解き明かし水素爆弾などの核爆弾、更には神経ガスの化学兵器さえ作ってしまうかもしれない。まさに地球で起こった惨劇の再現だ。

 地球の戦争や紛争を思い返し、俺は沈鬱な表情をした。魔素が疑似魔法を、延いては化学を嫌う理由がわかる気がした。


「さて。実験に入る前に、リリー。昨日お前が言っていたカガクとやらの説明を頼めるか?」


 俺は了承の意味を込めて首肯した。

 仕組みなど話す必要はないだろう。なぜ火は燃えるのか、そんなものを知らなくても魔素の力を借りれば理屈なく扱える。属性の魔石や魔法陣があれば火も起こせる。負の遺産を受け継ぐことになるような知識は不要だ。


 さて。では何を例に持ち出そうか。


「化学とは前世の世界、地球という場所で発達してきた分野で、ナーガが言うには疑似魔法はそれに似ているのだそうです。確かに化学も魔素の恩恵は必要ありません。そもそも地球には魔素は存在していませんでした」


 魔素が当たり前に存在するこの世界から見れば、地球の環境は奇妙なことこの上ないのだろう。皆が一様に揃った表情を向けてくる。地球に馴染んだ身としては、こちらの方が奇っ怪な世界そのものなのだが。


「化学には大変危険なものも多くありますので、構造などはあえて省除させて頂きます。これは流布を防ぐ意味でもあります。わたくしはこの知識を口外する気はありませんし、口を噤んだまま墓場まで持っていくつもりです」

「そこまでの覚悟を持つほど危険な知識なのか」

「はい。ですので、お父様にも構造などはお教えできませんが、化学による兵器の威力ならばご説明できます。例えば………そうですね、お父様が以前見せてくださった火属性の最大威力を誇る魔法ですが、あれの数千倍の威力と被害を生み出すものが作れてしまうのが、化学の一面でもあります」


 お父様の目がくっと見開かれた。それはこの場にいる全員が同様だった。


「簡素に言えば、太陽の原理を化学的に説明できれば水素爆弾が作れてしまうのですよ」

「スイソ………?」

「大規模な爆発のことです」


 水素爆弾とは、水素核が融合する時に生じるエネルギーを利用した爆弾のことだ。しかし水素の核を融合させるには非常に高い熱と圧力が必要になる。太陽はまさに核融合反応が生じている存在だ。地球上でそれを再現するには火力も圧力も圧倒的に足りない。

 そこで使用されるのが原子爆弾だ。核分裂によって生じる高熱と高圧が水素核融合の連鎖反応を引き起こし、原子爆弾の数千倍の破壊力を発揮する。実に恐ろしい核爆弾だ。

 超重元素爆弾という、実用化されてはいないが理論的には弾丸ほどに縮小できる可能性のある、超小型核爆弾なるものもあるそうだ。これが実現してしまえば、地球は何度だって滅びを経験するだろう。


 魔素が疑似魔法を嫌うのは、こういった大量殺戮兵器に通ずるような近いものを感じているからだろうか。

 化学はそういった面だけでなく、衣食住に多大な恩恵をもたらしてくれるとても奥深く面白い分野なのだが、誤解を生んでいるようで残念極まりない。

 建築物の防水、防腐、耐熱性、耐久性が増し、衣服は染色、抗菌などの加工性が増し、生産性の確保により安価で手に入るようになった。食品の保存性、肥料や薬品による生産力の増加、医療の面では公衆衛生の向上、治療薬品の利用など、地球ではもたらされるメリットは多かった。同時に健康被害や間接影響などのデメリットも生じてしまったが、それでも生活の向上に化学は深く根付いていた。


「ねえ、ナーガ。小規模な水素爆弾は禁忌に触れる?」


 定位置の首元からこちらを見上げたナーガが渋るような様子を見せるが、ややあって首を左右に振った。


『ナーガたちが好まないだけで、禁忌とはされていない。科学は万物の理。創造魔法にも通ずる。しちゃいけないとは言われていない』

「使う側の道徳観によるってこと? でも道徳観って人それぞれだし、何を以て善悪正邪とするかにもよるよね」

『そうだね。だから、ここでいう禁忌とされていないってことは、引き起こされる事態は全て自己責任であって、神はそこに関与しないって意味』

「なるほど。単純明快だ。それなら納得できる」


 引き起こされる全ては自己責任。これで破滅しようとも責められるべきは引き起こした本人。実にシンプルでわかりやすい。


「少し試してみましょうか。まずは防護魔法を」

「待て。防護魔法? すでに付与されている場に重ね掛けせねばならない程の威力なのか」

「はい、恐らく。習練場の防護魔法にどの程度の強度があるのかわたくしは存じ上げませんので、安全を考慮して二重に張ります。身をもって経験した訳ではありませんが、知識の一端として本来の水素爆弾の威力を知っているので、それの数万分の一以下に抑えるとはいえ、油断はできませんから」


 誰かのごくりと唾を飲み込む音が響いた。わかるよ、俺も初めての試みで緊張しているからな。

 中学生だった頃、化学の授業で水の電気分解をやったが、今からやろうとしていることはその程度のものでは済まない。陰極に水素を集めるのではなく、水素核を衝突融合させて本物の爆発を引き起こそうとしているのだから。


 まずは防護魔法だ。小規模と言えども相手は核爆弾だからな。こちらに被害が及んでは本末転倒だ。習練場全体に防護魔法をかけるというよりは、水素爆弾を防護魔法で取り囲む方が無難かもしれない。


「よし。そうと決まれば―――」


 脳裏に思い描くのは、不可視の透明な箱。天地と四方すべてを覆い尽くす分厚い防壁。

 思い浮かべた心象に呼応して、金と銀の魔素が大量に動いた。習練場の中央に、縦横共に三丈ほどの巨大な防壁が完成する。構造色を帯びた防護魔法は、シャボン玉のように薄膜に覆われ様々な色彩が揺れ動いているように見える。

 漠然とだか、これでは不十分に思えて、さらに外壁として同じものをもうひとつ構築した。


「これが防護魔法……? こんなの見たこともない……」

「虹色に煌めいて、なんて美しいのかしら」

「防護魔法と言えば六公爵家の一角、チェノウェス家のお家芸だが、かの公爵でさえこれほど芸術的で巨大なものは作れない」


 家族が三者三様の驚きを見せる中、俺は次の段顔に取り掛かった。


「では、水素爆弾を創造します。一応衝撃に備えておいてください」


 お父様がお母様とお兄様を抱き寄せ、了承の意を返してくる。使用人たちも緊張に強張った面持ちのまま身構えた。


 水素爆弾の構造は軍事機密なので俺も触り程度しか知らない。知っているのは、外層にウラン238、中間層に重水素化リチウム、さらに中心にプルトニウム239を設置した円筒形の爆弾だということくらいだ。しかし俺が扱うのは心象により発動する創造魔法。内部構造や物質を網羅せずとも、その結果を想像できればそれで事足りる。

 怖いのはフォールアウトだが、放射線をすべて放出される前に()()()()()()にしてしまえばいい。お父様に使用禁止された、万物流転と命名したあの魔法だ。


 俺は水素爆弾のある程度の構造と、威力と規模の縮小と低減を防護魔法の結界内部に想像した。同時に放射される放射能が結界内部ですべて消去されるイメージを追加する。


 金と銀の魔素が再び大量に流れた、次の瞬間。

 目を射る閃光が習練場を照らし、防護結界内部で凄まじい熱量が発生した。焔のきのこ雲が立ち昇り、ひとつ目の防護結界は硝子を割るようにあっさり砕かれた。保険で掛けた二つ目結界にひびが入り、大きくたわんだ後、これも硝子が砕け散るが如く木っ端微塵に吹き飛んだ。

 自由を得た熱量と衝撃波は容赦なく俺たちを襲うが、とっさに平面的な防護結界を三重に構築し、衝撃から皆を守った。並行して放射線の消滅を再び行う。目に見えるものではないので、そこは徹底的に消しておきたい。

 新たに築いた結界壁を二つ砕いて、最後の一枚が大きく震えた。踞る面々を守るように耐えていた結界壁が、爆発の影響を何とか食い止めてくれた。

 ようやく、凄まじい熱量は力尽き、消滅した。


 誰も口を開かなかった。俺も何も言わなかった。

 小さく抑えて、あの威力。あんなものを人の頭上に投下したのか。戦争とは、斯くも人を残忍にしてしまうものなのか。

 これはリトルボーイやファットマンとは違うが、こんなものに善悪正邪など存在しない。簡単に、最も残酷な形で大量に命を刈り取ってしまえる代物だ。これほど罪深い兵器はないだろう。


 四つの結界を粉砕した。残された最後の一枚はあちこちがひびだらけで崩壊寸前だ。低減させた威力だけでこれだ。ここにフォールアウトが起これば、辺り一面地獄絵図と化す。いわゆる死の灰だ。


 こんなものに正義も何もないだろう。この威力を、惨劇を、少しでも正常な目で見つめることができるならば、あれは正義だったと、正しかったと言えるはずがない。記録として、数字として、他人事として、正義の歴史として見ているだけの存在が、この黒歴史を繰り返すのだろう。決して己や自身の身近な者たちへ影響がない平和な場所で、物語の一つのように、現実感のない遠い世界の話として捉えているに違いない。

 人間とは、本当に残忍で欲深い生き物だ。

 同族でありながら大量に命を刈り取る存在は、自然界において人間しかいないだろう。理由なく同族を殺してしまえる存在もまた、人間しかいない。


 人間の浅ましさを形として再認識した気分になり、俺は苦り切った表情を浮かべた。

 俺自身もきっと、そんな浅ましい人間に違いないのだ。


「リリー、大丈夫か? 無事だな?」


 お父様の声にはっとした。疲弊した面持ちでお父様とお兄様がこちらへやってくる。


「は、はい。わたくしは無事です。皆様もお怪我はございませんか?」

「ああ、問題ない。お前が障壁を築いてくれたおかけだ。それにしても………」

「凄まじい威力でしたね………」

「まったくだ………。あれが、リリーの言っていたカガクの威力なのだな」


 お父様とお兄様が、途方に暮れた様子で大爆発の起きた中央を見つめている。

 地面は抉れているが、二重の防護結界のお陰で習練場自体の損傷はないようだ。よかった。


「あんなものが存在する世界で、お前は生きていたのだな………」

「いえ………あれは威力を極力殺いだものなので、実際は先程の比ではありません」

「なんだって?」

「あれで最小の威力なの?」


 お父様とお兄様が同じ驚愕と恐怖をない交ぜにしたような顔を向けてくる。


「はい。あれで最小です。本来の威力はもっと広範囲に及ぶもので、また二重、三重と被害を上乗せする恐ろしいものです」

「そんなものが………」

「なので、わたくしは化学をこちらに普及させるつもりは一切ありません。魔法があれば十分なのですから」


 化学兵器での戦争など御免蒙る。要らぬ知識だ。


「しかし、最小に落としたと言えど、見積もりが甘かったようです。防護魔法がああも簡単に砕けてしまうとは。わたくしの防護結界にも問題があったのかもしれません」

「いや、それは早計だ。他の魔法で試してみよう。私には防護魔法陣より堅牢に見えた。もしかするとチェノウェス公爵より頑丈なものを造れていたかもしれん」

「父上、もしそうだとして、このことがチェノウェス家に知れたら」

「ああ。この上なく面倒な事態になるな」


 俺はごくりと唾を飲み込んだ。

 面倒な事態とは、具体的にどんなことになるのだろう。

 疑問がそのまま顔に出ていたのか、お父様が正確に答えてくれた。


「チェノウェス公爵家には十四になる嫡子がいる。お前を正妻にと望むだろう」


 冗談じゃねー! 心からの絶叫にお父様もお兄様も同意とばかりに渋面を作った。

 これは六公爵家のお家芸たる属性魔法をすべて調べておく必要があるな。特に知られては面倒なものは極力表に出さない! 慎ましやかにひっそりと生きていく! 誰が嫁ぐか!


「まあ、それは追々考えていこう。私もお前を嫁がせたりなどしない」

「そうですよ。リリーは誰にも渡しません」


 頷き合う父子を呆れた面持ちで眺めているのはお母様とマリアだ。俺は全面的にお父様とお兄様を支持する。俺を手放さないで!


「さて。ではリリーの防護魔法の強度から実験してみよう」

「父上。僕に検証させてください」

「うん? そうか、それもいいかもしれんな。よし、ユーイン。訓練の成果を見せてみろ」

「はい!」


 お父様に促され、先程と同じ防護結界を築いた。その中央に向かって、お兄様が詠唱を紡ぐ。


「暴風よ、すべてを呑み込め。シルフ」


 構造色に揺らめく三丈の防護結界の中で、巨大な竜巻が暴れた。轟く地響きと振動に結界は小揺るぎもせず巨大竜巻を閉じ込めている。


「う~ん。僕なりの最大威力で挑んだつもりなんだけど、リリーの防護結界はびくともしないねぇ。ちょっと自信なくしちゃうなぁ」

「お前、いつの間に最上位魔法を扱えるようになったんだ? 私がこれを修得できたのは十二の頃だぞ」


 肩を竦めるお兄様と、そんなお兄様を驚愕の眼差しで見つめるお父様。どこからどう見ても親子だと分かる瓜二つな顔が対称的な表情を浮かべている。

 お兄様が魔法を霧散させた後も、俺の創造した防護魔法は綻びひとつ見つけられなかった。お父様の仰るとおり、最低でも習練場に施されている防護魔法陣と同等の強度はあると判断してもいいだろう。

 それを四枚も砕き割った水素爆弾の何と恐ろしいことか。


 検証に使っただけで、あれを再び創造することはない。二度と。

 あんなものは永久凍結です!








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