27.家族と街散策 1
「お父様! お父様! あれは何ですか!? あのビヨンと伸びる串焼きは何ですか!?」
今日は、待ちに待ったお出掛けの日だ。意識はすでに城下町へと飛んでいたので、せっせと磨かれ着飾られていく過程もまったく苦にならなかった。興奮状態にあると、いつもならば微妙な気持ちになる衣装に全然意識が向かないものなんだなぁと、感心しきり。
「わかった、わかったから少し落ち着きなさい、リリー」
手をぐいぐい引っ張っていく俺に苦笑いしながら、お父様はしっかりとついて来てくれる。
屋台で炙られる串焼きは、甘辛い香りが食欲をそそった。見た目はお焼きのようだが、串に刺している時点で違うよな。五平餅? たんぽ餅? でも米はこの国にはなかったはず。じゃあ何だろう? 気になるー!
「いらっしゃい」
気の良さそうなおじさんが、器用に垂れを串に塗っては炙っていく。炭火に垂れが落ちるたびに香ばしい香りが鼻孔をくすぐって、堪らず俺の口はだらしなく開いてしまう。
「店主。スパルを四本頂こう」
「へい。毎度あり」
おじさんは串の端に手早く油紙を巻き、一本を俺に手渡してくれた。手が汚れないようにという心遣いだろう。何となく日本人気質な感じがして、懐かしさを覚えた。
しかし気になる単語が出てきたな。スパルってなに?
「お父様、スパルって何ですか?」
「この串に刺してある食材のことをスパルと言うんだ。私も食べるのは学生以来だが」
そう言いながら、食べてみなさい、と促す。
俺はお父様の言葉を拾って大いに驚いていた。
え、お父様って屋台の食べ物を口にしたことがあるの? 貴族なのに?
庶民的な味覚の持ち合わせがあるという、意外な一面に俺が驚いている間に、エイベルが支払いを済ませていた。
これもちょっとしたカルチャーショックだよなぁ。貴族はお金を持ち歩かず、支払いは全て、財布を持たされた使用人が払うのだ。荷物も持たないし、貴婦人の日傘だって自分で差さないんだ。随行している侍女がずっと差しているんだから、やんごとなき身分の貴婦人に仕えている侍女は大変だ。お母様も例に漏れず、マリアが日傘を差して随行している。
本来ならばやんごとなき身分に含まれる、令嬢であるはずの俺に日傘が差されていないのは、カリスタを置き去りにあちらこちらへと駆け回る俺に、お父様が差さずともよいと命じたからだ。
何か、ごめんよカリスタ。方々へ興味が移ってしまって、沸き立つ好奇心を抑えることができないんだ。
心の中でそう詫びつつ、俺の興味は手渡されたスパルという名の串焼きに釘付けだった。
促されるまま少しだけ噛りつく。
香ばしくて食欲を誘う匂いだが、未知の食べ物に大口開けて食べるほどの度胸はない。令嬢らしい上品な食べ方に見えたのか、カリスタは満足げに微笑んでいるが。
「ふおっっっ!?」
思わず素で驚いてしまった。令嬢らしからぬ声にカリスタの眉がきゅっと険しく寄ったが、それどころではない。
俺は慌ててもうひと噛りし、びよーんと伸びて千切れたスパルをもちゃもちゃと味わった。
(これって、餅粉じゃないか!)
この国にはなくとも、他国には米や餅米が存在しているということが分かっただけでも、今回の外出の収穫は大きい。
餅粉にチーズが練り込まれており、より伸びるのはこのためだと思われる。甘辛い垂れは懐かしい日本のお好み焼きソースを彷彿とさせる。単純な作りだが、だからこそあっさりしていて甘辛い垂れが活きてくる。
あっという間に完食した俺は、お父様を振り返った。もう一本食べたい。
思いが伝わったようで、エイベルに目配せしている。
ぱっと綻んだ表情のまま、俺はおじさんに元気よく追加注文した。
「もう一本ください!」
「はいよ~」
再び持ち手に油紙を巻いて手渡してくれたおじさんに礼を言って、今度は味わって食べようと少量を口にした。そう、味わいたいだけであって、決してカリスタの眼力に屈したわけではない。断じて。
ピュイ、とナーガが首元で鳴いた。留守番を嫌がったので、大人しくしているようにと言い聞かせて連れてきたのだ。
「食べたい?」
「ピュイ!」
「じゃあちょっとだけ」
串を差し出すと、ナーガは小さなお口でスパルを引きちぎった。俺と同じようにもちゃもちゃと咀嚼していたナーガが、再びピュイ!と鳴く。
「まだ食べたいって?」
「ピュイ!」
「しょうがないな~。ほら、熱いから気をつけて食べるんだよ」
屋台のおじさんが目を白黒させている。今頃になって、ようやく俺の首に巻きつくナーガの姿に気づいた様子だ。驚くのも無理はない。まったく馴染みのない謎生命体だろうからな。
しかし、元は水魔法で、更にその大本は青と金と銀の魔素なのに、普通に食事するんだよな。生態が謎すぎて、逆に妙な説得力があるように思えるのは何故なんだ?
そんなことをつらつらと考えている間に、ナーガがスパルを全て完食してしまった。
「んな………っ」
全部って。完食って。俺のスパルが消え失せたー!!
俺の身体は動揺のあまりふらりと傾いだ。
「せめて一口くらい残してくれてれば………」
「食べ掛けでいいなら僕のをあげるから、元気出して、リリー」
背中から支えてくれたお兄様が、そっと目の前に半分以上残っているスパルを差し出した。
「で、でも、それじゃあお兄様が少しだけしか食べられないです」
「いいんだよ。僕は初めて食べた訳じゃないから」
「うう………でも……………」
「はい、あーん」
唇に軽く押し当てられたスパルを、俺は反射的に噛りついた。
ああ、美味なり………!
もっちゃもっちゃと咀嚼しながらにんまりしていると、背中越しにお兄様の忍び笑いが聴こえた。
はっ! まずい! つい誘惑に勝てず食べてしまった!
「美味しい、リリー?」
「あう……はい………ごめんなさい、お兄様」
「どうして謝るの? 僕もちゃんと堪能したし、リリーが美味しそうに食べてる顔も堪能できたから、僕としては大満足だよ?」
「堪能しないでください………」
ふふふと愉快そうにお兄様が笑う。差し出されるスパルを、俺はもう遠慮せず完食した。
別に食い意地が張ってるわけじゃないから。お兄様の至福そうな顔に根負けしただけだから。言い訳なんてしてないから!
「ほらほら、リリー。お口にソースがついてますよ。仕方のない子ね」
楽しげに笑いながら、お母様がハンカチで口元をそっと優しく拭ってくれる。
「そんなに気に入ったのなら、もう一本お食べなさい。ユーインにも買いましょうね」
「いえ、僕はもう」
「食べなさい。じゃないとリリーが気にしちゃうでしょう?」
ああ、と納得して、では頂きますとお兄様は微笑んだ。
うちの家族は俺のこと大好き過ぎないだろうか。嬉しいしありがたいのだが、あまり幼児を甘やかすのも些か問題あると思うぞ。俺が我が儘に育ったらどうするつもりだ。悪役令嬢になんて、俺はなりませんからね?
「この子たちに一本ずつくださいな」
「は、はい。毎度あり~……」
おじさんが、お母様を直視して真っ赤になった。分かる。分かるよ、おじさん。うちのお母様の美貌は天女の如しだろう? とても二児の母には見えないからな。俺の中の浩介が未だにお母様に横恋慕しているくらいだ。お母様の美しさは場合によっては目に毒だな。
あ、ほら。お父様の眉が寄ってしまった。まったく、お父様も相変わらずお母様が大好きですねぇ~。
俺は新たに手に入れたスパルを咀嚼しながらそんなことを思う。俺と交互にナーガがかぶりついているが、もう気にしないことにする。
「リリー。それを食べ終えたら、他の屋台も覗いてみる?」
お兄様がとても魅力的な提案をした。もちろん、返事は是の他にあり得ない。
ぱっと弾んだ心そのままに振り返った俺を見て、スパル片手にお兄様が破顔した。
「うん、聞くまでもなかったかな。食いしん坊のリリーのために、今日は食べ歩き決定だね」
おっと、本音がだだ漏れになっていたらしい。いち令嬢としてこれはいかんな。カリスタからお小言をもらう前に、軌道修正かけておくか。
「食いしん坊だなんて、そんな……わたくしは、スパルだけでもうお腹いっぱいですわ」
「うん、下手な嘘はやめようね? さっきの華やいだ表情が本心を語っていたからね。遠慮しないで美味しいものを食べよう」
修正できませんでした。所詮は付け焼き刃な令嬢所作だからな。中身はそうそう変わるものでもないか。ここは素直にお兄様に従おう。
カリスタ、その顔やめて。別に食欲に屈した訳じゃないから! 好奇心に屈しただけだから!
「次はあれを試してみよう」
お兄様が指差した先の屋台には、会津若松市の起き上がり小法師のようなころんとした形の食べ物が並べられていた。
「あれはジェロといって、じゃがいもを揚げたものだよ。食べてみる?」
またしても聞き慣れない料理名だ。俺の手を引いて三つ隣の屋台へ移動したお兄様は、慣れた様子で店主のお姉さんに注文した。
お姉さんの目が美少年を愛でるそれになっている。その証拠に注文した個数より一つ多い。サービスしちゃう、なんてウインクされてますよ、お兄様。さすがです。隣に俺もいるのですがね。俺は無視ですか、お姉さん。
俺が軽んじられたと腹を立てたのか、常ならばにこりと微笑み返すくらいはするお兄様が、お姉さんの存在そのものを黙殺して俺に柔らかな笑みを向けた。
「さあ、リリー。あっちで一緒に食べよう」
唖然とするお姉さんを一切振り返ることなく、お兄様は再び俺の手を取って歩きだした。ちらりと見れば、お兄様と同じようにまったく相手にせず素通りした両親と、使用人や護衛たちも同様の無愛想な面持ちで素通りしていくところだった。
自分の失敗に気づいた様子のお姉さんは、支払うエイベルにすがるような視線を向けたが、ひんやりとした空気を纏うエイベルは無言で支払いを済ませるとこちらへ戻ってきた。置いてきた金額を見るかぎり、エイベルは三つ分の支払いをしている。お姉さんの顔色は真っ青だ。
うちの家族が、というより、寧ろうちの使用人含めてみんな俺のこと溺愛し過ぎじゃね!? お姉さんが気の毒でしょうがないんだけど!
「ここで食べよう」
一人おろおろしている俺をよそに、お兄様はカフェのテラス席に座り、飲み物を注文した。購入したものを手渡してくれたので、俺はとりあえず過る様々なものに蓋をして、ジェロという食べ物に集中することにした。どうやら油紙で作られた袋に包んで食べるようだ。
香りや見た目はコロッケに似ている。じゃがいもを揚げたものだと言っていたし、たぶんコロッケで認識は間違っていないだろう。
慣れ親しんだコロッケを想像して口に含む。さくさくの衣から味付けされた潰したじゃがいもが顔を出した。うん、具のないコロッケだな。
もうひと噛りすると、中からトマトの酸味がきいた具が出てきた。ブラジルのコロッケ『コシーニャ』のような揚げ物だ。鶏肉と玉ねぎやニンニクをトマトソースで煮込んだものを、香辛料で味付けした潰したじゃがいもで包んでパン粉をまぶし揚げている。
衣はさくさく、潰したじゃがいもはほくほくで、トマトソース味の鶏肉と野菜が酸味と旨味を取り込んでいて、周りのじゃがいもと絶妙に釣り合っている。これは何個でもいけるぞ。めちゃくちゃ美味い!
ほっこりと微笑んで咀嚼する俺を見つめていた両親とお兄様が、可笑しそうにひっそりと笑う。
「リリーは本当に美味しそうに食べるわねぇ」
「見ているこちらまで微笑んでしまうな」
「餌付けしたくなる僕の気持ちにご賛同頂けたようで何よりです」
お兄様、餌付け発言は看過致しかねます。俺は愛玩動物じゃありませんよ。
眉根を寄せた俺に微笑んで、お兄様は自分のジェロを俺の唇に添えた。餌付けですか。いいでしょう、受けて立ちます!
俺は遠慮なくがぷりと大きくかぶりついた。口周りにパン粉やトマトソースがつこうが知ったこっちゃないね。カリスタが歯軋りしているが俺はそっちを見ませんから!
お兄様はにこにこと微笑んで、自分用のジェロが減っていく様を楽しんでいるようだ。両親も護衛たちも目尻が下がっている。完全に愛玩動物を愛でる顔だ。腹立たしい。
俺の持つジェロはせっせとナーガが消費中だ。ナーガには待てを教えなくてはならない。これは必須課題だ。
「もう一個も食べるかい?」
残りのジェロを咀嚼している俺に、最後の一個を差し出した。ええ、遠慮はしませんよ。俺の食い止しはナーガに完食されましたしね!
「リリー。少しはしたないですよ」
もしゃもしゃと咀嚼する令嬢失格な豪快な食べっぷりに、さすがにお母様から注意が入った。
そりゃそうか。口周りがえらいことになっている自覚あるもんな。と言うか、意地汚いのではなく? はしたないのは少しだけですか、お母様?
「ほら、お口を拭いて」
お母様が困ったように微笑みながら、ハンカチで再び優しく拭ってくれる。
「さあ、リリー。喉が渇いたろう?」
お兄様が注文していた果実水を差し出してきたので、これも遠慮なく飲み干した。
おおぉ………スパルが三本、ジェロが二つ、果実水一杯が入った我が胃袋が大変なことになっている……! これ以上はリバース、リバースしちゃう……!
俺は幼児体型らしくぽっこり出た胃を擦りながら、せっかくの散策を食べ過ぎで中止にしたくないと決意した。好奇心に忠実に行動していたのでは計画は頓挫する。屋台は今後振り分けて、ゆるゆると制覇しよう。四歳児の胃袋はそう許容範囲は大きくない。食べ過ぎでリバースはいけない、令嬢としても、人としても。
「お腹がはち切れそうです」
お兄様が吹き出した。両親や使用人たちも顔を背けて肩を震わせている。
ええどうぞ、心置きなく笑ってください。明らかに食べ過ぎたと自覚ありますからね。
「そりゃああれだけ食べれば……ふふっ……」
食べさせた張本人が一番笑ってますがね。
俺の頬が膨らんでいることに気づいたお兄様が、笑いを堪えながら頬に指を伸ばしてきた。
「ふふっ……す、拗ねないでよ、リリー」
お兄様の指が頬をつついた瞬間、俺の口からぶぷっと不格好な音が漏れた。
「ぶっは!」
ついにお兄様が腹がよじれるほど笑った。テーブルに突っ伏して、ひいひい笑っている。どこかで見た光景だな。
両親も使用人たちも、必死で笑いを堪えている様が見て取れる。もうずっと肩が震えてますからね! いっそのこと爆笑したらどうですかね!
俺はひたすら笑っている面々を放置することにして、席を立った。
「リリー? どこへ行く?」
お父様、口角がひくついてますよ。明らかにまだ笑い治まってないですよね?
「先程のジェロを購入したお姉さんのところへ、お礼を言いに行って参ります。とっても美味しかったので」
満面の笑みで答えると、虚を衝かれた様子で一同が瞠目した。おや、驚きからか笑いが強制的に治まったようで何より。
「……………そうか」
「はい。なので、ここで待っていてくださいね。すぐに戻ります」
俺はそう言い置いて、通路を挟んだ向かいに屋台を構えるお姉さんの方へと駆けていった。
「まったく、リリーってば。僕たちの思惑を毎回軽く飛び越えていくなぁ」
お兄様の苦笑まじりの声が聴こえた気がするが、気にせずお姉さんへと駆け寄った。
「ご馳走さまでした。とっても美味しかったです。また来ますね」
最初は戸惑っていたお姉さんだったが、目を大きく見開いた直後泣き笑いを浮かべて深々と頭を下げた。俺はそんなお姉さんににっこりと微笑んで、手を振って走り去った。お姉さんはもう一度頭を下げていたが、俺は気づいていなかった。
「ただいま戻りました」
「おかえり。リリーは優しいね」
出迎えたお兄様が苦笑いを浮かべてそんなことを言う。
「そうですか? 美味しかったとお礼を伝えただけですよ?」
「それが優しいってことだよ。君は蔑ろにされたというのに」
「でも、代わりにお兄様やみんなが怒ってくださいましたから。わたくしは傷ついておりませんもの。ジェロも二つ食べましたしね!」
俺の言葉にお兄様が可笑しそうに笑う。
「うん、そうだね。リリーが気にしてないのなら、僕も気にしないよ」
それがいい。過ぎたことは流そう。お姉さんも後悔しているし、そもそも俺は気にしてない。
「他を見て回りたいです。食べ物以外で!」
皆が笑った。ぞろぞろと移動する中で、お兄様はお姉さんの方へ視線を向けると、いつもの人好きのする笑みを浮かべて会釈した。瞠目したお姉さんが慌てて深々と頭を下げる。そんなやり取りを横目に確認して、俺はふふっと笑った。
次も必ずあのうっかり者のお姉さんのところで購入しよう。
そう心に決めた。
長くなったので、一端ここで切ります。
食べ物の名前は想像上のものですが、どこかの国の『焼く』だったり『揚げる』だったりをいじって付けています。
イタリアの揚げ物『フリット』のように、語呂が良い響きを足りない頭で考えてみました。
書いていてめっちゃお腹空きました……。
明日コシーニャ作ろう。絶対食べよう。じゅるり。