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18.その頃、両家では

グレンヴィル公爵夫妻とアバークロンビー侯爵一家のそれぞれのお話です。




 帰宅早々、リリーがぐったりと疲れた様子だと報告を受け、私は共に出掛けた妻を訪ねた。

 ベラも若干疲れを覚えているのか、優雅にソファーに腰掛け紅茶を頂く姿はいつもと変わらないが、たまに小振りな唇から零れる吐息に疲労の色が伺える。


「出先で何かあったのか? 報告ではリリーも消耗していると聞いたが……」

「ああ、ええ。リリーはたぶん気疲れね」

「気疲れ?」

「アバークロンビーの母が原因よ」

「ああ……」


 妻の名指しに納得してしまう。

 義母は何と言うか、良く言えば天真爛漫なのだが、少々無邪気が過ぎるきらいがある。


「母はね、リリーを勝手に貴族方へお披露目する気でいたのよ」

「は?」

「信じられない暴挙でしょ? あの人にとって、貴方のことを含めてグレンヴィル公爵家は親族であって、上位に立つ爵位だという部分が都合良く抜け落ちているの。貴方はあくまで娘婿であって、ユーインやリリーは孫なの。だから孫の婚姻に口を出せると思ってる。冗談じゃないわ」


 これは予想の斜め上を行く解釈だった。

 間違ってはいないが、根本的には大間違いだ。

 爵位が下のアバークロンビー侯爵夫人が、孫とは言え上位にあたる他家の事情に首を突っ込む権利はない。ユーインやリリーに関して義母が自由になる事柄など一つも存在していないのだ。それを理解していなかったとは、さすがに思わなかった。

 だって侯爵夫人だぞ? 支配階級に身を置きながら、今さら基本が出来ていないなんてあり得ないだろう。


 唖然とする私に、ベラは更に不満顔で愚痴った。


「母は自分の血筋から王妃が出ることを望んでいるの。わたくしが六公爵家の一角である貴方に嫁いで娘を産んだものだから、分不相応な夢を抱いちゃったのね」

「王妃などと。そんな話は王宮でさえ表立っては出ていない。父のように裏工作されても厄介だな」

「ええ。だから一応しっかりと釘を刺しておいたわ。けれど理解したかどうかは自信ないのよね。……いえ、あの様子では納得してはいないわね。まったくもう、本当に面倒臭い人!」


 ぷりぷりと怒る妻を抱き寄せ、お疲れ様と労う。

 言葉を重ねても伝わらない相手に、何度も根気強く同じ内容を言って聞かせるのは本当に骨の折れる作業だ。理解させる前にこちらの方が参ってしまう。


「そうだわ。ねえ、リズ。アッシュベリー公爵がご子息を連れてうちにいらしてたんですって?」

「ああ、義母上に聞いたのか?」

「ええ。母の見立てでは、公爵はご子息にリリーをと考えていらっしゃるのではないかって。どう思う?」


 奴の息子の態度を思い出して、私は顔を顰めた。

 リリーを婚約者にだと? 冗談じゃない。


「ん、わかったわ。貴方がそんな顔をするほどには論外な子なのね」

「奴の息子だぞ? それだけで論外だ」

「リズは本当にアッシュベリー公爵が嫌いなのねぇ」


 ああ、嫌いだ。大嫌いだ。

 母上の妹を母に持つあいつは、私の婚約者だと知っていてベラに粉をかけようとした女たらしだぞ?

 しかもベラを第二夫人にだと? ふざけるな! ベラを望むなら、せめて第一夫人に据えろ!


「根深いわねぇ………」

「私から君を奪おうとした。その恨みは一生忘れん」

「奪えないわ。わたくしは昔から貴方一筋だったし、妻を多く娶る六公爵家の中で、貴方だけはわたくしをただ一人の妻にしてくださったのだもの。これほどに唯一と望んで下さる方を置いて、一体どなたに心を奪われると?」


 父も母を唯一の妻とした、公爵家の中では非常に珍しい部類だ。そんな家庭で育ったのだ。複数の妻など端から選択肢にない。

 父の選んだ婚約者がベラであったことは奇跡だと思う。出会った日の衝撃は、今でもはっきりと覚えているのだ。互いに幼かったが、拙い心なりにベラだけを生涯愛すると誓った。その誓いは今も変わらず私の根幹を支えている。


「ああ、そうだな。奪えるものか」

「ふふ。ええ、そうよ」


 想いを確かめ合うようにしばし寄り添っていると、不意に妻がぽつりと呟いた。


「せっかくの初めての外出だったのに、リリーには可哀想なことをしたわ」

「また連れ出してあげればいい」

「そうね。言質は取ったわよ?」

「ああ。次は私が連れてゆく」


 途端、ベラから呆れた視線を向けられた。

 何故そんな顔をする?


「あまりあの子に制限をかけないであげて」

「安全のためだ。仕方がない」

「言いたいことは分かるわ。あの子の抱えるものは危うい。そのための習練も真面目にやっているでしょう? たまにはご褒美をあげても罰は当たらないわ」

「例えば?」

「貴方の監視がない、子供らしく遊ぶ時間よ」

「監視って」


 人聞きの悪い、と反論したかったが、確かに禁止事項ばかり設けて、リリーの本来持つべき自由を許していないことに気づいた。

 しかし、リリーはとても賢い子だが、頻繁にこちらの度肝を抜くような言動をとる。少しずつ改善されてはきたが、それでもまだまだ不安が残る。

 あの子を一人自由に外を歩かせたと想像して―――駄目だ、いざこざや事故、事件に簡単に巻き込まれる姿しか浮かばない。人拐いにでも遇ったらどうする!


「……………善処する」


 これが私の精一杯の譲歩なのだが、ベラの及第点には程遠かったらしい。

 呆れた返った様子で胸板をぱしんと叩かれた。

 大して痛くもないが、何故か良心にはしっかりと打撃を受けたのだった。






 ◇◇◇


 ―――――その頃、アバークロンビー侯爵邸にて。


「やあ、お帰り、オーレリア。早かったね? リリーとの買い物は楽しめたかい?」


 予定より随分と早い帰宅だなと思いながら、息子イーデンとサロンで寛いでいた私はオーレリアを見て眉を顰めた。

 一目で分かる程度には不機嫌丸出しなのだ。


「どうした」

「どうしたもこうしたもありませんよ! ベラったらわたくしを蔑ろにしますのよ!?」


 ベラ?

 どういうことだと詳しく聞けば、妻が何に対してこれだけの苛立ちを覚えたのかは分かった。だが、どう解釈しようとも娘が正しい。


「君は何に対して怒っている? ベラの言葉にはどこにも落ち度がないぞ」

「なんですって!? 母親にグレンヴィル公爵家として正式に抗議するとまで言いましたのよ!?」

「そこまでしなければ君が止まらないと判断したのだろう。その場の忠告で抑えてくれたベラに、君は感謝しなければいけない。公爵家から正式に抗議文を出されていれば我が家の恥だ」


 妻の顔にありありと失望の色が浮かんだ。これだけ説明しても納得しないか。


「ベラは娘である以前に我が家の上位に立つ公爵夫人だ。リリーはその娘、公爵令嬢だ。リリーは私達の娘であるベラの産んだ子ではあるが、グレンヴィル公爵の娘であることが前提にある。まず君はそこから勘違いをしている」

「それでも公爵は娘婿ですし、リリーちゃんはわたくしたちの孫娘でしょう!」

「だから、君はすでにその根本から勘違いしていると言っているんだ」

「分かりませんわ! わたくしの何が間違っていると言いますの! 孫娘を可愛がることさえ許されないとでも!?」

「君は何故そうも極端から極端に走る?」


 相変わらず、一方を向くとそれしか視界に入らない妻の狭量さに私はうんざりと溜め息を吐いた。

 幾度となく繰り返してきたやり取りだ。その都度説得する内容は様々だったが、今回は特に酷い。

 支配階級に関わる問題だ。ここで軌道修正させなければ我が家の立場が危うくなる。

 事の重要性をまったく理解していない妻に辟易していると、それまで傍観していたイーデンが斜に構え口を開いた。


「では母上、こう考えてみてください。私には伯爵家令嬢の婚約者がいますが、彼女と婚姻し娘を儲けたと仮定しましょう。母上にとっての孫娘です。彼女の母君にあたる伯爵夫人が、貴女を差し置いて孫娘を様々な茶会に連れ歩いていたら―――それを母上は、侯爵夫人として看過できますか?」

「出来るわけがないでしょう。その子は我がアバークロンビー侯爵家の娘であって、バラクロフ伯爵家の娘ではないもの」

「そうですね。それと同じ事を、母上はグレンヴィル公爵家になさろうとしているのですよ」


 上手く例えたと息子を誉めてやりたいが、これでも理解はしないだろう。長年の経験だ。置き換えたところで妻の方向性を変えることはできない。


「理屈は分かるけど、ではリリーちゃんと関わることも罪だと言うの。わたくしはバラクロフ伯爵夫人に孫娘と関わるななんてそんな非道な真似は致しませんわよ」


 ほらな。自分の都合良く解釈をねじ曲げた。

 彼女は昔からこうした傾向にあった。幾度となく修正を加えてきたが、思い通りになったことなど一度もないのだ。

 諦めと妥協の繰り返しだったが、今回だけはこのまま我が儘を押し通させるわけにはいかない。

 ベラが公爵夫人として矢面に立ってくれている間はまだいい。それが娘による最大の守護と譲歩だと何故わからないのか。

 前公爵夫妻が出張る事態になれば一巻の終わりだ。いっそ出入り禁止を言い渡されれば理解するか?


「母上。姉上が事を収めてくださっている間に反省してください。干渉が過ぎます。貴女は我がアバークロンビー侯爵家を潰す気ですか」

「何てことを言うの、イーデン!」

「それだけの無礼をすでにグレンヴィル公爵家に働いているのです。義兄上が表立って動いておられないのは、偏に姉上が抑えてくださっているからに他なりません。姉上の慈悲を有り難く受け取り、大人しくしていてください。義兄上でさえ庇えない事態など決して引き起こさないでくださいね?」

「イーデン、あなた母親に対して何て言い草なの!」


 イーデンが溜め息を吐きながら、呆れた様子で首を左右に振った。

 息子よ。分かるぞ、その虚無感。

 よく言った。実に核心を衝く素晴らしい苦言だった。立派に成長している姿に私は感動を覚えたぞ。

 しかし如何せん、相手が悪い。四歳のリリーの方がよほど賢く素直に理解を示すだろう。

 オーレリアには何度言葉を重ねても伝わらないのだ。息子に落ち度はない。夫である私でさえ制御と修正の利かない女だ。無理なものは無理である。


 イーデンと視線がぶつかると、どちらからともなく疲れた深い溜め息を吐いた。





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