15.お父様と魔素考察
やらかしちゃったその日。つまり特定の魔素に頼むことで、適性に関係なく魔法が使えるのだと知ったその日の夜に、報告を受けたお父様からたっぷりとお小言を頂き、色違いの魔素に直接お願いすることで使える魔法の実験を、お父様監修の下行うことになりました。
公爵家には魔法行使の訓練をする施設があるそうで、お兄様は毎日そこで実戦さながらに訓練を受けているそうだ。お父様も昔は同じように訓練に明け暮れ、今も定期的に習練しているらしい。
邸の外に併設されるその習練場に、俺は初めて踏み入った。丸屋根の習練場の中は広く、複数人で対人戦を行ったとしても充分な面積だった。
石壁には防護魔法陣が彫られているそうで、中で魔法を使っても壊れないらしい。なにそれファンタジー!
鼻息荒く興奮している俺を、お父様が呼んだ。
「リリー。先程言っていた魔素の色とその性質だが、他の魔法は試したか?」
「かあしゃまの、水と光、だけ」
「ふむ。なるほど。では私の四属性を試してみよう。リリー、魔素の動きをよく見ておくように」
なんと、お父様が魔法行使を実演してくれるそうだ!
これが興奮せずにいられようか!
「まずは火だ。威力の小さなものから試そう。―――――我の道標となり、灯りを灯せ、サラマンダー」
基礎の魔法書に載っていた呪文だ。
立てた人差し指に、ぽっとライターのような火が灯る。
「どうだ? 魔素はどう動いた?」
「赤いのひとつだけ、とうしゃまの指に、とまった」
「なるほど。この程度であれば魔素は最小限で良いと。では次だ。少し威力を上げよう」
エイベルに上着を渡したお父様が、右手を前方へ突き立てた。その姿だけで様になっていてめちゃくちゃ格好いい。
「立ち塞がる敵に浄化の火を。サラマンダー」
お父様の掌からバレーボールほどの大きさの火球が飛び出した。ドカン!と衝撃音を立て壁に激突したが、防護魔法に護られた壁にはひび一つない。
「魔素はどうだ? 」
「赤いの、みっちゅ」
「よし。では更に威力を上げるぞ。―――――業火にて敵を滅せよ。サラマンダー」
先程の火球などお遊びだったのではないかと思えるほどの火柱が、お父様の前方で上がる。
ある程度距離があるのに、熱気で頬がちりちりと痛んだ。
「今度はどうだ?」
「赤いの、いっぱい」
「数えきれないほどか?」
むむむと唸って、俺は念話に切り替えた。
『数えきれないほどの赤い粒子が、お父様の指定した座標に集まって火柱になった。火球の何倍も魔素が集まったとしか言えません』
「威力が上がれば動く魔素も大量に消費するということか」
顎に指を添えしばし考え込んでいたが、お父様は再び腕を突き出した。
「火魔法で最大威力を誇る魔法を使う。リリー、エイベルと共に下がっていなさい」
「お嬢様、失礼致します」
お父様の意を受けて、エイベルが俺を抱き上げ後方に下がった。
「煉獄の炎で敵を滅却せよ。サラマンダー」
天を衝くような爆音と衝撃が轟いた。前方が炎の渦によって覆い尽くされている。これを戦争で使われでもしたら、たった一発で敵軍は広範囲で焼失するだろう。それこそ骨すら残らない。それほどまでの威力を、熱風と爆音という形で今まさに経験している最中だ。
「どう見える?」
俺の側まで下がってきたお父様が、耳元で囁いた。
「真っ赤!」
そう、真っ赤なのだ。もちろん炎の色で真っ赤なのではない。大量の赤い魔素が集結し、俺の目には真っ赤な光の集合体に見えている。肌を焼く熱風を感じていなければ、赤い光の洪水にしか見えていないかもしれない。
「なるほど」
一言そう呟いて、お父様は炎を一瞬で掻き消した。またしても壁や天井は損傷が見られない。あれだけの威力のある魔法を受けても無傷とは、とんでもない魔法だな、防護魔法!
まだ耳と頬が痛い。とんでもない威力だった。
「リリーには、先程の魔法が真っ赤に見えたのだな?」
俺は首肯で返す。まさに真っ赤。そのままの表現で合っている。
『赤い大量の魔素が炎を包み込む勢いで集結していました。炎と言うより、赤い光の集合体です』
「そう見えるほどの魔素を消費しているということか。リリー、今この場に火の魔素はどれほどある? 先程より減っているか?」
『いいえ。魔素は消費されるのではなく、魔法が解除されれば元に戻ります』
これは予想外だったのか、お父様とエイベルが驚いた顔を向けてくる。
「それは本当か? では私達に行使制限が課せられるのは、魔素の減少が原因ではなく人の問題だということか……?」
お父様の呟きに、俺は炎から解放された赤い粒子を見つめる。指を伸ばせば、呼ばれたかのように先程の赤い光たちが寄ってきた。触れる暖かみは午前中に触った青い光と同じだ。魔素自身の魔力低下だとは思えない。
「お嬢様?」
抱き上げている俺が急に手を伸ばしたことが奇妙に映ったのだろう。エイベルが神妙な面持ちをしている。
そう言えば、エイベルの顔をじっくり観察したことはなかったな。
ダークブロンドの短髪に、ブルージルコンの切れ長の目が実に美しい美丈夫だ。お父様と同い年だと言っていたので、今年で二十四になるのか。
おっふ……若いな………。
「お嬢様? どうなさいました?」
「エイベル、わかい」
「ええ……? ありがとうございます?」
唐突な俺の褒め言葉にエイベルは困惑気味にお礼を言った。
ごめん、前世の俺より若いという事実に意味不明な焦りを感じた。
それよりお父様だ。お父様は浩介より年下なのに、すでに子供が二人もいるんだぜ? お兄様が六歳ということは、十八の時の子?
浩介………お前二十七までなぜ結婚しなかった………。
黄昏る俺を抱いたまま、エイベルが訝りながら見つめてくる。
やめて。今はそっとしておいて。
「リリー。次は風魔法を使おう。魔素をよく観察するように」
前世の浩介を叱責していた俺は、はっと我に返りお父様に頷いた。
いま大切なのは魔素の考察! 雑念よ、退散!
「最初から最大威力で行く。―――――暴風よ、すべてを呑み込め。シルフ」
地響きと共に巨大竜巻が発生した。猛烈な風に巻き込まれそうになるも、エイベルの腕にしっかりと抱き込まれているので体が宙に放り出される心配はなさそうだ。
俺はエイベルの腕にしがみついて、竜巻に目を凝らした。突風に目が乾燥してつらいので、凝らすと言っても眇めてしまうのだが。
先に発動した炎の渦と同様、緑色の魔素の集合体が竜巻を覆っている。緑色の光の洪水が竜巻となってうねって見えるのだ。
「次。地の属性」
竜巻が一瞬で掻き消えると、お父様は次の魔法を宣言した。
「大地の怒りに奈落へ落ちよ。ノーム」
低い地鳴りが轟き、地面が隆起する。深く抉れた陥没地帯からマグマが噴出する様は、まさに大噴火であった。黄色や橙の光が集結しているが、俺はそれを唖然と眺めた。
規模が想像を上回っている。これはそうそう使っちゃいけない魔法だと思った。前世が火山帯出身だからか、これは心胆を寒からしめる。
「最後。雷だ。―――――天雷たる鳴る神の裁きを受けよ。ヴォルト」
耳を劈く音と目を焼く光に視界が一瞬で真っ白に染まった。耳鳴りが酷い。
お父様、これは確認のしようがないよ。落ちた瞬間何も見えません。しばらく経ってようやく視覚と聴覚が戻ってきた。
「どうだ? 違いは見えたか?」
『まず風は、炎同様緑色の光の集合体が竜巻を覆って渦を巻いていました。魔素が引き起こす現象と言うより、魔素そのもののうねりのように見えます』
「ふむ。面白い見解だ」
『次に地ですが、黄色と橙の光が寄り集まって大噴火を引き起こしています。母なる大地とも言いますので、地属性は他の属性より魔素を取り込むのかもしれません』
「新しい観点だな。大変興味深い」
『最後に雷なのですが、一瞬で視界が真っ白く焼けてしまったので、何が何やら訳がわかりません。考察するならば威力の弱いものでお願いします』
「おや。それは悪かった。では最小でやり直そう」
やり直してくれるらしい。エイベルに抱かれたまま、俺は今度こそ見逃すまいと目を眇めた。
「雷光よ、敵を足止めせよ。ヴォルト」
ピシャー!と閃光と共に落ちた雷鳴が轟く。
最初の衝撃が強すぎて、今度の落雷はしっかりと目にすることが出来た。
「見えたか?」
『はい。白と青の光が集まっていました』
「白と青ということは、光と水か?」
首肯する俺にお父様の口角が上がった。
「本当に面白いな。これは属性の解明にも繋がる大発見だぞ」
『お母様とマリアが、危険だから口外するなと』
「そのとおりだな。お前の利用価値が跳ね上がってしまう」
そう言って、お父様は眉間にしわを刻んだ。
俺をどう守り通すか、その事に頭を悩ませているのだろう。迷惑をかけている自覚があるので、どうしようもないことだと頭で理解はしていても、申し訳ない気持ちになるのは仕方がない。
落ち込む俺に気づいたエイベルが、旦那様、と声をかける。
「ああ、すまない、リリー。そんな顔をするな」
おいで、と俺を抱っこする。
「お前が悪い訳ではない。お前の持って生まれた能力は素晴らしいものだ。それは胸を張っていい。ただ、私欲に走る大人が多いというだけの話だ。そこはリリー自身の問題ではない。気にする必要はないさ」
お父様の首に抱きついて、俺は今後の自身に降りかかる災難の可能性に思いを馳せた。
どう考えようと、幸せな未来に辿り着けない。お父様は創造魔法を素晴らしいものだと言ってくれたが、俺には呪いのように思えてならない。忍び寄る悪意にどうすれば太刀打ちできるのか。どうすれば自分自身と家族を守れるのか。ずっと考えてきたが、未だに答えは出ない。
「リリー。色別の魔素に頼むことで、適性を持たずとも魔法行使を行えるそうだな? やってみるか?」
落ち込んだままの俺を慰めてくれているのだろう。お父様がそんな誘惑を口にするなんて珍しい。
もちろん、俺の返事は決まっている。是だ。
「では私の四属性を試してみようか。まずは火を。蝋燭に火を灯すイメージだ」
俺は言われたとおり、人差し指に蝋燭の灯火を想像した。
『サラマンダー。指先に蝋燭の灯りをちょうだい』
俺に既存の詠唱は不向きだった。イメージがそのまま直結してしまうので、既存の詠唱呪文だと威力が割り増しになるのだ。我に導きの灯火を、なんてことを口にしたら松明のような炎の塊が延々続いてしまうだろう。
俺の頭の中はなかなかに厄介なようだ。
赤い光が一粒寄ってきた。お父様が灯した火と同じものが俺の人差し指に宿る。
「上出来だ。適性がないなんて信じられないな。では次は、風だ。旋風をイメージするといい。鎌鼬はやめておこう」
エアカッターのような魔法を期待したが、どうやら危険らしいので大人しく旋風をイメージする。
小学生の頃、運動場の清掃をしていた時に遭遇した小さな旋風は地面を撫でて舞い上がった。楽しくて、旋風の中に飛び込んで遊んだのはいい思い出だ。旋風はその場でしばらく渦巻いていたが、すぐに掻き消えてしまった。
俺のイメージする旋風は、それだ。
『シルフ。そよ風を巻き上げて』
緑色の光が二粒前方へ浮遊し、地面に小さな渦を巻いた。人の背丈ほど伸び上がると、呆気なく消えてなくなる。
「いいぞ。次は地だ。イメージは落とし穴だな」
落とし穴か。陥没でもいいのかな?
蟻地獄のように、すり鉢の形に砂状するイメージでいいんじゃないかな。
『ノーム。小規模の蟻地獄を』
片手ほどの数の黄色と橙の光が、指差した方へ飛んでいく。露の間、地面が陥没し、すり鉢状に砂と化した。
「……リリー? 何をイメージした?」
俺を抱いたまま、お父様が引きつった顔で聞いてくる。エイベルはもはや無言で瞠目していた。
「ありじごく」
「ありじごく? それは何だ?」
「前世の、虫の罠」
「虫が仕掛ける罠ということか? それがありじごく?」
首肯する俺に、お父様が呆れたような顔をした。
「何ともえぐい罠だな」
「効果的」
「だろうな」
お父様が遠い目をしている。どうしたお父様。
「では最後に雷だ。閃光だけでもいいぞ」
なるほど。目眩まし効果か。
でもどうせなら威力のでかいやつをやってみたい。
『お父様がやった天雷をやりたい』
「あれをか? あの程度に収められるならやってみるといい。何事も経験だ」
よし、言質を取ったぞ!
イメージはお父様の天雷だ。耳を劈き世界を白に焼き尽くす天の雷。
『ヴォルト。白に焼き尽くす天雷を落として』
「あっ、馬鹿……!!」
慌てたお父様が俺の口を塞いだが、少し遅かった。そもそも念話なので口を塞いでも意味がない。
俺の意を受けた白と青の魔素は、一斉に一ヶ所に寄り集まると、大規模な落雷を発生させた。
あまりの威力にお父様もエイベルも吹き飛び、俺を抱き込み庇ったお父様は横倒しに地面を滑った。
轟音と風塵で意識が飛びそうになる。もうもうと立ちこめる中、ようやく音の戻った世界でいち早く立ち直ったエイベルが駆け寄ってきた。
「旦那様! お嬢様! ご無事ですか!?」
こんなに慌てるエイベルは初めて見るなぁ、などと場違いな感想を抱きながら、俺は痺れる体に呻いた。
「ああ、何とかな。お前は無事か?」
「はい、多少痺れますが、平気です」
「そうか。リリーは? 怪我はないか?」
『痺れ、ます』
「だろうな。私もさすがに、な」
お父様も落雷の影響があるのか、俺を抱えたまま起き上がったが立ち上がろうとしない。
「まったく。リリー、加減というものをお前は学ばなければならないな。あんなものを至近距離で落とせば、行使した者まで巻き込まれるのは当然だ」
「あう………ごめん、なちゃい………」
全くもってその通り。正論過ぎてぐうの音も出ない。
お父様は疲れたように息を吐き、俺の頭を優しく撫でた。
「練習あるのみだ。だが、私のいる時だけに限る。いいな?」
「はい」
さすがに懲りた俺は、素直に頷いたのだった。