145.坑道最奥 1
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お父様とお兄様は、揃いの風魔法を刃に纏わせ危なげ無く剣を振るっている。弾丸よろしく次々と飛び掛かってくるワニもどきの、その勢いさえ利用して首を刎ねていくお父様の手際の良さに、流れ作業のようだと思わず呻った。
一太刀で刈り取った刃を逆手に持ち替え、背後を見ずに肉薄する魔物の口腔へと切っ先を突き刺し爆発四散する。肉片が炎に焼かれているということは、使ったのは火魔法の爆炎か。
同時に突き出した左手からは、雲間放電の如く稲妻が横へ一直線に走り、紫電に貫かれた複数の魔物が一瞬にして焼き殺された。直後、返した刃で前方の魔物が真っ二つになった。
お爺様と同じく随分と戦い慣れている。俺が知らないだけで、お父様もかなりの実戦経験を積んでいるみたいだ。
さすが国王陛下直属部隊、魔法師団副師団長を拝命するだけはある、ということなのだろう。剣技と攻撃魔法の合せ技で、まるで死角がないように次々と屠っていく。
魔法師団は近接戦闘は不得手なんじゃないかと勝手に思っていたが、寧ろ接近戦と遠隔戦のいいとこ取りみたいな殲滅力だ。これはもう蹂躙戦だよな。
お兄様も負けじと同じく剣撃の合間に魔法を使っている様子だが、お父様のような近接と遠隔の怒涛の切り替えとまでは一歩及ばない。
年の差と経験値の違いを勘案すれば、お兄様の実力は負けず劣らずだと素人の俺から見ればそう思うんだが、珍しく眉間に刻まれた深い縦皺から、お兄様ご自身はその明確な差こそが不服だと察せられた。
スポーツ剣道しか心得のない俺が参戦したら邪魔でしかないとはっきり断言できる程度には、お兄様も相当研鑽を積んで来られたのだろうと思える実力だ。昨日一緒に潜った時だって、お兄様の鮮やかな剣捌きに見惚れたというのに。
なのに、御本人はお父様との力量差に不満があるらしい。体格や身長だって違うのにな。
成長期真っ只中のお兄様には伸び代しかないのに、現状に甘んじる気は一切ないということか。その直向きな向上心の高さがお兄様の長所、美点なのだろう。
浩介はどうだったかなぁ……こんなに我武者羅に、何かに打ち込んだことってあっただろうか。
何事も、平均値より僅かに頭一つ分だけ突出するような、上手い具合に手抜きしていた気がする。期待されないように、でも当てに出来ないと失望はされないように、バランスだけは意識していた。
大学だって有名どころではあっても超一流の出じゃないし、テレビで話題になるような職場でもなかったけど、進学塾として候補に上がる程度には実績のある塾だった。
思い返せば、塾講師の職務だけは一意専心で取り組んでいたんじゃないかな。元々妹の咲桜に勉強を教えていたし、「浩介にぃの教え方わかりやすい!」と喜んでくれるのが嬉しくて、妹をがっかりさせない為だけに勉強も頑張っていた気がする。
塾講師の素養は、それで身につけたようなものだな。「一意専心」が当て嵌まるのは、妹の存在もそうか。
元気に、……しているといいなぁ……。
あいつ、竹を割ったような清々しい性格の持ち主だけど、気が強い割にすぐ泣くから。泣いてないといいな……。
もう二度と、抱きしめてやることも涙を拭ってやることも出来ないから、笑って過ごしてくれていたらいい。大介は我が道を行く大雑把な性格だから、咲桜が隠れて泣いていても気づかないんじゃないだろうか。
おい兄貴。頼むから気づいてくれよ。
溜め込んだものが堰を切らない限り、ギリギリまで面に出さないのが咲桜なんだ。
思い詰める前に気づいて、上手いことガス抜きさせてやってくれ。あいつ自分でも限界ギリギリだって気づけないんだ。爆発してからじゃ遅い。
頼む、もう傍にいてやれない俺の代わりに、よく見ていてあげてくれ。
泣く前は必ず不機嫌になるから、それさえ見逃さなければきっと何とかなる。
抱きしめてやってくれ。
頭を撫でてやってくれ。
心音を聞かせれば、それだけでも落ち着くから。
泣くなよ、咲桜。
お前は理不尽な虐めにだって屈しなかった、不屈の精神の持ち主だろ。
お前を苦しめる原因になった俺が言えた義理じゃないが、お願いだ。泣かないでくれ。
俺にとって何よりも大事な、大切なお前が泣いているのは耐えられない。だから、俺のことで泣くな。無責任にもお前を置いて逝った俺なんかのために、心を痛めないでくれ。
笑え、咲桜。
泣いてくれるな。
目眩のように唐突に沸き起こった激情を、ぐっと抑え込むつもりで目を瞑った。
何もこんな時に浩介の感情が優勢にならなくてもいいだろうに。やっぱりあれか、浩介の姿を模しているから感情も引き摺られるのか。
そんな場合じゃない。
気を抜くな。戦闘中の皆の命を預かっている身だぞ。高温と瘴気を一切通すな。
俺自身も己が身くらい守れずしてこの場に立っている資格はない。彼らの意識がこちらに向いてしまう事こそ一番忌避すべきことだ。
自衛程度完璧に熟せ。彼らの足を引っ張るな。
ふう、と一旦息を吐き出して気を引き締め直す。
ノエル、アレン、ザカリーの三名が護衛に付いているとはいえ、こちらへの襲撃が全く無いわけじゃない。張っている結界を破られるような事態にはまだなっていないが、だからと言って油断と慢心はだめだ。
御守り代わりに刀を顕現さえ、右手でぎゅっと柄を握り込んだ。破られることは万が一にもないとは思うんだが、もしもを想定しておいて損はない。
チャキ、と鍔が僅かな金属音を立てた。それだけで心がすっと凪いでいくのがわかる。
保護膜よろしく張っている彼らの防護魔法の維持に努めながら、怪我をすれば即座に回復魔法を飛ばす。
聖属性だと金色の魔法陣が広がるので、使うのは光属性の回復魔法だ。あちらこちらで金色に光っていては視界が悪い。
光源はありすぎても妨げになる。より深い闇を生み出してしまうから、そこから隙が生じやすい。対象物を見失うのが一番危険だ。
三年前のスタンピードは見晴らしの良い平原で、疑似太陽を打ち上げていた。回復する人数も、押し寄せる魔物の数も桁違いだったため、あの場は聖属性回復魔法でなければ乗り切ることは出来なかったと思う。
片やこちらは坑道最奥だ。奥まった場所ゆえに視界は悪く、問題なく活動できるほどの光源など当然ながらない。唯一熱を発して淡く灯っているのは件の瘴気溜まりだけで、その場が仄暗いせいで余計に闇が濃く感じる。
立ち籠める黒煙は僅かな光源で橙に染まり、ちろちろと燃える小さな火の揺れを映している。それが却って邪魔にしかならない。
暗視のステータス効果を全員に掛けてあるので、視界不良の対策は万全だ。予想外の光で網膜が焼けてしまわないよう、感度調整を自動化させた。哺乳類の瞳孔の仕組みを真似ただけだが、案外大正解だったんじゃないかと密かに自画自賛している。
お父様の護衛が負傷したのを確認して、直様回復魔法をかけた。最早詠唱なんてしていられない。
以前にも経験したが、戦場とは本当に混戦からの混戦続きで待ってはくれないからだ。
浩介の姿だからか、当時の五歳の頃より無詠唱の弊害は少ない様子だ。まあ、基になっているのは八歳の成長過程にある肉体だからな。元の姿に戻ってから反動がないとも限らない。無理はしないように気をつけよう。
そこまで沈思黙考してから、ちらりと執事服に身を包むエリアルとエイベル親子を見た。
同じ風属性持ちの二人は、また同じく白手袋をはめた両手に風の刃を纏わせて戦っている。そう、揃えられた指先から伸びるのは、剣ではなく風魔法だ。無色透明であるはずの大気が、無手なのに目視できる剣の如く煌めき、軽々とワニもどきを切り刻んでいく。何だあれ。
二人が武器の準備をしていないことに訝った俺は、まさかの徒手空拳!?と大いに慌てたのだが、当人達は「執事は帯剣など致しませんので」と当然のようにあっさり答えた。
伯爵家の先代と現当主なので、一応剣や魔法は扱える。実際お父様や騎士たちと訓練している姿も何度か見学させてもらったが、その時は確かに剣を使っていた。
よくよく聞けば、貴族の嗜みとして剣と魔法の教育課程は通常通り受けているそうだ。故に剣戟は人並みには出来る。しかし、そもそも基本として帯剣しない執事が、突発的な戦闘で武器有りきの戦いをするなんてあり得ない、ということらしいのだが……。
理屈はわかるが、相手は魔物だ。対人戦とは根本的に違う。
それでも無手で魔物と肉弾戦やるつもりなのかと、すごく心配していたのだ。
ところが、だ。
最小限の動きで舞うように切り裂き、長い足で蹴り飛ばし、ふわりと翻った燕尾服を払ってそれぞれの仕える主の背後を護っている。
あれ、ここって社交場だったっけ? ダンス踊ってる?
そんな馬鹿な考えが一瞬頭に浮かんでしまうほど、二人の無駄を極力削いだ優雅な戦闘を凝視してしまった。
お父様のような目を引くど派手な戦闘とは違うけれど、エリアル・エイベル親子の戦い方はまた独特なスタイルで魅入ってしまう。
「すげぇな……」
思わず溢れた感嘆の声に、ノエルがちらりと執事親子へ視線を寄越した。
「ああ、アレですか。俺には到底真似出来ない戦闘スタイルですね」
「そうなのか?」
「そうですよ。というか、騎士には無理だと思いますよ。ストレス溜まります」
「え。何で」
「剣振り回した方が効率いいし、何より剣は騎士の誇りですから」
ああ、そういえばイルの専属だった近衛騎士も似たようなこと言ってたな。
近衛騎士は国王陛下より恩賜の剣が与えられるが、グレンヴィル公爵家の護衛たちは当主であるお父様から拝領している。帯剣しない執事と騎士では、誇りとするものが全く違うということだろうな。
「それに、剣を使わないウェイレット執事長とは絶対やりたくないですね」
「戦い難い?」
「はい。あの人の、というか、ウェイレット伯爵家のアレは、武器を必要としない暗殺術ですから。こういうだだっ広い場なら遅れを取ったりしませんが、狭い路地や室内だとめちゃくちゃやり難い相手です」
「こちらには剣のリーチがあるので、確かに狭い場所では不利ですね。場所によっては小回りの利く相手の方が優位に立てるでしょう。無手や投擲武器も脅威ですが、ウェイレット執事長の場合、剣と同等か、下手するとそれ以上の武器を自在に操れますから。戦いたくないというノエルの言い分もよくわかります」
続くように、アレンが本当に嫌そうな声音で応じた。
ああ、アレンは諜報部隊の一人でもあったな。諜報員の統括は代々ウェイレット伯爵家の役目で、きっとノエルやザカリーより勘所のつかめなさはよく知っているのだろう。
苦虫を噛み潰したような顔から察するに、エイベルの、もっと言えばウェイレット伯爵家の能力を、嫌というほど味わっているのかもしれない。諜報員ということは、同業者や暗殺を生業とする暗部との戦闘もあるのだろう。その対処法として、徹底的に対戦対策をやらされている可能性は高い。
手刀が落とされたかと思えば足が飛び込んできて、ギリギリ避けたとしてもすかさず投擲武器が飛来するのだ。全てを剣一本で防ぎ切るなんて不可能だろうし、蹴りか投擲武器どちらかを避けられればまず御の字だろう。
エリアル・エイベル親子からそっと視線を外し、同情の目をアレンに向けてしまったのは仕方ないと思う。
まあ、俺が戦い方を知らないだけで、魔法を混じえた攻防一体のやり方があるのかもしれないけど。
貴族令嬢が剣を手に戦うなんて褒められたものじゃないし、何のための専属護衛だって話だから、俺があまり訓練に参加させてもらえないのは当然と言えば当然だ。寧ろお父様は寛容な方だと思う。
一般的に貴族令嬢の肌は白いことが前提で、扇より重い物など持ったことがないような、白魚のような傷一つない手入れの行き届いた手指が好まれる。貴族令嬢の手指に剣胼胝や太さなど言語道断!が常識の世界で、お父様はとても前衛的な柔軟思考をお持ちだと思う。
だから、せっかく創造した刀を使う機会がほとんどなくても、渋々ながらもたまにお許しが出る時点で破格の温情なのだ。たとえ俺が、それでも全然足りないと不満に思っていようとも。
偶にであっても、この世界で、女の身で刀を握ることが出来るのは奇跡だ。本来ならば「はしたない」と眉を顰める事態だ。そう、たとえ不満に思っていても!
「大事なことなので二度言いました」
「お嬢様? 何かおっしゃいました?」
「何でもない。気にするな」
ノエルから寄越される怪訝な視線を避けるように、ふいっと外方を向いた。
ちょっとした我儘だ。聞き流せ。あとこの姿の時にお嬢様言うな。
ドゴォ!!と突然物凄い音がして仰天の視線を走らせれば、エリアルが強烈な打撃をワニもどきに打ち込んだ後だった。その前方では、呵呵と大笑しながら大剣を振り下ろすお爺様の姿がある。
二人共良いお年なのだが、衰えなど知らぬとばかりに大立ち回りしている。
淡々と頭を踏み潰していくエリアルもどうかと思うが、モグラ叩きよろしく上機嫌に大剣で潰しまくっているお爺様も大概だと思うぞ。あちら一帯が直視を躊躇う凄惨な現場になっているじゃないか。解体場じゃないんだから。
これだから戦闘狂は、と頬が引き攣っている自覚がある。
何だろう、主従って似るのかな……。
いつも丁寧な口調と穏やかで柔らかな物腰のエリアルだが、好々爺の笑みの裏にはお爺様そっくりな荒くれ者の顔が潜んでいたのか。エリアル、恐ろしい……!
お父様とエイベルは、年長組に比べると実に優雅だ。踏み潰したり叩き潰したりしない。
綺麗に斬り落とされた首がそこかしこに転がっているけれど。
こんがり焼き上がった死体があちらこちらに散見するけれど。
うん、年長組よりずっといい。やはり主従は似るんだな。
剣と魔法の両刀遣いで、「攻撃は最大の防御なり」とばかりに一切の突破を許さないお父様と、最小限の動作で悉く回避していくエイベルの戦闘スタイルは見ていて飽きない。とても勉強になるし、不謹慎だがエンターテインメントのようで胸が躍るのだ。
あれなら俺にも出来るかな、と浮足立ってしまいそうになるが、『この場を動くな』と厳命されている身としては一歩も動けない。溢れる好奇心そのままに刀を振り回したい衝動と闘いながら、悶々と鬱屈した気持ちで皆の戦闘を見つめているしかない。
――そんな時、ふと、好奇心が一つ脳裏で形を成した。
狂ったように躍り出た複数のワニもどきを視界の端に捉えながら、何だか恐ろしいような、でも奥底から沸々と湧き水よろしく沸き起こるような、劇薬にも似た強烈で爆発的な興奮を覚えて、思わず縋るように首元のナーガを凝視した。
どうしよう、試してみたい――正確に伝わった様子で、ナーガは事も無げにこくりと頷いた。
『護衛を動かしちゃダメだよ』
「ああ、わかってる」
「お嬢様?」
「加減がわからない。お前たち、そこから【一歩も動くな】」
「「「―――――っ!!??」」」
俺がそう【命じた】途端、ノエル、アレン、ザカリーの三名は指先一つ動かすことが出来なくなった。
迫るワニもどきに剣先を向け迎え撃とうとしていた体勢のまま、驚愕に見開かれた双眸で視線だけが寄越される。
俺の能力の根幹は『干渉』。あらゆる事象に介入出来るはず。対象者が言葉を理解できれば、音声に忍ばせた干渉力で『制限』も『束縛』も可能ということ。
ならば、言葉を理解できない魔物相手にはどうするか。
「!? リリー!!」
悲鳴のような呼声がする。お兄様だ。
肉薄する魔物を前に動かない護衛達、という構図に見えているに違いない。お父様やエイベルもハッと息を呑んだ気配がする。
ノエルたちを抑え込んでいるのは俺だから、後できちんと弁明しなければ。眼前にまで迫った魔物を見据えて、そんなことを思う。
目の前で噛み砕かんと開かれる顎門を見つめて、凪いだ心は静謐だった。波紋ひとつ起こらないような、とても奇妙な瞬間だった。
俺やノエル達と迫る魔物等の間に、境界を一線引いた。
そんなものが引かれたなどと、可視できない境界線に気づく者はいない。
知っているのは引いた当人である俺と、聖霊であるナーガや魔素達だけだ。
キン、と耳鳴りがしたが、それさえも拾えているのは俺くらいだろう。
跳び上がったワニもどきが、不可視の境界線に触れた、その露の間。
魔物自身がつけた勢いそのままに、境界線の外郭で砂状と化していった。
吹けば飛んでいくほどの細かな粒子になった魔物の残骸が、まさに命の灯が燃え尽きて消滅するかの如くポッと燃えて、すぐに消えた。
次々と突撃してくる魔物は例外なく同じ結末を迎え、俺やノエル達を囲むように燐光を発して跡形もなく消え去った。
今までの喧騒が嘘のように辺りはしんと静まり、お父様方だけでなく、ワニもどきの魔物たちまで凍りついたようにその場に固まっていた。